第2話 魔法学院への誘い

翌日…


 グッスリ寝て酔いが覚めた父親もようやく現実を受け入れて、朝食の席では久方ぶりに家族四人が揃っている。



「聡史と桜はこれからどうするんだ?」


「俺たちが通っていた学校に復学するのが普通じゃないのか。母さん、まだ籍はあるんだろう?」


「ええ、休学扱いになっているわ」


「お兄様、また学校に通いながら、ダンジョンを攻略しましょう」


 すかさず妹が食らいついてくるが、実はこの兄妹は異世界に召喚される直前まで日本に発生したダンジョンに土日のたびに出掛けていた。


 聡史は剣道、桜は古武術を学んでいたこともあって、その技を生かして秩父にあるダンジョンの魔物を相手に血眼になってレベルを上げていたのだった。


 そのおかげもあって異世界に召喚された時点で二人ともステータス上のレベルが30を超えており、下級の魔物を楽々蹴散らす実力を持っていた。そこから冒険者として異世界各地を回り、今やそのレベルは大変なことになっているのはまだナイショの話。



「お前たち二人は異世界で散々暴れまわったんだろう。そろそろ落ち着いてもいいんじゃないのか? 特に桜は女の子なんだし」


 父親はどうも浮かない顔をしている。ダンジョン通いが異世界召喚に繋がったのではないかと、秘かに勘繰っているのだ。


 だが、桜が立ち上がってコブシを握り締めて力説を開始する。



「お父様は、全然わかっていませんね。洋食ばかり食べていたら、和食が恋しくなります。異世界のダンジョンは散々攻略しましたから、今度は改めて日本のダンジョンに挑みます」


「桜、和食と洋食の例えは物凄くわかりにくいぞ」


「お兄様、なぜそこに食い付きますか? 私が強調したい点はそこではございません」


 せっかく突っ込むフリしてボケてみたのに、聡史の意見は妹からあっさりと一蹴されている模様。


 そろそろ父親の出勤時間ということもあって、母親が朝の家族会議をまとめにかかる。



「まあまあ、朝から賑やかでいいわね。それで、結局どうするのかしら?」


「今まで通り」


「学校に通いながら、土日はダンジョンを満喫します」


 兄と妹の意見が一致した。過去の例からして、この両名の意見が一致すると碌なことがないのは、楢崎家においては周知の事実である。


 かと言って特に何事にも暴走しがちな妹を抑え付けるにはこの両親では力不足であった。



「仕方がないから好きにしろ」


 力なく父親が言い放つ。その表情には、諦めの感情しか浮かんでいなかったのは隠しようのない事実。どうせ止めても強行突破を図るに決まっている。




 朝食後…



「お母様、ダンジョンに行ってきます」


「取り敢えず、久しぶりに顔を出して、情報を集めてくるよ」


 兄妹がすっかり出掛ける支度を整えている。その様子を見てさすがに動じない母親も呆れ顔だ。



「てっきりこれから、復学の手続きに学校に行くものだと思っていたんだけど…」


「お母様、学校はいつでも行けますが、ダンジョンのレアな魔物はなかなかお目にかかれないですわ」


「学校の手続きは母さんに任せるから」


 こうして一刻も早くダンジョン行きたくてウズウズしている桜に押し切られるように、母親が折れる形となった。そもそも桜の本音としては、学校など通わずに毎日ダンジョンに出掛けたいくらいなのだ。その情熱を押し留めるのは、何人たりとも不可能といえよう。





 1時間後…



「お兄様、ダンジョンが近づいてくるとワクワクしてきます」


「ちょっとは落ち着くんだ。つい昨日まで異世界にいたのをもう忘れているのか?」


「お兄様、お言葉ですが、私は過去を振り返らない性格なんです」


「記憶力が足りないんだろう」


「はて、記憶力? それは美味しいのですか?」


「テンプレな回答に感謝する。ほら、もうダンジョン事務所が見えてきたぞ」


 こうして兄妹は、久しぶりにダンジョン事務所へと入っていく。


 二人が異世界にいた期間は約3年だが、地球での時間の経過はおよそ1か月、この差は世界ごとの時間の流れが違う点にあると考えられる。有体に言えば、単なるご都合主義と捉えてもらって差し支えない。


 二人は慣れ親しんだカウンターに登録カードを提出してダンジョンへの入場手続きをしようとするが、顔馴染みのカウンター嬢の表情がなぜか曇っている。



「申し訳ありません。先月法令が変更となって18歳未満の方のダンジョンへの入場が禁止となりました」


「なんだってぇぇぇ」「なんですってぇぇぇ」


「このところ18歳以下の登録者の事故が相次ぎまして、事態を重く見た政府が法令を改正しました」


 カウンター嬢の事務的な返答に兄妹はその場に呆然とした表情で佇むしかなかった。さすがに法律を盾に取られると、いかに常識外れの能力を持っていようとも無力に等しい。異世界で過ごした3年間を具体的に証明できない以上、この二人はあくまでも現時点では16歳なのである。


 兄妹、殊にダンジョンを生き甲斐にしている桜のショックは計り知れない。表情から見る見る生気が薄れて、まるで魂が抜けた人形のようになっている。力なくその場にしゃがみ込むのも当然といえば当然であろう。先ほどまでの意気揚々とした姿はもはや見る影もない。



「中に入れないんじゃ仕方がないな、桜、一旦帰るぞ」


「はあ~、ダンジョンに入れないなんて、私はもう生きていけません」


 滅多にない深いため息とともに、兄に引きずられるようにして桜はダンジョン管理事務所のドアを出ていくしかなかった。







 同じ頃、市ヶ谷にある自衛隊ダンジョン対策室では…



 ダンジョンの痕跡捜索に明け暮れていた自衛隊の中枢部は、膨大な魔力の発生源に疑問を持っていた。1万人の自衛官を動員して周辺を捜索したものの、いまだに付近にはダンジョンの痕跡一つ発見できていない。


 こうなってくると、何らかの別の原因があるのではないかという疑問が生じてくるのは当然といえば当然の流れ。かくして、当日の状況を改めて整理しようという意見が出てくる。


 その結果謎の光と膨大な魔力が観測された当夜の衛星写真の画像から、ある高校の屋上に突如出現した不審な男女が浮かび上がってくる。


 

「例の男女の身元は、判明したか?」


「はい、割と簡単でした。失踪者捜索の届け出が所轄の警察署に出されています。男性は楢崎聡史で女性は楢崎桜、該当する二人は双子の兄妹です」


「間違いはないのか?」


「はい、しかもつい今しがたこの二人は秩父のダンジョン事務所に顔を出して登録証を提出しました。顔写真で確認も取れたので間違いはありません」


 こうして、二人の身元は政府によって突き止められるのであった。






   ◇◇◇◇◇






ダンジョンへの入場を断られた聡史と桜はトボトボと家路に就こうとする。だが桜が…



「お兄様、精神的なショックで歩けません。オンブしてください」


 ダンジョン管理事務所から外に出て数歩歩いただけでヘナヘナとしゃがみ込んでしまった桜。その表情はかつて聡史が目にしたことがないほどにヤツれ切っている。顔色が真っ青で、パッと見では重病を患ったかのような生気のない表情に変わり果てている。



「ダンジョンに入れないくらいで大袈裟なヤツだな。ほら、手を貸すから自分で立ち上がるんだ」


 聡史が手を取って体を引き起こそうとするが、桜自身がどうにも力が入らない様子で再びその場にしゃがみ込んでしまう。ようやく聡史にも相当の重症だと納得がいく。


 常日頃から健康と有り余る体力が取り柄であった桜がこのような姿になり果てるのは、おそらく体の異常ではない。あれだけ楽しみにしていたダンジョンへの入場を断られて、精神的なタガが外れてしまったのだろう。急激に生じた一時的な鬱状態とでも言えばいいのだろうか…


 桜を背負おうとするものの、腕の力がすっかり抜けてしまって聡史の首に掴まることもできない有様。致し方なしに聡史は妹の小柄な体を抱え上げる。そのままお姫様抱っこで持ち上げて、管理事務所のベンチに座らせようと再び出入り口へと踵を返す。



「うふふ… お兄様に抱っこされたのは久しぶりですね」


「そうだな~… お前が小さい頃は、しょっちゅう抱っこしてくれってせがまれていたな」


 同じ日に生まれてはいるが、桜は兄の聡史に対しての依存心が強い。要するに甘えん坊な面が未だに残っているのだ。これは異世界で数多の冒険を繰り返した現在でも幼い頃と大差はない。


 兄の腕に抱えあげられた桜はちょっとだけ嬉しそうな表情をしている。



 一旦桜をベンチに座らせると、聡史は思案に暮れる。このまま妹を抱っこして家に帰るには少々距離が遠すぎに感じる。その気になれば電車で約45分の道のりは、聡史のレベルを考えれば不可能ではないだろう。だが彼自身、街を歩く人々から突き刺さる視線に堪え切れる自信はなかった。



「タクシーを呼んでもらおうか」


 そう呟いて聡史はハタと気が付いた。財布の中には3千円程度の現金しか入っていない。この額では家まで辿り着くのは相当厳しいだろう。母親に連絡して家の前で待っていてもらってもいいのだが、なんだか無駄な心配を掛けるようで気が引ける。


 何とかならないかと考え込んでいるうちに天啓のように聡史の頭に閃きが齎される。



「そうだった。手持ちのアイテムを売ればタクシー代なら何とかなるだろう。桜、もうちょっと待っていてくれ」


 アイテムボックスを探ってそこそこの大きさの魔石を取り出すと、聡史は再びカウンターへと向かう。



「すいません、アイテムの買い取りは可能ですか?」


「はい、18歳未満の方でも過去に入手したアイテムはこちらで引き取ります」


 聡史の予想通りであった。ダンジョンに入場を禁止された18歳未満の人間に対してアイテムの売買まで禁止したら、彼らが手持ちのドロップアイテムは死蔵されてしまう。ダンジョンに出現する魔物を討伐した結果得られる魔石は魔法の研究開発やエネルギー源として活用されるので、引き取り手は数多いのだ。


 ちなみに魔石は魔力の含有量によって相場に照らし合わせた代金で引き取ってもらえる。


 聡史はこの魔石の代金でタクシー代を捻出しようと考えた。そう、それはごくごく軽い気持ちで…



「それじゃあ、この魔石を引き取ってもらえますか」


 聡史は過去に何度もこのような具合に管理事務所のカウンターでドロップアイテムを引き取ってもらっていた。当然ながら相応の代金を得られて、その大半は反省会と称する帰りのファミレスでの飲み食いに費やされた。桜が当たり前のような表情で3~4人前のメニューを注文するので、苦労して得た諭吉さん1枚程度の金額など瞬く間に消えてなくなっていくのだった。


 

「ずいぶん大きな魔石ですね。それでは、含有する魔力を測定します」


 カウンター嬢は手慣れた手付きで受け取った魔石を魔力測定装置にかける。そして、見る見るその表情が驚愕に染まっていく。



「そ、そんなはずは… 魔力量が13000を超えるなんて、有り得ない…」


 カウンター嬢はサンプルの別の魔石を取り出すと、そちらの測定を開始する。どうやら測定装置の誤作動を疑ったようだ。



「正常値を確認。ということは、誤作動ではない…」


 装置のデジタル表示は、この日の朝一番にマニュアルに従って検査した時の数値と同じ320をぴったりと示している。この出来事に冷静に対応するというカウンター嬢の勤務マニュアルなどかなぐり捨てて、鼻息も荒くカウンターから身を乗り出して聡史に詰め寄る。その態度は「絶対に逃がすモノか」と、今にも聡史に掴み掛ろうとする肉食獣のようだ。


 おそらくおしとやかな外見とは裏腹に、常日頃は肉食系女子なのだろうと想定される。



「どこで、どこで、この魔石を手に入れたんですかぁぁぁ!」


 冒険者が2、3人、別のカウンターに並んでいたが、彼らが全員振り向く勢いでカウンター嬢の声が受付エントランス中に響き渡った。


 この時聡史は自分が犯した失態にようやく気が付く。


 魔石などどれも似たようなものだろうと一緒くたにアイテムボックスに放り込んでいた。そしてたまたま彼が取り出したのは、異世界の魔境と呼ばれる並の冒険者は絶対に近づかない場所で討伐したワイルドウルフ変異種のさらに群れのボスから得た魔石に他ならない。


 このダンジョンで現在攻略されているのは13階層。その最深の階層で得られる魔石が含有している魔力は1000に満たない。それだけにこの13000オーバーという数字は、破格中の破格のとんでもない数値といえよう。


 聡史は日本に発生したダンジョンの常識を根本から崩壊させてしまうこの事態にしどろもどろになりながら、何とか誤魔化そうと試み始める。



「えーと… こ、この魔石は… その辺で採れました」


「その辺に転がっているような代物ではないでしょうがぁ」


 ヤバい、実にヤバい状況だ! 聡史はこの場をどう切り抜けようかと、気持ちだけが焦っていく。まさか「異世界産です」などと正直には答えられないのは重々承知。


 焦る気持ちが先走って、聡史はカウンター嬢からその魔石を取り上げてしまう。現物がなかったらノーカウントとでも言いたそうな態度だった。スポーツの世界だったらレッドカードが提示されて、この場からお引き取り願われてしまう塩対応を食らうのは必然だろう。



「今のは単なるイタズラ… じゃなくって、バグ。そう、バグですよ。そしてこれが本物です」


 聡史が新たな魔石を取り出す。だが不幸なことに、今度は異世界ダンジョンの最下層から4段上の階層にいた口から炎を吐き出す大トカゲ、サラマンダーの魔石だった。



「今度は22000じゃないですかぁ。さっきよりも上がっているじゃないですかぁ」


 カウンター嬢からは、渾身のツッコミが入る。この人の冷静でおしとやかキャラが絶賛崩壊している現状を悲しいことに本人だけが気付いていない。



「いやいや、ちょっと間違えました。これこそが本物ですから」


 聡史は選びに選び抜いた小粒の魔石を差し出す。今度は他の魔石と比べて3分の1の大きさだった。これならば、そんなバカげた魔力を検知されないだろうと熟慮を重ねた結果だ。


 自信に満ちた表情の聡史から魔石を受け取ると、カウンター嬢はやや投げやりな雰囲気で装置にかける。



「はい、68000です。ええ、わかっていましたよ… どうせこんな結果で私を驚かそうとしたんでしょうが、そうはいきませんよ」


 カウンター嬢がすっかりヤサグレている。今度はダンジョンボスだったクイーンメデューサの魔石だった。


 石自体が小さいのはメデューサの体が単に小柄だったからで、そこに込められている魔力と魔石の大きさは相関関係がなかったらしい。


 こんなやり取りを繰り返すこと12回、ようやく聡史は当たりの魔石を取り出すことに成功する。



「魔力量は800ですね。買取金額は、7200円です」


「どうも」


 二人とも完全に無表情になっている。11回もとんでもない魔力を秘めた魔石が次々に取り出されれば、大概のカウンター嬢はいい加減驚かなくなる。


 買取交渉を開始してから30分、ようやく聡史はタクシー代を手にした。彼はスマホのアプリを使用して管理事務所前にタクシーの配車を要請すると、動けない桜を乗せて帰っていくのだった。







◇◇◇◇◇






 こちらは同時刻の市ヶ谷にある自衛隊ダンジョン対策室。



 例の怪しい男女2名が再び秩父ダンジョンの管理事務所に戻ってきた情報は、すぐにこの対策室にもたらされた。ライブカメラに映し出される聡史とカウンター嬢のやり取りに、この場の全員が固唾を呑んで見入っている。



「魔力量が13000の魔石だとぉ」


「さらに上昇したぞ! 今度は22000だぁ」


「68000もの魔力を含有している魔石か… どんな魔物を倒せば手に入るんだ?」


 対策室の大型テーブルに着席してこの様子を目撃している自衛隊ダンジョン対策室の幹部たちは、この異常とも取れる事態に驚きと戸惑いの表情を隠し切れていないよう。だがテーブルの末席にいる私服姿の女性が、挙手をして発言の機会を求める。



「神崎学院長、どのような意見かね?」


 司会を務める副室長から指名されたのは、公式名称〔国立ダンジョン調査員養成並びに魔法研究者育成アカデミー学院〕、通称〔魔法学院〕学院長を務める神崎(かんざき)真奈美(まなみ)であった。


 自衛隊予備役中佐の立場で現在は魔法学院に出向して学院長を務めており、政府直轄ダンジョン対策室のメンバーでもある。



「この両名を、魔法学院に入学させる。このまま放置するよりも、ある程度政府の目が届く場所に置いておくほうがコントロールは可能だろう」


「神崎学院長、その主張の根拠は?」


 司会の副室長が何か言おうとしたのを遮って質問したのは、この部署全体を取りまとめる岡山室長。



「根拠か… 私の勘だ。これ以上は説明できないが、モニターを通して感じるこの男の雰囲気だけでも想像を絶する危険なものを感じる。このまま放置するのは論外だろう」


「なるほど… 神崎学院長の意見を尊重しよう。手続きをしてくれたまえ」


「室長、承知した。今から私自身が両者の自宅に出向いて直接スカウトする」


 こうして神崎学院長は対策室を後にする。残されたメンバーの間では、例の二人を魔法学院に入学させた後、その動向に最大限に注意を払うという確認がなされるのだった。







 一方、帰宅した聡史は…



 「まあ、桜ちゃん。一体どうしちゃったの?!」


 聡史に抱えられて帰宅した桜の様子を見るなり、母親は慌てた声を出す。生まれてこの方病気一つしたことがない桜がグッタリして兄に抱えられているのだから、心配するなと言うほうが無理な相談だろう。



「すぐに救急車を呼びましょう」


「母さん、落ち着くんだ。病気ではないから、そんなに心配しなくても大丈夫だ。桜はこのまま部屋に寝かせるぞ」


 こうしている間にも聡史に抱えられた桜は、無気力な様子でされるがままになっている。そのまま自分の部屋のベッドに寝かされると、ようやく桜は口を開く。



「お兄様、私はもう気力が湧きません。このまま18歳の誕生日までニートになります」


「誕生日が来たらどうするんだ?」


「ダンジョンに入ります」


 この部分だけは力を込めて桜が言い切った。寝かされた姿のままさらに話を続ける。



「私はニートなので、当分の間、お兄様が面倒を見てください」


「どうやって面倒を見ればいいんだ?」


「新聞配達やコンビニのアルバイトで私の生活費を稼いでください」


「自分に都合よすぎ」


 いくらなんでも甘えすぎだろうと聡史は半ば呆れている。ここで、彼の脳内にふとした疑問が浮かんだ。



「食事はどうするんだ?」


「もちろん、毎日三食におやつも私の口に合うものをお兄様が用意してください」


「贅沢三昧かよ」


 どうやら今まで通りに、しっかり食べるつもりのようだ。しかも完全に人の懐をアテにするとは… 実の妹でなければ張り倒してやりたいところであろう。


 なおも桜は要求を続ける。



「それからお兄様、ニートといえばアニメです。おススメのDVDを買ってきてください」


「お前は、アニメなんか全然興味がないだろう?」


「お兄様は、甘いですわ。ニートになった瞬間誰もがアニメに手を出すのは世間一般の常識です」


「ニートの皆さんに謝れ。そういう傾向は無きにしも非ずだが、全部が全部そうじゃないだろうが」


「仕方がありませんねぇ~。それでは暴れん〇将軍のDVDでいいです」


 桜はマツケンさんのファンで、日頃から暴れん坊将〇を好んで視聴している。聡史はDVDをセットしてテレビのスイッチを入ると、これ以上面倒を見るのも億劫なのでそのまま部屋を出ていく。


 リビングに戻ると、すかさず母親が…



「桜ちゃんの具合はどうなの?」


「心配するだけ無駄だよ。ダンジョンに入れなくて拗ねているだけだから」


 母親を安心させるように答えると、聡史はダンジョン管理事務所での出来事について一通りの説明を開始する。その途中で…



 ピンポーン


 ドアのチャイムが、突然の来客を告げるのであった。






   ◇◇◇◇◇






 ピンポーン


「はい、どなたですか?」


 玄関のチャイムが鳴って母親がドアを開けてみると、そこには見知らぬ女性が立っている。その女性は、いかにも事情を知っているかの態度で母親に用件を告げた。



「忙しいところ失礼する。私は魔法学院の学院長を務める神崎という者だ。お子さん二人の進路についてお話をしたい」


「ハ、ハイ… どうぞ中に」


 神崎と名乗ったその女性の有無を言わさぬ態度に只ならぬ雰囲気を感じ取った母親は、抗う術もなく彼女を家に招き入れる。


 そして、母親に続いてリビングに入ってきた女性を見た瞬間、聡史の本能が最大限の警戒を要するアラームを鳴り響かせた。


(強い! この人は間違いなく強い)


 聡史は、いきなり自宅に登場した強者の雰囲気を漂わせる女性に舌打ちする思いだ。万一にもこの場で戦いでも始まったら、同席している母親に危害が及ぶ可能性がある。だが…



「楢崎聡史君だね。そんなに身構えなくてもいい。君にとって有意義な提案をするために来たのだからな」


 神崎と名乗った女性は顔の表面に張り付いたような笑顔を聡史に向けた。普段から厳しい表情が板につきすぎて、笑い顔が実にぎこちないのだ。


 聡史としてはこの言葉を信用するしかないと、警戒する態度を解く。



「改めて自己紹介しよう。君は魔法学院という名称を聞いたことはあるか?」


「はい、名前だけなら聞いています」


「私はその魔法学院で学院長を務める、神崎真奈美という。以後よろしく頼む」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 この時点で聡史はある程度の事情に勘付いている。


 自分たちが日本に帰った翌日に魔法学院の一番偉い人が自宅に来訪した。これが偶然などと言えるだろうか? 答えは否だ! つまり目の前にいるこの人物は、自分が異世界から戻ってきた事実に関する何らかの事情を知ってこの場に現れたと判断せざるを得ない。


 

「さて、前置きなしに本題に入る。昨夜観測された尋常ではない魔力と君が今朝ダンジョン管理事務所に持ち込んだ常識を逸脱した魔力を含有する魔石、双方を鑑みると結論はひとつだ。君は… いや君たち兄妹は、異世界に渡ったな?」


「どういう意味かよく分かりません」


 いきなり核心を突かれた聡史は一瞬驚きの表情を浮かべ掛けるが、ギリギリで踏み止まり表面上はとぼけて相手の反応を窺おうとする。


 だが次の言葉は彼の一切の反論を許さなかった。明らかにこのような駆け引きにおいては、学院長が一枚も二枚も上手なのは間違いないよう。



「安心しろ。秘密は守ると約束する。なにしろ私も、異世界を経験した人間だからな」


「ほ、本当ですか」


 それは聡史にとってあまりに意外な真実であった。自分たち以外に異世界召喚を経験した人間がいる。自分と妹だけが想像を絶する特殊な体験をしたと思い込んでいたが、他にも同様の経験をした人物が存在するなど聡史の想像力の埒外であった。



「私にはある程度相手のレベルや魔力量が把握可能だから誤魔化しは効果ないぞ。正直に答えろ」


 ここまで追い込まれると聡史には反論の余地は残されていなかった。認めるしかないと心の中で腹を括る。



「はい、異世界に召喚されて昨日戻ってきたばかりです」


「素直に認めたか。そこでだ、魔法学院に入学しないか? ああ、今は学期の途中だから編入という形式になるか」


「今から魔法を学ぶんですか? 俺も妹もあまり魔法は得意じゃないんですが」


 聡史は初級魔法を使用可能であるが、桜に至っては物理オンリーで戦ってきた。それを今更改めて魔法を学ぶのは遠回りというか、どうにも無駄な気がしてくるらしい。



「どうやら魔法学院を誤解しているようだな。正式名称は〔ダンジョン調査員育成並びに魔法研究者養成アカデミー〕だ。君たちに求めているのは今更魔法を学ぶことではない。即戦力としてダンジョンの調査に当たってもらいたい」


「ダンジョンは18歳にならないと入れないと聞きましたが?」


「ダンジョン調査員を育成するんだから、魔法学院の生徒ならば自由にダンジョンに入れるに決まっているだろう」


「ちょ、ちょっと待ってください」


 聡史は席を中座して階段を駆け上がると桜の部屋のドアを開く。そこにはニート宣言をして、マツケンさんに見入っている妹の姿がある。



「お兄様、ノックもしないで部屋に入るのはマナーに反しますよわ」


「そんなのはどうでもいいんだ。桜、ダンジョンに入れるぞ!」


「なんですって! お兄様、それは本当ですか?」


 つい今まで力なくベッドに横たわっていた桜は目をクワっと見開いて、ガバッと起き上がる。その様子にはどこにも具合の悪そうな点は見受けられなかった。



「魔法学院に入学すればダンジョンに入れるんだ。今そこの学院長が来ているから、桜も一緒に話を聞いてくれ」


「すぐに参りますわ。お兄様、身だしなみを整えますから先に降りてください」


 ニート宣言をしてベッドに寝転がっていたので、桜の髪はグシャグシャであった。ブラシの一つも掛けるのが、年頃の女子としての最低限のマナー。


 聡史は一足先に階段を降りてリビングに戻っていく。そこには魔法学院に関する説明を聞いている母親の姿がある。



「どうもすみませんでした。すぐに妹が降りてきますから、二人で話を聞きたいと思います」


 母親も交えて学院の概要を聞いていると、階段を降りてくるバタバタという音が聞こえてくる。その音の直後に慌てた様子で桜がリビングに登場した。


 そして一言…



「魔法学院に入学いたしますわ」


 何も聞かないうちに即決してしまうとは、いかにも桜らしい行動。むしろこの機会を逃したらダンジョンに入る権利を失うとばかりに、鬼気迫る表情で桜は宣言する。異世界でも度々やらかした暴走超特急ぶりをこの場でもいかんなく発揮している。


 こうして桜の強引極まりない意向によって入学の方向で話が進んでいく。



「一応編入試験を受けてもらう。明日保護者と一緒に本校に来校してもらいたい。施設見学も兼ねて試験を実施する。合格したら特待生待遇を用意する」


「試験は難しいんですか?」


「君たちの実力ならば、問題はないだろう」


「お兄様、難しいかどうかなどこの際問題ではありません。全力を挙げて合格を勝ち取るのです。さすれば、ダンジョンへの道が切り開かれますわ」


 完全なる精神論ではあるが、桜の並々ならぬ決意が伝わってくる。ダンジョンに懸ける情熱が高じるあまり何かしでかさないかと、聡史の内心で心配する気持ちが強くなるのは言うまでもない。



「それではこの書類に必要事項を記入して明日持参してもらいたい。私からの話はこれで終わりだ。何か質問はあるかね?」


「寮生活だなんて、なんだか憧れますね。お兄様」


「自分のことは自分でやるんだぞ。掃除とか洗濯とか」


「それはお兄様にお任せします。一人分も二人分も一緒ですから」


 この妹は面倒なことは何もかも兄に押し付ける気満々だ。外見と人当たりがいいから家族以外には気付かれていないが、家事一切何もできないダメな子であった。


 こうして桜のニート生活は2時間で終わりを迎えて、この日は過ぎていく。





 そして翌日…



「ここが魔法学院か」


「お兄様、セリフが在り来りすぎます。もっとヒネリを加えないとダメですわ」


「どんな感じにヒネるんだ?」


「フフフ、たった今より、この魔法学院を深淵なる恐怖のドン底に…」


「ストップだ。それ以上続けなくていいから」


「せっかくいいところだったのに、止められてしまってガッカリですわ。次の機会には最後まで言わせてくださいませ」


「そんな機会が永遠に来ないといいな」


 このようなとても編入試験を目前に控えているとは思えない態度で、兄妹に加えて母親も交えた三人は魔法学院へとやってきている。


 魔法学院は神奈川県の伊勢原に設置されており、首都圏最大の大山ダンジョンに隣接している。広大な敷地には校舎、学生寮、屋内、屋外の各種演習場、食堂やジム施設など、通常の公立高校では考えられない豪華な施設が完備されている。


 学院の職員に案内されて各所を見学して回る兄妹。殊に学生食堂で桜の目がキラッキラに輝いている。



「お兄様、カフェテリア式で食べ放題なんて、まるで私のためにあるような学生食堂ですわ」


「ああ、気が済むまで食べてくれ」


 こうして最後に案内されたのは学生寮であった。通常の寮は男女別棟になっており、二人部屋が基本である。だが、兄妹が通された研究棟の最上階にあるその部屋は…



「お兄様、まるでホテルのスイートルームのようですわ」


 桜はさっそく寝室のベッドにダイブしている。今日は今まで通学していた高校の制服を着ているので、短いスカートが捲れあがってピンク色のパンツが丸見えだ。対して聡史は…



「こんな広い部屋は、掃除が大変そうだな」


 眉をひそめて呟いている。掃除担当者としての現実的な感想だった。


 特待生に用意されているのは、キッチン、リビング、バストイレ付きで寝室が三部屋ある、超豪華な寮であった。もちろんこんな豪華な設備がいくつも用意されているわけではない。たった一部屋しかないこの部屋を、兄妹が独占して使用してよいのだ。


 これは学院長の作戦でもある。目の前にニンジンをぶら下げて兄妹のヤル気を最大限に引き出そうという思惑が働いているのは言うまでもないだろう。


 この作戦にまんまと乗せられているのは他ならぬ桜に相違ない。



「お兄様、食べ放題の食堂と豪華なスイートルームが懸っています。絶対に合格しましょう」


「すでに目的を見失ってるぞ。ダンジョンに入りたかったんじゃなかったのか?」


「それはそれ、これはこれですわ。どちらも力尽くで勝ち取るのが私の生き方ですから」


 ダンジョンの件だけではなくて、目の前にぶら下がった美味しそうな餌にはパクっと喰い付くのが桜の性格。快適で満腹な生活のために全力を尽くそうと、他人からも丸見えの勢いで燃え上がっている。



「事件が起こらなければいいんだけど…」


 そんな妹を横目に、心配の種が尽きない聡史であった。



 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


次回は兄妹が入学試験に挑みます。無事に終わってくれるといいのですが、どうやらそうもいかない模様で… 



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