第6話 克彦とみき
克彦は、亭主関白な父親に育ったからか、それとも、持って生まれた性格からなのか、優しすぎるところがあった。
しかも、その克彦が感じている優しさのストライクゾーンはかなり広く、下手をすれば、何でもかんでも優しさからくるものだと、考えているようだった。
軟弱なところがあるから、そう思うのかも知れない。しかも、優しさはすべてにおいて正義だと思い、正義のほとんどの部分は、優しさからきているものだという考え方で凝り固まっているといってもいいだろう、
ただ、そんな優しさが成長するにしたがって、自分の目立ちたがりな性格からきているのではないかと思うようになった。
子供の頃に見ていたアニメや特撮などで、ヒーローがよく独り言のように、格闘シーンであったり、普段の時でも、よく口に出していた。
それを見て、子供心に、
「恰好いいな」
と思っていたのだが、今になって思うと、
「なんて、恥ずかしいことをしていたんだ」
と感じたのだ。
しかも、無意識にマネをしていて、よく一人でいる時、自分の考えを口にしていたものだ。
「そうだ、あれは自分の考えだったんだ」
というもので、考えていることが口から出てくるというものが、本当は恰好の悪いことだとは、思ってもみなかった。
ヒーローがテレビで、自分の思っていることを口に出すのは、
「見えている人に、感情がなかなか伝わらないということからであり、ましてや相手が子供であれば、特にそうだ。別に恰好いいからということではないだろう」
ということであって、マネをするほど格好のいいことではなく、むしろ格好悪いことだと分かっていても、ついつい口に出してしまう。
そういう人がまわりにいると、今度は自分がイライラしてしまう。
どうしてイライラするのか分からなかったが、その理由が自分にあるのだということを分かるのは、一度まわりきってしまわないと分からないことではないかと思うのだった。
そんな克彦が、優しさはひけらかすものではないという意識があるにも関わらず、それでも優しさに活路を見出すような気持ちになっているのは、
「自分が弱いからではないだろうか?」
と考えるようになったからだったが、どうしてそのことに気づいたのかと言われると、ハッキリとは分からなかった。
亭主関白だった父親に、母親はじっと従っていた。そんな母親を最初は、
「可愛そうだ」
と思っていたはずなのに、そのうちに、
「自業自得だ」
と思うようになっていたのだ。
父親のいうことは、いつも間違っているわけではなく、
「いう通りにできない母親が、本当は悪いのではないか?」
と感じるようになったのが、中学生になってからだった。
母親は、いつも静かだった。笑ったところなど見たこともないほど、表情を変えることはなかった。
父親も同じように、いつも無表情で表情を変えることはないのだが、この二人、同じように無表情だと言っても、性格的には正反対だったのだろう。
「お互いに、最初は相手の自分にないところを見つけて、それが新鮮で好きになったのかも知れない」
ここまで分かるようになったのは、高校生になってからだったが、両親のころを理解できるようになったピークが、ちょうどこの頃だったのかも知れない。
その頃になると、どちらも嫌いだった。
「どうでもいいわ、好きなようにすれば」
いつも、離婚寸前まで行って、どこで思いとどまっているのか、結果離婚をしないのだ。
最終的には母親が妥協して終わりのように見えるが、父親が決して悪いと思ったことはないと思っている。
母親もそのことは分かっているのだろう。だから、逆に、
「この人は、このままずっと悪いとは思わないんだ」
という思いが、何度も険悪なムードになった最後に、いつも行きつく場所となっているのだった。
悪いとは思わないのは、別にそこまで意地が強いからではないと思う。
本当に悪いと思っていないのだろう。そうでなければ、いつもいつも同じパターンになるなどありえないからだ。
まるでデジャブであるかのように、時間が巻き戻され、その状態を見てしまうことが、最初に、
「前に一度感じたことがあるような」
と感じたとしても、一瞬にしてその思いが消えてしまうと、二度と同じ思いを感じることはない。
だから、
「前に一度」
なのだ。
何度も同じ感覚であれば、
「前に一度」
などとは言わず、何度も感じているということを意識しているはずなのだ。
まわりは、
「この光景、何度目なんだ?」
と感じたとしても、二人にとっては、二度目でしかないのだった。
そんな両親を見ていると、克彦は、
「自分は、決してあんな結婚はしたくないし、あんな家庭は築きたくない」
と考えるようになった。
何よりも、
「子供がかわいそうだ」
と思ったのだが、それは、他人事として自分を見ているわけではなく、あくまでも、
「あの二人を親に持った子供」
という、自分とは別人をイメージしてのことだった。
そして、その時の自分の目線は、大人になった自分であり、父親や母親が、まるで自分の友達でもあるかのように二人には短さを感じていたが、あくまでも、子供とはかなりの教理があると思って見ていてのことだった。
克彦は、両親に対して、
「限りなく他人に近い肉親」
だと思っていた。
「他人だと思えれば、これほど気が楽なことはないのに」
と思うのは、やはり、父親も母親も、自分の両親として認めたくないほどの性格的なところに、大きな結界があるからであろう。
もっとも、親でなければ、最初から無視して意識しないのだから、やはり、肉親というワードは、大きな魔力を持っているに違いないのだ。
克彦は、優しさというものをはき違えていた。
「自分を表に出して、好きな人に対して、いきなり好きというのは、相手のことを考えていないから、ひそかに思っているのが優しさだ」
という感覚でいるようだ。
それも一つの優しさなのだろうが、本当の優しさは、
「その人が何を求めているのかを理解してあげ、それが自分にできることであれば、全力を尽くす」
というのが、優しさというものではないだろうか。
そんなことを考えていると、克彦にとって、
「優しい」
と思える女の子が現れた。
高校二年生の克彦だったが、その女の子と知り合ったのは、友達の紹介からだった。
克彦の高校は男子校で、学校に女の子がいなかっただけに、学生服を着た女ののに対しての執着は、ハンパではなかった。
「お前、その露骨な視線、やめとけよ」
と、友達に言われて、ハッとして気づくこともあったくらい、気が付けば女の子を目で追ってしまっていることもあったくらいだった。
「ああ、またやっちゃってたな」
と照れ笑いをしたが、目で追ってしまうというくせは、皆にバレているようだった。
指摘してくれる友達は数少なかったが、してくれないよりしてくれる方がありがたいと思っている。
それでも、さすがに顔が真っ赤になり、心臓の鼓動の激しさに、呼吸困難が襲ってきそうになるのを、必死になってごまかそうとすると、却ってすぐに楽になれるような気がした。
「俺に彼女ができないのは、そんな露骨な視線に気持ち悪さを感じるからなのかな?」
と、指摘してくれる友達に聞いたが、
「そうかも知れないな。だけど、それだけではないかも知れない。お前が見つめている時、何を考えているのかが分からない方が、俺は怖いきがするんだけどな」
と、友達はいうのだった。
「そうなのかなあ?」
と考え込んでいると、
「じゃあ、彼女を作ればいい。そうすれば、目移りすることもないだろうからな」
と言われた。
「あ、いや、俺に彼女なんて」
と謙遜した様子で言ったが、本心は、
「いきなり彼女とかできても、何を話していいのか、どう対応していいのか分からないじゃないか」
という考えがあり。怖さでいっぱいだった。
今までに好きになった子は、確か、小学生の頃に一人、でも、好きだという感情ではなかったような気がする。
次に好きになったのは、中学時代の思春期を意識し始めた頃だったか。エッチな妄想ばかりしてしまって、相手の本質を見るという余裕のなかった頃だったように思う。
それから女性を好きになったことはなかった。しいていえば、小学六年生の時の、担任の先生だっただろうか。その先生を見ていると、身体がムズムズして、初めて女性を性の対象として見た相手ではなかっただろうか。
初めての自慰行為で、
「こんなに気持ちいいんだ」
と感じたものだった。
だが、その時に感じてから、小学校を卒業すると、中学の同級生の女の子に妄想をいだくことはなかった。
そもそも、ほとんどが同じ小学校から来た子たちで、一緒に育ってきた相手だった。
もし、六年生の時、担任の先生に、性の対象というイメージで見ていなければ、ひょっとすると、同級生を性の対象として見たかも知れない。
学生服には、一年生の時から、妄想があり、エッチなイメージを醸し出していたはずなのに、実際に見ると、そんな気持ちになるどころか、却って皆が子供に見えてくるのだった。
それだけ、六年生の時の先生がいとおしく感じられていたのであって、そのイメージが、同級生をどうしても、女として見せていないのではないだろうか。
中学二年生くらいの頃から、大人の女をイメージし始め、そのイメージがずっと変わっていないという気がしてならなかった。
高校二年生の克彦に紹介してくれた相手というのは、同じ高校二年生かと思うと、大学一年生の女子大生だった。
高校生から見れば、かなり年上に感じるであろう。相手も、こちらが高校生ということで、新鮮に見えていたようだった。
本来であれば、年下が年上を見ると、かんり上に見えるのだろうが、逆に年上から年下を見ると、結構近く感じるものだと思っていたが、それは間違いだった、
想像する中で感じたのは、
「五階から見下ろすのと、五階を見上げるのとでは、その見え方がまったく違う」
という感覚だった。
上から見ると、かなり遠くに感じるが下から見上げると、想像以上に近く感じられる。その理由は、単純に、
「高いところが怖いから」
というだけで、高所恐怖症の人間には、特に感じられることであろう。
年齢は、それとは違う。
まず、
「年齢は上から下を見て、思い起こすことはできるが、下から上を見上げた時、実際に経験がないので、想像も曖昧にしか浮かんでこない」
ということである。
つまりは、
「成長は時系列にしか進まず、一方向からしか見ることができない」
ということである。
高所恐怖症として、本当に怖いと思うのは、例えば五階に上っていて、そこから下を見た時、隣のビルが、三階建てだったとすれば、そこに、屋上があって、人が蠢いているとすれば、三階も、地上も、同じ高さにしか見えず、錯覚を植え付けられることになるだろう。
「恐怖というものは、一体何を凌駕するというのだろう?」
俗にいう、
「三大恐怖症」
と言われるものがあるが、
「高所恐怖症」
「閉所恐怖症」
「暗所恐怖症」
と、それぞれに、それぞれの理由があるのだろうが、共通点もある。
高所恐怖症は、下を見ているうちに、どんどん遠くなっていく感覚で、狭い場所を想像させる、そのことから、閉所にも通じるものがある。
暗所恐怖症の側から見ると、
「一歩踏み出して、そこに足場がなかったら、奈落の底に落っこちてしまう」
ということで、その場所が高いところであるという、勝手な妄想に走ってしまっていたりする。
閉所の側から見ると、暗い場所は、すべてが影だという感覚に陥ることで、光がないだけで、狭い場所だということを、妄想してしまう。逆にいえば、高所でないとすれば、閉所しかないという発想であり、結局は、恐怖にしか結びつかないという、一種の、
「負のスパイラル」
ということになるのであろう。
この三つの理論も考え方によると、
「三すくみ」
になっているのかも知れない。
それぞれn恐怖症は、単独でも恐ろしいが、二つが重なれば、数倍の恐怖を生む。
しかし、三つが重なると、それぞれの恐怖を打ち消しあうという作用が働いて、そこにまるで三すくみのような関係になるのではないかと思うのだ。
そういう意味で、昔から、
「三大〇〇」
などということを言われたりしているが、中には、この三すくみの関係を模して、言っていることもあるかも知れない。
この、恐怖症であったり、人間の心理に関係するようなものであれば、それぞれの頂点にいかなる問題が孕んでいるかということを考えると、
「身動きのできない三すくみ」
という関係が、見え隠れしているように思えるのだった。
三すくみは、そもそも、それぞれがけん制しあう関係からのことである。恐怖の感情とは切っても切り離せないものなのであろう。
そのうち、克彦は、高所と、閉所が恐怖症であった。高所恐怖症になったのは、小学生の頃、木登りをしていて、後ろから犬に吠えられたことで、背中から落っこちて、運悪くそこに意思が落ちていたことで、ちょうど背中に当たってしまった。
その時呼吸困難に陥り、
「死ぬかと思った」
と、あとでは笑い話になった程度で済んだのだが、本人には、それがトラウマとして残ってしまったようだ。
それから、高いところに行ったり、そんなに高くなくとも、足場が不安定であれば、足がすくんで、一歩も進めないのだ。
呼吸もできないような感覚になることで、どうしようもなくなるのだが、それから少しして、今度は暗所が怖くなったのだった。
宿題を忘れて行ったことで、母親から怠れた。
と言っても、それは、
「お父さんがなんていうか」
という、父親中心の考えであった。
その程度のことで怖いわけはないのだが、
「お父さんに怒られるのは、自分だ」
とあからさまに言われているような気がして、怒り心頭とはこのことだった。
そんな母親に怒られるのは、父親に怒られるよりも理不尽だ。
最初の頃は、理不尽であっても、
「どうせ怒られるのはお母さんなんだ」
と、母親に少しは罪悪感をいだいていたが、その時は、自分の責任転嫁を口にしたことで、
「お母さんが怒られるのは、俺のせいじゃない」
ということを考えていたが、同時に理不尽に叱られるのも嫌だった。
確かに、元々は宿題を忘れた自分が悪いのだが、すでに母親の本心を見抜いた瞬間に、理不尽さは抜けていた。
「黙ってやり過ごせばいいんだ」
とばかりに、家の奥にある納屋に閉じこもってしまったのだ。
母親も、まさか子供がそんなところに隠れているなんて思ってもいないだろうから、必死で探している。
「夕方になれば、何食わぬ顔で出ていけばいいや」
という思いであったのだが、それは、自分に責任がないと言わんばかりの開き直りであったのだ。
だが、出ようとするのだが、出られなかった。何やら、抑えているものがあるようで、扉があかない。
「開けて」
と叫べばいいのだろうが、それを自分の気持ちが許さない。
ここで声を出せば、自分の負けになってしまい、せっかく隠れたことが無駄にあってしまうと思った。
だから、隠れていたのだが、どうも、母親も自分を探している様子はないようだ。
しばらく考えていたが。このまま父親が帰ってきて、話がややこしくなるのは、それこそ、考えに及ばないことであった。とにかく、まずは父親が帰ってくる前にここからでるのが先決だったのだ。
「お母さん、ここだよ」
と声を出して叫ぶが、どうやら喉がカラカラになってしまったようで、声が出なかった。こんなことをしているうちに、父親が帰ってくる。
それらの思惑が複雑に絡み合って、精神的に落ち着かなくなってしまった。
次第に、息苦しくなってくる。
「これは、高いところにいる時のあの恐怖ではないか?」
と思うと、さらに焦りが湧いてくる。
何とか声を振り絞って叫んだ声が聞こえてくれたおかげで、父親にバレずにすんだのだが、たかが宿題ごときのことでここまで焦ってしまうとは思ってもいなかったという思いから。暗い場所も、恐怖に感じるようになったのだ。
きっと狭い場所の恐怖なのだろうが。あの時は、とにかく暗いというイメージしかなかった。
イメージは一つだけのようだが、大きなダメージを受けるのであって、自分からそんなダメージを受けるかのような精神状態だったというのは、それだけ、父親に対しての恐怖と、母親に対しての憤りがあったからに違いない。
そんな克彦は、自分が、
「女性っぽくなったもではないか?」
と感じるようになった。
今まで感じていた優しさというのは、女性っぽさというのが自分の中にあることで、特に相手が女性であれば、さらに女性っぽさが出てくるのではないかと思うのだ。
男性に対しても、優しさのつもりが女性らしさになるので、男性も女性も、どちらも、克彦のことを、
「好きな人も嫌いな人も、それぞれ徹底している」
と感じるのだった。
好きな人は徹底的に好きになってくれると、嫌いな人は、本当に憎まれているのではないかと思うほど、露骨に嫌われた。
基本的には、ほとんどの人が克彦のことを嫌いだろう。
「あんな女の腐ったようなやつ、信用もできないし、生理的に受け付けない」
という思いが強く、特に女性から嫌われていたようだ。
友達もあまりおらず、もちろん、彼女もできなかった、大学生になるまで童貞だったのだが、大学の先輩が紹介してくれた彼女と、自分でもよく分からなかったが、たぶん、あまり飲めない酒を勧められて、前後不覚になったところを、うまく付け込まれたのだろう。
というよりも、最初から、先輩は計画通りだったのかも知れない。
それは、克彦の
「童貞喪失作戦:
であった。
その先輩は、今までに同級生や後輩の
「筆おろし」
を何度か計画し、実行していた。
別にまわりに自慢できることではないが、筆おろしをさせた相手からは、ありがたがられたのである。
だから、自分で勝手に、
「俺は、まだ童貞のやつの筆おろしをさせてやるんだ。一種のプロデュースのようなものだな」
と思っていた。
幸い、友達の女の子に、
「童貞キラー」
という異名を持つ女の子がいて、もっとも、そんな女の子が友達にいなければ、そんな計画を立てるようなこともないだろう。
彼女は、童貞キラーとして、
「私は女神なんだ」
という錯覚を覚えるほどになっていたのだった。
彼女の名前は、川崎みきという。彼女には、男性の素振りを見れば、すぐに、
「この人は童貞なんじゃないか?」
ということを、瞬時にしてと言っていいほど、早く見つけることができるようだ。
それを本人は、特技だと言い方ではなく、
「特殊能力」
と呼んでほしいと、ひそかに思っていた。
特技と、特殊能力というのは、誰にでも備わっているという意味では同じであるが、特技の方は、自分で、
「伸ばそうとして意識している」
ということであり、逆に特殊能力というのは、
「意識することなく、勝手に発動されるものだ」
と感じるものであった。
「脳の中の能力は、普通の人間は十パーセントしか使っていない」
と言われるが、その十パーセント以上の潜在的な力を彼女は特殊能力だと思っている。
「特技などという言葉ではなく、特殊能力であるとするならば、他にも自分の中に潜在しているものがあるはずだ」
ということで、それを見つけていきたいと思っているのだった。
今では、男と組んで、
「童貞喪失」
に一役を買っているが、別に嫌いではなかった。
「これも、一種の人助けだ」
と思ったからだ。
お金をもらって、男性とセックスをするということよりも、よほど健全な気がしたからだ。
実情は、詳しくは知らないが、みきから見て、お金をもらって男性とセックスをするような女性は、もちろん、お金に困ってやっている人も多いだろうが、それ以外の人は、例外なく、
「遊び感覚」
ではないかと思っていたのだ。
偏見だという意識はあるが、一度感じてしまうと、自分でもどうしようもなくなってしまう。
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