ロクでもない世界へようこそ

河伯ノ者

プロローグ

 紺碧の空に燦々と輝く金糸雀色の光が目を焼く。

 恨めしそうに、見上げた空に手を伸ばした青年。その手はあかい赤に染まっていた。

 どうして、と零す口からはその赤が滴り落ち、瞳からは涙が零れ落ちていく。

 失われた下半身にも気付かずに、彼は空を見上げている。

 どこにも行けぬ絶望感。辺りの喧騒すらも耳に届かぬ静寂の時。

 そして、自らの運命を悟ったが故に、彼は零れる未練に縋る。

 痛みはない。感覚もない。

 落ちてきた畳一枚分の鉄板に襲われた彼に残されたのはただ過ぎ行く時間と深い、深い絶望だけだ。

 やりたいことはたくさんあった。

 かなえたい夢もあった。

 次の土曜日には観たい映画もあった。

 家の冷蔵庫には金曜日の楽しみにとっておいた安いステーキ肉とビールが残っている。

 母は悲しむだろうか。父は怒るだろうか。弟はなんと思うだろうか。

 瞼が重くなる。

 雲一つない空を飛ぶ一羽の鳥が笑っているように見えた。

 青と白の世界を黒が塗り潰していく。

 その日、彼こと「泉原いずみはら 歩夢あゆむ」の人生は幕を閉じた。



 その彼が目を開ける。

 暗がりに置かれたパイプ椅子に腰かける彼をスポットライトのような明かりが照らしている。

 そこにあるのは目の前に置かれたブラウン管テレビくらいのもので、なんとも生活感のない空間だった。

 天国と呼ぶには現実的で、地獄と呼ぶにはあまりにも簡素だ。

 ひとまず彼は失ったはずの下半身があることに安堵した。が、夢であったと思うには無理があると彼は思考した言葉を投げ捨てる。

 夢から覚めてまた夢でした、というのなら目が覚めた時に、彼の下半身はやはり失われているのだろう。

 得も言われぬ不安を消すように首を振るい、思考を変えよう目の前のテレビを見て溜息を吐く。

 パイプ椅子に座ったまま指を伸ばし、テレビのボタンを押すと少し大きめノイズ音と共に砂嵐が流れ始める。

 もう一度、彼はその指でテレビのボタンを押すが反応がない。何度か試してみるがテレビは消えず、ただの砂嵐を流し続けるのみだった。

「拷問だな、コレは……」

 うるさいノイズの音。チカチカと光る砂嵐が脳を焼く。

「否定、こレは拷問ではナい」

 突如、空間に響く低い声。

 どこから聴こえたのかと歩夢は辺りを見渡すが、答えが視界に入ることはなかった。

「推奨、私の話ヲ聴くべし」

 機械的な口調の声はテレビから発せられていた。

 何故、テレビが喋りかけてくるのか。いや、そもこれは自分に向かって話しているのだろうか?

「汝、第二ノ生を謳歌すル権利を得タ」

 第二の生、という言葉に歩夢は思わず身を乗り出してテレビの枠を掴む。

「本当か!?」

 驚愕する歩夢。

 座っていた主に蹴り飛ばされたパイプ椅子はなんとも惨めに転がっている。

「肯定、但シ条件がアる」

 テレビはそう言うと三つの条件を提示する。

 一つ、第二の生では前世の記憶について語ることを禁ず。

 一つ、与えられる十の啓示を成し遂げること。

 一つ、上記に違反した場合には大いなるわざわいを受けること。

 テレビの提示した条件に歩夢は即受け入れることを決めた。

 どんな条件であれ、再び人生を歩めるのならそれに勝るものなどありはしない。

「認可、適性を選択」

 テレビには三つの選択肢が表示されていた。

 選択肢は肉体特化、バランス、魔法特化とまるでゲームのような内容だった。

「魔法? どういうことだ、俺が元々いた世界じゃないのか?」

 当然の疑問にテレビは答えることはない。

 ゲームのNPCのようだと歩夢は感じた。

「……とりあえずバランスで頼む」

 少し考えた後、歩夢はバランスを選択した。恐らくこの選択肢を見るに肉体と魔法の両方がある程度の水準にあるということだろうと踏んでの選択だ。

「承知、次に継承スるスキルの選択ヲ」

 テレビには四つのスキル名が表示される。解説は無い。となれば名前から想像するしかあるまい。

 選択肢は、『刑死者』、『悪魔』、『審判』(これだけ漢字が逆向きになっている)、そして『死神』。

 まず、歩夢は『悪魔』と『死神』は除外した。明らかに不穏だし、強力な力を得ようと何かしらのデメリットがないとも限らない。

 そして『刑死者』。処刑される者という意の言葉。これもないと結論付け、残された『審判』を選ぶことにした。

「承知、でハ汝を新タな世界へト案内スる」

 そう残し、テレビは音を立てて消える。

 そして、世界の灯りも消えた。

 選んだのは運命。

 生まれ落ちる世界に色が付いていく。


 歩夢が生まれ落ちた世界は、ある程度彼の予想通り、中世の西洋のような世界だった。

 魔法があり、冒険者たちが旅する世界。それと同時に、魔物たちの脅威に晒されるゲームでよく見た世界そのものだった。

 しかし、その世界に待っていたのは、夢に満ちたファンタジーライフとは程遠い現実だった。

 一般的な農夫の家系に生まれた彼の生活は簡潔に言えば地獄そのものだった。

 現代日本よりも遙かに遠い生活水準は、なまじ記憶を持ち越している彼には耐え難い苦痛に思える。

 寝床は藁にシルクのシーツを巻いただけのもの。綿や羽毛は貴族階級の使用するものくらいにしか使われていない。

 家は硝子ガラス窓などない木窓の家。気密性の低い家は常に入り込む隙間風の所為で夜は夏でも寒さに震えながら寝ることになる。

 一番堪えがたいのは食事だ。収穫の月であれば多少は新鮮なものを口にできるが、普段は乾燥したパンにチーズ、端切れの野菜の入った味の無いスープと塩漬けの肉が少し。

 これでも酪農を行っているからマシな方で、肉は他の家ではまず出ることはない贅沢品だ。

 農家の家で何故そんなにもひもじい食事をしているのかといえば、国と領主に年貢として大半を納めることになるからだ。

 農作物はノルマの量があり、それを越えるならば三割を国に納め、村の領主に同じだけ納める。つまり作った内の四割しか手元には残らないのだ。さらにそれらは村の他の住人と分け合う為、自分たちが食べれるのは一割にも満たない量しか残らない。

 それでも食うに困るということはない。生きていくだけならば、これだけ取られようと問題はなかった。

 いや、それよりを知っているからこそ、自分たちの生活に疑問を抱くことがないのだろう。

 年貢を払えない者の末路。一般的な市民よりも低い階級。世間における落伍者の呼び名など、どこの世界でも一緒だった。

 烙印者スレイブと呼ばれる国に飼われている奴隷たち。

 右腕と背中に押された焼印が示すのは人生の剥奪だ。

 年貢を払えなかった家はまず、家主を村人全員の前に座らせて右腕に焼き印を刻む。その後、家族全員を馬車に乗せて国に帰ると大衆の面前で背中に焼き印を押されるのだ。

 焼き印を持つ者に人権はない。

 多くの烙印者は肉体労働を課せられるのが普通だが、屈強な肉体を持つ者や志願するものは国が運営する決闘場で剣闘士となること許されている。

 剣闘士は一定以上の戦績を収めれば、再び市民へとなれる権利を持っている為、多くの烙印者が名乗りを上げる。しかし、今まで市民に返り咲いたものは片手で数えられるものしかおらず、多くの場合は剣闘士同士の殺し合いや魔物との戦いで命を落とした。

 それほどに烙印者が市民に戻るのは難しいのだ。一家揃って末代まで苦しむ呪いを受けたいと思うものはいないだろう。

 それを思えば、多少厳しい税を払ってでも市民でいようと思うのは当然のことなのだ。

 彼の産まれた世界は確かに幻想ファンタジーであったが、どうしようもなく現実リアルだった。

 世界に生まれたからには理由がある。己が役割を彼が知った時、その運命は物語になる。

 使命として与えられる啓示の数々を成し遂げた先に何があるのか。

 これは、”生きる意味を知る物語”だ。

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