第42話 振り向いたって誰も転がらないや

 大きく切り取られたような硝子窓から、眼が灼かれてしまうかのように、陽光が眩く入り込んでいる。

 草花を描いた繊細な刺繍が美しい豪奢なカーテンの端から、裾と袖の長い独特な衣服を身に纏った少女が一人、外を眺めている。

 その気の弱さを体現するかのように、両手をぎゅうと握り締めて俯くと、頭につけた金の髪飾りが動きに合わせてしゃらしゃらと鳴った。


「ねえ、クラエ。勝手にこんな事をしたら、怒られないでしょうか」


 振り返る少女の視線の先には、白を基調とした部屋の端、白い机に向かってつまらなそうに頬杖をついて本を読む少年の姿がある。

 年齢が近いからと揃えられた服装に、似てはいるが微妙に違いのある色彩の髪色、父譲りの吊り目がちな目。

 少年は大袈裟な程に溜息を吐き出すと、肘掛けに腕をかけ、尊大な態度で少女を見た。


「本当だったらお母様がかわいそうだって、アムラが言ったんじゃないか」

「それは……、そうですけど」


 少年の言い分を、少女は覆す事など出来る筈もない。

 行動を起こしてしまったのが彼だとしても、自分が言い出してしまった手前、引っ込みが付かないのだ。

 少女はしおしおと肩を縮こませると、窓へと顔を向けて、深く長く息を吐き出した。


「……、プリムお姉様」


 本当に、いらっしゃるのかしら。

 少女はそう呟いて、透き通る青い瞳で窓の外を見た。

 淡い白で統一された街並みは、太陽の光を反射していて眩く、沢山の人々が行き交っている。



 *** 



「ねえ、ノル。リグレット知らない?」


 グレイペコーが部屋の中を覗き込むと、机に向かっていたノルがふっと顔を上げた。

 時刻は既に昼を過ぎていて、昼食をとり始める人々が動き出すので、伝言局の中は騒がしくなっている。

 特殊配達員でしか入れないこの部屋にも、この時間帯には時折誰かの笑い声が届いてきていて、いつもの穏やかな日々であるのは間違いないけれど、どうしたってこういう時に限ってイレギュラーな事ばかり起きるのだろう、とグレイペコーは思わず重苦しく溜息を吐き出した。

 ノルは手にしていた書類を丁寧に整えてから、緩く首を振っている。


「いや、こっちには来ていないが……」


 もしかしてまた何かあったのか、とノルは眉を顰めていて、グレイペコーは曖昧に頷きながら、彼の側へと近付いた。

 過保護であるのはわかってはいても、先の事件に巻き込まれている以上、心配になってしまうのは仕方ないだろう。


「何かっていう程ではないんだ。ただ、お昼ご飯を買いに行ったきり帰ってきてなくて。心配のし過ぎかなとは思ったんだけど……、いくら何でも遅いよね?」


 キナコも一緒に行かせたから平気だとは思うんだけど、と困ったように眉を下げてそう言うと、ノルはポケットから金の懐中時計を取り出して、時刻を確認している。


「……、確かに遅いな」


 普段ならば、買ってきた昼食を食べ終えてのんびりしている頃だろう。

 一度無断で三区へ行ってしまった事を除いては、リグレットが勤務時間中にいなくなるなんて事はない。

 まさかまた何か巻き込まれているのではないか、と額を抑えているノルの気持ちを痛い程に感じ取ったグレイペコーは、腰に手を当てて、また一つ溜息を吐き出した。


「だよね。ちょっと探してくるよ」

「ああ、頼む」


 ノルに手を振り、グレイペコーが部屋を出ようと入り口へと足を向けると、ぞんざいなノックの音と同時に扉を開いて現れたのは、イヴルージュだ。


「ん、ペコーもいたか」

「イヴ、もしかして城へ行くの?」


 いつもなら気崩している紺色の制服にきちんと袖を通し、外套や飾緒まで身につけたその姿に、グレイペコーは赤眼を瞬かせた。

 彼女がこうした姿をしているのは、それなりの場所に立つ時だけだからだ。


「そ。行くのが面倒臭くって逃げ回ってたんだが、とうとう呼ばれちまったからな」


 そういうわけだから悪いが後は頼むな、とノルに声をかけると、彼はしっかりと頷いた。

 イヴルージュは心底面倒そうに顔を顰めていたが、自分の身なりを見下ろすと、ぱっと両手を胸元に当てて、笑顔で二人に問いかけてくる。


「それより、久しぶりに着てみたけど、どうだ? 似合ってるだろう?」


 適当に何度か頷いたノルが視線を向けてくるので、応対が面倒になったんだな、と悟り呆れたように溜息を吐き出したグレイペコーは、イヴルージュに近付くと、息苦しさから態と外してあるのだろう一番上の釦を甲斐甲斐しく留め直しながら、にっこりと笑った。

 普段着崩している制服をしっかりと着こなすだけで、彼女の強かさや艶やかさが際立っている。


「うん、とても似合っているし、とびきり綺麗で格好良いよ」


 グレイペコーの反応に、イヴルージュは満足したのだろう、満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに何度も頷いている。

 家にいる間はもっとずっとだらしがなく、スリップドレス一枚でうろうろしている事さえあるのだ。きちんとした格好をしているだけで、普段の何倍も綺麗で威厳のある姿に見えるのは、決して嘘ではない。


「それより、城に呼ばれたって……、今度は一体何をしたの?」


 城内に関するイヴルージュの噂で、碌なものはない。

 喧嘩を売ってきた軍務大臣を言い負かして半泣きにさせただとか、皮肉を言ってきた貴族を後ろから蹴り飛ばしただとか、本当か嘘かわからない悪行が広まっているのだ。

 本人に真相を聞いてみても、のらりくらりと躱されて、どれが本当か嘘かも全くわからないのだけれども、彼女の事だからどれもこれもやらかしていそうで、グレイペコーもノルも思わずげんなりとした表情を浮かべてしまう。


「人聞きの悪い。今回は正式なお呼び出しだよ。ほら、王妃様から茶会のお誘いを受けたんだぞ」


 ひらひらと右手に持つ招待状をひけらかしている。

 上質そうな紙を使った封筒には、王家を表す紋が押された封がしてあるが、グレイペコーはあまりそういったものを目にした機会はない。

 彼女の言葉が本当かどうか疑わしさを感じてノルにそっと視線を向けると、彼はすんなりと頷いているので、どうやら本物なのだろう。

 伝言局だって暇ではないのに、お茶会に呼び出すなんて、偉い人達というのはよっぽど暇なのだろうか、とグレイペコーが呆れて溜息を吐き出すと、イヴルージュがそっと頰にかかる髪を退けてくれている。


「ペコーこそ、どうした?」


 金の睫毛に縁取られた、揃いの赤い瞳が心配そうに覗き込んでくるので、グレイペコーは緩やかに頭を振って、「リグレットが昼食を買いに行ったきり帰って来なくて」と告げた。

 イヴルージュは唇に指を添えて暫し考え込んでいたが、やがて顔を上げると、にこりと音が鳴りそうな程に笑みを浮かべている。


「ああ、それならあたしが連れて帰ってくるから、大人しく待ってな」

「イヴ、リグレットがどこにいるのか知っているの?」


 グレイペコーの問いに、イヴルージュは何故か「ふふん」と楽しそうに笑って、手にしている招待状をひらひらと揺らしていて。


「内緒」

「はあ?」

「……」


 呆れた顔をして彼女を見れば、ノルも同じような顔で緩く頭を振っている。

 うちの子は非難する視線すらかわいい、などとふざけた事を言うイヴルージュに向かって、二人は揃って深々と溜息を吐き出していた。

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