第2話 怒濤の社員旅行 一日目

月下旬某日、東京駅から長野駅まで新幹線で約一時間三十分。冥途商事の一行はこの2泊3日のこの社員旅行の地に降り立った。

長野に到着してからまずは宿泊先のホテルにチェックインして荷物を置いてからまずは最初の観光地である善光寺へと向かった。

 善光寺境内は広く観光客で賑わって賑やかでそして、境内では鳩が参拝客を楽しませていた。

「ねぇねぇ、花菜江!鳩が沢山いるよ~。私餌やりたい。」

「うん、あそこで鳩の餌売っているみたい。」

「コラコラ、二人とも。はしゃぐ気持ちも判るがまずは本堂に行くぞ。」

「はーい」

荒井部長にたしなめられた花菜江と有実は肩をすぼめつつも、やはり初めて来る歴史ある寺に興奮を隠せずにソワソワしてしまう。二人を注意した荒井部長自身もやはり気分が高揚しているのか、やけに足取りが軽やかで辺りをキョロキョロしてしまっている。

「おい、コラ!吉川!お土産買うのはこの後の自由時間にしろ!」

 境内の出店を除いていた吉川課長も荒井部長に注意を受けるも、やはり心の中から湧き上がる高揚感にはあがらえないらしい、一行の列に戻るもあちらこちらをチラチラ視線を泳がせていた。

本堂に入ると広々とした空間に、歴史ある仏像の群れを目の当たりにした。

「では、これからお戒壇めぐりに向かいます。お戒壇の内部は真っ暗なので迷子にならないように。」

「おかいだん巡り?」

「お戒壇めぐりはね、本堂の真下に迷路みたいになっている場所だよ。」

「佐藤さんは入ったことあるんですか?おかいだん巡り。」

「小学校の時の社会科見学でね。中は真っ暗闇で、迷わないように右側の壁を触りながら壁づたいに進んで、最後に極楽の錠前を触ると死後極楽浄土に行けるって言い伝えなんだよ。」

「へぇ~、その極楽の錠前絶対に触らなきゃ。」

「でもね、左側の壁を触りながら進むと一生迷子のまま二度とこの世に戻ってこれなくてあの世に行くって脅かされたことあったっけ。」

「・・そんなそんな広い場所なんですね、お戒壇って。」

「まあ実際はただの脅かしのネタってだけで、左側の壁伝いに進んでも非常口だとかにたどり着くだけだと思うよ。」

「花菜江ったら、いくら何でも一生戻ってこれないほど広い建物じゃないでしょ。」

「でも・・真っ暗な場所に行くだけでも怖いのに・・。」

「新田さんは以外と怖がりなんだね。以外。まあ子供に正しい経路で進ませる為の嘘なんだから気にしないで。」

「そ、そうですよね・・。佐藤さんは東京に上京する前はよくこの善光寺に来ていたんですか?」

「ううん、小学校の社会科見学の時と大学受験の時以来。地元民ほど地元の観光地には来ないものよ。」

「そそ、そそうなんですね・・。お戒壇巡り・・楽しみです・・。」

「はい、これからお戒壇めぐり内部に入ります。中は暗いのでみなさん足下に気をつけてください。」

そうこうしている内に一行はお戒壇めぐりの内部に入っていった。

お戒壇巡りの通路の中はとても真っ暗で、目の前を歩いている人の姿ばかりか自分自身の手や足すら見えない。一行は長野出身の佐藤以外は初めてのこの真っ暗闇の通路にそれぞれ興奮しながら右手で触っている壁の感覚を頼りに通路を練り歩く。

「おい吉川、足踏むな。」

「荒井こそ早く歩け。後ろがつっかえているだろ。」

「うわぁ、本当に真っ暗だ。何も見えないよ。」

「ディズニーのアトラクションみたい。真莉愛こわ~い。」

「佐藤さん、ちゃんとついてきていますか?もし良かったら手を繋ぎましょうか。」

「私は昔来たことあるから大丈夫だよ。井上君こそ大丈夫?」

「誰だ俺の足を踏んだ奴は!」

「スマホのライト点けちゃ駄目?」

「駄目にきまってるでしょーが。」

「こういうのが御利益あるんだろうな。」

「有実~。怖い。」

「花菜江ったら・・・服引っ張らないでよ。」

「だって怖いんだもん。迷子になったらどうしょう。」

「こんな場所でなるわけないでしょうが。ちゃんと右側の壁を触りながら歩けば出口まで行けるんでしょ。」

暫く通路を練り歩くと一行はやっと外にでた。

「あ~面白かった。」

「あ~怖かった。」

「花菜江ったら意外と怖がりなんだねぇ。」

「私は暗い場所が苦手なの。」

意外にも有実は暗い場所が平気らしい。それとは対照的に花菜江は暗い場所や幽霊といったものが大の苦手である。花菜江と有実は顔を見合わせると軽く微笑んだ。

その後は一通り善光寺の境内を見学した後、一旦ホテルに戻りその後自由行動となった。自由行動では花菜江と有実はお土産を物色する為、長野駅の駅ビルに向かった。

「ん~。いい臭い。」

「ほら、あれじゃない?あそこの出店でお饅頭みたいなの売ってる。」

花菜江は有実に言われた方向に目線を向けると、小さな屋台に『おやき』と書かれた登りを見つけた。

「おやきだって。ねね、あれ買ってみない?」

「いいねぇ、後でホテルの部屋で食べようか。」

出店の前に並ぶと、売り子の女性が軽く「いらっしゃい」と笑顔で答えた。

「あの、このおやきって、この辺の名物なんですか?」

「お客さん達、観光でいらしたの?」

「はい、東京から来ました。」

「あら、じゃあおやき食べたことないよねきっと。おやきはね、信州の名物の一つで、中身はりんごだったり野沢菜だったり野菜だったりして美味しいよ。おやきだけでお腹いっぱいになってご飯を食べなくても良くなるよ。」

「聞いているだけでお腹空いてきた・・。ください。」

「はい、ありがとうございます。」

ほくほくと湯気を立ち上らせているお焼きを持って、宿泊先のホテルに戻ろうとしたその時、花菜江は駅ビルのお土産屋の一角に佐藤を見かけた。

「あれ佐藤さんだ。お土産でも買ってるのかな?」

「ほんとだ、久々の地元だもんね。東京に戻ったときの為にお土産を買っているんじゃ無いかな。それより早くホテルに戻っておやきを食べようよ。」

「う、うん。」

有実に急かされてホテルの方向に歩いて行くも、見かけた佐藤の表情がどこか険しかったのが心にひっかかった。

十七時三十分、冥途商事の一行はフロントロビーに集まった。これからみんなでホテル歳時妖怪にあるディナー会場に向かう為だ。

「えー、これから最上階の夕食会場に向かいます。全員そろっていますね?」

誰も返事をしなかったので、荒井部長は暗黙の了解と受け取り先頭に立ちエレベーターに乗り込んだ。

花菜江がふとエレベーターに乗り込んだ全員を見渡すと、佐藤と同室の盛岡はいるのだが佐藤の姿は見当たらなかった。少し違和感を感じつつも盛岡が特に佐藤がただ黙って佐藤の不在を告げずにいる事に何か理由があるのだろうと解釈し気にとめなかった。

次の日の朝、花菜江と有実が朝食バイキングで食べ物を選んでいると盛岡紗和が近づいてきた。

「新田さん大谷さん。おはよう。」

「盛岡さん、おはようございます。」

「・・あのさ、水希見なかった?」

「左藤さんですか?」

「そう。実は昨日の夕方からホテルに戻ってこないんだけど。」

「左藤さんが!?昨日の夕方からって・・。出かけたまま戻ってこなかったって事ですか?」

「そうなんだよね。昨日の自由行動時、水希だけ途中で行くとこあるからって、私と別れたまま戻ってこないの。」

「・・・そういえば夕べの夕食の時いませんでしたねぇ。」

有実が不思議そうに首をかしげる。

「うん・・。ほら長野は水希の地元だし会いたい人がいるのかなって思って、夕食の時も戻ってこなかったのも課長や部長には報告しなかったの。水希だって彼氏くらいいてもおかしくないしね。」

花菜江は盛岡の言葉に以前佐藤が自分に話してくれた、恋人の存在を思い出した。しかし以外にも佐藤は盛岡にでさえ恋人の存在を離していなかったのにはびっくりした。佐藤と盛岡は年齢が一つ違いではあるけれど仲が良く、よく一緒にお昼ごはんを食べていたり、時々休日にも一緒に出かけていたと風の噂で聞いていたので恋人の存在くらい話していたかと思いきやそうでも無かったのだから。


『他の人にはまだ私の結婚が決まったことまだ言わないでね』


佐藤に結婚が決まった事を口止めされていた為佐藤の恋人の存在は言わないことにした。恐らく今現在もその恋人とやらと一緒にいてよろしくやっているのかも知れないのだから、それを邪魔するような無粋な事は言えない。

「まあ、久々の地元なんだから地元の友達とかと遊んでいるんでしょう。でも課長や部長には言わない方がいいかもしれませんね。仮にも社員旅行を抜け出して何処かでお泊まりだなんて知ったら絶対に佐藤さんが怒られちゃいますもん。」

「う・・うん。でも流石に一晩帰ってこないと心配だなぁ。さっきも水希のスマホに電話したんだけど電源が切れているみたいで繋がらないの。」

盛岡は不安そうな顔して朝食に戻っていった。花菜江と有実も佐藤の話を終了させて朝食に戻ることにした。

時間を少し遡ること午前六時時四十五分善光寺境内にて。地元住民の男性が犬の散歩を兼ねて善光寺境内を散歩していた。ふと釣り鐘堂の方向に目線を泳がせると鐘の下に人が倒れているのを発見した。慌てて近くに駆け寄ると倒れているのは女性であった。男性は慌ててスマートフォンを取り出すと警察に通報した。

午前七時15分現場である善光寺境内は騒然としていた。一般人は立ち入りを禁止され、現場検証の刑事や鑑識や交通整理の警察官たちであふれかえり、本堂には事情聴取の為集められた僧侶達がいた。

釣り鐘堂の鐘の真下に横たわっている女性の死体を二人の刑事が目視で死体を確認していた。

「ふ・・・む。口元に泡がくっついてる。毒物だなこりゃ。」

「遺体に絡まっている糸みたいな物はなんでしょうね。」

若い刑事がそばにいる年配の刑事に問いかける。

「う・・・ん。釣り糸みたいなものだな。」

「釣り糸ですか?」

「ああ、お前は釣りやらないから知らんかもしれんが、釣り糸に似てる。正確には調べてみないと分からんけどね。」

「このガイシャは寺で釣りでもやってたんですかね。」

「なわけないだろっ!」

「そうですよねっ。冗談です。」

「本当に冗談か?」

年配の刑事は若い刑事の冗談に疑いの目を向けた。若い刑事は苦笑いをした後目の前の女性の死体のそばにあったバッグを手に取ると中身を確認しだした。中にはハンカチや財布そして会社の社員証が入っていた。

「株式会社冥途商事とかいう会社の社員らしいですよ。」

「おいおい、冥途なんてなんだか不吉な名前だな。他には?車の運転免許証とかは?」

「はい免許証。この被害者の名前は佐藤水希、東京在住らしいです。」

「東京からか観光にでも来て襲われたか。財布が残っている所を見ると物取りの犯行でもなさそうだ。ほら金がちゃんと残っている。」

年配の刑事は財布の中を簡単に確認すると鞄の中に戻した。鑑識が遺体の写真を撮影している時、別の刑事が小走りに走ってきた。

「藤堂さん、石田さん。早朝の鐘をついた僧侶の話によると、午前六時三十分の鐘を突いた時は遺体は無かったそうです。その後はお・・・あさ・・じ?とかいう朝のお勤めにはいってしまったとの事で何も知らないそうです。」

「ふ・・む。詳しい死亡推定時間は検死してみないと判らないな。被害者がどこで死んだかはその後だ。ホテルのルームキーも入っているから身辺調査もしなければ。」

「はい判りました。」

「今日はここは一日閉館だな。誰だか知らないが、寺の中で死人をだすとは罰当たりな奴だ。」

藤堂と呼ばれた年配の刑事は境内をざっと見渡して深いため息をついた。

午前9:00にて冥途商事の一行はホテルフロントのロビーに集合していた。

「えー本日の予定はこれからバスに乗り込み松本市に向かいます。そして松本城を見学した後一旦自由行動となります。」

荒井部長の演説に全員元気よく返事を返す。皆それぞれ観光を楽しみにしているのだ。

「全員そろっていますね?一旦バスで出発した後は数時間はホテルに戻ってこれないので財布など忘れ物の無いように。お土産が買えなくなりますからねぇ。」

「おい、荒井!話が長いぞ。もう観光バスは来てるんだから早く乗り込まないと。」

「吉川、出発するときが一番大切なんだ。観光だからと浮かれていると思わぬところでミスをすることいになるんだぞ。最初に気合いをいれてだな・・。」

「はいはい、みなさん荒井部長の事は無視して早くバスに乗り込みましょう。」

荒井部長と吉川課長の恒例の漫才を皆笑ってみていたが、盛岡だけは浮かない顔していた。やはり佐藤が昨日から不在なのが不安なのだろう。

「盛岡さん。」

「新田さん。」

「佐藤さんまだ帰ってきませんね。」

「うん・・。正直これ以上は部長達に隠しきれない。水希が昨日からいないこと部長に報告しなきゃ・・。」

盛岡は意を決して部長と課長に声をかけようとしたその時、

「失礼します。株式会社冥途商事様の責任者様でいらっしゃいますでしょうか?」

ホテル従業員の女性が荒井部長にそっと話しかけてきた。

「いかにも!私が株式会社冥途商事の責任者です。」

「なにいってんだ、お前はただの商品企画課の部長だろ。中間管理職だ。ただの。」

ホテル従業員の女性の表情には笑みは無く、無表情で言いにくそうな様子でそっと荒井に耳打ちすると、荒井の表情がさっきとは打って変わって一瞬にして曇った。

「なっ・・なんで?」

慌てふためく荒井の様子に吉川も怪訝そうな顔をする。

「どうした荒井、お前なんかやらかしたのか?」

「ばっ・・ちょっとここで待っていろ!全員だ。あーみなさん、ほんの暫くの間この場で待機。」

「おいおい、もうバスも到着してるんだぞ。どうしたってんだ。」

荒井部長は少し慌てた様子でホテル従業員の女性に導かれるままフロント付近から少し離れた観葉植物の鉢植えの物陰に消えていった。

「諸君、なんだかわかりませんが荒井部長のご命令なので少しだけこの場で待機願います。文句がある場合は僕じゃなくて荒井部長にお願いします。」

荒井部長のただならぬ雰囲気に一同ザワつく。盛岡も佐藤が不在な件を言いそびれて困惑している。

「ねえねえ、花菜江、なんかトラブルあったみたいね。」

「うん、部長の様子変だったよね。まあ少し位時間が遅くなっても松本城は逃げないって。」

「判らないわよ~。逃げるかもよ。」

「もう、有実ったら。馬鹿なこと言わないで。お城行ったら写真撮ろうよ。後それと東京へ持って帰るお土産も買って帰ろうよ。」

「いいねぇ、写真撮ったらさ~ブログにあげたい。ワインも買って帰りたいよ。信州ワイン知ってる?」

「長野ってワインでも有名なの?」

「あれ~花菜江知らないんだ~。ワインとかジャムとかでも有名なんだよ。」

「う・・有実って意外と物知りなんだね。」

「以外とは失礼な。」

二人が顔を見合わせて笑い合っていると、荒井部長が血相を変えながら小走りで戻ってきた。

「おい吉川!大変だ。」

「なんだなんだ突然。お前の長野での悪事でもバレたのか」

「そんな冗談言っている場合じゃないんだ。」

荒井部長は吉川課長の耳に口を近づけると何かを耳打ちした。

「なっ・・。」

「と、言うわけでみなさん、本日の観光は中止になります。」

荒井部長の突然の決定に一同から不満そうな声があがる。しかし、いつもこんな時荒井部長に対して揚げ足取るような事を言っては茶化す吉川課長すら険しい表情で荒井部長を見つめているだけだった。

花菜江は嫌な予感がした。昨日からホテルに戻ってこない佐藤の事もあってかこのただならぬ荒井部長と吉川課長の様子をみて、この社員旅行が楽しい物にはならない事を察した。

「あのう、観光バスきちゃってますけどどうするんですか?」

「成瀬君、君が運転手さんに事情を説明して断っておいてくれ。」

「えー、僕が!?」

「ついでにキャンセル料の金額も聞いておいてくれ。」

荒井部長は吉川課長を伴って一緒に先ほどホテル従業員に呼ばれた場所に慌てて戻っていった。向かっていった先にはスーツを着た男性と女性の複数人と制服を着た警官がいるのが見えた。

「ねえ有実・・・。なんだか事件でも起きたみたい。向こうにいるあの人達警察の人だよね。」

「ま、まさか・・。一体ウチの会社になんの用だって言うの。花菜江、まさか・・アンタ・・・とうとう犯罪をしちゃった?」

「馬鹿っつ!私は何もしていないわよ。でも恐らく旅行もここで終了なのかもね。」

数分後、戻ってきた荒井部長と吉川課長に促されて冥途商事商品企画課の一行はホテル内にある会議室に集められていた。

「えー、諸君。突然の観光中止を残念に思っているかもしれません。けれど不測の事態が起きました。それは・・」

一同神妙な面持ちで荒井部長の言葉に聞き耳を立てている。

「それは・・・同じ商品企画課の佐藤水希さんが亡くなられたそうです。」

一斉にどよめきが沸き起こる。花菜江も有実も言葉もでないくらい衝撃を受けた。盛岡も信じられないと言った表情で目に涙を溜めている。

「皆さん、ショックかと思いますが落ち着いてください。これから順番に警察から事情聴取があります。佐藤さんについて知っていることを正直に全て話すように。」

「はい。」

「はい。」

「へい。」

「・・・はい・・。」

「それと盛岡さん。」

「はい・・。」

「佐藤さんと同じ部屋でしたよね、佐藤さんはいつからいなかったんですか?」

「・・・昨日の夕方からです・・・」

「警察の事情聴取が終わった後、僕と吉川課長は長野県警の警察書に行って佐藤さんの遺体を確認しに行ってきます。その後聞きたい事があるのでお時間とれますか?」

「・・はい・・。」

「ああ、それと、警察の方が佐藤さんの私物を確認したいそうなので、警察の方を部屋まで案内してください。」

「はい、判りました。」

盛岡は静かに立ちあがると会議室出入り口付近に待機していた女性刑事を伴い、部屋まで案内しに向かった。

女性刑事が盛岡と共に立ち去ると、今度は若い男性の刑事が正面に立った。

「それでは、皆さん、一人一人順番に事情聴取します。呼ばれるまでこの会議室を出ないでください。」

その場にいる誰もが一言も声を発せずに緊張した面持ちになる。花菜江も有実も俯いたまま自分が呼ばれるのをじっと待った。会議室の窓から見える空模様は薄暗い雲に覆われ今にも雨が降り出しそうだった。

事情聴取はホテル内の普段は朝食バイキングに使われる場所が使われた。聴取には年配の中年の刑事と若い刑事が担当する。


荒井部長の場合

「あの・・刑事さん。亡くなったのは本当に佐藤水希さんなんでしようか。」

「ええ、佐藤さんのご両親には連絡済みですので、本日中には対面にいらっしゃるかと思います。その時に顔などの本人確認をして貰いますが、被害者の持ち物から佐藤水希本人で間違いないと思います。」

「そんな・・そんな・・。あの佐藤さんが・・。ねえ刑事さん、佐藤さんは会社でも真面目な子でとても自らトラブルを引き寄せるタイプじゃないんです。」

「お気持ちお察しします。それで、ここ最近佐藤さんに変わった所とかありませんでした?」

「無いです。いつも通りです。今年の五月に一度地元である長野に戻ってお土産のどら焼きを買ってきてくれた事ぐらいです。」

「どら焼きですが。直近ではどうですか?不自然な点はありませんでしたか?」

「全く無いです。むしろ普通すぎて気にもとめていなかったくらいで。」

「はい判りました。ご協力ありがとうございます。では、次の方。」

「常務のキャバクラの件、もしかしてバレていて反発されちゃったかな。佐藤さんって少々潔癖な所あるし、こんな上司いらないって思われちゃって自棄になった佐藤さんは自ら命を絶ってしまった・・だったらどうしよう・・。」

「はい?」

「いえなんでもないです。こっちの話です。」


吉川課長の場合

「ねえ、刑事さん。佐藤さんが死んだのは私の所為なんです~。」

「と、いうと?」

「僕が・・僕が・・・佐藤さんから今年の五月にお土産にもらったどら焼きが美味しかったんです~~。」

「どら焼きが美味しくてどうして吉川さんの責任なんですか?」

若い刑事が問い返す。

「どら焼きがあまりにも美味しかったから・・美味しかったから・・・だから僕が社員旅行の行き先を長野に決めちゃったんです~~~~。」

「いえ、社員旅行を長野のにしたからといって事件が起こった事とは関係ありませんよ。大丈夫です。」

「いや・・僕の所為なんだぁぁぁ。僕が、僕が佐藤さんを殺したも同然なんだぁぁぁ・・。ねぇ刑事さん・・・僕を逮捕してくださいいいいいい。うわ~~ん。」

「・・ありがとうございました。次の方お願いします。」


成瀬君の場合

「佐藤さんが亡くなったって本当ッスか?」

「はい、残念ながら。」

「なんでまた・・。」

「それを今調べている最中なんです。この社員旅行中やその旅行前など佐藤さんに関わる事で不審な点はありませんでしたか?」

成瀬君はまったく身に覚えが無いという表情で首を振る。

「無いっス。佐藤さんは僕の後輩だけど、仕事以外では殆どしゃべったこと無くて。あ、でも佐藤さんは課内の人気者なんですよ。皆から慕われています。」

「ふ・・む。社内の人間関係良好だった訳ですね。それで佐藤さんはスマートフォンを持っていましたか?」

「そりゃ今時誰でもスマホくらいもっているでしょう。佐藤さんは持っていなかったんですか?」

「はい、亡くなられた佐藤さんの鞄の中にはスマートフォンが入っていませんでした。車の運転免許証や財布はちゃんと残されていたんですが。」

「じゃあ知りませんよ。僕のスマホは僕の物だし。見てくださいこのスマホ、つい最近買い換えたばかりなんですが、総務部に在籍している僕の彼女とおそろいなんですよ。僕の彼女はまだ20代で若くてお料理上手で・・、ホラこれが彼女の写真。かわいいでしょ。」

「・・ありがとうございました。次の方お願いします。」

段々話が脱線してきたのでこれ以上は有益な情報は聞き出せないと判断して成瀬君への聴取は打ち切った。


井上君の場合

「この社員旅行中に佐藤さんに何か変わったことありませんでしたか?」

「・・・・・」

若い刑事の問いに井上君はただ沈黙していた。事情聴取をしていた刑事二人は顔を見合わせた。

「藤堂さん、完全に別の世界にいっちゃってますよ。」

「う・・ん。職場の先輩が亡くなってよっぽどショックだったんだろ。でも。何か少しでも手がかりになる事があれば聞いておきたいからな。聴取を続けるぞ。」

「はい。」

若い刑事は井上君に向き直って声を何回かかけるもやはり反応は無く、生きる屍となった井上にこれ以上問いかけても無駄だと悟ると彼への聴取は打ち切ろうとしたその時、

「・・僕は・・・」

「なんです?何か思い出しましたか?」

「僕は・・・」

「うんうん」

「僕は・・・佐藤さんが好きでした。僕の方が少し年下だし、佐藤さんからみた僕は頼りなさ過ぎたかもしれないけれど・・・でも・・好きだったんです。それだけです。」

「ご協力ありがとうございました・・・。彼女の無念は必ず警察が晴らしますから元気だして。」

若い刑事に気遣いの言葉をかけられると、井上は少し目を潤ませながら無言で立ち上がり部屋に戻っていった。


水川真莉愛の場合

「それでは佐藤さんの最近の様子について教えてください。主に旅行の最中とか。」

「え~、佐藤さん死んじゃったってマジですかぁ?」

「そーです、マジなんです。ですから佐藤さんの近状の様子を教えてください。」

「佐藤さん長野県が出身らしいじゃないですか。その佐藤さんが地元で死んじゃうなんて~。しかも自殺なんですかぁ~~?」

「いえ、自殺と決まった訳じゃ無いです。どちらかというと他殺の可能性が強いというか・・。」

「佐藤さんって、新入社員の私の教育係だったんですよ。教育係をやるような人が死んじゃうなんてマジありえなくない!?」

「そーです!ありえないんです。だから聞いているんです。佐藤さんの交友関係とか知りませんか?同じ社内でも地元の交友関係でも。」

会話がかみ合っていない水川に少しイライラしながら刑事達は有益な情報の為に根気よく質問攻めにしていく。

「佐藤さんって、彼氏いなさそうにみえたかも。社内での一番仲の良い友達は盛岡さんだろうし。でも佐藤さん美人だから男にモテてそう。以前一度だけ、佐藤さんって彼氏いるんですか~?って聞いてみたんだけど、いないって言ってたし。でもぉ~真莉愛が合コンに一緒に行きませんかって誘っても断ってきたしぃ。ごめんさな~~い。よくわかんな~~い。」

「そうですが、ではこの社員旅行中の佐藤さんの行動ですが、どこで買い物してたとか、どこの場所をうろついていたのか知りませんか。」

「私、洋服見たくって駅ビルの洋服屋さん見て歩いていたんです。でもこっちの服ってなんだかイケてないですねぇ。食べ物は美味しいんだけどぉ。」

「だ~か~ら~、あなたの行動とかはどうでもいいんです。佐藤水希の昨日の行動を教えてください。」

「佐藤さんにとってここは地元だし、観光する必要無くない!?」

「藤堂さん、この人駄目です。次ぎいきましょう、次ぎ。」

若い刑事は疲れきって深いため息をついた。

「う・・ん。そうだな。ありがとうございました。もう結構です。」

「え~~~これで終わりぃ?」

「そーです。これで貴方への聴取は終わりです。戻って貰って結構です。」

「え~、もっと話したいんだケド。だってせっかく楽しみにしていたお城観光が無くなったんだしぃ、暇じゃん。」

「駄目だこりゃ・・。おーーい!次のかたどうぞ~~~!」


大谷有実の場合

「では、いくつか質問させていただけますので、思い出せる範囲で良いので、できる限り性格に具体的に話してください。」

「やだ・・イケメン・・・。」

整った顔立ちをした若い刑事に思わず目をハートマークにしてしまう有実。本来なら警察の事情聴取などという緊迫した状況下で相手の容姿に見惚れてしまう暇などないのだが、天然の有実にはそんな事通用しなかった。元々惚れっぽい性格なのだが、この状況下でもいい男好き好きセンサーが反応してしまうなど、有実くらいなものだろう。

「佐藤水希さんの旅行中の様子を聞かせてください。」

「刑事さん、彼女とかいるんですか?イケメンだしいそうなきがするけど。」

「・・・佐藤水希さんとはよく話をする関係なんでしょうか?会社以外の交友関係とか話していませんでしたか?」

「あ、私彼氏いないんですよ。大学時代はいたんですけどね。就職して暫くしてから別れちゃって。それから今現在まで彼氏いないんです。」

「・・・昨日は善光寺見学までは会社の皆さんで集団行動していたんですよね。それ以後の佐藤さんの行動は知りませんか?どこかで佐藤さんを見かけたとか・・。」

「良かったら携帯番号交換しませんか?SNSとかやってる?是非フォローしたいなぁ。」

「こちらが質問した事だけに答えてください。佐藤さんに関する事以外の質問には答えませんよ。」

「私ブログやってるんですよ。URL教えるんで良かったら見てください。」

「だ~か~ら~」

若い刑事はイライラした様子をみせたが、有実は全く意に介していない。有実のこういう空気の読めなささは時として、潔癖な女子には嫌われてしまう事がある。親友の花菜江はある時、別の部署の女子社員に「新田さんはよく大谷さんと一緒にいいられるよね。イライラしない?」と言われたことがあった。その時花菜江は有実の悪口を言ってきた他部署の女子に乗せられて一緒に悪口を言うどころか、

「どういう理由でイラつくの?私は有実と一緒にいて居心地が良いから一緒にいるんだけど。何か問題でも?」

と、彼女たちを一蹴した事があった。

しかし、今この時、有実の目の前にいる刑事は花菜江の様にはいかない。質問に答えていない頓珍漢な返答に若い刑事は今にも爆発しそうだった。それに元々この若い刑事は気が長い方ではなかった。しかし、仕事上事情聴取の相手に感情をむき出しにするわけにはいかず、心の中でイライラしつつも表面上は冷静に質問を続けていく。

「貴方のブログも興味深いですが、今は佐藤水希さんの事を教えてください。この旅行中彼女はスマートフォンを持っていましたか?」

「佐藤さんのスマートフォン?さあ。でも私はスマートフォン持ってますよ。だから電話番号を交換・・」

若い刑事は威勢よくテーブルに片手を叩きつけ有実の言葉を遮ると、

「これで聴取は終了します。お疲れ様でした。」

「い・・石田・・落ち着け。」

「判ってます藤堂さん。次の方どうぞ!」

判っているといいつつもイライラは隠せていなかった。


新田花菜江の場合

「佐藤水希さんとはどの程度親しかったんですか?」

「佐藤さんとは同じ課の先輩で、私が入社したての頃の教育係でした。」

「この社員旅行中に佐藤さんになにか変わった所はありませんでしたか?」

「ありません。むしろ佐藤さんも楽しんでいる様にみえました。」

「では、自由行動中、佐藤さんが誰かと会っていたとかどこにいたとか目撃とかしていませんか?」

「え・・と、駅ビルの中のお土産屋さんで一人で買い物している所を見ただけです。」

「駅ビルのお土産屋さんですね。それは何時頃の事でしょうか。」

「そうですね・・私と有実がおやきを買ってその後ホテルに戻る直前だから・・午後四時頃だったと思います。」

「なるほど、よく判りました。その時佐藤さんは一体何を買っていたか見ていましたか?」

「いいえ。あまりじろじろ見ても悪いと思って。」

「ありがとうございました。それと、佐藤さんの携帯電話なんですが、実は遺体のそばに置いてあった鞄の中に携帯電話が無かったんです。佐藤さんは旅行中携帯電話を持ち歩いていたか判りますか?」

「判りません。って・・なんで携帯電話だけ無くなっているんですか?他に無くなった物とかあるんですか?」

「彼女の鞄の中身には財布や現金等はちゃんと残されていたんですが、なぜか携帯電話が無かったんです。今時携帯電話を持っていない人なんていませんからね。あ、いや、彼女が携帯を持たない主義かもしれないという線もありえますが、念の為です。今警察の方で彼女名義の携帯が契約されていないか調べ中ではありますが。」

「携帯電話はちゃんと普段から持ち歩いていたんじゃないかなと思います。だって、社員旅行の何日か前に車内で携帯電話で誰かと電話していましたし。」

「その電話相手は誰か判りますか?」

「知りませんし、判りません。」

「そうですか。」

(良かったぞ、この人はまともだ。)

二人の刑事は先ほどまでとは違い、この花菜江への聴取が順調に行われている事に安堵していた。

「あの・・刑事さん。」

「何です?」

「佐藤さんは誰かに殺されちゃったんですか?」

「いえ、それを今調べているところでして・・。ただ遺体発見時の状況がただの通り魔的な犯行とは違うので、可能性の一つとして殺人も視野に入れて捜査しているんです。」

「佐藤さん・・せっかく結婚が決まって喜んでたんですよ。なのに何でこんな事に・・。」

「結婚が決まってたんですか?お相手は何処の誰かと聞いていますか?」

「いえ・・。でも地元に彼氏がいてその人は高校の時からの同級生で公務員だって事くらいです。それ以外のことは秘密だそうで・・。」

「ふ・・・む、結婚ねぇ。その話は新田さんから初めて聞きましたが、他の人達も知っているんですか?」

「いいえ・・佐藤さんには他の人達には秘密だって口止めされていたんです。いつかその時がくるまではって。」

「佐藤さんは、なぜ結婚の件を貴方以外の人達に秘密にしたんですか?」

「判りません。」

「貴重の情報ありがとうございました。ご協力ありがとうございました。」

花菜江が退出すると、刑事二人は顔を見合わせた。

「藤堂さん、佐藤水希には婚約者がいたんですね。」

「う・・む。『高校の時の同級生で公務員』か。佐藤の両親が遺体確認に来たら聞いてみるか。」

「そうですね。それにしても佐藤はなぜ結婚の事を新田花菜江にだけ話して他の職場の人達には話さなかったのでしょうね。」

「ふ・・・む。佐藤とその婚約者とは秘密の関係だったとか?」

「やっぱ不倫ですかね。」

「い・・やまだ判らんが、誰にも婚約者の存在を知られたくなかったとしか。でもなぜか新田にだけは話したと・・。」

「う~ん、では次の聴取と行きますか。」


盛岡紗和の場合

「盛岡さんは亡くなられた佐藤水希さんとは親しかったんですか?」

「はい。水希・・いえ佐藤さんとは年齢が一つ違いますが、馬が合うというか話していて楽しいんです。会社でのお昼ご飯もいつも一緒に食べていました。」

「では、佐藤さんに結婚を約束した相手がいたということは知っていましたか?」

「えっ?・・知りませんでした。結婚相手どころか彼氏がいるなんて一言もきいていませ。彼女にそんな相手いたんですか!?」

驚く盛岡に刑事二人は静かに目配せをした。先ほどの花菜江への事情聴取で、佐藤が自身に結婚を約束した相手がいると知らされたのは花菜江だけだと聞いたからだ。しかしあえて佐藤に結婚を約束した相手がいることの認知を質問したのは、花菜江の証言の信憑性を確認する為と、佐藤と仲の良かった盛岡が自分が知らない佐藤の秘密があと知ったっと動揺させて、そこから心理的に揺さぶりをかければなにか有益な情報を引き出せるのでは無いかとにらんだ為だ。

「はい、先ほど事情聴取に強力してくれた新田花菜江さんがおっしゃっていました。」

「なんで新田さんが知ってるんですか。私ですら水希の彼氏の存在なんて知らなかったのに・・・。」

「・・・この旅行中に佐藤さんが誰かに会いに行くなど何か聞いていませんか?」

「いいえ、聞いていません。」

「では、なぜあなたと佐藤さんは昨日の自由行動の際に途中から別行動を取ったのですか」

「それは・・水・・佐藤さんが『行くところがあるから』と言って別行動を申し出たからなんです。長野県は佐藤さんの地元なので、地元の友達とかに会いに行くのかなと思ったから、私・・。」

「何処に行くと聞いていませんか?」

「はい、聞いていません。だってこんな事になるなんて思ってもみなかったし、水希の地元なんだから心配する必要ないじゃないですかぁっ!」

「落ち着いてください。新田さんの話によると、佐藤さんは昨日の午後四時頃に長野駅の駅ビルの土産物屋にいたのを目撃したそうです。先ほどあなたの案内で女性刑事が宿泊している部屋に残された佐藤さんの荷物を調べた時、残されていた荷物にはお土産らしき物は無かった。誰に渡したとか判りますか?」

「知りません・・。知るわけないじゃないですか・・。あの子・・私には何も言わなかったから・・。」

盛岡は激しく動揺し、目にはうっすらと涙を溜めていた。盛岡は自分の親友だと思っていた佐藤が、自分の知らない秘密を持っていた事に激しく動揺した。刑事達は再び目配せすると、さらに質問を続ける。

「では、佐藤さんの携帯電話は知りませんか?」

「え?携帯電話?そんなの佐藤さんが持ち歩いていたんじゃないの?」

「それが、遺体の所持品からは携帯電話が無かったんです。今時携帯電話を契約していない人なんていませんし、大抵の人なら肌身離さず持ち歩くでしょう。地元とはいえ社員旅行の最中だ。持ち歩かないわけ無い。ホテルに残された佐藤さんの荷物の中にも無かった。犯人が持ち去ったという可能性も考えられますが。」

「・・・私今朝何度も彼女のスマホに電話したんですが、なんだか電源が切れていたみたいで通じなかったんです。」

「そうですか。ご協力ありがとうございました。もう結構です。」

若い刑事が盛岡に退出を促すと、盛岡は無言で立ち上がり、苦しそうな表情をしながらその場からよろめきながら立ち去った。

「水希・・どうして・・」

後に残された刑事は、盛岡の辛そうな呟きを確かに聞いた。


事情聴取が終わると、荒井部長と吉川課長は佐藤の遺体確認の為に二人そろって警察書に向かった。出かける前に課長が課員全員に、

「僕と荒井部長者これから警察書に向かって佐藤さんの遺体を確認しに行ってきます。全員かならずホテル内で待機しているように。決して外出はしてはいけません。あ~成瀬君!皆が外に遊びに行かないように見張っていてくれたまえ。」

「え~、俺がッスか!?」

課長の言葉に不満げに答える成瀬だったが、成瀬含む課員全員は到底出かける気持ちにならなかった。なるわけがない。昨日まで一緒にいた職場仲間が亡くなったのだから。それも警察の様子から自殺ではないと読み取ることができたからだ。

花菜江と有実も最初は自分のゲストルームで大人しくテレビを見ていたが、どうしても気持ちが落ち着かず、二人してロビーに気分転換をしに向かった。ロビーに向かう途中、客室が立ち並ぶ廊下の静けさが不気味に思えてならない。

ロビーに入ると、ホテルの中庭の景色を眺められるガラス張りになっているフロアにて一人たたずむ井上が目に入った。

「ねえ花菜江・・あれ井上君じゃない。あれ・・ヤバいわよ。」

思い詰めたように外をただひたすら眺めている井上見て有実は彼の心理状態を心配したのも花菜江も同意見だった。

「ねえ・・声かけた方が良くない!?あれじゃ井上君自殺しそうなんだけど。」

「うん・・。でも一人で物思いにふけりたいだけかも知れないし・・。」

「花菜江が声かけないのなら、私が声かける。そうとうショックだったんだと思うよ。佐藤さんが亡くなったの。」

有実の意見に花菜江も同意見だったが、本当はこのままそっとしておいてあげた方が良かったのでは無いかと思えてならない。花菜江は少し迷った物の思い切って井上に声をかけることにした。

「あの・・井上君。」

花菜江に声をかけられた井上はゆっくりと振り向いた、でもその顔はげっそりとやつれた顔をしていて相当精神的に参っているのが伺える形相をしていた。

「急に声かけちゃってごめんね。でも・・もしかして佐藤さんの事ショックだったんじゃないかなって・・。思って・・。」

「佐藤さん・・・。そうです。佐藤さんが急に亡くなるなんて・・。ショック以外の何者でもないです。」

「うん、私も佐藤さんが亡くなってショックだよ。警察の人は言葉を濁していたけど、どうも誰かに襲われたぽいし・・。あ、でもきっと警察が犯人を見つけてくれると思うし。」

「新田さん。」

「は、はい。」

「僕・・佐藤さんに見向きされていないの判ってました。佐藤さんに彼氏がいたかどうかまでは判りませんが、佐藤さんの眼中に僕は全く入ってなかった。」

「井上君・・・。」

「でも・・可能性無くても想っているだけでも自由だって想って、ずっと佐藤さんだけを見ていたんです。」

「そんなに佐藤さんの事を・・。」

「はい。僕が入社したての頃、色々ミスしちゃった時でも佐藤さんはちゃんとフォローしてくれたり、課長に怒られて落込んでいた時も励ましてくれたりしたんです。最初は面倒見の良いお姉さんだなって想ってたんだけなのに、だんだん隙になっちゃって・・。俺本気だったんです。」

以前佐藤が井上について『彼ももの凄く素敵な人だと思う。』と言っていたのを思い出した。佐藤も井上の事を悪いようには思っていない、むしろ好印象なのだろう。でも、『井上君と付き合ったらどんなに楽かっていつも思う。』『でも私は彼の事が好きだから』、佐藤は純粋に行為を向けている井上よりも浮気者な彼氏を選んでしまった。きっと少し状況が違えば佐藤は井上を選んでいたに違いない。

「判るよ、私だってそうだもん。佐藤さんは面倒見が良いから皆に好かれてるよね。でも、こんなことになってしまった以上佐藤さんの仇を討つ為にも警察には頑張って貰わないと。私達も出来る事をしょうよ。」

有実は井上を元気付けようわざと明るい声で励ますが、井上の心には響いていない。

「有実ったら、『私達に出来る事』ってどんなことよ。」

「えっ・・。う~んと、わかんな~い。」

「あららっ。」

有実の天然発言に呆れつつも、それでもその有実の明るさにその場の空気は少し明るくなった。井上も口元を少し歪ませて一瞬にっこり笑ったほどだ。

「兎に角、僕の事はほっといてください。少し一人になりんたいんです。」

「うん、判った。」

花菜江は有実を引っ張ってその場を後にした。しかし有実の『私達に出来る事』発言は花菜江の心にひっかかったままに。

「私達に出来る事・・かぁ。」

「ん?花菜江ったら何か言った?」

「ううん、何でも無い。」

二人は自分たちのゲストルームに戻っていった。


午後四時過ぎ頃、荒井部長と吉川課長がホテルに戻ってきた。そして花菜江や他、商品企画部の一行は再びホテルの会議室に集められていた。

「えー、皆さん。さきほ私と吉川課長は長野警察書に行き佐藤さんの遺体を確認してきました。佐藤さんのご両親と妹さんもその場にいらしていました。ご両親とも少しお話してきましたが・・・。なんと言って良いやら・・。ご両親がお気の毒で・・。」

部長も少し目に涙を溜めていた。

「それで、実は本社からの指示で、明日の朝朝食が済み次第速やかに東京に戻ることになりました。」

その場にいた誰も異を唱えない。重苦しい沈黙が会議室を包む。

「本来なら明日の午前中、戸隠だっけ?そこの場所を観光してから、午後三時頃に帰京する予定でしたが全てキャンセルして午前中に帰ることになりました。みなさんもそのつもりで荷物をまとめておくように。」

全員無言で頷く。

「では、解散。」

「おい荒井、夕食があるだろ。」

「そっか、では夕食の時間までは自由行動です。ただし全員ホテルから出ないように。・・・お願いします。」

部長の話が終わると皆それぞれ立ち上がり会議室から出てく、花菜江と有実も会議室から出ようとすると、ふと盛岡から呼び止められた。

「ねえ、新田さん。」

「盛岡さん。なんですか?」

「水希はどうしてあなたに彼氏がいるって話したの?」

「へ?・・ああ・・・佐藤さんの結婚を約束した彼氏ですよね。実は、この社員旅行の少し前に偶然佐藤さんに出くわしたときにお家に入れて貰った時があって、その時に聞いたんですよ。でも佐藤さんなんだか秘密に従ってたっていうか、他の人達には内緒って口止めされていて・・。」

「だから私が聞きたいのは、なぜ他の人には内緒なのに貴方だけに話したって事。いつも水希と一緒にいる私にでさえ話さなかったのに、なんであなたにだけ・・。」

「そーいえば、なんでだろう。私にも判りませんって。」

花菜江は少しイラついている盛岡に気遣ってその場を和ませようと少し明るい口調で正直に答えたのだが、盛岡はその花菜江の態度によりイラついたのか、表情を一変させる。

「なんで・・なんで・・私じゃなくて・・新田さんなんかに・・・!」

吐き捨てるように文句を言いながら勢いよく踵を返して立ち去っていった。盛岡の自分に向けられた怒りにショックを受けた花菜江を気遣うように有実が花菜江の腕をそっと握ると、「部屋に戻ろっか。」と優し囁くも、花菜江は盛岡に責められたショックを隠せないでいる。

その夜花菜江は一晩佐藤の死や盛岡や井上の悲哀に寝付けなかった。


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