4月14日(火)ー②

 数分後、私とランスは二人そろって地面に倒れ伏していた。遠くから様子を見ていたマルクスが私たちに影を被せて、笑いながら声をかけてくる。

「ははは!実戦魔術とは申せ、一年坊主にできることなぞ遠間で撃ち合うくらいだと思っていたが。うむ、よい戦いだったぞ!ゆっくりと休んでおれ!」

 勝負は私の勝ちで終わった。何度か命が、奪う奪われるの両方から危ないところもあったが、その度にマルクスが手を出して救い、試合は二人が倒れるまで続いた。

「はぁっ、はぁっ。……くそっ。また負けた!」

「はぁ、はあ。っふふ、私に勝とうなんて百年早いわよ!」

 悔しそうな声に思わず自慢するような言葉を返したが、言葉とは裏腹に、心境は暗いままだった。

「……まあ、私も完全勝利とは言えないわね。魔力切れまで戦えるなんて、昔のあなたじゃ想像もできなかった」

 そう、勝つには勝ったが、魔力量という生まれ持った才能で勝ったようなもので、実力での決着とは言えなかった。

 魔力量はスタミナのようなもので、特訓してある程度成長させられるとはいえ、その上限は人によって違う。

 そして私は生まれつき魔力量が多く、互いに鍛え上げているとなれば上限に差が出るのは明白。それがわかっているからこそ別のところで決着させたかったのに、本当に残念だ。

「僕も鍛えたんだよ。君に、並べるように……」

 その言葉を聞いて、戦闘中を同じように嬉しい気持ちが湧いてくる。

 大変愉快なものではあったが、授業の内容については私とランスの認識がおかしかったとしか言えないだろう。

 実戦形式と聞いて家の訓練を思い出してしまったが、普通の魔術士であれば基本戦いは中遠距離からの魔術の打ち合いとなる。

 近接を交えた高速戦闘なんて、それこそ騎士でもなければ行わないものであろう。

 周りから贈られる、恐れるような敬うような視線を無視しながら、辺りにいた学園の使用人に声をかけてタオルと水を受け取ってから木陰に座り込む。

 同じようにタオルと水を受け取ったランスが、乱れた髪や肌の露出を気にすることなく、私の隣に座り込んだ。

 改めて見ると、ランスは非常に引き締まった身体をしており、マーガレットの知る可愛らしいランスの面影は消えてしまっていた。

 その面影を思い出しながら、会わなかった年数を埋めるように、幼馴染との語らいを始めた。

「本当、強くなっただけじゃなく度胸もついたのね。昔はあなた怖がって、剣なんてやりたがらなかったのに」

「何度も言ってるけど、君に追いつきたかったんだよ。メグの方こそ、あの魔術は何さ。また新しい使い方でも思いついたの?」

「いや、あれは兄さまにも手伝ってもらって……」

 その語らいは汗が引いてもなお続き、他の生徒たちの戦いに普段はしないような野次を飛ばすような真似もしてしまった。

 その中で一つ、ランスが深刻そうな顔をして質問を投げかけてくる。

「そういえば、最近君について変な噂を聞くんだけど、大丈夫なの?」

 おそらく先日セシリアを叩いた件に関してだろう。こういった細かなところに気を回すのは変わっておらず、少しだけ安心できた。

「それは私が流した噂よ。でも流石、次期筆頭騎士様は気が回るわね」

「からかうな。そうかもしれないとは思ってはいたけど、心配ぐらい素直に受け取れ」

 そういうことを言えば、私に馬鹿にされるとわかっているだろうに。それでもそうすべきと思ったことを必ず行う不器用な優しさは、子供時代にも私を何度救ってくれたかわからない。その上でちゃんと立ち上がるべき時には立ち上がる勇気を持っているのだから、ランスは騎士になるべき人物だったのだろう。

「はいはい、ありがとう。でも顔を赤らめてるから減点ね。昔は恥ずかしがることもなく、大好きだって言ってくれたのに」

「む、昔のことを言うんじゃない!」

 本当に、からかい甲斐のあるやつだ。この時私は自分でもはっきりと、殿下と一緒にいるときには出ない笑顔になっていることがよく理解できていた。

「そうだ。久しぶりに顔を合わせたんだし、食事でもどう?」

 私は喜んでその手を取った。


 授業が終わった後、ランスと共に食堂に向かって失ったカロリーを補充する。

 注文した品が運ばれてくるのを待ちながら、ふと思ったことをランスに聞いた。

「そう言えばあなた、もう騎士になるのは決まってるの?すっかり私の家の手伝いしてくれるものだと思っていたのに」

 唇を尖らせながらそう言うと、彼は少し眉を下げた後に、真面目な顔に戻って答えを返した。

「約束を忘れた訳じゃないよ。でも僕だって男だ。君ばかりを戦わせるのは、嫌だったんだ」

 そんなランスの表情に、少しだけ寂しさを覚える。なんというか、守っていた雛鳥が巣立つ時というのはこんな気持ちになるのだろうか。

「本当に、立派になったものね。まあ、好都合かな」

 そこで料理が運ばれてきて、一度会話が中断される。

 共に食前の祈りを行ったのち、途切れた会話を続行する。

「ランスには言っておくけど、私、今の任務が終わったら、ちょっとだけこの国離れるつもりだから」

 言い切った瞬間、彼の手から落ちたスプーンがカランと音を立て、顔からは表情までもが抜け落ちていた。

 いつも私には優しい顔しか見せていなかったランスの、見たこともない能面のような表情に、少しだけ冷や汗が流れる。

 瞬きの間に彼は笑顔に戻っていたのだが、私の頭からはあの表情が離れそうになかった。

「なんでさ。殿下と婚約破棄したから?だからと言って国を出る必要はないでしょ?」

 いや、彼は明らかに様子がおかしかった。笑顔ではあるが、先ほど見た表情と一緒で、言葉の節々から冷たく突き刺すような感覚がした。

 このまま放っておくとまずいことになる予感がして、私は慌てて理由を告げる。

「単純に世界を旅したいだけよ。私が、世界を見たいのよ」

 そう言うとランスは少しの間黙り込み、そこでやっといつも通りの笑顔に戻った。

「なんだ、そう言うことね。じゃあそうだな……僕が護衛でもしてあげようか」

「騎士様が護衛に着くなんて、なんとも贅沢な旅ね」

「ハハハ。そういえば、来月の野外訓練ってどうなってる?僕は騎士見習いとして参加するになってて……」

 その後、食事が終わるまでの間、彼の笑顔が抜け落ちることはなかった。

 優しかった彼があんな表情をした理由は私としても気になって仕方がなかった。

 だが探りを入れようとしてものらりくらりを躱されて、結局聞き出すことが出来ないままに、セシリアへの指導の時間になってしまった。

「じゃあそろそろ行くわ。次会った時には、隠し事をする悪い子からあなたを元のいい子に戻してあげますからね」

「いや、僕ももう子供じゃないんだし……。じゃあ、またね」


 ランスとは別れ、私は図書館に足を向ける。

 彼のことは気になるが、本人が話したがらないのであれば、無理に聞き出すべきではないと、自分を納得させた。それはそれとして、ユーティに探るよう指示はしたが。

 汗に濡れた服はすでに着替え、髪もしっかり整えてある。これからマナー講座を行うのに、講師役の私がマナーを守れずにどうするというのか。

 図書館に着いて受付に顔を出し、なんだか怪しい丸眼鏡を掛けた司書から鍵を受け取り部屋へ向かう。

 約束の時間より早めに来たので、借りた部屋に今日教える内容の本を集めたり、ユーティたちに持ってきてもらった道具を机に広げていると、親友の二人がセシリアを連れて姿を見せた。

「ああ、やっぱり。セシリアを連れてきてよかったわね」

「そやねー。こういう時いっつも早く来るんやから」

「二人とも、まだ時間には早いでしょうに」

 二人はどうやってセシリアを連れて来たのか、びくびくと怯えたセシリアが、また以前のようなガチガチのお礼をしながら挨拶をしていた。

「あ、あの。こんにちは、シャロット様……」

 セシリアは今、緊張してダメダメな状態になっている。その緊張を解すためにも、そう怯えるなと肩を叩く。

「セシリア。彼女たちは私の友人で、茶髪がルーシー。私と同じプラチナの髪がピスティスよ。この二人の前では嘘つかなくていいから、自然体でいて問題ないわ」

 先ほどまで二人を訝し気に見ていたセシリアは、私の紹介を受けた直後にパッと笑顔を輝かせた。

「そうなんですね!何も言わずにつれてこられたので、一体なにかと……。私はセシリアと申します。これからよろしくお願いします!」

「ええ、よろしく」「よろしゅ~」 

 いや、一体二人は何をやっているのか。そしてそんな二人をセシリアが信用する材料がどこにあるのか。聖女のもあるのだろうが、これからのことを考えると、ちゃんと自分の頭で判断できるようになってもらわなければ。

 なんてことを思っているうちに、親友たちは手早く机の上に私が頼んでいた皿やナイフ、アクセサリーなどの教材を並べていく。

 やがて準備が整い、用意しておいた教鞭を構えセシリアの前に立った。

「さあセシリア、覚悟しなさい。私も心を鬼にして、そのほわほわがなくなるくらいみっちり教え込んであげる……」

 その言葉を聞いた親友二人は、何故か引き攣った笑みを浮かべていた。


「そこ!指の先まで集中しなさい!」

「は、はいぃ!」


「貴族様の名前は何でこんなにも分かりにくいのでしょう……」

「色に関連付けて覚えなさい。すべての家はそれで分類されてるから」


「夏・北部・結婚式・辺境伯。新郎新婦の外見と好みはこちらに。さあ、どんな衣装が適切ですか?」

「……こ、これ、でしょうか……」


 この日私の悪名がまた少し大きくなった。なんでも、生徒を個室に閉じ込めて、皆でいじめて遊んでいたらしい。全く、なんてひどい女だ!


 数時間後、げっそりとしたセシリアを二人が送っていくのを見届け、鍵を受付に返しに行く。

 さあ帰ろうと振り返る前に、怪しい丸眼鏡をかけた司書が思わずといったような様子で声を掛けてくる。

「もし。あなたはもしかして、噂に聞くご令嬢でしょうか?」

 噂とは恐らくランスと同じ昨日の事件についてだろう。だが顔見知りでもないのにそれを指摘するとは、随分礼儀知らずな男だ。

 彼も同じことを思ったのか、即座に謝罪の言葉をあげ、お手本のような綺麗な礼を行う。

「失礼、私はカーミラル。非才の身ながら去年度の特待生として入学させていただいた、卑しき平民でございます」

 彼は平民にしては手入れがされた黒髪の生えた頭を掻きながら、明るい様子で笑っていた。

「いやしかし、平民嫌いの高慢娘とのことでしたが、やはり違うようですね。私が見たあなたはそうは思えなかったので」

 その言葉に少し驚く。確かに暇を見つけるたびに図書館を利用していたが、感想を抱かれるほど観察されていたことにはまったく気が付いていなかった。

 警戒して黙ったままでいると、怪しまれていることを悟ったのか、カーミラルが慌てて弁明を始めた。

「ああいえ、以前からこちらで読書をされていたでしょう?淑女をじろじろ見るのも失礼だとは思ったのですが、あそこまで本に没頭できる方が、そんなにも他人に気を払えないものかと思いまして」

「……本が好きでも、そういう方もいらっしゃると思いますが」

 彼の的外れな弁明に突っ込むと、それに何かを感じたのか、丸眼鏡を掛けなおしながらカーミラルの口が弧を描く。

「あはは。それはそうかもしれないですね。ですがあなたは違うと判断した。それで少し話をしてみたくなったのです」

 その時の彼の瞳は、ルーシーの実家と同じような、値踏みをする商人と同じ輝きを放っていた。

 やられっぱなしでいられるものかと、今度は私から試すように声をかける。

「そうですか。それで、話してみてどうなのです。疑念は晴れましたか?」

「ええ、そうですね。やはり私は間違っていなかったのだと確信しました」

 カーミラルに焦った様子はない。少しばかり不服ではあるが、舌戦では白旗をあげるしかないだろう。

「それは良かった。ではもうよろしいですか?門限も近いので、そろそろ寮へ帰りたいのですが」

「ああ、呼び止めてしまい失礼しました。これからもご利用お待ちしております」

 この数回のやり取りだけで理解できる。こいつは人を思い通りに操って愉悦を感じるような人間だ。笑顔も胡散臭いし。

 とりあえずこちらも笑顔で返し、さっと背を向けてそこを去る。

「ふふ……。やっと見つけた……」

 彼が何かを呟いたのが耳に入るが、ここで聞き返すとさらに面倒なことになる予感がして、努めて無視してその場を去る。

 深く関わりは持ちたくないと思うのだが、きっと付き合うことになるんだろうという妙な予感が、私の中に漂っていた。

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