第23話 棺の森のまぼろし





 ボスカイオーロに慰められ、少しずつ身も心も回復しつつあるレメーニでしたが、ジョルジョを探すことはまだあきらめませんでした。


「あら何かしら。いま、誰か戸を叩いたような音がしたわ」


 ひょっとしたら、ジョルジョが訪ねてきたかもしれない。


 レメーニは小屋からとびだしますが、外は見渡すかぎりの雪野原。誰もいないことにがっかりして戻ってきます。


「いま人影が見えたような気がするわ。ジョルジョかもしれない」


 窓の外で何か動いたよう気配がするいって外へ走りでていきますが、そとは吹雪のが吹き荒れて、歩くどころか、息をすることもできないようなブリザード。


 とても人間が訪ねてこられるとは思えません。


 吹雪に押されるように、あわてて部屋に戻る……そんなくりかえしでした。









「わたし、あなたが助けてくれたとき、ジョルジョが助けに来てくれたかと思ったの」


 レメーニは、ボスカイオーロに言いました。


「いまでも、ジョルジョがいつか迎えにきてくれるって、心のなかでは信じているのね。……そんなわけないのに」


 寂しげに、まつげを閉じるレメーニ。


 私がここにいることだって彼は知るはずもないし、たとえ知っていたとしても私を迎えにくることなんてありはしないのにね。


「ジョルジョは、もう私のもとにはやってこないわね。ねえボスカイオーロ、そうでしょ? そうはっきり言って。このままじゃ、私はずっと……」


 ……ずっとずっとこの先何年も、来るはずのない人を待ってしまう。



 ピアノの音色を聞くたびに。


 ライラックの咲く季節がくるたびに。


 そして、雪が降るたびに。



 レメーニはその苦しみを思うにつけ、とても耐えられそうにありませんでした。


「だから私にはっきり言ってほしいの。ジョルジョのかわりに。この先、何があってもお前のもとにはやってくることはない、と」


 どうか私に、ジョルジョを忘れさせてほしい、と。









「あのピアノ弾きは、女をだます悪い男だった。お前は騙された。もう男が戻ってくることなどない。ぜったいにない」


 ボスカイオーロは戸惑いましたが、レメーニが望んだとおりのことを言いました。


「だからもう、あの男のことを待たなくていい」と。


 レメーニはボスカイオーロの目をじっと見つめていました。


 レメーニの首元に喰いこんだ呪縛の縄が、少しだけ緩んだような気がしました。


 レメーニはホッと息をつき、


「ありがとうボスカイオーロ。あなたに出会えてよかった。いまので少し楽になったみたい」


 と笑いました。


 痛みに耐えるような透きとおったその笑顔を見たとき、ボスカイオーロはあやうく叫びだしそうになりました。




 そんな男なんかさっさと忘れちまえ!


 そんな男のことなんか忘れて、俺と、ここでずっと暮らしたらいい。


 煩わしいことなどない平和なこの森で……。




 そう叫んで、思い切りレメーニを抱きしめたい衝動にかられました。


 しかし、できませんでした。


 ボスカイオーロはぶるぶるっと身を震わせることで、ようようそれを押し留め、ただ怖い顔をつくりました。









 春の足音が近づき、雪解けの季節がやってきました。


 峠をふさいでいた分厚い氷の壁も溶けさり、旅立ちの日がやってきたのです。


「レメーニ、お前はもう行かなきゃならない」


 ボスカイオーロは、レメーニが自ら「帰りたい」というより先に、そのことを切り出しました。


 ボスカイオーロは、なにか焦りのようなものを感じていました。


 なぜなら彼女に情が移れば、自分がなにを言いだすか、なにをしでかすかわからないと感じていたからです。


 それに、これ以上雪解けがすすめば、雪に埋もれた旅人たちの死体がつぎつぎと顔をだすことでしょう。


 ひょっとしたらその中に、シルクハットをかぶった死体もあるかもしれません。


 もし万が一、それを目の当たりにでもすれば、レメーニは一体どうなってしまうでしょうか。


 出口のない悲しみと苦しみの底へ突き落とされ、暗い地獄をさまようことになるに違いありません。


 ボスカイオーロは、決してこの可憐な少女にそんな思いをさせたくないと思うのでした。









「いいかい、レメーニ。よく聞くんだ」


 ボスカイオーロは、まるで小さな妹にするように、噛んで含めるように言いました。


「この世の中は本当に大事なものは、手に入らないようにできているんだ。これは本当だ、絶対といっていいほど手には入らない」


 それが大事なものであればあるほど、本当に手に入れたいものでればあるほど、なぜか手に入らない。


 物であっても、人であっても、目に見えるものでも、そうでなくても。


「求めれば求めるほど、は遠ざかっていく」


 それは乾ききった砂漠の旅人が、蜃気楼に遠いオアシスを見るのと似ているかもしれない。


「なぜ?」


 レメーニは訊きました。


「なぜって……それは、神がそうおぼしめすからだな。理由なんかないさ」


「………主は、意地が悪いわ」


 レメーニがうらめしそうに言いました。


「神はわれらを試しているのかもしれない、本当にそうなのかどうか。本当にそれが大切なものなのかどうか、と」


 失ってみなければ、人はそれを大切かどうか見極めることができないから。


「だから手に入らなかったことを、ただ嘆くことはやめようじゃないか」


 俺も、そうするから。


 ボスカイオーロは精一杯の気持ちをこめて、そう言いました。


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