メデゥーサの血

森本 晃次

第1話 稀代の殺人軍団

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。たまに少し淫虐な表現が出てくるかも知れませんが、イメージ上の表現として見ていただければ幸いです。


 時代は昭和二十年代というから、まだまだ戦後の混乱が残る時代である。今の時代の人間からは想像することもできないほどの混乱が生じていた。

 街には家のない人たちが溢れ、露天では闇市が行われていた。薄汚れた服を着た少年少女が駅前などに列を作って座り、靴磨きにせいをだす。露店を通り過ぎる人の数は結構いて、その中を元締めと呼ばれる親分が練り歩いている。

 彼らは場所を貸すことでで、いわゆる「みかじめ料」というのも貰い、その見返りに用心棒のようなことを引き受けて、お互いにそれを了承することで生計を立てている。もちろん、反社会的勢力であるが、彼らがいることで、ある意味安心して商売ができるのだ。

 今では考えられないようなそんな時代、警察も決して市民の味方ではない。むしろ定期的に取り締まって、警察も罰金をいただくことでいわゆる体裁を保っていたと言ってもいいだろう。通路を歩く人の中には、軍服を着た復員兵も混じっていて、時代的にはまだ戦争の影を引きづっていたのだった。

 車に乗っている人などはほとんどおらず、それこそ車と言えば、ほとんどはジープに数人で乗り合わせている進駐軍の連中くらいである。当然のことながら進駐軍というのは外人部隊で、そんな青い目の連中に前述の靴磨きをしているボロボロの衣服を着た子供たちは群がり、口々に、

「ギブミーチョコレート」

 と叫びながら、彼らの配るチョコレートやチューインガムに群がるのだった。

 そんな少年たちを、進駐軍の連中はどんな目で見ていたのだろうか。顔は笑っているが、何を考えていたのかよく分からない。まるで動物園の檻の中にいる動物にエサでもやっている感覚だったのだろうか。相手を人間として見ていなかったのではないかと思うと、いくら生きていくためだったとはいえ、当時の日本人は可哀そうであり、情けないとも言えるのではないだろうか。

 そんな、時代に生き残るには、混乱に乗じて闇市を起こすか、やみ物資のブローカーにでもなって、進駐軍と取引し、お金をためていくか、あるいは大きな窃盗などの犯罪を行うか、それくらいしかなかったのではないか。いくら元々お金があったとしても、そのお金がある日突然、紙屑になってしまう時がやってくるのだから……。

 いわゆる

「新円切替」

 と呼ばれるものである。

 同時の情勢として、

「物資不足に伴う物価高及び戦時中の金融統制の歯止めが外れたことから現金確保の為の預金引き出し集中の発生、また一方で政府も軍発注物資の代金精算を強行して実施したことなどから、市中の金融流通量が膨れ上がり、ハイパーインフレーションが発生した対策」

 というものが背景にあり、ある日突然に今まで使っていたお金が紙屑同然になってしまったのだ。

 そんな状況でもあり、かつての財閥制度も廃止になった。それは、戦争責任として、当時の政府、軍部と、そして力のあった財閥が戦争景気を望んだということで、日本の軍国主義解体のやり玉に挙げられたこともあり、それまでの権力や経済力による上下関係は完全に崩壊した、そもそも天皇を元首とした国ではなくなったこともあって、天皇の主権を国民に移すということが一番の軍国主義を廃止させる一番の目的だったはず。

 そんな時代だったのだが、途中、変革を余儀なくされ、戦後の日本の分岐点となった事件が勃発した。

 元々日本という国はその立地条件の元から、

「アジアにおける反共の防波堤」

 として、朝鮮半島と日本列島が注目されていた。

 朝鮮半島に対しては、北から陸続きで、ソ連が侵攻してきたので、南部をアメリカが占領することになり、その後協議を行い、南北分割占領ということになった。その問題から南北の混乱に乗じて、南北でそれぞれ建国宣言を行うという事態に発展した。事態はそこで終わらず、翌年に勃発した「朝鮮戦争」は、初めての民主主義対共産主義の大規模な戦争として問題となり、結果現在もまだ和平が行われていないという悲劇を呼んだとされる。日本はその時、米軍にとっての、

「最前線への基地」

 としての役割を果たし、しかも軍需物資を作る工場も発展することで、特需が生まれた。

 敗戦国として、軍国主義を廃止すると言っていた建前とは別の減少が起こってしまったといえる。

 そういう意味では日本にとって、幸運だったのかも知れない。

 軍国主義への復活とはいかなかったが、戦後十年くらいでかなりの復興が進んだのは奇跡に近いのではないだろうか。

 何しろ終戦時点で、日本本土の主要大都市は、空襲によってほとんどが壊滅、焦土と化していたにも関わらずである。

 戦前の日本を思い図っていれば、本当に奇跡である。

 もっとも、戦前の大正末期から戦争終結までというのは日本に限らず、世界的に悲惨な時代であったのは間違いない。

 まず民族主義、協定に結ばれた欧州列強は、民族問題から引き起こされた紛争から、協定により、

「自国が戦争に巻き込まれれば、協定を結んだ国は、同じように参戦する」

 という協約で結ばれていたことで、紛争の二国が、四国になり、六国になって、やがて世界大戦に突入したのは周知のとおりである。

 四年にも及ぶ欧州の大戦は欧州を混乱に巻き込んだまま終結したが、その時の日本は、世界大戦を、

「対岸の火事」

 として、戦争特需に沸いていた。

 しかし、特需というのはいきなり終わるもので、その反動が待ち受けているというのは歴史が証明していることだが、この時の大戦が終了し、前年の売り上げを見込み製造したものが、戦争終結後まったく売れなくなったことで、一気に今度は不況に見舞われることになる。

 そこに追い打ちをかけたのが、大正末期に起こった関東大震災であろう。

 これは都市型直下型の大地震として、横浜市、東京市を中心に文字通り関東全域で被害を出した。死者行方府営者が十万人を超えたという未曽有の大災害だった。戦争後の不況に大地震が追い打ちをかけ、さらにアメリカで発生した株大暴落を発端に、今度は昭和に入ってからの世界的な大恐慌にも巻き込まれ、日本のような小国、資源のない国は国の存亡に窮していたと言っていいだろう。

 朝鮮半島をすでに併合していた日本は、日露戦争に勝利したことにより獲得した満州の権益を確固たるものにしようとして目論んだのが、いわゆる「満州事変」と言われるものだった。

 満州を支配するということは、ソ連の脅威を取り除くという意味合いと、もう一つ大きな問題があった。

 それは日本国内の人口問題であった。当時の日本は今の人口の半分くらいしかいなかったが、これでもかというほどの不幸に見舞われた日本国で養いきれるものではなかった。当時東北地方の大不作などもあり、食糧問題は深刻などという言葉では言い表せないほどであった。何しろ田舎の農家は、娘を売るか、一家心中しかないと言われたほどだったからだ。

 日本は満州を手に入れると、世界各国からの批判もあり、世界的に孤立する道を選んで迄も、満州を死守しなければならなかった理由は、この待ったなしの状態での食糧問題を何とかしなければいけなかったからだ。

 世界を敵に回してでもという切実な理由がそこに存在した。今となっては。満州への侵略は無謀だったと言われるかも知れないが、それほど「満蒙問題」というのは、日本の生命線だったのだ。

 しかもその時の関東軍の動きが、政治に先行していたことから、日本の軍国主義が急速に発展したのであろう。憲法で定めるところの、

「統帥権」

 が、軍隊を政府から守り、軍部台頭に一役買ったのである。

 そんな時代に突入した日本は、世界から批判を浴び、特にアメリカとの関係は次第に悪化していく。中国での行動が大きな問題になったのだろう。

 ただ、アメリカが日本に対して譲歩してくれていたのも事実なので、どちらがいい悪いの問題ではなく、当時の社会体制がそういう時代だったと言えるだろう。自国の権益を守るために、戦争もありだった時代なのである。

 戦時体制に日本国が突入したのは、何も大東亜戦争が勃発した昭和十六年になってからではない。それ以前の、日華事変の頃から戦時体制になっていた。徴兵制にも、召集令状があり、いわゆる

「赤紙」

 が届くことで、大陸に軍人として出兵しなければいけない時代となり、市民生活も物資の不足から、次第に物が手に入らなくなり、配給制度へと移行していくのもこの頃だった。日華事変の勃発は大東亜戦争勃発の四年前なので、昭和十二年くらいのことであろうか。

 当時の暮らしとしては、今では聞いたこともないような言葉がたくさんあった。

「灯火管制」

「建物疎開」

「学徒勤労動員」

 など、他にもいろいろあるが、ここでいちいちそれを述べることは愚かなことだと思うので割愛する。

 今では信じられないかも知れないが、今のような恋愛結婚ではなく、いきなり結婚式を挙げるということもあったようだ、

 それも相手は結婚したい人ということではなく、本当にいきないrの結婚式だ。

 その家の青年に「赤紙」が来たことで、いきなり結婚させ、死ぬかも知れないで出征する男子に、この世の最後に

「男としての悦び」

 を味わせてやろうという何とも切実な考えだ。

 しかし、これは女性としても同じこと。好きでもない相手の女房になることで、結婚した相手が戻ってくればいいが、戻ってこなければ、結婚生活を一日たりとてしたことがないのに、すでに未亡人になっていて、亡き夫のために貞操を守らなければいけないというのは、女として生まれてきたことの悲劇であろう。

 しかも、当時の家族制度のしがらみで生きなければいけないということ、隣組としての奉仕、さらには配給に並んだりしなければいけない苦労。それら銃後の苦労を一身に背負うことになるのだ。

 そんな時代、次第に悪くなる戦局の中で、空からは雨あられと、爆弾や焼夷弾が降ってくる。焼夷弾などは、ちょっとやそっとでは消えない。水で消すことができず、対象物が燃え尽きるまで消えないという悪魔の兵器である。

 木造の日本家屋では、有効だった。一度燃え移ると、焦土と化さなければ消えることはない。いわゆる、

「業火の炎」

 だったのだ。

 昭和二十年に入り、本土空襲が本格化し、日本のジェット気流などの問題から、ピンポイント爆撃では効果がないと判断した米軍は、無差別爆撃、いわゆる絨毯爆撃に戦法を移行し、老若男女、すべてを殺戮するという悪魔の所業ともいうべき、パンドラの匣を開けてしまったのだった。

 さらに、原子爆弾の使用という人類史上、拭い去ることのできない大罪を犯してしまった。本来であれば、神のみにしか使えない手段を、人間が人間に使ってしまったのだ。

 確かにそれで大東亜戦争の終結は、そのまま世界大戦の終結に結び付いたわけだが、そこからの占領状態は、前述の通りである。

 そんな日本が、終戦後、五年しか経っていないのに、また戦争によっての特需を受け、次第に防共の防波堤となることで、経済復興を成し遂げることになったのだが、その時代に暗躍していた地下組織も数知れずあったことだろう。

「困った時の神頼み」

 ともいうが、そんな時代だったからこそ、誰か一人を教祖と仰いで、一大宗教団体を築いた組織もあったはずだ。

 そもそもカリスマがなければ、この時代を乗り切るだけの団体が形成されるはずもない。それは、第二次世界大戦の前にその前の大戦での敗戦国になったことで荒廃した国土に、さらに巨額で天文学的な数字の、絶対に返済できない額の賠償金を課せられたドイツに台頭してきた「ナチス」と似ている。

 総統であるアドルフ=ヒトラーがその話術で国民をマインドコントリールしたことからも分かることで、彼こそ、いわゆる、

「時代の寵児」

 そして、あたかも教祖として崇める状態にあったのは、世界情勢を鑑みた時の自国の情勢があまりにも悲惨であることが分かっていたからだろう。

「ドイツ民族の復興」

 それがスローガンであったからこそ、ヒトラーは台頭できたのではないだろうか。

 それを思うと、宗教団体が、時代の節目節目で暗躍してきた歴史があるというのも分からないでもない。何しろ、歴史に残った戦争のどれほどに宗教が絡んでいたかを考えれば自ずと分かってくることであろう。

 日本もそんな戦後の混乱期に秘密結社のようなものがいくつもできていたとして、それを疑うだけの信憑性があるだろうか。

 当時の日本は完全に占領軍の言いなりになっていて、占領軍も自分たちのためになるのであれば、非合法でも容認するのではないかと思える。

 極東軍事裁判と言われる「東京裁判」においても、本来なら戦犯として容疑を掛けられなければいけない人たちも、アメリカの国家的な利益のため、その情報を売ることで戦犯を免れるということもあったようだ。軍の最高機密となっていたある種の兵器開発部隊、名目上は防疫給水部という細菌開発部隊の主要構成員は、その科学的実験の成果と彼らの命を引き換えに取引されたともあったという。

 それほど混乱した世の中に存在したであろうと言われているのが、

「新興宗教によるテロリスト軍団」

 であった、

 この軍団は、単純な団体であったり、集団とは言えないものがあった。なぜなら、彼らにはその注目される目的とは別に、確固たる実害が社会的に反映されたからであった。

 その軍団は、

「赤魔術十字軍」

 と名乗る一軍であり、赤というのが、共産主義を表しているのかまでは言及されていなかったが、

「赤というのは、反政府的勢力であることを表している」

 と言われていた。

 魔術というのは、教祖なる人物を称して言ってることであり、十字軍はあくまでも中世ヨーロッパに存在した十字軍の意味で、

「我々はあくまでも宗教的な救済を目的としている」

 ということの宣伝の意味でつけられているということであった。

 ということは、

「反政府的勢力が、魔術を持って、宗教的な弾圧からの救済を目的としている」

 という意味のことであり、魔術というのは少し気になるが。それ以外は、一見筋の通っている名前に思える。

 軍という言葉は、当時の世相では敏感なものであったが、軍団という意味で考えれば、そこまで進駐軍も政府も必要以上に注意する必要はないと、タカをくくっていた。

 実際に当時の混乱した日本では、軍国主義復活を目指す団体、さらには共産主義化を目指そうとする団体がいくつもあり、警察公安部では、その対応に完全に追われていた。

 だから、赤魔術十字軍はその間になるべくことを荒立てず、秘密裏に自分たちの土台を直実に積み上げていた。

 その徹底さが彼らの強みであり、そのうちに人脈を使って、警察はおろか、政府の事情までも知り得ることになるのだが、そこまでの団体がその時代に現れるとは、さすがに政府も警察も思っていなかったことだろう。

 彼らはまず徹底的に政府と警察、さらには法律について研究した。そういう研究チームを持っていたと言ってもいい。

 どうして彼らのような秘密結社ができるようになったのかというと、元々の幹部は、軍の官僚たちであった。戦犯にもかからず、その財産を何とか死守し、放っておけば、占領軍に没収されないようにするには、まず財産を隠匿する必要があり、その財産に手を付けることのできないような団体を作って、そこで自衛の形を取るしかないと考えた彼らは、財産の一部を持ち寄って、団体を結成した。

 日本の警察はもちろん、進駐軍にも募集されないようにするには、それだけ強力な団体ができるまで、徹底した秘密主義である必要があった。

 部下には完全な緘口令を敷き、徹底した戒律を課すことで、秘密漏洩を防ぐ。今の時代の個人情報保護などという生易しいものではなく、漏洩すればたちまち彼らの存続は水泡に帰すとばかりに、まるで封建時代、築城の際に、完成したおり、その秘密を知る人間を、完成の記念祝賀会と称し、酒にご馳走でもてなした際、実は毒入りを食べさせ、すべてを暗躍のうちに抹殺してしまったという歴史を証明したようなものである。

 何とも冷酷無残なやり方であるが、そうでもしないと自分たちが生き残っていけないということであった。生き残るためには手段を択ばないことは決して仕方がない時代だったのである。

 そんな結成までのやり方が、それぞれの人間をより冷酷にしたのかも知れない。

「こうしなければ生き残れない」

 という口実の元であれば、何をやっても仕方がない。

 中には下剋上の発想で行われたこともあっただろう。黎明期というものはそんな宿命を背負った時代だということの証のようなものではないだろうか。

 それが、次第に、

「稀代の殺人軍団」

 と呼ばれる組織に、成長していったのである。

 彼らの資金源は、半分は宗教団体であり、半分は反社会的勢力にありがちなやり方で、その形式がそのままこの軍団の体勢を表していた。

 宗教団体としてのやり方は、いわゆる布教活動に伴って、「お布施」を取ったり、信者に奉仕という形で仕事をさせたり、あるいは怪しげなものを信者に限らず一般に売りつけたりするものだった。そのために、占い師であったり、手品師などのいかがわしいと思えるような連中を仲間に引き入れ、彼らに世間を欺き、信じ込ませる役目を負わせていた。それによって入ってくる収入もバカにはならなかったが、それ以上に、反社会的勢力には限りがなかった。

 前述の「みかじめ料」を皮切りに、同時の朝鮮戦争の特需にあやかって、鉄を集めたりしていた。当時はやり始めたパチンコなどの玉の交換に先んじて手を出し、莫大な収入を得ることにも成功し、さらに密輸にも手を出して、いわゆる「白い粉」での商売が、莫大な利益を生み、そこで進駐軍などとパイプを持つことにより、密輸したものを「捌く」ことにかけて、事欠かない。

 そうやって当時できる限りのありとあらゆる方法を使って金儲けすることで、次第に軍団の底力を手に入れていったのだ。

 金さえ手に入れば、あとは人脈によって、自分たちを守ってくれる手配をし、さらに自分たちで自衛軍を組織することもできるようになる。そしてさらに商売を広げていくという方法で、宗教団体として、反社会的勢力として、それぞれで成長していくのであった。

 また彼らが法律を逃れることができたのは、この半分半分の体勢がうまく機能していたと言ってもいいだろう。

「宗教団体」

 と見られていれば、反社会的勢力からは、別の団体だと思われ、逆に、

「反社会的勢力」

 と見られていれば、宗教団体からも、別の括りだと思われる。

 それは、

「獣に出会ったら、自分は鳥だといい、鳥に出会ったら、自分は獣だと言って逃げ回っているコウモリに似ている」

 と言えるのではないだろうか。

 最初はこのコウモリ的な発想はなく、金銭面の獲得から、宗教団体と反社会的勢力の二方向から出来上がっていったが、自衛という意味でもこの体制がうまくいくというのは、彼らにとっては、

「棚からボタ餅」

 という意味で幸せだったのかも知れない。

 こんな軍団が本当に目指したのが何だったのか、実は途中でいくつも変換していったようだ。

 時代的にも激動の時代なので、何を目指すべきか、どんどん変わっていっても無理のないことであり。逆にそれだけ社会順応性が高くないと、激動の時代では生きていくことができない。

 この時代は、すり抜けるように世の中を渡っていく人が、案外生き残っていけるのかも知れないが、それはあくまでも個人であって。やはり団体ともなると、すり抜けるような生易しいやり方で切り抜けていけるほど、甘いものではなかった。

 さらにこの軍団が線形の明があったというのは、女性の軍団員が結構いたということである。

 しかも、その中には幹部になる人もいて、

「才能があれば、男女関係なく上に上がれる」

 というのも、この軍団の特徴であった。

 組織体制も先見の明と言ってもいいのだろうが、当時の時代背景から見られる会社組織などとは少し違っていて、後年に見られるような会社組織に近かった。

 秘密結社なので、ハッキリと公言しているわけではないが。その構成は平成の世の中でも十分に通用する者であった。

 女性があるグループの頂点にいると、実際にうまく機能するグループが結構目立った。それを見て、女性に目をつけたのが、宗教団体としての組織の方だった。

「教祖ともいうべき人を女性にすればいい」

 という考え方であるが、その女性が本当に力がなくてもいい。

 一種のお飾りであってもいいと思っている人もいたくらいで、女性の言葉が男性にはよく効くということが分かっていて、

「洗脳するには、女性からの力に頼るのがいい」

 という考えが宿ってきたのだった。

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