第21話 証明1
言うなり、ジェラルドの顔が近づいてきて唇が重ねられた。
突然のことに、アイリーンは頭が真っ白になった。
この人は何をしているの? なぜ自分に……これは、つがい同士でやるものだ。どうして……なぜ……。
ジェラルドはアイリーンの唇をしつこく啄む。呼吸が苦しくなって喘いだ瞬間、ぬるりとジェラルドの舌がアイリーンの口腔内に入り込んできた。
驚く間もなく、ぬるつく舌先がアイリーンの舌に絡みつく。唇を啄まれていた時には感じなかった寒気にも似た感覚が、全身を駆け巡る。
――何、これ。なんなの?
執拗に舌を絡められる。体温が上がる。本当はいろいろ考えなければならないと思うのに、ジェラルドが送り込んでくる刺激に思考が飲み込まれて、何も考えられなくなる。
「嫌な気になったか?」
さんざんアイリーンの口腔内を舌先で撫でまわしたあと、唇を離し、ジェラルドがアイリーンを覗き込みながらたずねる。
アイリーンはふるふると頭を振った。嫌な気分にはならない。でも変な気分にはなる。怖いような、いけないことをしているような、でもこの人と一緒なら踏み込んでみたいような……なんと表現したらいいのかわからない。
「と、いうことは、俺は少なくとも嫌われてはいないようだな。無理強いは好きではないんだ」
ジェラルドの指がアイリーンの唇をなぞる。ざらざらとした指先の感触に、総毛立つ。
「アイリーンは自分を出来損ないと言う。体つきが幼いことを指しているのなら勘違いも甚だしい。俺が、本物の子どもに惚れたり欲情したりするわけがないだろうが」
ジェラルドが言うなり再び口づけてきた。それだけでなく彼の指先がアイリーンの胸元のリボンにかかる。
あっと思う間もなくリボンがほどかれ、胸元が大きくはだけられた。そこから大きな手が滑りこんできて、肌を撫であげる。普段は誰にも見せない部分に他人の体温を直に感じて、猛烈な恥ずかしさがこみ上げる。離してほしくて身をよじり、ジェラルドの体をどけようとしてみたが、まったくびくともしない。
ジェラルドの指はただ体をなぞっているだけだ。それだけなのに、体がビクビクと小刻みに震える。
「……ちゃんと感じるじゃないか」
唇を離し、ジェラルドが嬉しそうに言う。
「か、感じるってなんだよ。爪の先が当たってくすぐったいんだよ」
ろくに抵抗もせず刺激を受け入れていることを指摘され、アイリーンは恥ずかしさのあまり涙目になりながら文句を言った。
「くすぐったいだけか? ずいぶん体がポカポカしてきているから、たぶんそれだけではないと思うが。もしかして閨の知識は持っていないのか?」
ジェラルドが多少の驚きを交えて聞いてきた。
「も……持ってないわけじゃないけど、姉さんも肝心なところは曖昧にしか教えてくれなくて」
「姉上に聞いたのか。それは、教えにくいだろうな。俺が連れ出さなかったら皇帝相手にどうするつもりだったんだ」
ジェラルドが呆れる。
「竜族以外が嗅ぐと眠くなるお香をもらってきてるから、それを焚こうかと」
「賢いな。お香とは目の付け所がいい。それなら役人の監視もすり抜けられそうだ」
ジェラルドの手がナイトガウンをめくり上げる。
「ちょ……ちょっと!」
慌てるアイリーンをよそに男の手はアイリーンの太ももを撫でまわす。
「ど、どこ触ってんだよ! いやらしいな!」
さすがに慌ててアイリーンが叫ぶ。
「いやらしい、ね。この程度でいやらしいなんて言っていたら、今夜は何度も気絶しそうだな。それはそれで楽しそうだが」
「た、楽しい!?」
「夫の要求に応えるのも妻の役割のひとつだ。この国の男は何人でも妻を持つことができるが、俺は多情ではないから、妻は一人と決めているし、妻以外とこういうことをするつもりはない。恥ずかしさに悶絶するのも気絶するのも自由だが、そこは覚悟しておけ」
「は……はあああ?」
言うなり、ジェラルドが大きくはだけたナイトガウンを脱がしにかかった。そうか、妻になるとはそういうことか……と納得しかけ、いやでも待って、やっぱりおかしくない? 急過ぎない? 僕、妻になるなんて一言も言ってなくない? あ、これに関しては国同士の取り決めだから僕に拒否権はないんだっけ……などと心の中で騒いでいるうちにナイトガウンがはがされる。
あらわになった裸体に大きな手が遠慮なしに触れてきて、アイリーンは声にならない悲鳴を上げた。
ジェラルドはただアイリーンの肌を撫でているだけだ。それだけ。素っ裸を見られている恥ずかしさはあるが、行為自体は撫でられているだけなのに、体の力が抜けて抵抗らしい抵抗ができない。
これはどういうことだ。
ジェラルドの指が腹から胸にかけてゆっくりと往復する。猫の背中を撫でているようなものだと自分に言い聞かせても、心臓が早鐘を打ち呼吸が乱れる。体中が熱い。こんなのおかしい。ただ撫でられてるだけなのに。
おかしくなる自分も認めたくないが、何より、おかしくなる自分をジェラルドに見られるのが恥ずかしい。
「感じているということだ。感じてほしくて触れているのだから、恥じることはない」
顔を真っ赤にして俯いてしまったアイリーンに、ジェラルドが声をかける。
「死ぬほど恥ずかしい。もうやめよう、僕ではジェラルドの妻役なんて務まらない。第一、この体は子どもを生めないんだ」
「妻役? 俺はアイリーンのほかに妻を迎える気はないぞ」
ジェラルドが手を止めてアイリーンの瞳を覗き込む。
「できるだけ優しくするから、そうガチガチになるな」
「む……無理言うな!」
叫んだ瞬間、大切なことを思いだした。
「そ、そういえば初めての時は血が出るって姉さんが言ってたけど、……竜族の血は、竜族以外には猛毒なんだ。ジェラルド、死んでしまうよ……」
エルヴィラに注意されていたっけ。ジェラルドにもしものことがあったら大変だ。
「毒?」
「だからお香を持たされたんだ……間違って皇帝を死なせてしまわないように。外交問題につながるからって」
「なるほどな。しょせん噂だと話半分にしか聞いていなかったが、竜族の血には不思議な力があるというのは正しかったのか」
ジェラルドが感心したように言う。
「その噂は知ってる。そのせいで捕らえられることもあるから、国の外では竜族だとバレないように行動しなくちゃいけないんだ」
「そういえば、女王と竜神の花嫁は、別ものなのか?」
ふと思い出したようにジェラルドが聞いてくる。
「竜神の花嫁?」
「聞いたことはないのか? 生き血を飲むと不老不死になるらしいが」
「……聞いたことはないよ。竜神の花嫁だか何だか知らないけど、そもそも竜族の生き血は毒なんだから、不老不死になる前に死んじゃうと思う。竜族同士なら死なないと思うけど、不老不死になった人の話は聞いたことがない」
アイリーンが首を振ると、ふむ、とジェラルドは頷いた。
「竜神の花嫁というのは単なる噂にすぎないわけか。だが、竜族の血には不思議な力が宿るというのは本当で、触れなければ大丈夫。要するに、血を出さなければいいんだな? だったら大丈夫だ」
ジェラルドが言うなり、アイリーンをベッドに押し倒す。
上からのしかかられて再び口づけられる。押しのけようとした腕はジェラルドの両腕に囚われてしまった。
――ど、どうしよう。
ジェラルドは本気で、その、自分とする気なのだろうか。
するって何を? エルヴィラは、裸で抱き合うと言っていた。それを聞いた時、よく知りもしない皇帝とそんなことをするなんていやだなあと思ったけど、しかたがないと思った。我慢できるとも思った。しかし、いざその行為の片鱗を味わわされて思うのは「こんなこと、好きでもない人とできるわけがない!」だ。
――好き……?
不意に心に浮かんだその言葉に、アイリーンはぎくりとなった。
好きでもない人に体を好きにされるなんて耐えられない。でも、ジェラルドなら、恥ずかしくて死にそうだけど、いやでいやでたまらないということはない。
それはジェラルドがアイリーンのことを、出来損ないではないと言ってくれたから? 美しいと言ってくれたから?
ちゃんと、大人の女性として扱おうとしてくれているから……?
それだけ?
「俺にこういうことをされて、嫌な感じがするか?」
ジェラルドが唇を離して再び同じような質問をする。少し考えて、アイリーンは首を振った。
「ジェラルドは、その、楽しい? 僕みたいなのを相手にして。ジェラルドならもっと普通の、そう、普通の女の子を妻に迎えることだって」
「俺はアイリーンを選んだんだ。この選択を後悔するつもりはない。それに、無垢で素直なアイリーンはかわいい」
「……かわいいわけがない。女らしくないのに」
アイリーンはジェラルドから目を逸らした。
「かわいいものはかわいい。女らしくないとかわいくないというのは、間違いだぞ。見ろ、この真っ白な肌。痕を残さずにはいられない」
そう言いながら、胸の真ん中、心臓の上にジェラルドが唇を落とす。そのまま強く吸い上げられ、アイリーンは眩暈を感じた。
「ジェラルド、あなたの趣味はおかしい」
「なんとでも。どうしても手に入れたいと思ったものを手に入れて、今の俺は非常に気分がいいんだ」
ジェラルドが笑う。アイリーンは呆れつつ自分の胸元に目をやる。……赤いあざが、心臓の真上に残されていた。
見覚えがある。宮殿で身体検査を受けた時、女官たちに騒がれた「情交の痕」だ。
――まさか……。
あの時、ジェラルドはなんて言っていた? 皇帝に捧げるには惜しい。女官たちの報告を受けて皇帝の興味は削がれた。「この娘はもらい受ける」そう言ってジェラルドはアイリーンをここに連れてきた。
宮殿に行く前夜、アイリーンはこの屋敷に泊まっている。疲れていたところに発泡酒を出されてぐっすり寝てしまった。
何をされたって気付かない。翌日は下着の上から装束をまとって宮殿に向かった。自分の肌は見ていない。
そういえばジェラルドはアイリーンの体を見ても驚かなかった。それは、見たことがあるから?
「もしかして、身体検査の時の鬱血……」
思わず口に出して呟けば、ジェラルドの視線がこちらを向く。
黒い、夜の闇のような瞳と視線がぶつかる。
「……そうだ」
「なん、で……」
「皇帝に取られないために」
「そなたの名誉を傷つけたことは謝る。だがほかに思いつかなかった」
ジェラルドがアイリーンの肌に向かって囁く。吐息がくすぐったい。
「僕を引き取るために、痕をつけたの?」
「ああ。皇帝であろうと、ほかの男に取られたくなかったから」
アイリーンを利用するために助けたわけじゃなかった。ジェラルドは初めからアイリーンを連れ出すつもりで、騒動を起こしてくれていたのだ。
「いいか、アイリーン。よく覚えておけよ。俺が本気だということを」
ジェラルドがそう言うと、再びアイリーンの白い胸元に唇を落としてきた。
その夜、アイリーンはジェラルドからいやというほど「かわいい」と「きれい」の二つの言葉を聞かされることになった。普段なら「そんなわけがない」と力づくで言葉を止めさせるところだが、残念ながらそんなことができる状態ではなかった。
アイリーンにできたのは「もうやめて」と懇願することだけだった。なのにジェラルドはやめてくれなかった。
聞くに堪えないアイリーンを称賛する言葉も、アイリーンを翻弄する行為も、どちらもやめてくれなかった。
あまりの幸福に頭がどうにかなりそうになりながら、アイリーンは自分にのしかかって出来損ないの体を貪る男を抱きしめた。
アイリーン自身目を背けてきた裸体をきれいだと言って、大人の女性のように扱ってくれる……それはアイリーン自身が望んで望んで、でもどうしても手に入らなくて諦めていたもの。それをジェラルドが身をもって証明してくれた。
ジェラルドが言葉だけでなく態度で示してくれたことが嬉しい。
嬉しくて嬉しくて、そして愛しい。
――僕は、ジェラルドが好きなんだ。
ジェラルドが何度も「こういうことをされて嫌か?」と聞いてきたのは、好きでもなんでもない人とこういうことをすることがどれほど苦痛を伴うか、知っていたからだ。
嫌じゃない、と思った時点で、気付くべきだった。
思えば、初めて会った時から目を奪われていた。
なぜか気になっていた。彼に会うと胸がざわざわして落ち着かなくなっていた。ドルフをはじめ今まで出会った誰に対しても抱いたことがない感情だった。だからとても戸惑ったことを覚えている。
竜族は、つがいに会えばすぐにわかるのだという。この人だ、と。それはこういう感覚なのかもしれない。
でもジェラルドは竜族ではない。父親はこの国の皇帝、母親も帝国のそれなりに名のある一族の出身。二人とも身元がはっきりしていて、どこかに竜族の血が入っている可能性は低そうだ。……ジェラルドはアイリーンの竜族としてのつがいではない。だから、アイリーンを短命の運命から救ってくれるわけじゃない。
どうしてジェラルドは竜族じゃないんだろう?
どうして彼は自分のつがいじゃないんだろう?
つがいなら、この体は大人になれるのに。そうしたら、ジェラルドとずっと一緒にいられるのに。子どもだって生めるのに。
ジェラルドにそっくりな子どもたちをこの腕で抱きしめて、大好きだよって言ってあげられるのに。
自分にはその未来が訪れることはない。
目がくらむほどの幸福と同時に、アイリーンは深い悲しみも噛みしめていた。
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