開演 -curtain raising- その5
その後。
「ただいま。何分? 」
屋上に着地したハバキは、血と埃に塗れたコートを脱ぎながら言った。約束通り、二人は屋上で待っていた。流石にテンションも落ち着いてきたようである。
鵐目は、一応スマホで計っておいたタイムを見せながら言った。
「二分二秒。どこ行ってきたんだい? 」
「ヤクザの事務所潰してきた」
目を見張ってキョトンとする、鵐目と少女。
「いや……マジだけど」
そんな引かれても困る……という顔で弁解するハバキ。
「……まぁいいや。信じようが信じまいが。問題無いしね。警察は? 」
「逃げるには結構ビミョーな距離だね」
「車はここから遠隔操作できる? 」
「メアリーにやってもらう形でなら」
「オーケー。とりあえず車は警察の前を横切らせて、その後は付かず離れずで走らせよう。
「空飛んで……って、それは大丈夫なのかい? 色々と」
「何処に逃げるのかって話なら、郊外の山中に降りる予定。そっから宿を探そう。快適さの話なら、まあ、楽しいとは思うよ? 」
今後の予定を早口の会話で決めていく二人を、少女は一歩下がった所から眺めていた。
(人生で、一番長い夜を過ごした気がする……)
少女がコンクリートの破片を足で蹴って遊んでいると、
「最後にひとつ。キミの言う俺達には、この子は入ってるのかい? 」
唐突に、鵐目が少女を指した。
「……ちょっと話そうか。鵐目はその間にやっといて」
ハバキは少し逡巡した様子を見せ、少女の方へ向かう。「二人きりで話そう」と言って、鵐目とは真反対の方へ歩き出した。
そしてそういう時、自分はいつも
「……家出をしたのは、今日が初めて? 」
「うん……」
「俺もだ! へへ……」
ハバキは、あのビルの軒下での時のような、いたずら小僧の顔になった。
彼と過ごしたのはたった数時間だが、それでも分かることがある。彼は雰囲気がコロコロ変わるのだ。
幼さを見せる時と、冷酷さを見せる時と、包容力を見せる時。
まるで役が憑依するタイプの名俳優のように、同じ人間であるにも関わらず、全く異なる雰囲気をシームレスに醸し出せる人間だった。
「君にだけは話すが……俺は昨日まで、結構良い高校に通ってたんだ。しかも特待だぜ? すげぇだろ! 」
偏差値を聞くと、68だったらしい。それを語るハバキの顔は、先程人智を超えた力で自分を救ってくれた者とは到底思えない、等身大の十六歳だった。
「君はいくつだったの? 」
「私は……一応、73とか」
「マジで!? 俺よりすげーじゃん!! 相当努力を重ねないとその値にはならんよ! 君は誇っていい! 」
ハバキはそう言って笑う。さっき見た、誘拐犯の男達を蹂躙した時の笑いとは違って、本心から認めた相手への、リスペクトに溢れた笑いのように見えた。
少なくとも、そのように感じた。
「そんだけ高いと、やっぱり高校は進学校だったわけだ」
「うん、埼玉の女子校の……。まあ、逃げちゃったんだけどね。始まって二ヶ月しか経ってないのに」
「そう言うなよ、俺も同じなんだからさ。二ヶ月でもキツイもんはキツイだろ? 毎朝テストあったりするし」
「そ……そうなの! それで八割取れないと居残りだし! 既に七時限もやってるのに! 」
「やっぱり七時限やってる? 俺のところもそうだったよ! アレマジでイカれてるよな! 」
そこからしばらくは、お互い『如何に進学校の教育プログラムが常軌を逸した詰め込み教育であるか』を語り合った。
本当に、楽しかった。
今までこういう話を出来る友達は居なかった。クラスメートはみんな余裕そうだし、実際そう言っていたし、中学の元クラスメートだとこちらの話を聞く気は端から無くて、僻んでくる。
もしかすると、目の前にいるこの少年が、あの頃の少女にとって最も必要な話し相手だったのかもしれない。
「━━そう。だから、今の進学校どころか公立高校でさえも、半強制的に十代の三年間っていう大事な青春を捧げなきゃならんのさ。映画に小説、友達と遊んだり、旅行したり……元々使っていた趣味の時間を半ば無理やり減らされたのは、本当に堪えたな」
彼は「それだけでもないけどね」、と小さく呟いた。
それから、よっこらせと起き上がりつつ続ける。
「だから逃げた。置き手紙残して、身一つでな。そしたらこんな面白いことになったんだ! 人間やっぱ行動するもんだね」
彼はそう言って、笑った。
「君はどう? 」
その笑顔が、痛かった。
「……私は、ハバキくんみたいに何かやりたくて家出したんじゃないの。ただ……勉強が辛かっただけで」
「うん」
「いっぱい受験勉強して、たくさんの学費もパパとママに出してもらったのに……高校の人たちはみんな、私より勉強できるのに、私よりキラキラしてて……私がエナドリ毎日飲んで必死に追いついてるのに、みんな涼しい顔で先に行っちゃって……」
「うん……」
「それで、この後も大学とか、会社で働くのがあって……多分この、死ぬ程辛いハードル走は死ぬまで終わらないんだろうって思ったら……もう全部、いやになっちゃって……」
「それで……なるほど」
話しているうちに涙が出てきて、後半はあまり聞こえていなかったかもしれない。
それでも、彼は優しく、最後まで聞いてくれた。
ハバキは少女の手を取り、自分の左手を更に重ねる。そして、今までの会話で聞いたこともないような優しい声で、言った。
「分かるよ。自分が払った多大なコスト、それに値するリターンが支払われるのは今よりずっと先。それでも親や世間は『君の為だから』と、我慢を強いてくる。『今だけだから、今だけだから』。人生の殆どがそれの繰り返しで、それ以外が分からない。そもそも、本当に自分の将来は保障されているのか? なんなら、やってきたことが全て無駄になる可能性さえ頭によぎるんだろ? 」
図星だった。
自分の中のモヤモヤを全て言語化されたような気がする。いや、『気がする』どころではない。少女の中の、少女自身が気にも留めていなかった部分まで、綺麗サッパリ整頓されてしまった。
「受験は孤独な戦争だからね。それが中学と高校で合計六年だろ? 泥沼も良いところさ、やってらんねーよな」
「うん……つら、かったの……でも、頑張らないと、ダメだったから……! 」
涙が溢れて止まらない。
これまでの半生でずっと押し留めてきた感情を今更止められるわけも無く、今や少女は崩れ落ちてしまった。
そんな彼女の肩を抱き、ハバキは耳元で囁く。
「君は少し、リフレッシュをするべきだ。ここまで背負い込んできた全てを一旦放って、ニュートラルな形で人生を楽しむのさ」
「……リフレッシュ……? 」
彼女が落ち着いてきたことを確認すると、ハバキは少し距離を置いて続けた。
「具体的には━━俺達と、一緒に来て欲しい」
唐突な誘いに反応出来ずにいると、彼は何がしかを心配したのか、慌てて手を振る。
「あぁ、金の心配ならしなくていいよ。飽きたら勝手に帰ってもいい。俺達は君を縛らない」
そういうことでは無く。
「……でも、パパとママが……あと内申も……」
サヤは尚も悩み続けるが、ハバキは素知らぬ顔で言った。
「俺達に誘拐されたことにすれば、流石に仕方ないって思われるんじゃないか? まあ、ひと月くらいはお茶の間を賑わせるだろうけど」
平然と、とんでもないことを言うなぁ……と、少女は呆気に取られた。
だが同時に、その無責任さが、奔放さが羨ましくもあった。
「……それに、優等生で居ることだけが人生じゃないよ。人生ってのは、本来もっと自由なんだ。金銭法律倫理その他諸々が、壁になっているだけで」
ハバキはそう
目の前に立つ少年の背後には、満月が蒼く輝いていた。
「俺が助けてあげよう。君の手に、自由が掴まるように」
━━彼はそう言って、三度目の手を差し出した。
「やぁ、カッコよくキメてる所を悪いんだけどさ! ポリ公がね! 来てるんすわ! 我々の足元に! 逃げるなら早くしてくれー!!! 」
「鵐目お前空気読めよぶっ飛ばすぞ!? 」
「読んだ上での暴挙だわ! あと今のキミの暴行予告はマジに命の危険を感じるからやめて!!! 」
二人がギャーギャー騒いでいると、「そこー! 誰か居るのかー!? 」と、階下から大人の声がした。
「ゲェッ! 」「Jesus! 」
もはや少女に迷っている時間は無かった。
……しかし、迷う必要も無かった。
「━━ハバキくん。それと……鵐目さん? 」
「なんだい」「何かい!? 」
「私にも……その、新しい名前をちょうだい」
「そんな仰々しいものでもない、ただの偽名だけどね。そしたら、そうだな……」
ハバキは思案した後、指を鳴らす。
「━━
「うん。それでいい。じゃ、行こ」
少女━━サヤはそう言って、ハバキの手を取った。
屋上の扉が乱暴に開かれ、警察官二人が拳銃を構えながら突入する。しかし、そこに人は居ない。だが話し声がしたのは確かである。二人は首を傾げるしかなかった。
こうなっては仕方がないので、一人は屋上を隅から隅まで探しつつ、もう一人は屋上から落ちた可能性を潰す為、階下に降りていった。
……もしここでどちらかが上を向いていたら、三人の人間が急速に飛び上がる姿を発見できたかもしれない。
だがどちらも警察官であるからして、人が物理法則を無視して動くことを想定するような夢想家では無かったのだった。
さて、そんな三人は現在、ちょうど高度四百メートルを超えた辺り。空気抵抗はハバキが相殺している為、無限に上へ落ちているような状態である。
「ウオオオオアアアアアアアッッ!! 」
鵐目が、荷物を抱えて高速回転しながら叫んでいる。
なんならちょっと泣いている。
そんな彼を横目に、ハバキは両手を広げながら言った。
「どうだいサヤ! 空を飛んだ気分は!? 最高だろう?! 」
サヤの方はと言うと、恐怖のあまりにずっと目をつぶって縮こまっていたので、気分も何も無かった。
「ごめん、これはちょっと━━無理ぃ━━! 」
見かねたハバキは、縦回転から横回転に移行した鵐目を退けながら、サヤのそばに近づく。
「少し触るよ」
「えっ、あっ━━」
そう言うと、サヤの背中と膝裏に手を回し、抱きかかえた。お姫様抱っこである。
「これならどうだろう? 身一つで飛ぶよりも安心感があるんじゃないか? 」
「た、確、かに……? 」
彼女は戸惑いつつも、心の何処か、ほんの少しのスペースでは小さな安心感を覚えていた。
とはいえ、未だに目を開くことは出来ない。だがそれも仕方ないと言えるだろう。パラシュート無しのスカイダイビングでパニックにならない人間など、居ないのだから。
「サヤ。よく聞いてくれ」
ハバキが耳元で囁く。
「君は今、恐怖している。それは何故か? 『自分を抱き抱えるこの少年が、自分の生命の一切を握っている』からだ。今俺が手を離したら。能力を解除したら。そういう仮定が頭を巡っているから、目を開くことが出来ないんだ」
「……そ、そうなの……? 」
「サヤ、信じてくれ。俺が握るのは君の生命でなく、その手なんだ。君が歩きたいのなら歩けばいい。走りたいのなら走ればいい。俺が何処へでも、その手を引いて連れて行く。もちろん、行先が危険であることもあるだろう。だがその為に俺が居るんだ。このチカラは、その為のものなんだ」
嘶いていた風の音が止む。
「サヤ。勇気を出して。俺と一緒に、世界を見よう」
そして。
「……わ、わぁぁぁ━━! 」
彼女の眼前に広がったのは、人工彩光の大海原だった。
ミクロはスマートフォンの画面、マクロはスクランブル交差点の真上に浮かぶ巨大なドーム状の
MRゴーグルを掛ければ更に情報量の増した街が見えるだろうが、空中から見下ろす東京の街並みは、既にそれだけで最上の光景であった。
「さて、もう一度聞こうか! 『どうだいサヤ! 空を飛んだ気分は!? 最高だろう?!』」
「す、すごいよ……! ピーターパンみたい……! 」
あえて同じ質問を繰り返すハバキに、サヤは心から思った感情を吐露する。
「……ハハ、ハハハハハハハハ! アッハハハハハハ! ピーターパンか、良いねぇ! 最高だよサヤ! 」
彼女の例えがハバキの琴線に触れたらしく、彼は大笑いしながら周囲を『飛び回った』。
━━ピーターパン。
大人を拒絶し、似た境遇の子供達を束ねる、カリスマに溢れた少年。
それはまさに、見鹿島 ハバキを言い表す言葉としては、これ以上なく最適なものだった。
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