第6話 ようこそ、マリア

 「お仕事は順調かしら。身体は壊していない?私は元気よ。もちろんカルマもね。でも私はお母さん失格かもしれない。」


 このように手紙の冒頭は始まっていたので、最初は何事かと思った。状況は分かってきた。

 

 「私は自分の子どもは自分のお乳で育てるべきだと思っていたの。ほら、私乳母は雇いたくない、自分の力で育てるってあなたにもずっと行っていたでしょう?でも私にそれは難しかったみたい。お乳をいくらマッサージしても、お乳に良いという食べ物やお茶を飲んでもちょっとしか出なくて。カルマのお腹はちっとも満たされないから牛乳ばかりあげていたの」


 私としては、むしろ乳母を雇うことには元々賛成だった。それが貴族社会では割とよくあることだった。だが、ルイーズの意志を尊重して乳母は雇わないものだと思ってはいた。


 手紙の内容は続いている。


 結局ルイーズは乳母斡旋所に向かった。その際に馬車に異常があって立ち往生してしまったのだとか。

 

 赤ん坊用の用意こそあるが、その日は稀にみる猛暑日でカルマの汗が止まらなかった。熱が籠って死んでしまうのではと心配になった。


 そんなときに助けてくれたのが当時は酒場の踊り子だったマリアらしい。出勤前で店の片付けを手伝わされていた。


 赤ちゃんもいるのだからぜひ店内にと開店前の酒場に入れてくれた。店内は涼しくカルマの汗もひいた。

 

 馬車は部品を取り換えねばならなくなってしまい、2時間ほど時間がかかると。

 

 そんなに長い時間お店のお邪魔するわけにはと場所を移ろうとしたが、なら私の部屋へどうぞ、住み込みなのでと屋根裏部屋に案内された。


 なんて心の優しい少女だろうと思った。このお礼は必ずといって、部屋にあげてもらった。


 「本当にしっかりした子だし、顔は美しいし、心は優しいし。カルマのお嫁さんになるならこんな子がいいと思ったわ。何よりびっくりしたのはカルマのお世話の上手さ。だって目の前にいる子は15,6歳にしか見えないのよ。もっと若いかもしれない。なのにカルマが泣き出したらなんで泣いてるか完璧に分かってるのよ。お母さんである私よりカルマのことが分かってて、ちょっと嫉妬しちゃった。それで、私聞いたのよ、どうしてそんなに子育てが上手いの?って」


 彼女はしばらく返答しようとしなかった。できなかったのかもしれない。

 

 しかし、実は私にも子どもがいるんです。とマリアは言った。


「びっくりしたわよ、当然。しかも産んだのはつい最近だとか。じゃあ、その子は一体どこにいるのって聞いたら、孤児院に出してしまったと。どうしてって聞いたらお金がないからって……」


 マリアはジプシーだ。


 アイズ王国でジプシーはあまり歓迎されず、王国で就ける職も非常に少ない。


 そのため無職か日雇い労働者の割合が非常に高く、ジプシー集団による犯罪行為は度々問題になる。


 それでジプシーはもっと嫌われ、職にありつけないという悪循環に陥っている。今やジプシーはアイズの社会問題となっていた。


 彼女が酒場で踊り子をしているというのも、つまりそういうことだ。


踊り子は地位の低い仕事である。


オーケストラを背景に踊るバレリーナたちはまだしも、給料は安定しておらず投げ銭で暮らしている。


 客からのセクハラが絶えず、金や食料、寝る場所の提供の代わりに個人的な接触を図る下種な者の餌食になることもある。


 マリアの子どももそんな風にして生まれてしまったのかもしれないなと、ハインリヒは邪推する。


 「しかもいなくなったばかりだからお乳はまだ出て、出る度にもう苦しくて……と涙を流すの……。私まで悲しくなっちゃって。きっと大好きな子どもだったのに、孤児院に出さないといけないような辛い事情があったのよね……。大丈夫よ、って慰めていたらカルマが泣き出したの。お腹が空いたって」


 マリアのお乳を飲ませると途端に落ち着き、安心してまた眠りはじめた。


「私、直観したの。この人こそがカルマの乳母にふさわしいって!」


 

 

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