第4話 最高のハッピーエンド

 静寂に包まれた闇夜。紗希を積み込んだバンが車体を揺らしながら冷たくなった道路を走っていく。彼女と同席している如何にも品の無い男達が口角を吊り上げ、黄ばんだ歯を見せて笑っていた。


「お前の事はよぉ~く知ってるぞ? 風間義之の一人娘なんだってな? 名前は風間紗希、だったっけか」

「……アンタ達、パパの何?」

「実はなぁ、おじさん達お前のパパにちょぉ~っとばかりイジメられてな? お金が無くて生活出来なくて困ってるんだよ」

「――で、ちょぉ~っとばかりしようと思って待ち構えていたらお前が一人で家を出たもんでなぁ。ちょぉ~っとばかり手伝ってほしいんだよ」


 紗希は瞬時に理解出来た。この男達は恐らくは義之に対して仕事に関する何かで逆恨みしている情けない人種なのだと。そして自分は身代金としての切り札としてこの哀れな劣等種に誘拐されて身柄を拘束されてしまったのだと。


「……とんだクズの集まりね」


 勿論これは紗希の虚勢である。本当はこの状況を飲み込み切れずに恐怖している。それでも今此処でこの下衆達に臆してなるものか、という一心の元に唇を動かしているだけである。


「気が強いお嬢さんだなぁ? その減らず口はあのクソ野郎にでも似たのか、ね!?」

「ッ!!」


 一人の男が血走った目と共に彼女の頬を片手で鷲掴みにし、もう片方の手に持っているナイフの切っ先を首元に近付けた。ただの脅しかと思っていたが、銀色に光る刃で紗希の皮膚をそっと撫でると、紅く短い一線が浮き上がり、一滴の紅い雫が垂れて胸元へと伝わった。

 この男は本気で人を殺す事が出来る。そしてこの男が本気を出せば喉元を掻っ切られて自分は死ぬ。そう考えた瞬間、全身の血が凍り付く程に恐怖で支配されてしまった。


「待て、殺すな。殺したら金がおじゃんになるだろう」

「分ぁーってるよ。ただ、ちょぉ~っとばかりコイツがムカついたから驚かしただけさ。……いいねぇ、その顔。そっちの方が好きだぜ?」


 紗希は理解してしまった。所詮自分は井の中の蛙に過ぎないのだと。いくら勉強が出来ても、運動が出来ても、見た目が良くても、金持ちの家の子に生まれても、小悪党共に太刀打ちする事すら出来ない程に自分は非力なのだと。

 死、痛み、凌辱、無力。想定される最悪の結末による恐怖の数々が絡み合い、雁字搦めになった紗希は己の惨めさを痛感し、目には涙が浮かんでいた。


「お前のパパの電話番号教えろ。言わなきゃ……分かるよな?」


 本当は教えたくない。仕事を優先して自分の誕生日をすっぽかす様な嘘吐きの父だとしても大事で大好きな父。こんな下劣な人間達に捕まって人質にされたなんて風間家の恥晒しも良い所だろう。そんな思いとは相反し、紗希は言われるがままに義之の電話番号を述べた。


「――もしもし。風間グループの社長、風間義之さんですか。――アナタのお嬢さん、風間紗希さんをお預かりしてる者です。――今、声を聞かせますよ」


 電話を掛けた男が紗希の方へと見やる。そしてスマホを此方へ向けた。こんな下劣な奴等に捕まって何も出来ないなんて、風間家の恥もいい所だろう。


「パパ!!」

『紗希!! 無事か!?』

「――お嬢さんを無事に返して欲しければ一時間以内に身代金3億円準備して我々が指定した住所までアナタ一人で来て下さい。分かっていると思いますが、警察に通報しない様に。この条件が飲めないのなら……ショックで紗希さんの事、メチャクチャにしてしまいそうです。――ええ、賢明な判断を期待していま……」

「パパ!! 駄目!! こんな奴等の言う事聞いちゃ!! 私の事はどうなったっていいから——!!」


 だからこそ紗希は抵抗する。父を守る為、風間家を守る為、自分の矜持を守る為。勇気を振り絞って最期の言葉を電話越しに義之に伝えた。

 突如頬に衝撃が走った。顔を殴られるなんて、一度も無かった。髪の毛を掴まれ、更に両頬を交互に、そして執拗に叩かれる。今まで感じた事の無い痛みと今まで味わった事の無い血液により、紗希は忽ち戦意を喪失してしまった。


「……余計な事をするな。駒は駒らしく黙って大人しくしていろ」


 すっかり男達の言いなりとなってしまった紗希は車から降ろされ、とある廃墟の一室に放り投げ出された。両手両足を縛られ、芋虫の様に這いずる事しか出来ない無様な姿である。


「手筈は?」

「指定した公園でアイツが金を受け取った後、風間義之を殺す。そして合流してコイツは……海外の変態ヤローにでも売って更に一儲けってワケよ」


 やはり最初から父を殺すつもりなんだ。自分が捕まったばかりに父は殺される。計画を盗み聞きしていた紗希は涙を零し何度も義之に謝った。


—―出来の悪い娘でごめんなさい……! 大嫌いなんて言ってごめんなさい……!!


「……もしもし。……そうか。手に入ったか。標的は? ……ククク、最高だな。……ああ、待ってるぞ」


 電話の内容を聞いて紗希は絶望した。義之は死んだ。もう希望は無い。あるのは絶望のみであった。

 電話を切った途端、悪党達は抱腹絶倒する。それはアイツらにとっては最高の喜劇で、最高のハッピーエンドなのだろう。


「パパ死んじゃったよ。ざぁんねん。けど安心しろ、直ぐにお前には新しいパパが出来るさ」


—―嫌。


「海外なんだがな、中国とか良い所だと思うぜ? 中華料理が食べ放題だ。両手両足健在で生きていられるかどうかはお前の御奉仕次第だがな」


——そんなの、嫌。


「ざまぁないな。金持ちのクソガキ。調子に乗って贅沢三昧を繰り広げた罰だ。因果応報だ」


—―助……けて……。


「おい、戻ってきたぞ」


 手筈通り、身代金を運んで来た仲間が帰還してきた。勝利を確信し、ゆっくりと立ち上がり、差し出されたジュラルミンケースをゆっくりと開ける——。


「空っぽ……!? おい!! お前どういうつもり——」


 その瞬間、男は悲鳴と共に壁へと蹴り飛ばされる。呆気に取られたその隙を逃さず、一人の謎の男は華麗な体捌きで各々に重い一撃を入れ、動きを封じた。

 仲間割れでもしたのかと紗希の頭の中は混乱していた。奇襲を仕掛けた男がゆっくりと此方へ向かってくる。殴られると察知し彼女は思わず目を瞑ったが、耳に入って来たのは聞き慣れた男の声であった。


「申し訳ありません、お嬢様。迎えが遅くなってしまいました」

「……!」

「酷い怪我だ……。直ぐに終わらせます。俺にお任せを」


 間違いない。望だ。望の声だ。でもどうして此処が分かったのだろうか? ――そんな事よりも望が危ない。


 紗希が直ぐに目を開けると、其処には悪党達が激昂した姿と、それらに対峙している頼もしさと憎悪が溢れ出る背中が目の前に映った。


 男が唸り声と共に長いパイプの様な物を振り上げる。その瞬間、望の右手が一瞬だけブレたかと思いきや敵は得物を落とし、喉を抑えて苦しみ始めた。そして思い切り股間を蹴り上げて撃退する。


「くそっ!! 舐めてんじゃねぇぞ!!」


 ナイフを構えたもう一人が突き刺そうとしているが、望は難なくその腕を掴み、捻り上げる。捻じ曲げられた痛みによって解放された武器を賺さず空中で奪い、瞬時に望がそのまま男の足の甲へ投げつけて串刺しにすると甲高い悲鳴が上がった。


「何だよ……何だよコイツ……!? こんなの聞いてないぞ!?」


 規格外の強さにより一瞬で制圧してみせた望に恐怖で顔を歪める小悪党達。残り一人となり、望は無表情のまま標的目掛けてゆっくりと詰め寄る。獲物は退きながら距離を取ろうとしていた。


「ま、待て!! そ、そうだ!! 金をやる!! 一生遊んで暮らせるほどの金だ!! 悪い話じゃあないだろ!?」

「……」


 窮鼠は見苦しく命乞いをしてみせる。望は動きを止め、少しばかり考える様な素振りを見せて視線を逸らした。猫に噛みつこうと鼠は背中に隠し持っていた武器を手に取っている。そんな事も知らずに無防備を晒していたので、思わず紗希は叫んだ。


「望!! 危ないっ!!」

「死ねっ——!!」


 普通の人間では到底反応出来ない不意打ちだった筈。しかし望は即座に身を躱しながら卑怯者の背後を取ると、そのまま両腕を使って首を絞め始める。


「――我が主を辱めた罪。万死に値する」


 気道を潰され、男の顔が血溜まりのように紅くなる。かと思いきや徐々に血の気の無い蒼白いものへと変貌していった。望の腕にしがみついていた男の手に力が無くなり始める。今にも死んでしまいそうだ。


「死を以て償え」

「――殺しちゃ駄目っ!!」


 思わず紗希が叫んだ。自分でも何故言ってしまったのか、よく分からずに驚いていた。望の方も何故言われたのか分からずに驚いている顔を見せていたが、直ぐに表情を戻して締め上げている両腕を解いた。悪党は泡を噴いて卒倒しているが、まだ息もあるし生きている様だ。


「――さぁ、帰りましょう。お嬢様。旦那様もお待ちになられています。素敵なお誕生日会にしましょう」


 優しく手足の縄を解き、ゆっくりと立ち上がらせると望は微笑んだ。それは悪党達が見せつけていた下衆たモノではない。暖かく、安心できるモノであった。


 助かった。自分だけでなく、父も。そう理解出来た瞬間、涙が止まらなくなっていた。今まで体感した事の無い熱を抑え切れず、いつの間にか紗希は望に縋り付いて大声で泣きじゃくっていたのだった。

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