第4話


 淀み無い足取りで村へ辿り着き、丘を登れば小屋が見えてきた。

 高炉がある為だろう、木造ばかりな村で唯一石造りの壁になっており、簡素ながらも造りは非常にしっかりとしている。

 扉の無い入口から少し目を外せば、薪割りに使っている切り株と、割った薪や炭を納める吹き曝しの納屋が見て取れる。

 炭は土中に埋めて行う昔ながらの方法で作られている為、窯の類は見当たらない。

 後はせいぜい、裏手の離れた場所に湧き水があることくらいか。

 殺風景な景色を前に、ふと崖向こうへ目をやれば、やや離れた所にアルの家があり、遠く視線を飛ばせばこの丘よりも高い位置に砦の姿も見て取れる。


 坂の上まで辿り着いたゼルヴィアは足を止めた。


 すでにそこが自由に動き回れる場所だと知っているアルは、車輪を掴んで前に出て、鉄を打つ小気味良い音に笑みを浮かべた。

「こっちです」

 道中である程度は落ち着いたらしく、言葉遣いが整っている。

 礼儀作法の授業には参加出来ないが、歴史同様にこれもレイナから直接教わった結果だ。


「あぁ……」


 ただ、案内を頼んだゼルヴィア本人が浮かない顔だった。

 坂を上り始めた辺りから言葉数が減り、アルも疲れたのだろうかと無理に会話しようとはしなかったのだが、向き合って見る彼が呼吸を乱している様子は無かった。


「大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫。ただ、ちょっとだけ緊張してるかな」

「ザン爺ちゃん、優しいよ? 怖かったりしないよ?」


 丘の上という立地からアルが気軽に会いに行ける相手ではない。

 だが、野良仕事の出来ない彼女に自分の頼まれた修理品などを届けさせて、小遣いと呼ぶにも高額な報酬をくれたり、何かと世話になることの多い人物だ。

 他の人には不愛想な顔も見せるから、妙な誤解を受けることもある。

 そういう時、決まってアルは彼を擁護してきた。

 気付けば周囲とザンの間に入るのが彼女の仕事の一つにもなり、麓にあるという立地から依頼品や完成品が一時集積される場所にもなっていた。


 だから、と言葉を続けようとしたアルは、見上げたゼルヴィアが吐息と共に陰鬱さを溶かしていったのを見る。


「アル」

「うん、はい」

「ありがとう。ただ、やっぱり最初は一人で会ってみることにするよ」


 彼は初めて会った時のようにアルの前で膝を付き、普段通りに微笑んだ。


「実はね、彼……ザンさんとは、昔の知り合いなんだ。ちょっと気まずい別れ方をしちゃったから、仲の良いアルに手伝って貰おうと思ったんだけど、先々を考えれば、結局一人で向き合わなくちゃいけないからね」


「…………はい」


 昔から、少なくともアルがそれと気付いた時にはこの丘で槌を振るっていたザンが、内地の騎士であるゼルヴィアの知り合い。

 考えもしなかった話にただぼんやりと頷いたものの、やはり彼の笑みが硬いことに気付いて笑い返す。


「じゃあっ、また喧嘩しちゃったら私が仲直りさせてあげるっ!!」


 彼はそれを眩しそうに見て「ありがとう」と返し、小屋へ向かった。


    ※   ※   ※


 状況は呑み込めないながらも、いつもの様にきっと上手くいくと見守っていたアルだが、甲高い鉄の音が響いたかと思えば、聞き慣れた人物の、あまりにも聞き慣れない、荒々しい怒声を耳にした。


「でていけッ!!」


 流石に慌てた。

 最終的にゼルヴィアが一人で会いにいったものの、紹介しようとしていたのはアルだ。

 彼には思惑があったらしいが、転んでいたのを助けてもらい、頬を張った後ろめたさもあり、また勉強を教えてもくれた、それだけのものがあれば恩を返すのも当然のことで。

 また、彼女に甘いザンならば、アルの夢を笑いもせず、ごく普通に接してくれるゼルヴィアを受け入れてくれるだろうと考えていたのだが。


「爺ちゃん!?」


「この大馬鹿者が!! 二度と顔を出すなと言った筈だ!! 頭をかち割られたくなくばとっとと壁の向こうへ消え失せろ!!」


 小屋へ飛び込んだ矢先、先ほどのものに勝るとも劣らない怒声が叩きつけられ、思わず身を竦めた。


「先生!! 話を聞いて下さいッ!! 今は個人の感情に捉われていていい状況じゃないんです!!」

「口先ばかり回る様になりおって! そんな暇があったら槌の一つも振るってみろ!!」

「教えて頂いたことは毎日続けています! その上で先生のお力を借りたいとここまで来たのです!」

「貴様に貸す力なんぞないわッ、帰れ!! さもなくば……――――」


 ここで怒り狂っていたザンがアルの姿を認めた。

 白髪に染まり切った頭には黒い沁みがあり、顔付きはほっそりとしていて小柄な老爺。

 依頼品だろう、穴の開いた鍋を細腕で振り上げたまま硬直し、一時怒声が収まる。

 思わぬ人物の思わぬ怒りに目を丸くしていたアルだが、これで会話が出来そうだとそっと息を落としたのも束の間、


「キッサマァァァアアア!! アルに何をした!? この子はお前のような奴が触れていい子じゃないぞ!!」


 今までで最高潮の怒りに達したザンが力任せに鍋を投げ付けた。

 たわむ音と、仰け反るゼルヴィア。

 アルは大慌てで前へ出て、両手を振って押し留めようとする。


「ま、待って!! 爺ちゃん違う!! 下で会ったの!! 爺ちゃんに会いに来た所だって聞いたら、私も会いたいなって思ってさっ、そう言ったらここまで押してきてくれたの!!」


 何らかの思惑があったことは理解しているが、それを正直に話せば状況が悪くなるのは彼女にだって分かった。

 けれどザンも納得はしない。

 庇うアルに次を用意していた手を止めはしたが、睨む目は益々強くなっている。


「アル…………~っっ、退きなさい。そいつはな、お前が庇う価値の無い男だ」

「なんで!? 親切にしてくれたよ!? 爺ちゃんいつも人の親切にはお返しをしなさいって言ってたじゃない!」

「それは……この村や、砦の者達にだ。そいつは関係無い」

「よく分かんないけどっ、喧嘩しちゃ駄目だって! ほらっ、怪我しちゃってる……」


 仰け反ったゼルヴィアはすぐに姿勢を戻してきたが、額には跡が残っている。

 が、彼もまたアルを押し留めて前へ出る。

「アル、すまない。でも、僕と先生の話なんだ」

 頭部への衝撃とあってやや足元がふらついたものの、彼はもう一度ザンへ向き直り、眉を寄せ、開きかけた口を噤んだ。


「また来ます」

「二度と来るな」


 頑なな言葉が行き交い、背を向けた彼をアルが思わず追いかけようとするが。


「アルは残りなさい」

「そうだね。ここまでありがとう、アル。砦の方には僕から伝えておくよ」


 呼び止められ、押し留められ、双方を見た上で、彼女は従うことにした。


    ※   ※   ※


 鉄ばさみで高炉から取り出した赤熱した鉄を、鍋の穴へ宛がって槌を叩きつける。

 土台となる石へ、ひっくり返した鍋を被せる様にして置いてあり、縁を整えながら引き延ばしていく。

 軽くも無いが、打つ力はそう強くなくとも良い。

 加工しているのはあくまで握りこぶし分も無いような鉄の塊で、赤熱している間はそれなりに加工が容易だ。


 砂鉄や鉱石から加工するのでもなければ、液体のように溶かす必要はない。

 予め取り出し、固めておいた鉄の塊を熱して溶かし、柔らかくなった所で成形してやる。

 冷えてしまえば容易くはいかないので、素早く正確に行う必要はあるが。


 鉄は極めて頑丈で優れた物質だが、錆には弱く、手入れを怠れば鍋とて穴を空ける。

 弟子も取らず、一人でこの作業を行うザンの元には、日々様々な依頼品が舞い込んでくる。

 大抵は野良仕事の道具。次に鍋や、細かい金具の制作依頼。最近では槍の矛先という品目も増えてきた。

 仕事が多いのは、近隣でこの手の加工が出来るのがザンしか居ないからだ。


 より正確に言うならば、実りも少なく、森もか細い近隣でザン以上に木々を削らず加工できる者が居ないから。


「よし、そこの石の上に置いてくれ。熱いぞ」

「……うん」


 慎重に手渡された鍋を、すぐ近くの平らな石へ乗せる。

 成形してしばらくは修復箇所や付近が柔らかいままなので、形が崩れない場所で冷やしてやる必要がある。

 急激に冷やす事で強度をあげる手法もあるが、物が鍋なので多少柔軟なくらいが良い。


 一作業を終えて、アルは膝の上で待機させていた手拭いをザンの首に掛けてやる。

「はい、爺ちゃん」

「おう、ありがとう」

 汲んでおいた川の水に浸け込んでいる為、噴き出る汗も忘れるほどに熱い部屋の中では奇跡の様に心地良い。

 鉄を扱っている時は肌で温度を感じ取っているという彼は、作業中に余計なものを身に付けたがらない。なので手伝いをする時、アルは決まって手拭いを持ち、終わってから首に掛けてやるのがいつもの役割だった。


「後は包丁だったか」

「砥石と水、取ってくるね」

「おう」


 先ほどまでの荒々しさが嘘の様に、緩んだ表情でザンは笑う。

 いや、今回だけは孫の様に思っているアルに激昂ぶりを見られたことで、多少のぎこちなさはあったが。


「はい」

「おう」


 アルから受け取った桶から砥石を取り出し、落ちる水も構わず土台となる石の上へ置く。そこから更に水を掛け、脇に用意してあった包丁を取る。

 切っ先を落とした長方形の刃物は、短剣を用いるよりも遥かに取り回しやすく、料理をするのに向いた形状だ。


 それを作ったのはザンであると、どこかの話で聞いたことがある。


 いつもなら楽し気に手元を眺め、時折顔をあげた優しい爺ちゃんとなんでもない会話を交わす所。

 けれどどこか空気は重たく、ザンも手元に視線を縫い留めたまま離さない。


「えっとね」

「おう」


 刃を手前に、奥へ押し込みつつ力を掛ける。


「砦に来てくれた、騎士の人なんだって。従士長とかがぺこぺこしてたよ」

 実際には意地を張って真っ向から向き合っていたのだが、どうでも良いことだ。

「初めて会ったのは昨日だけど」

「みたいだな。昨日、馬車で大量の素材やら織物を一方的に送り付けてきおった。今も裏に積んである」

「そうなんだ。でね」


 研ぎの音は一定で心地良い。

 固い鋼鉄を削っていく作業は非常に大変なものだったが、ザンは手慣れているようで息を乱すことがない。


「貴方みたいな騎士になりたいんですって言った時、笑わなかったの。もう皆、ラウロだって馬鹿にしてくるのに」

「ラウロめ。いや、若い頃にはあるものだ。根っこではお前を心配しとる」

「そうかな」

「だが、あの男は別だ。あの馬鹿男が笑わなかったのは…………はぁ、お前を、周りを最初から相手にしていないからだ。アレはアルの覚悟も、望みの強さも知らず、知ろうともせず、ただ興味が無いから流して、都合良く利用しようとする」


 そんなに詳しいということは、余程深い関係が彼との間にあったということだ。

 けれど口にするのも躊躇われて、アルが手ずから砥石へ水を垂らす。


「でも、私が道で転んだ時、助けてくれたよ。勉強も教えてくれたの」


 擦れ、削れた砥石が水に交じって刃を削る。


「それは……分からんが、碌でもないことを考えとったんだろう」


 欠けた刃の所まで揃え終わると、砥石を変えて細かく整えてやる。

 目が細かく、ここまで荒くざらついていた表面に光沢が混じり始める。


「昔、喧嘩したの?」


 また砥石を変え、更に研いでいく。

 毎日やっていれば簡単なものだが、こうして滅多に手入れされないものは非常に時間が掛かる。

 この程度で、と考えて刃物を扱うのは、想像以上に危険なものだ。

 切れ味を過てば、食事を作る道具が人の血を吸うこともある。


「……昔、弟子を何人か取っていたんだが、アレは特に優秀な方だった。だが、何もかも上手く出来るものだから、何もかも好きにやっていいと、思い上がったんだろう。儂も……直前まではそうだった」


 鏡のように磨き上げられた包丁を覗き込み、丁寧に布で水気を拭き取っていく。

 垣間見えた自分の顔に何を思ったのか、彼はまた口を噤み、アルも追及はせずに仕事を手伝った。


 最後に、高炉へ入れたままだった火を、ザンは素手で掴み取り、まるで食事の様に掌で掻き消して見せた。


    ※   ※   ※


 小屋を出る頃には陽が暮れていて、だから当初二人はその姿に気付かなかった。


「久しぶりだな。こんな所で隠れ潜んでいたとは、流石に探すのも骨が折れた」


 仄暗い闇と同化するみたいに、黒の衣を着た男が佇んでいる。

 ジーン=ガルドという名の、ゼルヴィアの従士。

 咄嗟に彼らの関係を思い出し、またザンが怒り始めるのではないかと身を捻ったアルだったが、後ろで取っ手を持つ老爺が強張った顔をしているのに気付いて言葉を失った。


「しかも、作っているのが鍋や包丁か。魔導技師ザン=デュック=スミスの名が泣くぞ」

「ジーン……ジーン=ガルドか」


 震えた声が耳を打つ。


「まだ、生きていたのか」

「おあいにく様にな」

「そうか……」


 その、深く、慈しむようにも思えた吐息は、けれど冷めた鉄のように固さを伴った。


「………………すまなかった」


 謝罪の言葉は夜風に溶け、そのまま消えていった。

 ジーンは受けるでもなく、拒否するでもなく、自分の言葉を送ってくる。


「話くらい聞いてやれ。あんなのでもアンタの弟子だろう」

「儂は……いや、お前からの言葉であっても頷けんよ」

「そうか。ならそれでもいい。だが、結局は同じことだろうさ」

「戻るつもりはない」

「なら、そこの小娘一人を抱えてどこまでも逃げればいい。どちらにせよここはいつだって戦場になり得る外地だ。アンタのおかげか、えらく豪華な檻に入ったカナリアだがな」

「ではお前は、その心臓を捧げてでも守り抜くべきものを見付けたというのか」

、最初から俺のものじゃないからな」


「違う」

「違わないさ」


 再びの風が二人の間を吹き抜ける。

 暗闇は一層深さを増し、月明かりさえも雲に隠れた。


 そんな時だった。


「やっぱりアンタ嫌い。爺ちゃん苛めるなバァーカ!!」


 ぽふっ、と新しく貰った革手袋を投げ付けたアルが叫ぶ。


「ごめんなさいって言ってんじゃん! 許してあげなよ!! なのにお前ってさっきからねちねちしつっこいしさ! やりたいことはやりたいのっ、やりたくないことはやりたくないのっ、そんなのも分かんないからバカなんだよ! 周りがどうなるとか、そんなの考えてたら何も目指せないじゃん!! 爺ちゃんはここに居たいの! そうだよねっ!?」


 振り向いたアルに、顔を強張らせていたザンはゆっくり頬を緩め、孫の様に思う娘の頭を撫でた。


「儂は、ここに居ていいかい?」

「当然じゃんっ。私が騎士になったら、爺ちゃんに剣を打って貰うんだよ?」


 夢想が過ぎる。

 そんな言葉が場に過ぎったが、当のアルはどこまでも真っ直ぐに自分の望みを信じていた。


「ははは、そうか。その時までに、もっと腕を上げておかんとな」


 最も不自由な筈の少女の、自由極まりない夢を聞いて、ようやく老爺は笑った。


 口を引き結ぶことになったのはジーンだ。

 別段、アルの言葉に物怖じなどしない。

 ただ、今まで強がりか、良くて妄言に過ぎないと思っていた少女の言葉が、それ以上の意味を持っていたことには気付いて。


 そっと鉛のような吐息を落とした。


「まあ、俺にはどうでもいい話か。ゼルヴィアには説得は無駄だったと言っておく」

「ジーン」


 呼び止める声に彼もまた背を向ける足を止め。


 けれど続く言葉が無かったのか、短い沈黙の後にジーンの方から言葉を放ってきた。


「最後に一つ聞いておこう。」 


 変化は劇的だった。

 ザンは心臓を縫い留められたように全身を強張らせ、思わず撫でていたアルの頭から手を離した。


 結局、アルにとって多くの事は分からないまま。


 二人の関係も、ゼルヴィアとの関係も、どうしてこうなってしまったのかも分からないまま。


 正しいか正しくないかも知らないまま、ただ味方をする側を決め、もう片方の革手袋を投げ付けた。


「ふん。覚悟だけは一人前か」


 あっさり受け取ったジーンは一揃いの革手袋を掴んだまま、今度こそ踵を返して暗い坂道を降りて行った。

 灯りも持たないその身は、月の隠れた闇の中で奈落の底へ沈み込む様に、進んでいったのだった。





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