第9話

 丘と丘の谷間を這うようにして高原から小石混じりの寒風が吹き抜けていく。

 陽はまだ少し低く、けれど明るさは申し分ない。


 車椅子の少女アル、その母ジナと、兄ロイ。


 普段ならそれぞれの仕事に就いている時間だが、今日だけはアルの一家が勢揃いで待ち構えていた。

 傍らで腕を組んで、ひたすら不機嫌そうに黙り込んでいるのは、幼い頃より付き合いのある老爺で、彼は遠巻きに騎士の姿を認めただけで悪態をついた。

 不思議なことに、今日は幼馴染のラウロまで居る。


「この辺りは高原からの侵入経路の一つだから、俺は見張りに配置されたんだよ」

「へー、あそう」


 ならもっと丘の方で一人寂しく見張りをしていれば良いのに、なんて思いつつ話を流してアルは口を引き結ぶ。


『もし僕なら、君が騎士を目指せるようにしてあげられると言ったら、どうする……?』


 昨夜、内地からやってきた騎士ゼルヴィアはそう言った。

 方法はまだ分からない。けれど、そんなことが可能なら喜んで飛び付きたいというのは本音でもある。

 一方で、彼に明らかな迷いがあって、だから即答だけは避けることにした。


『ほう、案外慎重さもあるんだな。それとも臆病なだけか』


 明日改めて話を聞きたいと言ったアルに対して、控えていたジーンが口を挟んだ。

 言葉だけを聞けば煽っているようにしか思えなかったが、不思議と苛立ちはしなかった。そうするべき、とそう考えたアルに対して追認をしているように聞こえたからかもしれない。


 彼からすれば即決で食いついて貰った方が良かった筈だ。

 なのに、ゼルヴィアは開きかけた口を閉じ、ほっとしたように翌日での話し合いに応じた。


「おはようございます、先生」


 彼は馬を引いていたが、騎乗してはいなかった。

 背中に幾つもの道具を乗せていることから、途中で下馬した訳ではないことは分かるが、やや後ろで黒馬に乗ったまま欠伸をしているジーンは一体なんなのか。

 返事をしないザンを見て、次に視線を向けるのはアルだ。


「おはよう」

「おはよう、ございます」


「それから、アルさんのご家族の方ですね。申し遅れました、私はシャルペーニュ公リュベーナ殿下にお仕えしております、ゼルヴィア=エルメイアと申します。階級は一介の騎士に過ぎませんが、魔導伯という、技術開発に特権的な力を持つ役職を賜っております」


「あ、あぁ、はい。ジナです」

「ええと、はい、ロイ、です」


 なにやら堅苦しい単語の羅列に只でさえ貴族との顔合わせと聞いて緊張していた母と兄が曖昧に応じる。

 意味を何ら理解していないのはアルも同じなのだが、彼女は彼女でなんだか分かったような顔をして頷いていて、それを見たラウロが呆れたようにため息をついた。どうせ彼も分かっていないのだが。

 表情を動かしたのは、沈黙を貫いていたザンだ。


「ご壮健であられるか」

 遠く山景色に響いた石音に似て、どこか寂し気に聞こえた。

「はい。健やかに成長されております」

「そうか」


 ようやく下馬したジーンは特に自己紹介などせず、眠そうに周囲を見渡すだけだ。


「まず、これから貴方がたに公開する技術は、僕が殿下の元で開発を続けているもので、一般には伏せられているものだ。見られる程度なら然程問題ではないが、教えた技術情報を漏らした場合、この地域全てを焼き払わなければならない可能性もあると心得て貰いたい」


 そうして続けた言葉はあまりにも過激で、けれど想像が及ばず一家は揃って首を傾げた。

 外地と蔑まれることはあるものの、貴族といえば砦の騎士しか居ないこの地の人間にとって、殿下と呼ばれる者の権力を理解するのは難しい。


 ともあれ、本題は続きにあった。


「アル。君にはその開発中の技術を実験する試験役になって欲しいんだ。これにより、君が望んでいる騎士になるというものが、ある程度は現実味を持ってくる」


 なぜなら。


「この技術を使用すれば、君の両脚は疑似的にだが使用可能になるからだ」


    ※   ※   ※


 どこかぼんやりと話を聞いていたアルが、咄嗟に視線を脚へ向けたのがゼルヴィアには分かった。

 生まれた時から動かなかったという両脚。

 普通ならば、不具の子として処分されていてもおかしくなかった。

 だから、彼女がとても大切にされ、愛されてきたということは分かる。


 だから。


「それは、危険を伴うことなのかい……?」


 母ジナが真っ先に問いを放ってきた。

 言葉遣いについてはいい。砦で従士見習い達を見ていればこの地の者が社交界へ通う貴族のような喋り方をしないのはよく分かる。


「今日お見せする技術そのものに危険はほぼ無いものと考えています。ただ、娘さんがそれを使用した際に転倒する、といった危険はあります」


 昨日は試作品をザンの元へ持って行って見て貰った。

 相変わらず相手にもして貰えなかったが、一瞥しただけで機能は理解しただろう。

 もし試作品そのものが危険を伴うものであったなら、この対面自体を彼が認めなかったに違いない。


「そうだね……。この子は生まれてこの方、立ち上がったことがないから……」


 母親としてその事実に思う事もあるのだろう、落ち着いた口調を保ってはいたが、息遣いには鉛が混じったような重みを感じられた。


「なら、ちゃんと面倒を見ててやれば、危険は無いんだね?」

「はい」

「そうか……ありがとう」


 不意に言われた言葉がすぐ理解できず、追い付いた頃にはジナは口端を広げ、どこかで見た事のあるような笑みを浮かべていた。


「それが全部じゃあ無いだろう」


 そこへ口を挟んだのがザンだ。

 彼は技術を理解している。それ自体の安全性は認めていた。けれど、前提となる部分が何であるかも知っているから。

 ややも警戒した様子のジナに見られ、ゼルヴィアは昨夜の内に用意しておいた言葉を並べていく。


「はい。この技術を使用する際に、娘のアルさんには魔法を使用して貰わなければいけません。それは、僕やここのジーン同様に悪魔を、この地域の言葉で言えば精霊を身に宿して初めて使用できるものです」


 すぐ隣で栗毛の軍馬が小さく嘶いて、アルを呼んだ気がした。

 彼女も気付いたのか視線を向けるが、意味する所は分かっていないだろう。


「騎士がこの国で特別な地位として認められてきた所以、それが、単独で百以上もの敵を相手取ることが出来る、常人離れした力を持っているからです。今から娘さんには、その力を身に付けて貰いたいのです」


「……通常は、十五の成人を迎えてからでなければ命に係わる危険があると、そう言われておる」


 続くザンの言葉にジナも、兄のロイも、ラウロまでもが表情を硬くする。


 アルは、じっとゼルヴィアを見詰めていた。

 その彼は動じることなく首を振る。


「まず、訂正させて下さい。十五を越えれば安全だという定説事態に根拠はありません。僕は五歳の時に、先生も同じ頃に魔法を覚えたと教えて下さったではないですか」

 否定した当人の沈黙を受けて更に重ねた。

「ここで政治的な話を持ち出しても無意味でしょうが、十五歳を節目としているのは、ルイデイン公派閥がこちらの戦力増強を妨害する目的で展開している論説です」


「だが、悪魔……精霊を身に宿した者は常に肉体を奪われる危険が伴う。儂もお前も、受け入れてから成人するまでは常に面倒を見てくれる者が傍らにおった」

「僕がそれをするつもりです。それに、先生だって」

「儂はもう長くない」


 それは、と続く言葉を呑み込んで、けれど臆せずに軍馬へ引っ掛けていた小袋を手に取る。


「僕は、彼女であれば十分に御し切れると考えています。また、一般に召喚される精霊ほどの出力は必要ありません。より弱く、僅かな力でも運用できるというのがこの技術の肝ですから」


 取り出したのは一本の糸。

 そこらの茎を叩き、取り出した繊維を束ねれば出来上がるだけの、何の変哲もないものに見えたが。

 ゼルヴィアは周囲へ目をやり、ここだけはと厳しい顔をする。


「知る人間は最低限にしたい。先生とアル、それとお母上以外は一度下がって貰えないか」


    ※   ※   ※


 家まで下がっていったロイとラウロを確認してから、ゼルヴィアは昨夜手にしていた小石を取り出し、薬液の詰まった瓶へ投じた。


「視覚と音を遮ります」


 燐光石は籠められた力に反応して一定空間内に光を満たす性質がある。

 これを利用し、発生させるものを光ではなく別のものに置き換えることが出来れば、指定した空間を真っ暗にすることも、寒さや熱さで満たすことも、理論的には可能だとゼルヴィアは考えている。

 研究途上なのでまだ万能とは言い難いものだったが。


 球体状、というよりは石の形をそのまま大きくしたような形の薄暗い膜が周囲に出来て、ザンさえも興味深そうに喉を鳴らした。


「これで外からは何も見えず、音も通りません」


 先生と呼んで来た者から驚きを引き出せたことで、少しは気持ちが上向いたらしいゼルヴィアが笑みを浮かべながら先ほどの糸を取り出す。


「これの名称についても伏せます。説明で面倒そうなら適当な呼び名を考えますが、まずは見て下さい」


 膜が張っているのにも関わらず、周囲の明るさは変わらない。

 自然と全員が車椅子に座るアルの元へと集まって、彼の差し出した糸へ注目する。


 端を摘まみ、垂らされていた糸、それが不意に伸び始めた。


「……………………伸びるだけ?」


 本当にそれだけだった。

 何か凄いことが起きるに違いないと身構えていたアルが拍子抜けしたように言い、母親のジナもまた眉を寄せていた。

 二人の表情があまりにそっくりだった為、ゼルヴィアはつい笑ってしまい、また揃って目を丸くして自分を見てくる様に表情を改めた。


「縮めることも出来るよ」


 言葉通りに縮めてみせる。

 なんだか奇怪な芸を見せられているような顔をする二人の脇で、昨日試作品を目にしているザンだけが僅かに唸り、糸の繊維を解きほぐそうと目を鋭くしていた。


「今の君でも少しは出来る筈だ。やってみていいよ。手の平から糸へ息を吹きかけるようにして力を注ぎ、吸い込む様にして力を抜く感じだ」

「……はい」


 アルに糸を手渡し、その手の平の上で伸び縮みする様を見る。


「上手いね」

「なんとなく、ですけど」


 と、ここでジナが首を傾げた。

 視線は親しいのだろうザンへ向けられている。


「アルはもう精霊様を身に宿してたのかい?」

「いや……ある程度はな。土地に生きていれば、その土地の力を身に宿しているものだ。本当に微弱なものであるのが一般的だが」


「母さんもやってみてっ」

「あ、あぁ……」


 手にしてみれば面白くなってきたのか、弾んだ声でアルが言うと、ジナもまた神妙な顔をして手の上で糸を伸び縮みさせた。


「お上手ですね」

「そ、そうかい?」

「肉体の感覚はお母上譲りなのかもしれません」

「ははっ、あの人も脚だけは早かったけどねえ」


 ほらよと返された糸を再びアルが伸び縮みさせ、コツでも掴んだのかミミズが動く様に操り始めた。


「それにしても、ちょっと風変わりな子どもの玩具にしか見えないけどねえ」


 何を見せられるのかと身構えていたのだろう、どこか安心した様子のジナに、ザンは東風よりも冷え切った声で言う。


「とんでもないものを見せおって」

「分かりますか、先生なら」

「ちっ」


 悪態にアルが首を傾げるが、ふと両手で摘まんで持ち、力一杯引っ張りながら動かしてみた。

 糸はこれまで通りに縮み、伸びた。

 ゼルヴィアがやってみせたものに比べれば小さな変化でしか無かったが。


「これ、砦の門とかに付けたら、今よりも簡単に開け閉め出来るんじゃない?」


 沈黙が降りた。

 続いたのは、ジナの呆れた様な声で。


「こんな糸で引っ張ったってすぐ千切れるだろ。あれは確か鎖で繋いでたよねえ?」

「えー、そんなの一杯束ねてやればいいじゃん。門番の人、毎日開け閉めするの大変だって言ってたよ。誰でも使えるんだから、大人数で巻き上げ機回さなくても良くなるんじゃない?」


 傍らで吐息が落ちた。

 どちらのものであったのかは分からないが、確かに熱が籠もっていて。


「他にも良い使い方があるんだ。それが今日の本題になる」


 伸び縮みする糸。

 精霊を宿せば倍以上に伸ばしたり、半分以下に縮めたりも出来る、そうでなくともミミズの動きを真似る程度には動かせる、何かの繊維。


「さてアル、君の腕の中には何が入っているかな?」


「え? 骨?」


「他には?」


「肉、と。筋肉とか、血管とか。あ、あと皮膚も」

「勉強熱心だね。医学方面も習ったのかい?」

「うん。あの先生飲んだくれだけど話面白いし、私が居ても怒らないからいつも色々質問してる、んです」


 物自体は知っていても、名称を知らない事が殆どだ。

 実生活で使わないモノの名前など覚えていても仕方ない。


「じゃあ、ここに骨となる木の棒を加えよう」


 アルから受け取った糸を棒の端に結び、もう片側にあった穴へ通す。

 指で穴の先にあるもう一方の先端部を摘まみ。


「仮に、この穴を間接として見て欲しい」


 そうして彼が力を注ぐと、棒は縮む糸に引っ張られ、穴を基点として身を起こした。伸ばせば、同じように緩んで棒が倒れていく。


 だがアルも、一緒に見ているジナも、倒れては身を起こす棒を見ながら首を傾げたり戻したりするばかりでどうにも理解へ届かないようだった。

 すぐ理解して貰えるだろうとタカを括っていたゼルヴィアがどうしようかと視線を彷徨わせていると、ため息をついたザンが苦言を放つ。


「お前は、そうやって自分の用意した筋道から外れると弱いのは変わらんな」


「……面目在りません」


「アル。それにジナ」

「「うん?」」


 まだ首を傾げている似た者親子に、彼はゼルヴィアに対していた時よりもずっと柔らかい表情で言い、アルの脚に触れた。


「この糸はな、アルの動かない脚の筋肉、それを外側から伸び縮みさせることが出来るものだ。今のミミズ程度では使えんが、精霊を身に宿し、魔法を扱えるようにさえなれば、確かにお前は立ち上がることが出来るようになるかも知れん」


 ゆっくりと、熱せられた鉄の様に二人の中で絶対的な硬さを持っていたものが溶けていく。


 人の肉体は、究極的には骨と筋肉で稼働している。

 原因がどのようなものであったとして、アルの脚が動かないのは、骨が砕けて無くなっているのでもなければ筋肉が動かないからだ。

 だから力を注げば伸び縮みしてくれるこの糸を束ね、十分な強度と力で操れるようにしてやれば、アルは筋力ではなく精霊の力で立ち上がることが出来る。


 立って、歩く。


 そんな、この外地ですら当たり前とされる事実にようやく辿り着いた親子は、方や目を輝かせ、方や口元に目をやって涙を溜めた。


「その為にはまず、アルの身体に精霊を宿らせる必要があります。先生が言った通り、全くの危険がないものではありません。強力な精霊を身に宿せば最悪肉体と精神を乗っ取られて異形化することもあるほどですから、扱いは慎重にすべきという考えも理解は出来ます」


 だが、この事実を前に。

 生まれてからずっと、立ち上がるということを知らずに生きてきた少女に。

 産み落としてからずっと、立たせてやることも出来ずにきた母親に。


 拒絶出来るだろうか。


 光を望む親子を傍らに、ザンは静かに暗闇を見詰めていた。

 かつて、目の前の騎士と同じ場所に居た者として、いや、それ以上の暗がりに身を置いていた者として、人が生み出す技術の悪を危惧せずにはいられない。

 もう長くない。

 弱音でもなく、厳然とした事実として彼の前に横たわっているアルとの残り時間の違いが、どうしても手放しで受け入れるのを躊躇わせた。


「どうでしょうか。言った通り、この技術の研究開発は殿下の指示で行われています。アルさんの協力によって多くの成果を上げられたのであれば、私の方から殿下に嘆願し、騎士に列せられるよう打診することも可能です」


 僕、と、私、を使い分ける男が。


 けれど親子の様子を見て、二人を想えばこそ躊躇いも生まれる。

 だからその声は四人の外側から放たれた。


「早い話が、そこの小娘に実験動物をやれと言っている。騎士にするという話も、派閥へ引き入れて逃がさない為のものだ。加えて壁外民に対する政治的な問題もあるから、支払われるかどうかも分からんぞ」


 従士ジーン=ガルドは何ら温度の感じさせない、乾いた声を叩きつけてきた。

 向かう先はむしろ、ゼルヴィアへ対するもので。


「今はいい。壁の外で政治とも無縁で居られる。だがな、この手の力は一度手にすれば嫌でも政治に引き込まれる。ゼル、お前はちゃんと説明すると言った筈だが、俺の気のせいだったか? 物覚えが悪いのはどちらだろうなァ」


「ジーン……いや、ちゃんと説明はするつもりだ。だが話す順序がある。そこは分かってくれ」


「そうか。なら安心したよ。冬籠もりの間に小娘一人攫って壁の内側へ逃げ込めと命令されたら、流石の俺も心が痛むからな」


「ジーン」


「分かったよ。お前の順序で話してくれ」


 急激にささくれ立った雰囲気に大きなため息が混じる。

 先ほどまで奇跡を目にしていたようなジナがいつの間にかアルの肩に手をやり、睨むような、推し量る様な目でゼルヴィアを見ていた。


「攫うつもりありません」


 まずはっきりと否定をして。

 未だ険しい表情の母親に息苦しさを感じながら。


「ただお話した通り、この技術は出来るだけ口外したくないものです。内地の者にとって外地、壁の外は外国と同じ。ですから、余程のことが無ければ問題は起きないものと考えています」

「問題が起きたら、秘密ごとこの子を連れ去るつもりなのかい」

「……現状、まだそこまでするほどの技術情報は晒していません。絶対に口外しないと誓って下さるのであれば………………いえ」


 傍らに立たせたままの、栗毛の愛馬を見上げた。

 その背に乗る、一際大きな木箱がある。

 砦に居る他の騎士や、周囲の従士らに形状さえも悟らせたくなかった。今の所、派閥が違うといっても、ゼルヴィアを調べる為に派遣された者でないことは調べが付いている為、そこまで警戒する必要は無いのだが。


「これからお見せする道具を上手く操ることが出来れば、アルさんはある程度の形で立ち上がり、歩けるようになります」


 道具は、それ自体が秘密の塊だ。

 素材が分からずとも、機能に気付けば調べることは出来る。

 だから、


「ただ、それを譲渡することは出来ません。あくまで試作品の運用を試験して貰い、十分な情報が得られたなら、僕は殿下の元へ戻って開発の続きへ取り掛からなければいけなくなります。ですから、アルさんが共に来てくれない場合は、また立ち上がる術を失うことになるんです」


 卑怯な言い回しをしていると自覚していながら、言わなければならない責任もある。


 アルはゼルヴィアから見て非凡な能力がある。

 頭の良さと運動能力の高さ、生まれながら脚が動かないという事実は、彼女の性格も加味すれば試験への意欲の高さも期待出来る。

 加えて壁外民だ。

 言った通り、内地の人間は、それこそ貴族でさえ外地を外国同然に捉え、けれど敵ですら無い為に全く意識を向けていない。

 死のうが、生きようが、興味が無い。

 だから外地で秘密裏に試験を行えるというのは秘密を保持する上で旨味がある。

 様々な権利や法を無視する上でも、保護を受けていない彼女は実際的な研究開発を進めるのに好都合だ。

 無論、無暗に苦痛を味わわせたり、危険の確度が高い試験をやらせるといったつもりも無かった。

 少なくとも、提示する試作品ではそこまでのことは出来ないし、必要ない。


 それでも、卑怯だと、自分の甘い部分が叫んでいるのをゼルヴィアは感じていた。


 希望を与え、奪い取る。

 まるで好き勝手に動物を飼い、飽きたら捨てる様な。


「それって、付いて行けばずっと使わせて貰えるんですよね」


 ポン、と小石を蹴飛ばすような気軽さで声が来た。

 動かない脚では出来ない癖に、彼女は当然のことのように言ってみせる。


 それこそ初めて会った時のように。


『私っ、貴方みたいな騎士になりたいんです!!』


 何を言っているのか理解出来なかった。

 出来なかったから、ゼルヴィアはあぁそうかと言葉通りに受け取った。まともに相手をしていなかったと言えばその通りだ。

 子どもが大言壮語を吐くなど世の常で、いずれどこかで現実にぶつかるのだとしても、赤の他人の、それこそ初対面の少女に対して自ら叩きつけるほど嫌味では無かったというだけの事。


「ねえ母さん、行っていい?」

「え? あ、ああ、壁の内側かい? そりゃあ、行けるならそっちの方がずっといいだろうしねえ」

「だよね。大丈夫です」


 ただ、想像が及んでいなかったのはゼルヴィアの側だったのかも知れない。


「そっちの嫌味ぃなのが言ってた政治とかは知りませんけど、だって私ここに居てもやれること何もないですから」


 壁外民と呼ばれ、常に異民族からの脅威に晒される者達からすれば、よく分からない面倒も怖いが、いつ襲ってくるかも分からない連中の方がずっと怖い。


 なによりアルは脚が動かない。


 どれだけ望んでも騎士になれないと、ゼルヴィア自身が言った。


 多少頭が良くとも、文字が読めて、算術が出来たとしても、紛いなりにも内地で勉学を納めてきたベレフェス家の家臣団には遠く及ばない。

 精々が雑用として使われる日々、それは、慈悲と呼ばれる読み聞かせ授業と何が違うのか。


 言われるまでも無く、アル自身が誰よりも分かっていた。

 呆気無く言い放たれる言葉は、だからこそ原石のように尖りを持つ。


「不具の娘は不具を産む、って言われてるんですよね」


 出会った当初、彼女はその言葉の意味も知らなかった。

 なのに今、はっきりと理解して使っている。

 飲んだくれの医師が漏らした、あまりにも配慮の無いものであったが、彼女はありのままを受け止めて、呑み込んだ。


「だったら私は結婚して子どもも産めません。本当に任せられる仕事も無くて、皆から許して貰って、不具でも出来る仕事を死ぬまで続けていくんです。税が軽くなるって言われるけど、別に母さんだって兄さんだって居るのに、二人と違って私だけ何もしないのが許されるなんて嫌です。きっと、他の人から見てもそう思う」


 今はまだ幼い。

 七年前からの復興も進んで、生活が落ち着いてきている。

 けれどまた襲撃があったら?

 飢饉がきたら?

 口減らしに誰かが不毛の大地へ向けて歩かされていった時、振り返った先に何もできない車椅子の女が居たら、果たして許していられるだろうか。


「このお仕事は、私だから出来るって思ってくれてるんですよね?」


「……あぁ。他の子なら頼もうとすら思っていない」


「嬉しいなぁ」


 不意にこぼれた笑顔にゼルヴィアはおろか険しい表情をしていたジーンさえも言葉を失った。


 花がほころぶような笑み、とは言うが、夜明けの陽を浴びてゆっくりゆっくりと時間を掛けて花弁を開いていく様を、それを称する笑顔を内地の男達は初めて目にしていた。


 激情と、苛烈な言動と、強気とひたむきさと、めげず、まけず、雨に打たれて尚も身を起こそうとする力強さで己を支えてきた少女の、あまりにも可憐な様に、自分のしていた行動の意味をようやく知った。


 救いだったのだ。


 それだけで何故か、自分まで救われるような気がした。


「……この子を、大切にしてくれますか」

「なにそれ。お嫁に行かされるみたい」

「ばか」


 政治的なことへ目を向ければ、一介の騎士に過ぎないゼルヴィアでは儘ならないことは山とある。


「はい」


 けれど言った。

 おためごかしではなく跪いて、長剣を両手で掲げて見せる。


「この剣に誓って、アルさんを大切にします」


 騎士の礼であるらしいことは想像が出来た。

 ただ、動かず姿勢を維持するゼルヴィアにどうすればいいか分からないでいたアルの元へ、外様ぶっていたジーンが歩み寄ってきた。


「その剣は主君から与えられたものだ。そいつを掲げて言ったことを違えたなら、主君へ逆らうことと同義とされる。騎士に出来る最も重い誓いだ。認める、と言ってやれ」


 通常なら位の低い者には決してやらない行為だ。

 故に言葉は固く、高い所から贈られる。


「ええと、はい。認めます」

「ありがとうございます」


 立ち上がり、掲げ持った長剣を鞘へ納め、そこでアルとゼルヴィアが揃って息をついた。

 互いに緊張していたのか、力の抜けた笑みを浮かべる。


 ずっと彼を毛嫌いしていたザンだけが、重たい言葉を呑み込んで、その景色を眺めていた。当然、そこに気付かないアルではなかったが。


「ねえ、爺ちゃん」

「……おう」


「やってみたいの。危ないの、心配してくれてるんだよね」

「おう」


「でも、ようやく仕事が見付けられそうなの。やっていい?」


 かつて魔導技師と呼ばれた老爺は、重ねた年月だけ固くなった表情でアルを見て、ゆっくりとかつての教え子を見た。


「ゼル」

「はい」


「この子を、頼む」

「……っ、はい」


 少女の歓声が鳴り響き、この報は下がっていたロイにもラウロにも告げられた。二人は最初理解が及ばず呆けていたが、真っ先に背を向けたラウロに、ロイが頭へ手をやって乱暴に撫でた。


 なにやってんの、とアルが顔を覗こうとしたので、ラウロと喧嘩になった。







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