第32話 過去 三十 山

 明継あきつぐ達の馬は、拓けた場所に出た。

 意図的に木々が伐採され家屋と田んぼが見えていた。家には茶垣がしてあり、独特の風土が根付いている。


「先生、富士山です。」


 こうは慣れたので、馬に股がって進行方向を向いている。富士山を首を傾けて指差した。もう、明継の布で隠れてはいない。

 馬が駆ける風を浴びている。


 明継が視線をずらし山を確認する。


「ああ、綺麗だけね。こうは初めて見るのだよね。」


 せつの馬は、先行しているが、昨日よりも速度が遅い。馬が疲れている証拠である。


「先生、富士山には登った事は有りますか……。」


 紅は馬具に付いている紐で、馬との釣り合いを取っている。


「電車で見ただけだよ。」


「では、遅いお昼等は如何ですか……。茶屋があります。」


 眺めが良い場所に店があった。柱のがっしりとした日本家屋。屋根に苔が付いているので、年期を感じた。


「田所さん、昼でも取りましょう。日が落ちる間に……。」


 明継の声が聞こえた様で、節が茶屋の前で馬を停めた。

 慣れた手付きで明継の馬の、手綱を引き馬留めにククり付けた。

 明継が馬から先に降り紅を抱き上げて卸した。二人とも毛布を纏め小わきに抱え、節からバックを受け取った。


 時間帯が悪いらしく、店は閑古鳥が鳴いている。


「先生。店の中のから富士山が一望出来ます。彼処アソコの席にしましょう。」


 紅が喜んで先に進んで行く。席に付くと御品書きとにらめっこしている。


「田所さんも、御一緒にどうですか……。」


 明継が紅を指差して、節を招いている。


「私は良いわ。茶だけ飲んで出るから。」


 紅の方を向いて、険しい表情をしている。

 護衛として緊張している感じはしない。明継は、ふと仮眠中に紅が頭を撫でていたのを、思い出した。


「紅と何かありましたか……。」


 目線が鋭くなった節は紅の隣に座った。

 明継も紅の隣に付くと、足元にバックを挟み二人分の毛布を乗せた。


「先生。何を食べますか……。」


「とろろ汁と麦飯でお願いします。御茶処だから、日本茶は飲んだ方が良いね。」


「私は黒はんぺんと麦飯で、節さんは何を食べますか……。」


「阿部川もちにするわ。以上でいいかしら……。」


 節が家主を呼び、注文する。


「田所さん、すみません。急いでいるのに、頓挫トンザさせまして……。」


 明継が前屈みになって、節に話し掛けた。紅が間に居るので、どうしても其の体勢に為らざるを得ない。


 先にお茶が運ばれて来た。湯呑みから湯気が出てくる。

 紅は御茶の色に驚きながら、息を吹き掛けて飲んでいる。


「急いでいるのは間違えないわ。しかし、追跡してくる人影がなくなったのよ。監視している人もいないし……。私より手練テダレれなら解らないけど……。間者が居なくなったのよね。」


 紅がお茶をススりながら明継を見た。


「先生は兵歴がありませんから、人の視線に疎いのは、仕方ありません。二十歳の時倫敦に居ましたからね。」


 明継も湯呑みに手を当てる。利き腕ではないので持ちづらい。


「其れなら、帰国後数年で徴兵されるはずだわ。」


 紅は目の前の富士に視線を移した。

 恍惚とした表情になるが、瞳だけが笑っていない。


「何を云います。佐波さわ様に、頼みました。先生は全線部隊ではありません。戦場に赴く必要はありませんから……。」


 節が口が閉まらない。


「御免。日本に二十歳から徴兵があるのは知ってるけど、何の話をしているか説明してくれないか……。」


 節が呆れながら茶を一気飲みして、机に音をたてる様に湯呑みを置いた。


「伊藤くんの懲役を免除させたのよ。紅様が権力を使って、普通其んな事出来ないわよ。職権乱用にも程があるわ。」


 涼しい顔をする紅が、茶を啜っている。

 明継が目に手を当てた。包帯に目が覆われる。革の色が付着しているのを、眺めながら大きな溜息を付いていた。


「紅。其んな事してはいけないでしょう。徴兵制には意味があるのだから……。」


「先生は三年も私と居られなくても、宜しかったわけですか。」


 明継が茶を飲んでから、ゆっくりと机に置く。


「其う云う意味ではなくて……。」


 紅の頭を明継がよしよしと撫でる。


「検査を受けて、ユウであれば免除されるかもしれないですし……。一年の短期勤務かもしれないではないですか……。」


「先生が優秀でも軍部は解りません。先生は自分の価値を良く解っていないのです。優秀過ぎる者は軍が引き抜くかもしれないのに……。」


 節が目を細めた。


「可能性はあるわね。通訳が出来て士族上がり海外の先端の技術にも興味を持ち、おうの信頼も厚い……。考えれば、伊藤くんは近代兵法を学べば使える人材だわ。」


 明継がよしよし、しながら溜息を吐いた。眉間に皺がよる。


「物騒な話は止めて下さい。皇も戦争には反対です。確かに近年ありましたが、軍人の強硬派が……。」


 紅の頭から明継の左手を引っ込めた。


「どうしましたか。先生。」


 紅が不安そうにして、着物のスソを握った。

 明継の瞳が、紅が居なくなった時と同じ色をしている。包帯の拳を強く握った。


「もしや……。戦争が起きそうなのですか……。」


 節の目が曇る。

 茶の代わりを貰いに、家主を呼んでゆっくりと注文してから、代わりが来るまで待った。

 新しい茶を手にした侭、節は口を開いた。


「機密に触るから答えられないわ。」


 明継も否定か肯定の答えが来ると思って待っていた。しかし、答えではなかった。


「『田所』さんは、答えられない事ばかりですね。」


 紅が二杯目の茶を冷ましている。

 其の視線が寒いと明継が感じる。余り見ない態度を観察した。二人の時と全く違う。


「紅様ほど、ではありませんよ。」


 節の返答も紅の態度も、明継が考えているよりも予想外であった。


「あのねえ、やはり何か隠しているでしょう……。説明してくれても良くないかい……。まだ、目的地まで遠いしさ……。」


 明継が呟きながら、包帯の手で片目を隠した。

 瞼と頬に革の擦れた色が付いてしまったので、紅が慌てて、手拭いで明継の顔を拭いた。

 彼は隣にいる明継の足を開き、バックをから薬箱を出し机に出した。其して、包帯を取り除き、傷口を触った。


「血は止まりましたね。良かった。」


 節が身を乗り出して明継の拳を除き込んだ。


「其れ位なら、乾燥させた方が良いわよ。」


 節が口を挟むと、紅の顔色が蒼くなった。


「破傷風になったら、どうするのですか……。」


「あの、紅。心配は……。」


 明継が止めようとしたが既に遅く。紅は節の方を向いて怒っている。節も黙ってる気が無いらしい。


「男何だから其くらい平気よ。」


「先生は理性派なのです。野蛮な男と同様に見ないで下さい。」


「野蛮だなんて云ってないわよ。其れに九州男児は、本当でしよう。誰と比べてるの。」


「九州男児は、気性が荒くて有名です。先生は違います。女性が大和撫子と云われますけど、修一さんの話しと大分違います。『田所さん』は、シナやかさが有りません。」


「林くんが何を云ったか知らないけど、故郷を馬鹿にするのは許さないわよ。例え身分が上でも、云っては駄目な言葉があるわよ。」


「御国を馬鹿にした訳ではありません。『田所』さんが大和撫子ではないと云いたいだけです。」


 明継が紅の背中越しに慌てている。

 節も紅越しの明継に気付いているが、無視をしているのが解った。


 二人を止められない明継。


 一旦、落ち着こうと茶を飲んだ。冷めているが、やはり美味しい。

 目の前には富士山の優美な景色が広がっている。山の中腹まで雪を讃えていて、末広がりの形が美しい。

 平地は畑に混じって茶の品種が植えてある。


「ああ、綺麗だね。」


 明継が、お茶をススる。

 茶の甘味と、絶景が素晴らしい。



 機械の操作する音が鳴る。


「あんた達ウルサい。静かにおし。聞こえないでは、ないの……。」


 家主が怒鳴り声を上げた。

 直ぐに節と紅は、口をぐんだ。

 小屋は静になり、鳥のサエズりが聴こえる。

 家主が持っているにのは、個人無線だろうか、最大まで音量を上げている。


第一皇子だいいちおうじ成人せいじんを行う物とする。』


 報道が流れていた。

 速報らしく店の関係者が、個人無線に食い付いている。


『祝砲はせず、時代に合わせた祝辞が行われる。其の後の皇子の御言葉は大手新聞社にて発信される予定との事。異例の祝辞の早さは、皇の意向であり、早熟な皇子の意志による物である。』


 まだ声は続いていたが、周りの野次馬の声に掻き消された。


「どうなってるのだ……。」


「まだ十五ではないはず……。」


「早熟だからか……、早めただけなのか……。」


 納得はしていない庶民の声。困惑している空気は伝わった。


「御待ちどう様でした。」


 下女が注文品を机に並べている。

 節が人に合った品を横に流し渡していく。

 明継は机にあった包帯を丸めて、エリに忍び込ませた。文がある事を思い出し、慌てて汚れた包帯を布にくるみ、薬箱に閉まって其の侭バックに突っ込んだ。


 三人は無言の侭、箸を進めた。


 始めに食べ終わったのは、明継だった。

 久しぶりの長芋は旨かった。だが、何を喋れば良いのか解らなくなっている。


「皇でも抑えられなかったのね……。」


 節がきなこ餅を噛み締めながら、口を付いた。

 一口を噛み締めている。


「皇も佐波さわ様も身の安全は確保されているのか……。どうなんだ……。」


 明継がくぐもった声で紅の席に近寄った。広くはない席が余計狭くなる。


「既に慶吾隊は内部で洗い出しをしたから、問題はないわ。下女や下男まで捜査してはいる様だけど、今の報道を聞くと嫌な感じしかしないわね。」


 明継が紅の様子を伺った。

 おかずは食べているが、飯まで口が付いていない。


「紅様、我々がおります。皇も佐波様も御守りしていますので、ご心配は為さらないで下さい。」


 節の先程とは思えない程、顔付きが違う。使命を帯びている表情だ。


「皆を信じよう……。紅を一番に守るよ。だから、心配をしないで……。」


 紅は明継のタモトを握りしめた。


「先生。もしかしたら、私は命の危険があるかも知れません。其れでも一緒に居て下さいますか……。」


「当たり前です。其の様な事、初めから承知していましたよ。」


 紅のしがみ付いている右手を握り締めた。

 血の気の引いた細い指が、愛おしい。両手で握って暖めた。


「先生……。」


 涙目になっている紅の目頭に触れる。


「食べて元気を付けないと……。食べましょう。」


 節の食べる速度が上がる。おやつを食べていたので、早く食べ終わった。


「紅様、我々が守ります。御安心を……。必ず」


 節が君主に誓いを立てる様に云う。


「節さん、宜しく御願いします。私達を守って下さい」


 紅が年相応の顔をしている。


「御意。」


 節が、椅子に座った侭、頭を垂れた。


「では、行きましょう。関所は目の前です。」


 紅は布で手を拭いてから、飯を握って竹革で包んで、バックに入れた。


 其して、明継の手を繋いだ。二人は手を取り合って茶屋を後にした。

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