第3話 檜渥

「何をしに来た?」


 声がどこからするのか、一瞬わからなかった。見上げると、目付きの鋭い少年が見おろしていた。濃い紫色のセーターと細身のジーンズが背を一層高く感じさせる。


「ええと、二階を見せていただこうと思って」


 挨拶をつぶやきながら少年の脇をすり抜ける。少年が体で遮ろうとしたが、現一狼の方が早かった。


「待て」


 戸惑った声と共に、腕をつかまれる。少年が眉を寄せて現一狼を見ていた。腕を引いてみるが、簡単に外せそうにない。かなり力があるようだ。


「ちょっとだけですから。二階、いいでしょう?」


 少年の視線は現一狼を疑っている。


「あんた、何者だ」


 それを聞いて現一狼は小さな笑いを漏らしそうになった。

 少年の表情と言葉がぴったり合っている。

 

 ――見た目より正直な人だ。

 

 お礼に少年の腕を軽くひねり、外す。少年が腕を押さえ、意外そうに目を見開く。現一狼は笑顔になって答えた。

 

「一応、武術をやっています。簡単には捕まりませんよ」


 しかし、少年は闘志を失っていなかった。軽く身構えた姿からは、いつでも現一狼に飛びかかることができる俊敏しゅんびんさがうかがえる。


 ――刀を扱う錦さんといい、彼といい、ひのき家には防犯に役立ちそうな人が多い。


 呑気のんきな感想を抱いたときだった。


「わかるよ」


 渥が不意にニヤリとした。

 

「わかるって何がです」

「あんたのそのピアス、金属製だろう?」


 渥が自分の耳たぶを指でつまんだ。

 

「どうやら、片方に二枚のきんさつがぶら下がっている。当然、動けばぶつかり合うはずなのに、まったく音がしない。金札がぶつからないように動く修行でもしているのか? ああ、あと羽織紐についている紋も、金属か?」


 ――短い時間で、余計な観察をする。


 現一狼がいらだちに気を取られた瞬間、背後から何かが突進してきて、めにされた。失策しっさくだと気づいたときには遅かった。

 首をねじると、後ろに中年の男がいるのがわかった。ぴったり首に張りついたワイシャツのえりには、ちょうネクタイが結ばれている。

 錦が言っていた執事は、彼なのだろう、と現一狼は合点がてんする。

 

「執事さん、僕、そんなに怪しい者じゃないんです」


 現一狼は締めつける男の腕を引き離す。ほっとする間もなく、渥に床に押さえつけられた。


「馬鹿野郎。日曜日の朝っぱらから二階に上げろなんて奴のどこが怪しくないんだ! うちはモデルハウスじゃないぞ」


 逃れるのは容易ではなかった。関節をしっかり押さえられている。


「落ち着いて、渥さん。僕は錦さんにちゃんと」


 言いかけたとき、穏やかな声が渥を止めた。


「放すんだ、渥。その人は、僕が招き入れた客だ」


 渥が現一狼の上から退いた。

 振り返ると、錦が玄関の扉を閉めていた。


「どうかしましたか?」


 のんびりとした女性の声がした。

 玄関に近い部屋から、ふっくらとした女性が顔を覗かせる。ひっつめた髪と古風な割烹かっぽうが、また、時代を一つさかのぼるような印象だった。

 その後ろから、小柄な少女が顔を見せた。シャギーでないボブは、おかっぱ頭というに近く、こちらも昭和を感じさせる。

 錦の言っていた使用人二人、とは彼女たちのことだろう、と現一狼は当てを付けた。

 

 錦が執事に顔を向けた。

 

「岩田さん、お茶をれてください」


 先程の部屋から少女が飛び出してきた。


「お茶なら、私が」


 錦が苦笑するように微笑ほほえむ。現一狼も肩をすくめた。


「由希ちゃん、聞いていたのか」


 渥がつまらなそうに話しかける。

 それを聞いて吹きだした現一狼を、渥がにらんだ。由希は済みませんとつぶやいて、部屋と反対側の奥へ廊下を走っていった。中年の女性が愛想笑いをして、後を追いかけようとした。

 

「待って。ひろ子さん、屋敷を案内してください。……このかたは我が家から死体を発見してくれるそうだ」


 短い悲鳴が、ひろ子から上がった。表情は恐怖に強ばっていた。執事の岩田を見ると、怒った目でにらんでいる。


 ――彼らは、驚いたのではない?


 渥を見ると唇の端を噛んでいる。


 ――禁忌に触れたのだ。

 

 気がついて錦を見つめる。顔色が悪い。

 渥が怒鳴った。

 

「そんなもの、あるわけねぇだろ!」


 声が、わずかに震えていた。

 現一狼は渥を眺める。彼を問いつめれば、何か引き出せるのだろうか。だが、頑なな目で、渥は見返してくる。この少年には似合わない、小暗さ。

 ぴしりと音がした。錦が草履ぞうりを脱ぎ、床板を踏みしめて家に上がった音だった。


「死体があるとすれば、我が家では一カ所に決まっているんですよ。現一狼さん」


 彼は緩やかに顔を上げる。

 背後で気配が揺らいだ。見ると、岩田がにらんでいた。

 

「あんたが、今の現一狼なのか?」


 執事らしくない口調だった。

 確かに「現一狼」はある武道道場の長に与えられる名だ。だから「今の」と但し書きされても仕方がない。現一狼がこの名を継いだのは四年前だった。

 

 ――前の現一狼とは、どんな関係だったんだ?


 岩田に尋ねようとしたとき、錦が言った。


「ごらんになりますか」

「ええ、その場所に、案内してくれますか」

「どうぞ、こちらけ」


 錦が背を向けて歩きだした。


「二階です。現一狼さんの予想通りに」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る