第30話 対峙
逃げ惑う人に突き飛ばされ、もみくちゃになりながら宮殿にたどり着いた時には、すでに空は夕闇に包まれ始めていた。あれだけいた飛行機はいつの間にかいなくなっていたが、空襲を受けた建物の火災は留まるところを知らず、すさまじい勢いで延焼を続けている。
時々、焼き殺されそうな熱風に襲われたせいで、アイリーンの髪の毛はぼさぼさに、服も顔も煤だらけになってしまっていた。
もともとの服があまり状態のいいものではないので、宮殿にたどりついた時のアイリーンはさながら幽鬼のよう。これでは宮殿の中に入るのは無理かと思いきや、宮殿も建物だけではなく庭園や塀などにも被害が出ており、消火と救助活動でそれどころではないらしい。
あっさりと入り口を突破し、アイリーンは崩れた部分から真っ赤な炎を上げている建物の中に入った。
建物の中は避難が進んでいるのか、人気はない。
――どこにいるの、ジェラルド!
アイリーンがレティシアを傷つけたことでジェラルドも何らかの責任を問われているのだとしたら、どこかに閉じ込められている可能性がある。アイリーンが知っているのはあの地下牢しかないので、とりあえずあの地下牢を目指すことにする。
記憶を頼りに宮殿の中を走る。遠くで爆発音が響き、炎が廊下を照らす。アイリーンがいるあたりもいつ炎が回ってくるかわからない。とにかく急がなくては。
ジェラルドに抱っこされて歩いた道順だ。覚えている。一度しか通っていないのになぜかきちんと覚えている。背の高いジェラルドと歩いて、安心感を覚えたこともはっきりと覚えている。
あれはほんのひと月ほど前の出来事。
まさかこの宮殿が空襲を受けるなんて思わなかった。
――どこ。ジェラルドはどこ。この先にいるの?
覚えている廊下を曲がったところ、建物が大きく崩れていた。爆撃を受けたらしい。
――通れない……!
ここを迂回するとなると、どこから行けば……。
困ってきょろきょろしていた時だった。うめき声が聞こえてきた。
はっとなって振り返る。人がいる。どこに?
「誰かいるの? いたら返事して!」
アイリーンが呼びかけると、瓦礫の下からうめき声が再び聞こえてきた。
アイリーンが駆け寄ると、手だけが瓦礫から突き出している。その手が助けを求めるように動き、瓦礫の奥から「助けてくれ」という声が聞こえてきた。
アイリーンは手で瓦礫をどかし始めた。あまりに多いと一人では無理だな、とは思ったが、意外なことに瓦礫の量は少なく、アイリーンが半分ほどどかしたところで、中に埋もれていた人物が自力で這い出してきた。出てきやすいように、アイリーンが体を引っ張ると、出てきた人物が瓦礫の山から崩れるように廊下に転がり落ちる。
近くに落ちた爆弾の爆風に吹き飛ばされ体全体が瓦礫に埋もれてしまい、身動きができなくなっていたらしい。
「ああ、助かった。ありがとう」
礼を述べ、顔を上げる。体は埃まみれで服もところどころ破れてはいるが、体は無事そうだ。壮年の男性だった。おや、見覚えがある。
向こうも同じだったようで、アイリーンを見つめてしばらく固まっていた。
「……竜の国の娘さんじゃないか。地下室に放り込まれていた」
ややあって、男性が口を開く。
「やっぱり。あの時のおじさん!」
アイリーンが宮殿の地下に放り込まれ、ジェラルドが助け出しに来てくれた時、立ち会った壮年の男性だ。
「ねえ、おじさん! ジェラルドがどこかにいるの。どこにいるか知らない? 探してるの」
「……将軍ならこの先、おまえさんが放り込まれていた地下室にいるよ。陛下のご命令でそこで待機ということになってな。そこにこの攻撃だ。ジェラルド殿下は黒衣の将軍と恐れられる方だからなんとかしてくださるだろうと、助けに行こうとしたところで、このざまだよ」
壮年の男性が、先ほどまで自分が埋もれていた瓦礫の山を見る。男性が抜けたことで少しだけ瓦礫が崩れ、わずかに隙間ができていた。
「……この先にいるんだね。まだ閉じ込められたままなんだね。じゃあ僕が行ってくるから、おじさんは避難して」
アイリーンはそう言うと、瓦礫の山に飛びついた。
「待ちなさい!」
軽やかに瓦礫の山を登り始めたアイリーンに、男性が慌てたように声をかける。振り返ると、ポケットから鍵の束を取り出してアイリーンに渡した。
「これが地下室の鍵だ。ジェラルド殿下がどの部屋にいるのかはわからないが」
「ありがとう」
アイリーンは鍵を受け取ると、ポケットにしまい込んだ。そして今度こそ瓦礫の山を登り、隙間に頭を突っ込んで突破を試みる。
頭から突っ込んだので、なんとか反対側に体を通したアイリーンは頭から瓦礫の山を転がり落ちる羽目になった。
だが、通り抜けることはできた。体が軽く、華奢なアイリーンだから通り抜けられたようなものだ。宮殿の構造はよくわからないから、帰りは別ルートをジェラルドに案内してもらおう。
アイリーンは再び駆け出した。
瓦礫の反対側は、さっきよりもひどい有様だった。
あちこちが崩れ、近くまで火の手が迫ってきているのか、かなりの高温だ。しかも時刻は夕暮れ、火災の明かり以外は光源がなくてかなり暗い。
空襲そのものは収まっているようだが、早くしないと火の手が回って逃げられなくなってしまう。
記憶を頼りに廊下を走り、階段を駆け下りる。
地下牢は、ドアに窓の類はなく、似たようなドアが並んでいてどこにジェラルドがいるのかわからない。
「ジェラルド――! どこにいるの!」
アイリーンはあらん限りの声を出して叫んだ。
「返事して、ジェラルド! 僕だよ、アイリーンだよ!」
「アイリーンか!?」
どこか遠くから声がした。続いて鉄製の扉を叩く音。アイリーンは音のするほうに走った。
「ジェラルド!」
「俺はここだ!」
音のするドアの前で名前を呼べば、懐かしい声とともに大きな音がする。ドアを叩いているのだろう。
「待って、鍵を持ってる。……どれだろう」
アイリーンはポケットから鍵の束を取り出し、目を凝らした。何か文字らしきものが刻んであるのだが、何しろ暗くて見えない。
「鍵? よくそんなものを手に入れることができたな」
ジェラルドが感心する。
「さっき、ここの鍵を持ってるおじさんが瓦礫に埋もれてたのを助けたんだ。おじさん、ジェラルドを助けに行こうとして吹き飛ばされて、埋もれちゃったんだって」
「ああ、さっき至近距離で爆発があったな。そうか……鍵の数はそんなに多くないだろう? かたっぱしから試してみろ」
「でも部屋の数より鍵の方が多いんだ。ほかのところのも一緒になってるんだと思う」
「大丈夫、まだ時間はあるからゆっくり、一本ずつ試すんだ」
「う、うん」
ジェラルドに励まされ、アイリーンはかたっぱしから一本ずつ差し込んでいくことにした。
一本目、違う。二本目、これも違う。三本目……違う。四本目……と、焦るあまりに鍵の束を落としてどこまで試したかわからなくなってしまった。なんてことだ。
「焦るな、アイリーン。まだ大丈夫だ。ゆっくり、落ち着いてやればいい」
「わ、わかった」
アイリーンは気を取り直して、再び一本ずつ鍵穴に差し込み始めた。鍵穴の場所も暗くてわかりにくくなってきたので、ドアの前に跪いて試していく。
「……なぜここへ来た。俺が地下に放り込まれていることがわかったのか?」
しばらくして、ジェラルドが聞いてくる。
「わかったわけじゃないけど、そんな気がしたから。それに……竜の国から迎えが来たんだ」
「迎え?」
「……うん。僕は、竜神の花嫁というやつらしい。竜の国に帰らなくちゃいけなくなった。それで、最後に、どうしてもジェラルドに会いたくなって。会えるとは限らないのに、こっちへ来ちゃった」
「竜神の花嫁? アイリーンが?」
ジェラルドが聞き返してくる。
「僕が竜の国を出たあと、グラード王国の使者が竜の国に来たんだって。竜の国は、竜神が守っているから外の人間は簡単に入れないはずなんだ。ジェラルドたちのこともおかしいと思われていたんだけど、グラード王国の使者が来たことで、いよいよおかしいって。竜神の加護があるのに、って」
アイリーンは先ほどドルフから聞いた話を伝えた。
ヴァスハディア帝国に続き、グラード王国の使者が来たこと。同じように服従を求められていること。従わなければ竜の国を焼き払うと言っていること。アイリーンを差し出したのにヴァスハディア帝国が守ってくれなかったことから、竜の国はグラード王国につこうとしていること。
そして竜神の弱まった力を取り戻せるのが、竜神の花嫁である、ということ。
「まだ僕がその竜神の花嫁かどうかは、はっきりしてないんだ。でも戻らないことには話が進まないから、僕……ジェラルドを助けたら、竜の国へ帰るよ」
鍵の束は半分くらいまで進んだ。でもまだ「当たり」が出ない。もしかしたら、こうして話している時間がジェラルドと過ごす最後の時間なのかもしれない。そう気づくと、「当たり」が出るのはもっと遅いほうがいい。そんな気さえしてきた。なんて自分勝手なんだろう。
「竜の国には見張りをつけていたんだが、そうか。グラード王国に出し抜かれたか。この空襲もグラード王国によるものだろう……最近おとなしくしていると思ったら、航空戦力を蓄えて総攻撃の機会をうかがっていたんだな」
ジェラルドが悔しそうに呟く。
「だが俺の領域に踏み込んできたことは許さない。必ずグラード王国は追い払う。この国からも、竜の国からもだ」
「頼もしいね」
次の鍵を試しながらアイリーンが答える。
「それにしても、どうやって竜の国に帰る? 迎えの人間はどのルートで来たんだ」
「たぶん普通に山を下りて来たんだと思うよ」
「陸路なら、ここから竜の国まではひと月はかかる。飛行艇で送ろう。来る時に乗ったやつだ。半日もあれば竜の国につく。北部軍の基地が無事であればいいが」
「僕に軍用機なんて使っちゃってもいいの?」
「いいに決まっている。アイリーンは竜の国の姫だろう。……それで、アイリーンは、もう、ヴァスハディア帝国には戻らないのか? 竜神の花嫁とやらは、何をするんだ」
ジェラルドが聞いてくる。
「……たぶん、戻れないと思う。わからないけど……どのみち……僕は、二十歳までしか生きられないから、もう最期まで竜の国にいることになるんじゃないかな……」
かしゃん、と差し込んだ鍵に手ごたえがあった。
ゆっくりとドアが開く。
中からジェラルドが現れた。髪の毛を上げて、黒い軍服を着て、マントをまとっている。アイリーンとは違い、そこまでくたびれた印象もない。追い詰められてもこの人は凛とした姿を損なわないんだな、と、なぜだかアイリーンは誇らしくなった。
「……初めて会った時のかっこうだね。黒衣の将軍」
アイリーンが微笑むと、ジェラルドの大きな手がアイリーンに伸びてきた。
「アイリーンは、初めて会った時よりひどいかっこうだ。外は、恐ろしいことになっているんだな」
力いっぱい抱きしめられる。もう二度と会えないと思った。こうして抱きしめてもらうこともないと思った。嬉しくて、アイリーンはジェラルドの体に腕を回す。にじんできた涙を軍服に押し付けた。
「アイリーンが来てくれるとは思わなかった。ここで焼き殺される運命なのかと半ば諦めていた。アイリーンは俺にとっては女神だ」
「こんなボロボロの女神なんていないよぉ」
「いいや、アイリーンは女神だ。断言できる。ああ、だから竜神のやつが花嫁にと望んだんだな。残念だったな。アイリーンは俺の妻だから竜神にやるわけにはいかない」
「何言ってるんだよ、もう。早く逃げよう。宮殿は火の海なんだ、のんびりしてたら逃げ道がなくなっちゃう」
ジェラルドの言葉がくすぐったくて、アイリーンは話題を変えた。
「いいか、アイリーン。前にも言ったが俺は多情ではない。妻は一人でいいし、約束を違えるつもりはない。そなたは俺が気に入った唯一の娘だからな。おそらく俺の生涯で、そなたを超える女に出会うことはないだろう。……つがいがいない竜族の寿命については、俺も知っている」
「……え?」
最後に付け加えられた告白は予想外で、抱きしめられたまま、アイリーンは小さく驚きの声を上げた。
「運命は、そなたにとってずいぶん過酷だな。……俺がアイリーンにできることは多くはないが、俺の名にかけて竜の国は必ず守る。アイリーンが我が身を差し出しても守ろうとした国だからな」
泣くつもりなんてなかったのだが、ジェラルドの言葉にアイリーンは堪えきれず、嗚咽をもらした。
エルヴィラの代わりになろうと思ったのは、どうしても生まれてきた理由がほしかったからだ。ただ早死にするために生まれてきたなんて悲しすぎる。けれど二十歳までしか生きられない体で果たして国を守ることができるのだろうか? そう不安に思ったことは確かだ。
その不安がジェラルドによって解消された。
ああ、もう、思い残すことはない。
ジェラルドに会うために生まれてきたんだと思えた。ジェラルドに会えたことでアイリーンの運命は好転した。国を離れる時に願った通り、アイリーンの行動によって国を救うことができる。
「ありがとう……ジェラルド……!」
万感の思いを込めて呟けば、スッとジェラルドがアイリーンを抱きしめる腕の力を緩めた。泣き顔を大きな手が包んでくれる。ジェラルドの黒い瞳がアイリーンを見下ろす。
「……どうして俺は、アイリーンのつがいではないんだろうな……」
ジェラルドが苦しげに呟く。
「竜族しかアイリーンを大人にしてやれないんだろう? なぜ俺ではいけないんだ」
「ジェラルドは僕のつがいだよ。間違いなく、僕にとってはたった一人の運命の人だったよ。あなたに会えてよかった。大好きだよ」
伝えたいと思っていた言葉も言えた。
「僕はほんの少し早く逝くけれど、ジェラルドはゆっくりしてきていいからね。そして誰よりも幸せな人生を……」
「俺の人生は、そなたとともにある。忘れるな」
アイリーンの言葉を遮り、ジェラルドの顔が近づく。
夕闇の中での口づけは、涙の味がした。
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