第7話 討魔隊

 ガラガラと、扉を開けて中に入る。


 今日はどうやら休みの様で、明かりも消え、昨日の賑わいが嘘のように誰も居ない。

 人が居た時は狭いと感じたが、誰もいないとない店の中は普通に広い、真ん中の通路以外に、荷物を置いている棚が均等に並んで部屋を埋めているせいで動ける場所が少ないから狭く感じるだけのようだ。


「親分ー、帰ったよー!」

 中に入り、麗が呼びかける。

 しかし何の返事もない、不気味な程に静かだ。

「おーい!誰かー、居ないのー?」

 呼びかけつつ中へと入るが、変わらず人の気配すら無い。

「あれー?おっかしいなぁ…もー、そう書いといてよー…」

 と言うと、入口の近くに置いていた「休業日」と書かれた看板を入口の前に置いて扉を閉め、受付の机へ向かう。

机に手を乗せて、少し体を浮かせると

「よっ…」

 軽く机を乗り越えて、奥の棚の1番下の引き出しを開いて鍵束を取り出す。

「先に入っとこうか」

 鍵束に指を引っ掛けてクルクル回しながら、少し悪そうに辰之助へ微笑みかける。


 辰之助は普通の入口から受付の中に入って、鍵を開けている麗に合流し、開かれた奥の扉に入る。

 少し進むと少し長めの階段が下に続いており、まるで地下への入口のようになっている。


 階段を降りながら、辰之助は麗に話しかける。

「あんな所に入れてるなんて、随分と不用心なんだな」

「誰も取らないんだから大丈夫、というより、最近はここ使ってないし、仕事に必要なのと分けてるし、どれが何の鍵かも知らない人も居るくらいだもん」

「…まぁ…昨日の受付での作業中…相当邪魔だった、ジャラジャラしててうるさいし、やたら大きいし」

「……え?ここ来てたの?昨日?」

「昨日だけな、嶋田に雇ってもらってた」

「…だから、親分の名前知ってたんだ…」

「ついでに言うと嶋田から宿の場所と、盗人の話も聞いていた、盗人がお前だって事は知らなかった様だが」

「……」


「お前、嶋田には話してなかったんだな、顔に出やすいくせに」

 階段を降り切った所で、何気なく発したその言葉を聞いた麗が足を止めて俯いて黙ってしまう。


「…麗?」

 二歩ほど先に歩いた所で所で辰之助が気づき、振り返る。

「…お願い…内緒にして…」

 絞り出す様に、麗から懇願の声が漏れる。


「……どうしてだ?」

「…絶対怒られるし……死ぬほど心配する…から…」

「当たり前だ、娘同然のお前が盗みなんて危ない事してたら怒るし、心配もするだろ」

「……それと…責任…感じて欲しくない…」

「……責任…?」

「……うん…」


「…そもそも…何で盗みなんかしてたんだ…」

「それは…」

 一瞬言い淀むが、逃げられない事を悟ったのか俯いたまま、弱々しく口を開く

「………信じてくれないかも知れないけど…私が盗みをしてたのは…強い人を探す為だったの…」

「……は?」

「私…昔から動くのが凄く得意で…刀を持ったら更に体が軽くなって誰にも追いつけないくらいになるの…何でかは本当に分からないけど…」

「……」


「…だから…その状態の私を捕まえれる人が居たら…その人はきっと強い人…だからその人に助けて貰おうと…」

 あまりに馬鹿馬鹿しい話だが、実際辰之助も捕まえる事は出来ていない。


(…動ける云々は本当みたいだな…正体がバレてないって事は捕まっていないということでもある…だが、今はそこじゃない)

「…何でそんな危ない事をしたんだ? 強い奴を見つけて…何かやりたい事があったのか?」


「…親分を傷付けて、今も街を苦しめてる…あいつを倒して欲しかった」

「……あいつ?」


「…この街ってさ、任侠が多いでしょ?」

「あまり出会った記憶は無いが…」

「今は少ないけどね、昔は持っといた、任侠の街…って言っても良いくらいに」

「…怖いな…その響き…」

「あはは、でもね…」

 麗が懐かしむように寂しい表情を浮かべ、言葉を続ける。

「皆いい人だったんだ、これは私が子供だったからとかじゃなくて、皆が皆に優しかった」

「……」


「……ほぼ毎日…喧嘩もあったけど」

「…駄目じゃねぇか」

「漢と漢の意地の張り合いだー、って周りの人が言ってたよ、今の私くらいの年齢の二人が殴りあってた」

「…誰か止めてやれよ…」

「…普通の喧嘩がそう思われるくらいに、昔は平和だった」

(…平和だとしても…荒れてはいるな)

「今は喧嘩なんかしてたら大体どっちかが殺されるよ」

(昔は平和だな)



「でね…!」

 突然顔を上げ、明るい声色に変わる、自分の自慢話を離そうとする子供のように、その目を輝かせている。

「実は昔、親分がこの街を…!」


 そこまで言った所で麗が突然止まり、階段の上を見つめる。

「…誰か来た? 扉を開ける音が…」

「…何も聞こえなかったが?」

「ちょっと見てくる、先言ってて、奥に部屋あるから」

 と辰之助に鍵を投げつけ、階段の上に走り出す。

 辰之助は少し嫌な予感がしつつも明かりを付け、言われた通りに薄暗い廊下を進んで1番奥の扉へと辿り着く。

(どの鍵だよ…)




 十数本ある鍵を手当り次第に鍵穴に差し込むが中々合わない。

 数分後、ようやく開く事が出来たが、その間も麗が戻ってくる事は無い。

(見てくるだけって言ってたよな?流石に遅い、階段を降りている音も聞こえない…)

 辰之助は扉を開けずに、鍵束を差し込んだまま入口に向かう。

「…〜!!」

「?」

 階段を少し登った所で、何か話し声が聞こえる。

 先程感じた嫌な予感が更に揺さぶられ、登る足を加速させる。

「……て!!お願い!!」

 そして一歩登る度に、聞こえた声は話し声ではなく麗の叫び声だったと分かり、更に進む速度をあげる。


 扉を勢い良く開けると、そこには麗と五人の身なりの荒い見知らぬ男達、そして血まみれで倒れている歳典の姿があった。

 五人の内、主犯らしき男は膝を付いている麗の頬を左手で掴み、目の近くに匕首の刃を突き付けている。

 歳典の近くにいる男は布で目意外を隠しており、彼の背に足を組んで座り、髪の毛を掴んで強引に顔を上げ、麗の姿を見せつけている。


 あとの三人は店中を荒らし、乱雑に倒した棚から金目の物を物色していた様だが、辰之助が出てきたのを見て、全員が驚いた顔で止まっている。


「何だ…おめぇ、この店の用心棒か?」

 主犯格であろう男が掴んでいた麗を捨てるように離し、蹴るような軸が定まらないフラフラとした足取りで辰之助に近づく。

「ならさっさとやめた方がいいぜ?」

 首が前に出て、痩せこけたヒョロヒョロの体に合わない無駄に高そうなダボダボな羽織から見える浮いた肋骨、余りまくっている襟先に痩せたヒョロヒョロの左腕を掛け、ニヤニヤと辰之助に話しかける。

「ここはもうすぐ潰れるからなぁ!」

 と机に匕首を突き刺しながら男が言うと、それに呼応する様に歳典の背に乗っている意外の男達も笑い出す。


「……」

 辰之助は少し体を傾け、後ろを見る。

 麗は破れ掛けの襟元を握り、殴られたかの様に赤く腫れている頬を抑えて、震えながら歯を食いしばり、涙目で男を睨んでいる。

しかし、恐怖からか足を震えさせ、動くどころか立ち上がる事もできていない。

 そして歳典も、意識はあるが体中殴られたようで、見えている部分が痣と血まみれになり、それでも何とか麗のところに行こうともがいているが、上に居る男が見た目以上に重いのか全く動いていなかった。

 その二人の姿を見た辰之助は、静かに聞く。


「…そこの2人はどうするんだ?」

「あぁ?…おや……嶋田の方は邪魔で使えねぇから殺すとして、女の方は生意気だが、乳も出てて顔も悪くねぇ、躾けて売春に出せばそれなりの金にはなるだろうよ」


「そうか」

「お前も俺達のとこに来れば、格安で使わせてやってもいいぜ」

 と机に右腕を起き、更に前傾姿勢になり楽しげに話す。

「ふっ…それを聞きたかった」

「まさか、雇い主の娘狙ってたのか!?お前も中々悪い奴…」

 と言いかけた男の髪を掴む。

「あぁ、本当に聞けてよかった」

「………は?」

「何の後腐れも無く、お前達を殺せる」

 そう呟き、僅かに持ち上げた次の瞬間、男の顔面を机に投げるように全力で叩きつける。

「あがぁぁああ!?」

 叩きつけられた反動で男の体が思い切り仰け反り、そのままバランスを崩し後ろに倒れる。

「…いでぇぁ!!はだがぁ…おでの……ばだぁぁ……ぐぞぁ…!」

 鼻が潰れ、前歯も数本折れている血まみれの顔を抑えてのたうち暴れて回っている。


 辰之助は顔型のへこみが出来た机を軽く乗り越え、男に近づこうとする。

「ちぐじょぉがぁ!!やっぢまぇ!でめぇら!」

 男がそういうと待ってましたと言わんばかりに近くにいた別の男が刀を抜き、斬りかかって来る。

 力任せに振り下ろされるそれを最小限の動きで躱し、後ろに回り、首元へ手刀を振り下ろし、気絶させる

「…一人」

 そう呟くと、素早い動きですぐさま次の敵に向かい、その速さに反応させないまま顔面に膝蹴りを食らわせ、吹っ飛んだ男が棚にぶつかりその下敷きになる。

「…二人…」

「死ねぇぇ!!」

 しゃがむ様に着地した辰之助の頭上に、後ろから来ていた敵が刀を振り下ろそうと、大きく上に振りかぶる。

 辰之助は低い体制のまま、後ろに足払いを放ち、そのせいで体勢を崩し、倒れかける相手の腹目掛けて立ち上がる勢いと共に拳を放つ。

 殴られた体が少し浮き上がり、そのまま地面に叩きつけられた。


「…ひ、ひぃいぃ…!」

「……凄い…武器も使ってないのに…!」

 一連の流れを見た麗は感嘆の声を漏らし、同じく見ていた最初の男は怯えながら、鼻を抑える事も忘れて後ずさりする。

 歳典の上の男は未だに動かない

 辰之助は男に近づき、ダボダボの襟元を掴んで無理矢理立ち上がらせる。

「わ、悪かったから、やめてくれ!」

「俺じゃなく、この街に謝るんだな」

 拳を握り、間もなく放たれようとした刹那、

「くそぉ!おい!嶋田を殺せぇ!役立たずぅ!!」

 その叫びを聞いた瞬間、先程まで仲間が殴られている間も動かなかった男が、どこからか針を取り出し、歳典の首に突き刺そう構える。

「ぐぅぅ…!」

 歳典は動こうともがくが、先程と同じくビクともしていない。

「親分!!」

 麗が叫んだ瞬間、辰之助は男を離し、その日一番の速さで歳典の上に乗った男へ目掛け、回し蹴りを放ち、蹴り飛ばす。

 男は壁に叩きつけられズルズルと滑り、地面に伏した。


(……この感触…)


「っ…」

 蹴った足の方に違和感と痛みを覚え、見てみると、先程歳典に向けていた針が辰之助の足を刺し、血が滴り落ちている。


 刺さった針を抜き、構えるために鯉口を切る。

(こいつ相手に麗と嶋田を守りながら戦うとなると…厳しい…)


「麗!嶋田を連れて…!」

「きゃぁ!!」

 辰之助の言葉を遮った麗の叫び声と共に、男の声が部屋中に響く。

「!?」

「おい!動くんじゃねぇ!こいつを殺すぞ!!」


 麗を捕えた男が、その首元に匕首を突き付け、勝利を確信した顔で歯の抜けた、滑稽な笑みを浮かべている。

「麗!」


 ゴキ…パキ…ブブブブブ…


 不快な音を鳴らしながら、蹴り飛ばした敵がゆらゆらと立ち上がる。


 顔の布を煩わしそうに取ろうとするが、上手く取れず、引きちぎろうとしている。


 その手は人差し指と中指、小指と薬指を引っ付け、無理矢理二本にしたような形をしており、罪も鋭く内側に曲がり、明らかに人間の形をしていない。


「そいつは"能蜂はたらきばち"って言ってなぁ、偉大なる組長様が俺達選ばれし者にさすげてくれる、相棒だ、俺の命令なら何でも聞くし、何でもこなす」


 そう話す男を横に、限界を迎えた布が引きちぎれ、中から人と昆虫の顎を混ぜたような口が姿を現す。

 カチカチと音を鳴らし、辰之助に怒りを向けている。


「そこでよ、一つの遊びを考えたんだ…! 俺は今から…この女をぶっ刺す…! お前は強くて優しいからなぁ、俺を殺してでも止めるだろ?」

 息を荒らげ、狂気を感じる笑みを浮かべながら耳障りな声を口から発する。

「だがよぉ、そいつはお前を殺したがってんだ…俺の命令でお前をいつでも殺しに行ける、勿論嶋田にもな、この女助けたらお前か嶋田が死ぬし、自分の命を助けたら女は死ぬ!」

「…屑が」

「なんとでも言えよ!さぁ、どうする…自分の命か…こいつの命か…」


「私の事はいいから!そいつを倒して!親分を守…!」

「ガキは黙ってろ!」

「あぅ…!」

「さぁどうすんだ!?用心棒さんよぉ!!」


「クソ野郎が…!」


 ビリビリビリィ!

 再び能蜂が纏っていた服が破け、背中から大きな羽が出てくる。


「早くしやがれぇ!俺もそいつも気が長くねぇんだからな!!」

 カチカチ…!


(どうする…どうすれば二人を救える…!? 麗……いや俺が死んだらどっちにしろ全員死ぬ…! そもそも…仮に麗を見捨ててこいつと戦っても動けない嶋田を守りながらこいつに勝てる保証も無い…! どうする…)


 焦りと迷いでどんどんと思考の坩堝に嵌る、先の見えない暗闇の様な二択が辰之助の視界と考えを狭める。


(いつ相手の気が変わるかも分からない、さっさと決めろ…! 俺は何の為に強くなろうとした…また目の前で殺されて…守れなかったって嘆くのか…?)


 陰りきった思考が、辰之助の心までも僅かに侵食しようとしていたその時…

「おいおい…!舐められたモンだなぁ…!」

「…!?」

 辰之助の背後から、傷だらけの大男の声が響く。


「…お前みたいな若造に守ってもらう程…俺ぁ、衰えちゃいねぇよ…!」

「…嶋田…!」


 気合いと根性でその体を叩き起し、使い物にならない右足を無理矢理使って立ち尽くす。

 麗を捕らえている男を睨み、豪快な笑みを浮かべ雄叫びの如き声を放つ。

「ありがとよぉ!あずまぁ!」

「…っこの…!俺の名前を呼ぶなぁ!」

「……え…東って…」

 東という名前を聞いた瞬間、麗が男の顔を見て、なにかに気付く。

「…もしかして…!」

「お前さんのお陰で久々に勘が戻ってきたぜぇ!!」

 既に血溜まりが出来る程の血を流しながら、魂を吐きそうな程の大声と死にかけの体で虚勢を張り、東の方に体を向ける。


「だ、黙れ!死に損ないのおっさんが!!」

 その圧に気圧され、怯え竦みながらも東も負けじと麗を盾にするかの様に虚勢を張り、臓物を吐き出す様に叫び返す。



「…知り合いか?」

 辰之助が囁き声で聞く。

「昔…ちょっとな…出来れば殺さないでくれ、話をしてぇ」

「…俺には、正直どうでもいいが…しょうがない、他ならぬ、"親分"の頼みだ」

「ありがとよ、辰之助」

「あぁ」




「……昔は守れなくて…悪かったな…!」

「……くそが…今更…何なんだよ…! お前は俺の娘と妻を見捨てたんだ! それを…今更謝るってのか!? この街が死にゆくのを見ている事しか出来ない弱者の負け犬が! こんな俺にさえ遅れを取ったお前には、もう誰も守れねぇんだよ! だからさっさと死ねよ!!」

「言うようになったなぁ!若造!正論で何も言い返せねぇ!!だが、この街をまだ好きな様で俺は嬉しいぜ!!」

「…っ…いつもそうだ…あんたはいつも…そうやって…!」

 東の目から涙が溢れる、もしかしたらこれが歳典なりの説得なのかもしれない。


 東も限界だったのだろうと思える程に、何かからの開放を求めている表情が浮かぶ。


 匕首を下ろすのも時間の問題かに思われる程に、彼の心が大きく揺らいでいる。


 しかし


「…あぁぁあああああ!! もううんざりだ! あんたの甘ったれた人情に流されて! 奪われるのはもううんざりだぁぁ!!」

 男は悲しみと憎しみで、絆されかけた自身の心を壊れる程に抑え込み、なんの感情がすらも分からない涙を流し、半狂乱になりながら、匕首を全力で振り上げ…

「殺れ!! "能蜂"ぃ!!」

 自身の唯一の仲間へ命令を叫びながら、麗の胸元目掛けてへ刃を落とす。


 すかさず辰之助が刀を抜いて東の方へ向かい、命令を受けた能蜂が辰之助の背後へ飛んでくる。

 能蜂の爪が辰之助の首を捉える寸前に、横から歳典が突進し、能蜂と共に棚へと突っ込み、能蜂を狙いを外しつつ、強引に辰之助から距離を取らせる。

 辰之助は刀の上下を持ち替えて、振り下ろされている最中であった匕首を持つ東の手を袈裟斬りの様に峰で打ち叩いた。


 その痛みと衝撃に耐えきれず、東は匕首を離し、麗を捕まえていた腕の拘束も弱まって麗は解放された。


「うぐぁ…!」

 カラン…カラン…と匕首が転がり、東は苦悶の表情と殴られた手を押さえ、膝を付く。


 解放された麗はその勢いで倒れかけた所を辰之助が抱きとめた。


「…大丈夫か?」

「……」

 返事が無い、辰之助の顔を見て固まっている。

「…麗?」

 もう一度辰之助が聞くと、一瞬ハッとした顔になり

「………えぁ!? うん…平気……だ…よ…」

 赤面しながら、目を逸らして、恥ずかしがる様に口を開いた。

「…良かった」



 カチカチ!カチカチ!

「!!」

「親分!!」

 能蜂の顎の音を聞いた辰之助が典歳の方を見る。

「ぅ…ぬぉぉぉおぉ!!」

 彼の目の前に顎が迫り、今にも噛みちぎられようとしているのを何とか抑えているギリギリの状況だが、もう次の瞬間には噛まれていてもおかしくない。


「ぐ…ぞぉ…!そのまま死んでくれぇ!親分…!」

 腕を抑え、涙を流しながら懇願する様に東は叫ぶ。

「くそ!」

 辰之助が急いで刀を持ち直し、能蜂の方へ向かう。

 あの一瞬で死力という死力を出し尽くした歳典の腕には、もう力が入らない。


 ズルズルと大顎が手を滑り、近づいてくる。


 辰之助は後数歩、彼の素早さならもしかしたら助かるかもしれない。


 だが、歳典本人は

(…こいつぁ…無理だな…)

 自身の死を、悟っていた。


 死を悟った瞬間、何かがプツリと切れ、彼の頭を走馬灯の様なものが駆け巡る、若かりし頃の自分と愛した女、そして全てを失い、新たな人生をあゆむことを余儀なくされたあの日の戦い、あらゆる記憶が一瞬で歳典の脳裏を駆け巡る。


 壮絶な人生を歩んだであろう彼の人生、最後に映し出されたのは、娘同然に愛した、麗の笑顔だった。


 かつての娘が着ていた丈の会ってない服を、楽しそうに来ている姿。

 寝起きでボサボサな頭で眠そうに目を擦る姿。

 口いっぱいに団子を頬張る姿。

 仕事を手伝おうと勉強するが、眠ってしまう姿ーー


(…ろくな人生を送れなかったが…お前をここまで育てる事が出来たのが…俺の最後の功績だ…)


 せめて自分がいなくなった後に辰之助に連れられて、見た事ない外の景色を、沢山見て欲しい。

 自分のせいで見れなかった、憧れの風景を、思う存分感じて欲しい、と

 歳典はそう願う様に、静かに目を瞑る。




 シュボォォ!!


 その願いを、激しく燃え盛る暖かな光が優しく受け止めた。



「………?」

 ふと意識すると抑えていた顎から急速に力が無くなり、能蜂の体だけが横へと倒れ、そのまま頭だけを持っている状態になる。

「…!?」

 持っていた頭を捨て、捨てた頭が灰になって消えていく。


 唖然とする歳典の前には若い女性が立っていた。

「間に合って良かった…」


 肩の下辺りまで伸びた美しい黒髪が、僅かに吹き付けた風になびいている。


「…すみません、遅くなりました…!」

 そう言って、辰之助達の方へ振り向く。

「…まさ…か…!」

 長い髪が大きく回り、その顔が見えてくる。

 凛としつつも幼さの残る、昨日よく見た綺麗で優しげな顔つき。


「……千…彩…?」

 辰之助は驚きの声も上がらない様子で独り言のように聞く。

 間違いなく千彩だった、顔も声も立ち振る舞いも…唯一違う点はその服装。

 紅白を基調とした煌びやかで綺麗な服装、入口から差し込んでくる陽の光を纏う様に佇む彼女の姿に、麗は目を奪われている。



 しかし、辰之助はその力に戦慄し、目を離せないでいた。

 その圧倒的な強さに、意識を奪われていた。

 歳典の所へ走ろうとした一瞬、入口に人影が見えたかと思ったら、突然目の前に燃える一本の線が現れて、その線が能蜂の首を斬ったのだ。

 自身よりも数段早い動きと、正確無比な太刀筋。

 そして昨日感じた、彼女の威圧感。

 彼女は只者では無い、忘れかけていた疑念が確信に変わる音を、辰之助は心の底で響かせた。


「長陽さんは…先程ぶりですね、寿さんは初めまして」

「は、初め…まして……何で私の名前を?」

「昨日の夜、実は部屋を覗いてこっそり聞かせて貰いました」

 少し申し訳なさそうに千彩は答える。

「…へ、へぇ…」

 麗もまだ少し頭が追いついていないのか、言葉を返す事も出来ていない。


「…お前…何者だ…?」

 辰之助はその問いに意味は無いと気付いていた、彼の中でもう何者なのか等察しが付いている、しかし確認したかった、彼女の口から味方である事の確証を得たかったのだ。


「そうでした、本当の自己紹介をしなくてはなりませんね」

 慣れた動作で刀を収め、息を吐き、一呼吸置いて、いよいよ口を開く。

「…私の名前は…香色 千彩かしな ちさ

 "討魔隊 三番隊 隊長"にして

 寿さんが、ずっと探し求めていた者の一人です」

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