第40話

 海音と藍沢、二人は再会できて果たして本当に良かったのだろうか。自分がしたことは間違っていなかっただろうか。

 あの日からそんな考えばかりが頭の中をグルグルしている。

 冬葉はデータの打ち込みをしながら深くため息を吐いた。そして視線を藍沢のデスクに向ける。そこに彼女の姿はなかった。

 スケジュールを確認すると今週は会議や外出が多いようだ。朝は出社しているのに気がつくといなくなっている。目が合えば軽く挨拶くらいはしてくれるが、一緒にランチに行くどころか雑談すらもなくなっていた。

 きっとまだ色々と考えることがあるのだろう。単純に忙しいということもあるかもしれない。そうは思うのだが、やはり心のどこかでは自分が海音と藍沢を会わせたから二人の気持ちが良くない方へ向かってしまったのではないか。そんなことをふと考えてしまう。


「考えすぎだよ、冬葉さん」


 水曜日の夜。帰宅した冬葉は蓮華にビデオ通話をかけていた。蓮華の声は穏やかで少し気持ちが落ち着いてくる。

 冬葉はクッションを抱えて座りながら「でも」とため息を吐いた。


「ナツミさん、やっぱり元気ないから」

「ふうん」


 蓮華は首を傾げる。


「海音はすっきりした感じだよ?」

「すっきり……?」

「うん。まあ、様子は変だけどさ。でも元気ないって感じじゃないっていうか」

「どんな感じなんですか?」


 冬葉が聞くと彼女は「うーん」と眉を寄せてさらに首を傾げた。


「なんだろう。なんかこう、穏やかな感じ」

「穏やかですか」

「そう。ここ数日さ、話しててもなんかすごい穏やかなんだよね。優しいとは違う感じ」

「三朝さん、ナツミさんのことは何か言ってましたか?」

「ううん、特に何も。冬葉さんも言ってくれなかったしなぁ。あの電話のあと三人で会うってこと」


 蓮華は思い出したのか、少し不満そうに口を尖らせた。冬葉は慌てて「ごめんなさい」と謝る。


「なんとなく言い出せなくて……」

「わたしが気にすると思った?」

「そう、ですね。そうかもしれません」


 すると蓮華は微笑んだ。


「冬葉さんらしいね」


 そして彼女は「海音もね、気にしてたんだよ」と続ける。


「冬葉さんを巻き込んじゃったこと」

「え、いえ。わたしは別に巻き込まれたとか思ってないですし」

「でも複雑だったんじゃない? 冬葉さんは藍沢さんの気持ちも知ってるわけだし」


 蓮華は言って視線を逸らした。


「ナツミさんの気持ち……」

「そう。海音は自分の言いたかったこと全部言えたけど、冬葉さんは嫌だったんじゃないかって」


 冬葉は少し考えてから「嫌ではなかったですよ」と口を開いた。


「きっと三朝さんの言葉はナツミさんがずっと待ってた言葉だったはずだから。でも、たしかにちょっと複雑だったかもしれません」


 冬葉は苦笑する。


「二人の会話を聞いてるとなんだか苦しくなったから」

「ヤキモチ?」

「ううん。それとは違うと思います。よくわからないけど……」

「ふうん?」


 蓮華は含みのある口調で言うと画面越しに冬葉を見つめる。


「蓮華さん?」


 冬葉は首を傾げる。すると蓮華は「冬葉さんはさ」と真面目な表情で口を開いた。


「もし藍沢さんが海音とまた付き合い始めたらどうする?」

「え……」

「怒る? それとも悲しい?」

「――わかりません。だけど多分、嬉しいかもしれない」

「嬉しい?」


 冬葉は頷く。


「だって、きっとナツミさんはわたしといるときよりも三朝さんといるときの方が彼女らしくいられるから」

「……どうしてそう思うの?」

「三朝さんと話してるとき、わたしが知ってるナツミさんじゃない雰囲気だったので。なんていうんだろう。自然体っていうか」

「だから嬉しいの? 悲しいでも悔しいでもなくて? 藍沢さんは冬葉さんを好きだって言ったのに?」


 蓮華の表情はなぜか少しだけ悲しそうだ。冬葉は首を傾げる。しかし蓮華は「ううん。冬葉さんらしいよ」と微笑んだ。


「――でも、藍沢さんはどうだろう」


 ポツリと呟いた蓮華の言葉に冬葉は「え?」と聞き返す。だが彼女はそれ以上は何も言わず、話題を変えるように明るい声で「金曜日さ、何時頃に仕事上がれそう?」と言った。


「え、金曜日ですか? はっきりとはわかりませんけど、頑張れば定時上がりはできるんじゃないかな」

「じゃあさ、ちょっと出掛けない?」

「お出掛け……。蓮華さんと?」


 驚いて思わず問い返すと蓮華は少し俯きながら「嫌ならいいんだけど」と小さな声で言った。慌てて冬葉は「嫌なわけないじゃないですか!」と強い口調で返す。


「ただびっくりしただけです」

「そう? じゃあ行く?」

「はい。ぜひ」


 すると蓮華は嬉しそうに「やった。嬉しいな、冬葉さんと初めてのお出掛け」と笑った。


「公園で会ってるのはお出掛けにはならないんですか?」

「ならないよ。あの公園はなんていうか、家みたいなものだし」

「家、ですか」

「いつも落ち着いてまったり話してたじゃん。こんな風に」

「たしかに」


 冬葉は笑うと「どこに行きましょうか?」と聞いた。


「夜だし、ご飯食べに行きますか?」

「そうだね。冬葉さんもお腹減ってるだろうし、まずは何か軽く食べよう。その後の予定はそのときに決めようよ」

「そのときに?」

「うん。そのときに行きたい所に行くの」

「行きたい所、決められるかなぁ」

「ああ、冬葉さん優柔不断だもんね」

「どうしてわかるんですか」

「なんとなく」


 蓮華は面白そうに笑って「じゃあ、また金曜の夜に」と柔らかく微笑む。


「あの、蓮華さん」


 通話を切ろうとした蓮華に向かって冬葉は呼びかける。


「ん?」

「ありがとうございます」

「え、なにが」

「話を聞いてくれて」


 すると蓮華は驚いたように目を丸くした。そして息を吐きながら笑う。


「わたしの方こそありがとうだよ、冬葉さん」

「え、どうして?」

「他の誰かじゃない、わたしに相談してくれたから」


 彼女は嬉しそうな表情で「わたしの方が嬉しかったよ」と続けた。


「じゃ、おやすみ。冬葉さん」


 蓮華の手が動き、スマホの画面から彼女の姿が消えた。


「――おやすみなさい、蓮華さん」


 タイミングを逃して伝えられなかった挨拶を画面に向かって呟く。そして深く息を吐き出してスマホを床に置くとクッションを抱きしめた。


 ――なんか、蓮華さんが変。


 いや、変とは違うのかもしれない。素直なのだ。以前の彼女はどこか一歩引いたところがあった気がする。気持ちを抱え込んでいるようなそんな雰囲気があった。それなのにこの前、公園で話してから彼女は変わった。

 何気ない彼女の言葉は公園で話していたときと変わりない。それなのに以前より、まっすぐに彼女の気持ちが伝わってくる。それはきっと蓮華が前に進み始めたからなのだろう。


「わたしは……」


 自分もこのままでいいはずがない。それは分かっている。しかしどうするべきなのかわからない。


 ――ダメだな、わたし。


 冬葉は深く息を吐き出しながら寝る準備を始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る