「『グリム』ですが、まあ、有名なのは1812年グリム兄弟が童話として編集した作品ですが、元々は古くからのゲルマン民族の伝承でして、要するに神話の世界ですね。その中ではゴブリンやデーモンのことを『グリム』と呼んだそうです」

 美里の入院中の病院に向かいながら、車中、陣内はさっきネット検索で仕入れた知識を、石川に分かりやすく説明した。

「ただ、英語圏ではちょっと違っていまして。『グリム・リーパー』と言って、リーパーつまり大鎌を持っていて……」

「で、英語では何だって言うんだ?」

 石川は大して興味も無さそうに先を促した。


「『グリム・リーパー』つまり死神です!」

 陣内の言葉に石川は目を細め唇を噛む。


「死神だと……笑わせるな!」

 石川は助手席の窓に向かって呟いた。


「あの被害者たちはそんなモノに殺されたんじゃあない! 人だ、人殺しに殺されたんだ!」

 車の中に石川の悲痛な声が響いた。


 ☆ ☆ ☆ 

 

 年末年始のお休み明け、寒い朝に負けないように大きな声で話しながら登校する元気な一団があった。

 その中に福岡ヒナタも混ざっている。隣りに並んだ親友の大分千夏が嬉しそうに話しかけた。

「ホント良かったよ! 心配したんだからね」

 親友の言葉にちょっと間を置いてヒナタは答える。

「ありがとう、でも、もう大丈夫だから……」

 いつものヒナタらしからぬ答えに千夏は少し心配になる。


「子供だったよ。もっと、考えて行動しないとね……」

 そんな反省の言葉に千夏は驚いて言った。

「ホントにヒナタ? 誰かと入れ替わってない?」

「そんな! それじゃあ、いつもはよっぽどわたし考えなしってかんじ?」

 思わずうなずいた千夏に冷たい視線を投げたヒナタであったが、すぐに肩を震わせて笑ってしまった。

「そう、その方がヒナタらしいから!」

 持つべきものは親友だ。改めてそう認識させられた朝だった。


「今日はこれでおしまいだ。明日からは平常授業だから教科書忘れるなよ!」

 三学期の始業式も終わり、担任の五島はそう言うだけ言うとサッサと教壇を降り、教室から出て行こうとしたが、ふと思い出し振り返ってから言った。

「そうだ、福岡! 職員室に来い。話がある……、別に悪い話じゃあないから安心しろ」

 フォローしているような、していないような五島の言葉に対し、不満気にヒナタは頬をふくらませて抗議した。

「んー、それじゃあ先生、わたし、いつもは怒られてばっかりみたいじゃあないですか!」

 和やかなホームルーム後の一コマだった。


「わたし教室で待っているから早く行ってきなよ」

 すぐに、前の席の千夏が気を使って言う。

「ありがとう。すぐ終わらせてくるから、帰り何かおごらせて!」

 そう言って、ヒナタは五島の後を追いかけて行った。


「お、早いな!」

 五島は職員室の手前で追いついたヒナタを見て、すぐに行き先を変えた。

「先生、職員室じゃあないんですか?」

 不思議に思ったヒナタが尋ねた。

「ああ、中津川先生にも立ち会ってもらおう。このまま、保健室に押しかけるぞ」

 (なるほど、事件のことで相談に乗ってくれるってことか……案外、五島も顔に似合わず優しいんだな……)

 などと思いながら、後について保健室へとヒナタは足を運んだのだった。


 ☆ ☆ ☆ 


「入るぞー!」

「お邪魔します」

 五島先生の後に続いてヒナタも保健室に入って行くと、保健師の中津川晶子なかつがわあきこ先生は、優雅に紅茶を飲んでいた。

「五島先生も福岡さんも、紅茶で良いですか?」

 そう言って、晶子先生は戸棚からティーカップを二つ出し紅茶の用意を始める。五島が予め頼んでおいたようだ。

「福岡、まあ座れ。災難だったな、話は警察の方から聞いている」

 ヒナタを座らせ、五島はそう話を切り出した。

「大丈夫? もう少しお休みしていても構わないのよ」

 隣に座った晶子先生も心配げに声をかけた。

 長い黒髪を品よく束ね、白衣を着た二十台後半の落ち着いた感じの先生は、紅茶の湯気でメガネを曇らせながら、盛んにヒナタにお茶請けのクッキーを勧めてきた。

「心配をお掛けしました。確かにショックにはショックだったんですけど……だからって、夢に見るとか、寝られないとかはなくって……」

 ヒナタも不安には思っても、特に問題が無い今の状態を説明するのに苦慮した。

「心配事や体調不良などあったら遠慮せずに言ってくれよ。まあ、俺よりか晶子先生に直接言え!」

「先生! それ職務放棄って言いませんか?」

「何だお前、男の俺に話した方が話しやすいか?」

「そ、それは……」

「適材適所って、言うんだよ! 誰でも良いから話しやすい大人に聞いてもらえ」

 五島の言う通りなんだろう、貯めこまずに話して欲しいと言う事はヒナタにも良く理解できた。

「記憶って、いい加減なの。都合の良いことは鮮明に覚えていて美化されちゃったりするけど。良くない記憶、どうでも良い記憶はドンドン消去されちゃうのよ。だから、楽しい記憶でドンドン上書きしちゃいなさい」

 にこやかにそう言って、晶子先生はまたクッキーを勧めた。

「楽しい記憶か……」

 晶子先生お勧めのクッキーをつまみながら、ヒナタはふとしたことを思いつく。


「そうだ、晶子先生。この件とはちょっと違うことで相談なんですけど……」

 ヒナタは思い切って話を切り出した。

「ええ、良いわよ。何? どんな相談」

 晶子先生は向き直って聞く体勢になった。

「えっと、ですね。彼氏の事です……」

 ちょっと恥ずかしげにヒナタはうつ向きながら話す。

「お、じゃあ、俺は席外すから」

 気を使って五島は保健室を後にする。

「好きな男で嫌な思い出を消せるなら、それも良いんじゃあないか?」

 そう呟いた五島は、とりあえずこの問題を頭の中で処理済みのカテゴリーに移した。


 ☆ ☆ ☆


 石川と陣内を乗せた車は、郊外の畑の中にポツリとたった病院の駐車場に着いた。

「結構、田舎ですね……」

 辺りを見回しながら陣内が言う。

「当然だ、精神病院の隣りに住みたい奴はいないだろう?」

 分かりきった事を言うなとばかり、石川は先に車から降りた。

 一階正面玄関を入るとすぐ受付がある、ここで身分証を提示して、パスカードをもらわないと中には入れない仕組みだ。

 石川は警察手帳を見せ、ゴールドのカードを渡される。

「パスカードにも三種類あってな。ブルー、シルバー、そしてこのゴールドだ!」

 陣内にカードを示して詳しい説明を始めた。

「このゴールドは全ての区画に入れる。そうは言っても、あの殺人鬼の部屋の前までだがな。特別室以外までのシルバー、一般病棟のみのブルーって感じだな」

 説明を聞きながら、陣内は緊張していた。

「いよいよご対面ですか……」

 石川の後を歩きながら、陣内は緊張からか多弁になっていた。

「石川さんはここには何回も来ているんですか?」

 特別室への専用エレベーターのボタンを押してから石川は言った。

「一度だけな、移送されてすぐだったな。奴は騒いでいて話にもならなかったが……」

 話しながら石川は自分の手を見つめた。感覚は変わらない、震えも大丈夫。少し安心してエレベーターに乗り込んだ。

「ピンポーン!」

 五階の特別室だけのあるフロアー、ドアが開いた途端に喧騒の中に引きずり込まれた。ドタバタと数人の看護師が駆けまわっていたのだ。

「おい! どうした?」

 石川は前を走る看護師に声を掛けた。

「また、拘束着を食い破ったんです!」

 そう言いながら急いで看護師は走って行った。

 二人は追いかけるように部屋の前まで行き、中を覗くが、もうそれ以上部屋には入れなかった。

 部屋の中には髪を振り乱した女が数名の看護師に取り押さえられながらも、大声で喚き抵抗していた。

「離せ! 離せよ。お前ら、咬み殺すぞ」

 美里は大声で喚きながら抵抗を続ける。後から駆けつけた医者が首元に注射を打ってようやく大人しくなる。

 それでも、まだ興奮状態のまま、目だけが獲物を探しているように盛んに動く。やがて、前方の二人に向けられて、ニヤリと口が裂けるぐらいに広げて笑いながら言った。

「おい、そこの刑事! あんたじゃあ無い。わたしが呼んでるのはもう一人の『グリム』わたしを殺してくれる奴だ」

 そう言って、楽しそうに歌い出した。

「……魔女は釜戸で焼き殺される、狼は井戸に沈められる、わたしをどうやって? どうやって殺してくれるの……」


 二人は面会どころではなくなり、とりあえず診察室らしい部屋で待った。

「どうだ? 感想は」

 少し落ち着いて隣りに座った陣内に石川は聞いた。

「……」

 陣内は言葉を選んでいた。沈黙が部屋を支配する。やがて、少しずつ陣内は言葉にしていった。

「完全な狂気、人ではないですよ。あれは一体何なんですか?」

「正直、俺にも分からん……」

 助けを求めるような陣内の言葉に、答えを出せずに、石川は自分の手を見つめた。

 かすかに震えているのが自分でも分かった。


「お待たせしました」

 そう言って、白衣の人物が現れる。メガネを掛けた壮年の落ち着いた感じの男である。

「今日は、いや。今日もですね。バタバタしてしまいました」

「こちらに移ってからあの調子ですか? 」

「ええ、薬でどうにかコントロールしているのですが……時々、あのように発作が起こります」

 主治医としては苦労が絶えないのだろう、顔に疲労感がにじみ出ていた。

「診断としては『反社会性パーソナリティ障害』いわゆる『精神病質(サイコパス)』などと呼ばれている病気ですね」

「サイコパス……」

 陣内がその言葉に反応した。

「何だ? それは……」

 石川は分からず聞き返す、陣内が分かりやすく丁寧に説明する。

「いわゆる、連続快楽殺人みたいに、感情のたかぶりでつい殺したとかでなく、殺す事を楽しんで淡々と計画して殺すような感じでしょうかね?」

「殺し自体が目的、それも快楽……」

 石川は絶句して主治医を見た。

「ええ、その通りなのですが……。私はその裏側に何かまだ隠されている気がしてならないのです……」

 主治医の酒田は少し歯切れが悪い感じで説明した。

「何を隠そうとしているんですか? 今さら隠しても、もうどうしようも無いじゃあないですか」

 ここまできて、隠すものなど石川には全く理解出来なかった。

「そうですね、じっくり時間をかけて診ていきたいと思っています」

「何か進展がありましたら、私、石川か陣内にお知らせ下さい」

「はい、わかりました。それと、一つ気になることが……」

 主治医の酒田は、立ち上がろうとした二人についでのように聞いた。

「彼女は最初の事件の事を話したがらないんです」

「なぜ?」

「分かりません。他の殺しのことは事細かに言いふらすのに……」

 主治医の疑問に答えることも出来ずに、二人は重い足取りで病院を後にした。


 乾燥した冬の風が二人の前を冷たく吹き抜けていった。


 ☆ ☆ ☆


 五島が保健室から出ていったのを確認してから、晶子先生は少し砕けた感じに話し出した。

「元気印のヒナタちゃんも、もうそんなお年頃か……」

 感無量と言う感じに頷きながら、もう一枚クッキーをつまんで晶子先生は言った。

「晶子先生、クッキー食べ過ぎ。少しはセーブした方が良いよ」

「うっさい! アドバイスなんかしないぞ」

 わざと膨れたような顔をして晶子先生は笑う。ヒナタにとって晶子先生は先生と言うよりも姉のような存在だった。

 晶子にとっても、よく保健室に顔を出すヒナタは可愛い妹分なのだろう、ヒナタは包み隠さず今までの経緯を打ち明けた。


「ちょっと待ってね」

 晶子先生は真面目な顔で東京都のホームページ、警視庁のホームページなど条例に関するサイトを詳しく見ていく。

「晶子先生、やっぱりそのメガネ、ババ臭いよ……コンタクトにしたら?」

「こっちが真剣に相談乗ってるのに、突っ込むとこ、そこ?」

 ジト目で晶子先生は睨んだ。

「いやね、晶子先生はコンタクトの方が絶対似合ってるって思ったから……」

 拗ねた感じでヒナタは答えた。

「安心して。オフの時はコンタクトよ! オンとオフはしっかり分ける主義なの」

「で、出来る女って感じですか!」

「当然よ!」


 そんな楽しげな会話の中、数枚の資料を晶子先生はプリントしてヒナタに渡した。

「これね、彼が言っているのは『都の青少年育成条例』『何人も青少年とみだらな性交又は性交類似行為をしてはなりません』ってやつね」

 そう言ってから、さらに噛み砕いて説明を始める。

「要するに、十八歳未満の子供に対して、大人はHなことはしちゃあいけませんって、言ってる訳」

 ヒナタはそれを聞いて、何か完全に子供扱いされてちょっと悔しかった。

「でもね、例外条項があるの『なお、婚約中の青少年又はこれに準ずる真摯な交際関係にある場合は除かれます』ってやつ」

 ヒナタはこれも噛み砕いて説明してと目で訴える。

「えーとね、要は婚約か結婚前提の場合はセーフ。でなければ十八歳になるまで待ちなさいってことよ!」


 残った紅茶を飲み干して晶子先生は言った。

「あなたも来年には十八歳でしょう。それまでは、ゆっくりと清い交際をしなさいね。でないと、相手の彼に迷惑がかかっちゃうからね」

 腕組みをして何かヒナタは考えている。それにちょっと不安を覚えた晶子先生は、さらに付け加えて忠告した。

「それよりも、来年は受験よ。どうするの進路、浪人生じゃあ、真摯な交際どころじゃなくなるからね!」


「ぐぁ! そこが一番の問題か……」

 ヒナタは思わず頭を抱えたのだった。

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