プロローグ-2


***


 同時刻、国随一の建築家たちが一堂に会し建てられたアイリス王城。その中でも一層気合を入れて造られた玉座の間。

 玉座に座る金の髪の王の周囲では重役がひそひそと何かを相談しており、更に玉座の階段の下では、一人の男が膝もつかずに王の視線を真正面から受け止めている。

 明らかに平時ではない状況に王が一つ溜息をつくと、それを合図と捉えたのか、男が窓すら割らんばかりに大声を上げた。


「納得がいきませぬ、父上!」

 俺は先日から昂る思いのままに深く玉座に座り込んだ父、フォルセティに向かってそう語り掛けた。余人から蒼玉サファイアだとも言われる碧眼に力を籠めて父を見るが、父は何も言わずに息を吐くのみであった。

 顔を見ればなおさら父の考えていることが理解できた。

 あるのは、無念だけだった。

 父はのではなく、を考えているのだ。

 それがさらに己の中の感情を昂らせた。

 昔からこの男はそうだ。失敗を恐れ、行動に移さない。幼い頃、俺が貴族制度に疑問を持って相談しに行った時もその時ではないと行動を避け続け、結局私の疑問は現在まで解決していない。

 そんな疑問を持った当時、道を示してくれたのがマーガレットだったのだ。同い年で女の子なのにしっかりと芯を持ち、己の信じた道を行く彼女に憧れ、惹かれ、やっと隣を歩けるようになったというのに。

 それなのに、何故。

 未だ何も言わぬ父にしびれを切らし、無法と知りながら玉座に続く階段を上る。

控えていた近衛が道を塞いでくるが、無視してグイと身を乗り出す。

 そこまでしてやっと、父が口を開いた。

「落ち着けサミュエル。何も今すぐ破棄するという話でもないし、したところでお前とマーガレット嬢との絆が消えるわけでもなかろう?」



 そう叫ぶ我が子の姿に、王の冠を戴くフォルセティは己の甘さを恥じた。この平和な時代の子供ともなれば可愛がるのも仕方がないと、親友でもある侯爵や宰相も言ってくれたが、今目の前に立つ男を見てしまえば、どうしてこうなったという思いしか浮かんでこない。

 よく手入れされた金髪に、蒼玉サファイアをそのまま埋め込んだかのような碧眼。更には威圧感を与えない程度に鍛えられた体格と身長。外見だけは王子にふさわしい彼が、その身体に怒気を込めて玉座に座るフォルセティを睨みつける。

「落ち着けサミュエル。何も今すぐ破棄するという話でもないし、したところでお前とマーガレット嬢との絆が消えるわけでもなかろう?」

 サミュエルから漏れ出る気迫は、一般人であれば気絶しかねないものであるが、王を務めるフォルセティからすれば、そう大したものではない。

 サミュエルは動じない王に腹を立てたのか、柔らかなカーペットを踏み荒らしながら玉座への階段を上る。だが、フォルセティまであと一歩と言ったところで、その道は近衛兵によって閉ざされる。

「なにをする! 俺はただ、父上と話をしたいだけだ!」

 サミュエルの怒気を受け、気まずそうに身を仰け反らせる近衛に、フォルセティは下がるよう指示を出してから、改めて正面から我が子の姿を見やった。

 この身が王でなければ、彼が王子でなければ、そして、勇者にならなければ。漫然とした思いが心の中に浮かんでは消える。

 だが、もしもを考えるにはもう遅い。そう覚悟を決めなおしフォルセティは玉座から立ち上がった。

「この玉座にいる限り、私は如何なる場合でも父ではなく王だと、そう教えたはずだ。その王命を拒否するのか?」

「それでもっ……!」

 なおも食い下がるサミュエルにフォルセティは複雑な気持ちを抱きながら、玉座から腰を上げ、近衛の剣を下げさせながら、いつの間には自分と同じ背丈になっていた我が子の目を真正面から覗く。

 迷う胸中を押さえつけて、聞かん坊の我が子でも聞かざる負えない急所を口にする。

「これは父としての助言だ。お前はマーガレット嬢を、愛する女性を、災厄の中で散らせるつもりか」

 サミュエルはリコリスブラックの仕事について詳しくは知らない。代々というのは知っているだろうが、それ以外の部分については知らせていない。そしてこの子が自ら知ろうとするのも想像できなかった。

「彼女はきっと、その身をお前に捧げるぞ。王家の護衛が王子を危険に晒すと思うか?そのような場面で黙っている女性ではないと、お前はよく知っているだろう」

 であれば、愛する者を引き合いに出せば単純な我が子は何もできなくなる。そう考えた通り、あれほど興奮していたサミュエルは黙り込んで立ち尽くしていた。

 ようやく落ち着いたかとフォルセティも安堵の息を吐く。

「それでもっ、俺は……!」

 だがフォルセティが次の言葉を放つよりも早くサミュエルが声を上げてから、背を向けて玉座の間を出て行ってしまった。

 その背を見送るフォルセティや周りの重鎮たちの間にはなんとも言えない空気が流れ、行き場を失った視線が全てフォルセティに集まる。

「婚約破棄は保留だ。噂を流す程度に留めよ」

 フォルセティはそれだけ告げると、力が抜けたように玉座に戻り、王冠もマントも、王としての仮面すら外し天を仰ぐ。

 それを見た周囲の重鎮たちも呆れるやら不憫に思うやら、それぞれの感情を見せて退出していき、玉座の間には王と宰相、少数の近衛のみが残された。

 それを確認してから、フォルセティが口を開く。

「全く、最近ため息ばかり吐いている気がするぞ」

 その言葉に宰相であるジムニーが普段と変わらぬ鉄面皮で眼鏡を掛けなおした。

「その分、わたくし共の仕事も増えております。どうぞ、ご自愛くださいませ」

 事実を淡々と告げる彼に、少しだけ申し訳なさが浮かぶ。親として、サミュエルに間違ったことをさせたとは思っていない。だが王族としては、決定的に間違えたのだろう。

 今はその後始末に追われ、臣下や友人、婚約者であるマーガレット嬢にも迷惑をかけてしまっている。

 だから婚約破棄を命令した。勇者のこともあり、一度落ち着かせる時間が必要だと思ったからだ。

 しかし私はまたも間違えた。もはやサミュエルは親としての私すら無視して、己の道を進み始めた。彼の頑固さは妻譲りで、もう止まらないことはよく理解している。だが……。

 頭の中に巡る後悔が表情に出ていたのだろう。ジムニーが珍しく、仕事以外のことを口に出した。

「陛下。親というものは、そういうものでございましょう。まして陛下は人間です。万能の神ではないのですよ」

「はは……珍しいな、お前がそんな言葉を吐くなど」

「万能であれば、わたくしの仕事がなくなってしまうでしょう?」

 そういう彼の表情はやはりいつもの鉄面皮で、それを見て少しだけ心が軽くなる。

「それに、すでにリコリスネーロには依頼をしてあります」

 先ほどまで頭の中を泳いでいたその単語が耳に入り、思わず眉が寄ってしまった。

「なに?聞いていないぞ」

「それはもちろん、言っておりませんので」

 この男、ジムニー・アルトワークスには以前からこういうところがあった。優秀であることには違いなく、必要な時には形式上の指示もやらせてくれるのだが、多くの場面で形式よりも結果を求める、おおよそ貴族には似合わない思考回路をしていた。

 フォルセティはまた息を吐き、もう始まってしまっているのであれば我々は尻拭いに努めようと改めて覚悟を決めた。

 その考えを読み取られたのか、ジムニーからも同じようなことを言われる。

「こういうと年寄りに聞こえますが、あとは若い者らに任せましょう」

「ははは、実際年寄りだろうに!お前がこの国に忠誠を誓うのは何度目だ?」

「それは言わないお約束ですよ」

 顔を合わせて笑い合う王と宰相に近衛たちはどうしようかと顔を見回せて、結局どうすることもできずに二人の笑いが収まるのをただ待つしかなかった。


***

 私は父から任務を聞いた後、自室に閉じこもっていた。

何かいい手はないかと頭を悩ませていた。

館の廊下から日の傾き始めた空を眺めていた。空には鳥が二羽、仲良く並んで飛んでいる。

 ああ、どうして私なのか。そりゃあ護衛やら婚約者やら、兼任すれば色々と都合がいいのだろうが、私が過労死してしまうぞ。自分もあの鳥のように自由に飛べたならば、もし貴族の子供に生まれていなければ、こう苦悩することはなかったんだろうか。

 心の中で愚痴りながらなんとか自室にたどり着き、部屋着に着替えることなくベッドへと倒れこむ。

 とりあえず今日は疲れた。もう何も考えたくない。そう思ってベットの上で悶えていると、私の世話係にも関わらずソファで読書を楽しんでいた侍女が、白い髪をかき上げながら立ち上がる。

「ちょっとお嬢様、はしたないですよ。ドレスもしわになりますから。ほら、立ち上がってください」

「ユーティ。あなたもこれから大変な目に合うのだから、これくらいは見逃しなさいな」

「またブランデン様に無茶ぶりでもされましたか?それだけお嬢様に期待しているということでしょう」

 兎の特徴を持った改人あらびとであるユーティは私が幼いころから仕えてくれている侍女である。任務に赴くときも的確なサポートをしてくれる優秀な相方であり、私を鍛え上げた師匠でもあった。

「期待ねえ。だとしても私はもっとのんびりしたいのだけどー」

 のそのそとベット立ち上がり、ユーティの手助けを貰いながら寝間着へと着替える。その最中でユーティに父から受けた任務について伝えて、ぼんやりとだが作戦の相談を始めた。

「それで?今回はどうするおつもりですか?」

「そんなの、いつも通りよ。高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応をする!」

 何も思いついていない今は適当な言葉で誤魔化す。ユーティも私のことを理解しているので何も言わずに頷いているが、その顔は呆れたように目が瞑られていた。

「お嬢様、これが通じるのは私だからですからね?」

「わかってるわよ。とりあえず、今日は部屋に籠るから、みんなにはもう休むって伝えておいて」

「承知いたしました。ではお着替えはあちらに」

 手を向けられた方にはクローゼットに入れられた愛用の武具の数々。流石、私のやることはわかってるのだろう。そうして一つお辞儀をし、ユーティはそのまま部屋から出る。かと思いきや、扉が閉まり切る前に、顔だけをひょこっと出して以下のような情報を伝えてくれた。

「そういえば真偽は確かめておりませんが、ブランデン様はこの任務を終えれば、お嬢様に長いお休みを与えるおつもりだそうですよ」

 少しの間、思考が止まる。

「ちょっ、ユーティ!」

 詳しい話を聞こうと呼び止めた時にはもうそこには誰もおらず、私の声だけが部屋中に響く。

「お休み?お休みって……」

 そういえば幼い頃に婚約者になってから息抜きらしい息抜きをしていない気がする。

 王子を、国を、ひいては民を護るこの仕事は、これが私の責務なのだと欠片の疑いもなく務めることが出来ていた。だが休みなくというのは流石にきつい。

 いや、休み自体はあったのだが、私が護衛として休みを取ったとしても、婚約者としての休日があるはずもない。風邪をひいても殿下がお見舞い冷やかしに来るし、保養地に行っても殿下と行動を共に殿下の尻拭いしていたため、休めたかと聞かれれば素直に頷くことは難しい。さらに追加して、任務で時間のない自分の空いた隙間を埋めるように、令嬢として参加せざるを得ないお茶会なども存在していて、今思い返すとよく逃げ出さなかったと自分を褒めてやりたいところだ。

 素敵な友人たちのお陰で読書という手軽な趣味も持ってはいるが、上記の諸々によって没頭出来ていた訳でもない。

 そのための時間を貰える、と。

 ユーティは確証はないと言っていたが、このタイミングで告げるあたり、父から伝言でも頼まれていたのだろう。

 全く、なんとも腹立たしい話だ。

 この話を聞いたせいで、私はこの任務を絶対成功させなくてはいかなくなった。

あのバカ王子のお守から解放され、自由に世界を謳歌する。

 そのために必要なものを整理しよう。適した作戦を考えよう。なあに。今までやってきた尻拭いをやらずにいるだけでも大打撃だろうさ。後はそうだな、奴に他の誰かを好きになってもらうとか?とすると私の立ち位置は……。

 静まり返った部屋の中で机に向かった私は、休むことなく筆を走らせる。これからもっと忙しくなる予感。だが決して筆が止まることはなく。

 救国の想いとその後の自由な生活を抱きながら、マーガレットは婚約破棄への道を走りだした。


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