第3話 出産という名の悪夢

 男とお唯はそれから、少しして、夫婦になった。お互いに何も聞かなかった。元々、

「私、記憶をなくしているの」

 と言っている以上、男の方としても、お唯のこと、何も聞けない立場にあるだろう。

 お唯としても、彼がお唯の記憶をなくしているなどということを、本気で信じているとは思っていなかったが、

「こうなったら、墓場まで秘密は持っていこう」

 と誓ったことで、却って、開き直りができた。

 やはり、この人だったら、

「もしバレても、出ていけとは言わない気がするな」

 と感じたが、

「出ていけ」

 と言われないからと言って、何もしないというのは、お唯のプライドが許さない。

 一緒にいたいと思う気持ちが強ければ強いほど、バレてから、何も言わない彼と一緒にいることは、まるで針のムシロで寝かされているかのようではないか。

 彼が何も言わないなら言わないだけ、苦しむのは自分だからである。

 お唯はくのいちとしての、忍びとしての辛さや苦痛は耐えれる自信はあるが、精神的にえぐられるような苦痛に耐える自信はなかった。

 もし、彼がこのことを知ってお互いにぎこちなくなったら。その時がここから去る時だと思った。

 いくところなんか、どこにもないのに、どこに行こうというのか?

 それこそ、ここに来る前に仕えていた。あの男よりもひどい相手に尽くすことになるかも知れない。

 しかし、それは自業自得である。

 自分がなぶりものになろうとも、奴隷同然の扱いを受けようとも、甘んじて受け入れるくらいのことがないといけないと感じるのだった。

 そんなお唯に、男は何も言わない。

 お唯は、ここから去る時のことばかりを考えるようになっていた。

 もちろん、その時のお唯には、

「弦の恩返し」

 などの話を知っていたかどうか分からないが、知っていたとして、自分がその話の鶴になったかのような気がしているのだ。

 その鶴は単純に恩返しのつもりだったのだろうが、お唯とはまったく別の立場である。

「私は、この人をだますつもりできたんだから、このお話のような結末になってはいけない」

 と考えた。

 だが、結末については、どう考えても決まっているのだった。

 ということは、このお話は、きっかけがどうであっても、最後の結末が決まっているという話だということであろうか。

 巡り巡って、ある意味一周まわって、同じところに戻ってくるというそんなお話なのではないだろうか。

 そんなことを考えていると、

「弦の恩返し」

 という話をもっともっと知りたくなるだろう。

 ここでは、昔話や神話などによく出てくる、

「見るなのタブー」

 という発想が含まれている。

「開けてはいけない」

「見てはいけない」

 と呼ばれるもので、それを相手が破ってしまうと自分はもうそこにはいられないという戒めのような話である。

 これは、見る側が、見てはいけないという約束を破るから、せっかくの幸せを逃してしまうという話で、戒めなのだろうが、見られた側の心境としてはどうなのだろう?

 こういう結末を定めとして受けているのであれば、その運命はあまりにも相手に依存してしまっている。つまりは、

「見られた方は、自分が悪いわけでもないのに、宿命には逆らえない」

 という悲劇になるのだ。

 となると、見られる方も、相手が見ないような工夫が必要だということへの戒めであり、より高度な何かを要求することになるのであろう。

 そのうちにお唯は、妊娠し、子供ができることになった。

 当時は別に婚姻届けのようなものもなく、二人はひそかな結婚だったので、結婚したということすら知らなかった人もいたくらいだが、さすがに一つ屋根の下にいるのだから、子供ができて不自然ではない。

 生まれた子供は女の子だった。

 初めて子供を授かったことで、

「これが普通の幸せというものなのだろうか?」

 と、お唯は感じたのだが、そんなお唯のことをねぎらってあげるとおう様子は、男にはなかった。

 男はまるで、何かに憑かれたような雰囲気で、普通の幸せを肌で感じ、心底嬉しいと思っているお唯とは正反対であった。

「お前さん、子供は何という名前にしましょうかね?」

 などと、すでに母親の顔になっているお唯を見つめた男は、今にも泣く出しそうな顔になっていた。

「こんなに喜怒哀楽を顔に出す人だったんだ」

 とばかりに、お唯は今までの男のことを考えていると、その顔にどうしていいのか、考え込んでしまった。

 なぜなら、彼女の顔は喜怒哀楽の中でいえば、明らかに、

「哀」であった。

 まるで、情けなさそうな表情は、悔しさも含んでいるようだ。悔しさを感じると、今度は怒りにも見えてくる。

 何がそんなに悔しくて、悲しいというのだろう?

 確かに男の子であれば、後継ぎなどということもあるのだろうが、農民の子供に、跡取りもくそもないものだ。

 どうせ、農民に生まれれば死ぬまで農民。男の子ができても、与えるものなど何もないのだ。

 そんなことを思っていると、子供が生まれて半年ほどしてからのことだろうか?

 お唯のところに、地主の人を引き連れて、旦那が帰ってきた。

「お唯、悪いがその子は、地主様に預けることになる」

 というではないか。

 驚愕で、声を出すこともできないお唯は、足元が割れて、まるで歌舞伎の奈落の底にでも落とされたかのような気がした。

 狂喜乱舞の状態にならなかったのが、自分でも不思議だった。

 くのいちを抜けてから、細々ながらも、好きな夫と一緒に励ましあいながらここまでやってきた。

 知り合って数年であるが。元々はスパイだったということを忘れさせてくれるほどの幸せだった。

「あの時の報いなのだろうか? あの人を欺いて、ここにやってきた時の」

 と思ったが、

「すでに私は、あの時の私ではない。夫に尽くして、ここで骨をうずめるつもりだったのに、どういうことなの?」

 と叫びたかった。

「少なくとも、子供だけは取り上げないで」

 と夫に懇願したが、夫は黙ってうなだれるだけだった。

「どういうことなの?」

 と聞いても夫は答えようとしない。

 それに呼応したのは地主の方で、

「奥方は、この村の掟をご存じないようだな。この村では、女の子が生まれると、半年後に里子に出されるんだ。この村には、男の子だけが残ることになる」

 と、言われて、

「そういえば、この村に来た時、何か違和感があったが、ハッキリとはしないモゾモゾとした感覚だった。まさか、それが、子供は男の子しかいないということだったのかと思うと、分かっていたはずなのに、何を今さら思い出させるのか?」

 と思えてならなかった。

 あの時に気づいていたとしても、できることといえば、このような苦しみを感じないようにするには、

「子供を作らないようにすること」

 としか言いようがない。

「でも、家の存続はどうなっているんです? 男ばかりというわけにはいかないでしょう?」

 とお唯が聞くと、

「お嫁さんは、まわりの村からもらうんだ。皆が審査する形でな」

 と地主は言った。

「どうして?」

「そうした方が、いい嫁がくる。それが、この村の昔からの伝統なんじゃよ」

 というではないか。

 ということは、自分も審査されていたということだろうか? だとすると、かなりいい加減な審査だろう。そんないい加減な調査しかできない分際で、よくも子供を取り上げようなどとするものだ。

 そんなことを考えると子供を取り上げられた方はたまったものではない。

「こんな村、すぐに出て行ってやる」

 と心の中に決めていた。

 旦那になった男を密偵にきたつもりだったのに、来てみると、依頼人を裏切らせるほどのいい人だった。

 しかし、いい人すぎて、優柔不断であった。自分の主観から何もすることができない。

「そもそも、この人に主観なんかあるのかしら?」

 と思うほどに、自分の意見を持っているわけではない。

 そんなことを考えていると、この男とは、もう一緒にいられない。

「何で、こんな男を好きになっちゃったんだろう?」

 と、お唯は考えたが、お唯も、それだけ、今までいた範囲が狭すぎて、広い世界を分かっていなかった。

 それだけに、密偵は密偵のまま終わっていればいいものを、密偵としては優秀であったとしても、人を見る目はほぼ赤ん坊。そんな彼女にとって一番の問題は、

「信じる力もないくせに、人を信じてみようと感じた。一種の無鉄砲さだったのだろう」

 ということであった。

 ただ、この無鉄砲なのは、無意識のことなのか、それとも、好奇心から来るものだったのかによって、大きく違う。

 無意識であれば、まだくのいちに戻ることもできるかも知れないが、好奇心が湧いてのことであれば、もう、過去には戻れない。自分ではどっちなのか分からなかったが、お唯にとっては、この村を出たとしても、もう、過去にいた場所に戻ることもできない。

「裏切者」

 であることに変わりはないからだ。

 だが、裏切者であっても、本人は意識してこれからも生きていくことになるのだろうが、すでに、い来主側では、お唯のことは頭の中になかった。

 すでに、悪知恵の働く連中は、その場で立ち止まることのできないという性格から、別の女を抱え込んでいて、他にできることを模索していたようだ。

 そのおかげで、お唯に追手が差し向けられることもなく、やつらにとって、お唯は、もうどうでもよかったのだ。

 下手にお唯に執着してしまうと、新しく雇った次の密偵を育てることが困難になるからだ、

 まずは、かわいがるところからやる。優しく抱いて、相手の氷のように分厚い結界を溶かしてやらなければいけないからで、それまで恵まれなかった自分の運命を暖かく包んでやれば、相手は

「この人のために」

 ということになるのだ。

 そもそも、感情が欠落しているところなので、結界をこじ開けさえすれば、あとは、空っぽの中に、自分というものを注入してやればいいだけだった。

 お唯もそうやって、男に注入された心も身体も洗脳される男の液によって、一度は、

「自己破壊」

 を起こさせることが必要なのだ。

 元々何も入っていないはずの心の中なので、そのまま侵入すればいいのだろうが、下手にとろけさせたところに注入するのだから、一度構造を崩壊させる必要があるということなのだ。

 お唯もそうやって、依頼主から注入されたものを、もう一度自己破壊を起こさせるには、一時的とはいえ、記憶喪失状態に陥らせることだった。

「記憶が戻らなかったら、どうするんだ?」

 と言われるかも知れないが、そこがくのいち、

 彼女にとって、それくらいのことは朝飯前のことで、最初から、記憶が戻る前提での記憶喪失になるというわざは、それほど難しいことではないのだった。

 だから、自分の名前を忘れてしまったというのは、別に演技というわけではなく、本当に記憶喪失になっていたのだ。

 ただ、その記憶が失われた状態は、自分から招いたことだったので、

「旦那にバレないか?」

 という危惧があったが、そんな心配は無用だった。

 旦那は、その記憶喪失を見て、彼女への気持ちをハッキリさせたのだろう。

 ただ、その時だけが、この男性が、

「男」

 として一番輝いていた頃だろう。

 一時的な自己破壊のために行った、

「意識的な記憶喪失状態」

 であったが、気が付けば、その状態を抜けていて、そうすると、目の前には、それまで感じなかった人に、男を感じていたのだ、

「何と、頼もしい」

 と感じたことだったか。

 まさか、これが人生のうちで、

「男だった」

 という唯一の時期だっただなんて思いもしなかった。

 その時に、お唯は騙されてしまった。何と言っても、赤ん坊状態でやってきた女なので、一度自己破壊を起こし、記憶が戻ってきた瞬間も、負けず劣らずの赤ん坊状態だったことから、見誤るのも、無理もないことだったに違いない。

 そんな状態で、お互いに結婚した。

 妊娠し、子供が生まれるまでは、間違いないなく、

「オシドリ夫婦」

 であり、これほどのお似合いの二人はいないというほどに感じていた。

「こういうのを、幸せというのだろうか?」

 幸せという言葉は知っていたが、それだけだった。

 自分で味わうことができるようになると、もう、過去はどうでもよくなった。一度戻ってきた記憶だったが、消し去ってしまいたい記憶になったのだった。

 その記憶の抹消は、もう一度自己破壊を起こすと、今度は本当に記憶を失ったままにしかならない。

 そのことは分かっていたので、自己破壊は封印する必要があった。

 そして、子供がせっかく生まれたのに、それを里子に取られてしまう。肝心の旦那は、逆らうことができない。

「こんな人のどこに男を感じたのかしら? それが一番の間違いだったのかも知れないわ」

 と、お唯は感じた。

 間違った感覚でないことは確かだろう。

 それにしても、生まれたのが、女だったら、里子に出されてしまうというのは、一体どういうことなのか?

 要するに、ここでは、女の子が育つ環境ではないということ。そして、嫁は、他からもらうということがこの村のしきたりのようになっていることなのだ。

 このどちらも、他の村にはないことである。とにかく、この村に生まれた女の子は生まれながらに不幸だということだ。

 どうしてこんなことになっているのか、納得のいかないお唯は、旦那に問い詰めた。

「何がどうなってるの? あなただって、子供ができたって聞いた時、あんなに喜んでいたじゃない。でも、生まれ落ちた子供が女の子だと知った時の、あのこの世の地獄を見たかのようなあの顔は、今思い出しても、ゾッとするわ。本当にどういうことなのよ? ちゃんと説明して」

 と詰め寄ったが、その答えを教えてくれることはなかった。

 どうやら、旦那も詳しいことまでは知らないようだったが、それでも、ウソでもいいから、もう少し、相手を説得するように努めれば、見え方も違ってくるはずだったのだ。

 それなのに、どうしてこんなことになったのか、それを思うと、もう、旦那を旦那だと思うことはできなくなっていた。

 つまりは、自分は嫁ではなく、

「ただ、子供を作るための道具、しかも、男の子を作るためのもの」

 ということであった。

 後から知ったことだが、この村の男子とよそから来た嫁の間にできた第一子が、女の子であれば、次に男の子が生まれる可能性は、かなり低いということだった。旦那があれだけ落胆し、この世の終わりを見たかのようになったのは、女の子だっただけではなく、

「お唯とでは、男の子を作ることは難しいのではないか?」

 と感じたからであろう。

 実際に、できたのが女の子だったのだから、旦那がそう思ったとしても、それは無理もないこと。

「だけど、あんなに落胆した顔は、ないわ」

 と、お唯は考えた。

 その子は、そのまま、里子に出され、旦那は、それまでずっと何も言わず、ただ毎日を農作業をして暮らすだけだった。

 子供が女の子であったとしても、この村の豊作には変わりなく、

「少々のことでは、この村はびくともしないんだわ」

 という、そもそもの目的を忘れてしまったにもかかわらず、

「何かこの感情は、知らなければいけないことだったような気がするわ」

 と感じた。

 何しろ一度自己破壊を起こさせるには、記憶を失う必要がある。こんな思い出したくない記憶を思い出そうなど思うはずもなく、どこかに封印されているのか、それとも、まったく記憶は外に散在されてしまったのか、分からなくなっていった。

 お唯はこの家を出ていく時、置手紙を置いてきた。

 とは言っても、書くことは何もなく、

「お暇させていただきます」

 としか書いてこなかった。

 旦那は訳が分からないと思うだろうが、一番訳が分からないのは、お唯本人である。

 少なくとも、

「少しでも、この家にいたくない」

 あるいは、

「旦那の顔を見ていたくない」

 と思い、家を出ていったのだ。

 旦那は、さぞかし、慌てて探すだろうと思っていたが、旦那は今までと変わりなく、一人で農作業に明け暮れる毎日だった。

 要するに、それだけ最初にできた子供が女の子だったということがショックだったに違いない。

 何しろ、男の子が生まれる可能性は、限りなくゼロに近い状態だったのだ。

 この男が、どうしても男の子がほしいと思っていたのかどうか、ハッキリと分からないが、失望をあれだけあらわにするほどのショックだったというのは、否めないということなのだろう。

 それからのお唯が、どうなったのか、何も残っているわけではない。

 どこかでひそかに死んだというのも、また誰かいい人と出会って、今度こそ幸せになったという話もある。

 だが、それを証明できないのは、お唯が幸せになるには。もう一度、

「自己破壊」

 を行う必要があり、今度こそ治る見込みのない記憶喪失となるのだから、名前も覚えていないということで、別の名前で暮らしたというのは、ほぼ間違いないだろう。

 そうなると、名前が違うのであれば、二人を結び付けるすべもなく、お唯の消息が分かるはずもないということになる。

 お唯と別れた旦那は、お唯のことを探すようなことはしなかった。

 すでに、この旦那も自己破壊を起こしていて、それは、

「立ち直ることのできない」

 というものであった。

 二度と奥さんを見つけることはできず。ただ、毎年豊作なので、食えなくなるということは男が生きている間、なかったのだ。

 だが、この男が死んでからというもの、すっかりこの村は他の村と変わりが亡くなって、村長からすれば、

「あの男の存在が、豊作の正体だったんだ」

 と思うよりほかに何もなかった。

 信じられないようなことであるが、それも信じてしまう村長は、それだけ、この村で起こっていることを、自分なりに受け入れてきたのだ。

 ただ、それは村長としての使命感だけで、他に何かがあったわけではない。

 男が何も考えずに、田を耕していて、豊作を続けていたのを同じであった。

 この村にはそれぞれに、役割を持った人間がいて、その人たちが自分の仕事を貫いたことで、この村が安定してきたということであろう。

 そんなこの村は、明治の頃まで、地図にも載っていないようなところだったのであったのだ。

 もともと 、この村には伝説のようなものがあって、政府も手を出せなかった。実際に、明治維新の時、政府が郡県制を敷いた時に、ここも、県政の一部に加わるはずだったのだが、村人の猛烈な反対に遭い、明治政府も、ここで引き下がるわけにはいかないということで、県を通じて警察を出動させたのだが、出動していった警察官が、帰ってくることはなかった。

 事態を重く見た中央政府では、このことについての善後策が話し合われた。

 最初は、

「軍を出動させて、やつらを攻撃すれば、一つの村程度、簡単に攻略できる」

 という強硬派の理論と、

「いや、今は欧米列強に狙われている我が国で、内乱というほどの大きな事変でもないのに、軍隊を出動させるなどということになると、外国からどんな目で見られるか分からないし、そもそも、ただの事件で、軍隊が出動などということになると、国民に対して、国家の威信にも関わるというものだ」

 という、慎重派の意見があった。

 とりあえず、慎重派の意見が受け入れられ、

「その代わり、その村を地図から消してしまおう」

 という措置に出たのである。

 その村からは、税を納めることもせず、県にも属さない。

「日本には存在しない村」

 ということで、

「触らぬ神に祟りなし」

 だったのだ。

 ただ、いつまでもそんな村が存在していては、さすがにまずいと思ったのか、明治の末期に、県の方で、その村に対して、警察が偵察に行ったのだが、何と、その村はすでに存在していなかった。

 近隣の村に吸収されたという話も、まったく聞かれなかった。実際に、近隣の村も、そんな村があったということすら、誰も意識をしていないようだった。

 明治の末期というと、維新の頃から比べれば、すでに、四十年近く経っていることもあって、当時を知る人はほとんどいないというのも事実であり、

「本当にそんなところが存在したなどという事実が残っているんですか?」

 と、逆に県に聞かれるほどだった。

「ああ、その村の存在が、明治政府にとっては、一つの目の上のタンコブのようになっていたのは事実で、県の方でも、政府から、「触れてはならない」ということで、立ち入りを禁止する条例を作っていたんだ。だから、誰も入らなかったし、話題にすることもタブーだったんだよ」

 ということであった。

「そんな村が存在していれば、わしらも分かりそうなものじゃが、話にも聞いたことがない」

 と村人はいう。

 どうも村人も本当に知らないようだ。ただ、

「少し違うが、不思議な話は残っているのだがな」

 というではないか。

「どういう話なんですか?」

 と村人に聞くと、

「実は隣村に残っている話として聞いたことがあるのだが、昔、このあたりの村が、さらに細分化されていたようで、その中に、一つ、不作には絶対にならないという伝説の土地があったんだそうな」

「それで?」

「その土地に対して、まわりの土地が、何か怪しいと思ったのか、一人の女を密偵に使わせたらしいんだ。だが、その女はそこに住み着いて、その土地の男と結婚したらしいのだが、何がどうなったのか、その女は最後には自殺をして果てたという話なんだ」

 というではないか。

 この話は、たぶん、お唯の話であろう。

 その間に、子供が生まれて、その子が女だったということで、里子に出されてしまったことでお唯はショックを受け、村を出たという話がまったく抜け落ちているようだった。

 県の人間も、類似の話を聞いていた。

 ここで今聞いた話でも、お唯の伝説でもない別の話だったのだが、総合すると、どうしても、お唯の話に行きついてしまうのだった。

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