デボラの結果


 ――これは私が迷路内にいるあいだに、外で交わされていた会話だ。


 花火が上がった瞬間、ルードヴィヒ王弟殿下は甥っ子の肩を叩いた。


 いつも飄々としているアドルファス王太子殿下が、じっと迷路の入口を見つめて佇んでいるさまは、なんとなく胸に迫るものがあった。けなげというか。


 ルードヴィヒ王弟殿下は少し離れたところにいるアレックスを眺めてから、アドルファス王太子殿下にこっそり囁きかける。


「大丈夫だ、アドルファス――ディーナさんは幸運のアミュレットを持っている」


 国宝級の呪物、四葉のクローバーを模したお守り。


 あれはラッキーを引き寄せ、直感に働きかける。正しい選択の手助けになるはずだ。事前に渡しておいてよかった。敵のアレックスは王族ばかりを警戒して、ディーナ本人がすでに呪物を持ち込んでいるとは思わなかったのだろう。彼女は身体検査を免(まぬか)れた。


 ルードヴィヒ王弟殿下からの声かけを受け、アドルファス王太子殿下がホッとしたように頷き返す。


 そう……大丈夫だ。ふたりには安心できる根拠があった。


 元々ディーナは勝負勘が良い女性である。浮気をしていた婚約者のペイトンと別れるのに、これ以上ないという絶好のタイミングでチャンスを掴んだ。それも流れに身を任せたのではなく、自分で行動を起こし、勝機を掴んだ。


 勝負強い女性が、さらに幸運のアミュレットを持っているのだから、負ける要素がない。


 勝負というものは、直前まで調子が良くてもツキが逃げる場合もある。しかしそれはアンラッキーを招く人間に足を引っ張られたなど、思いもかけない不運が重なったケースだろう。


 とはいえそういったイレギュラーなことが起きたとしても、あのアミュレットはあまりに強力だから、負の流れ自体を断ち切れる。


 アドルファス王太子殿下もあの呪物の効果はよく知っているので、大丈夫だと確信を持つことができた。


 初めにディーナが迷路から出て来た。そして少し時間を置き、キッチンメイドのデボラが出て来る。


 手提げカゴを持ったディーナがアドルファス王太子殿下のほうに駆けて来た。


 アドルファス王太子殿下は彼女を抱き留め、深い安らぎを覚えた。


 ディーナ――……僕の宝物。




   * * *




「卵は三つ見つけられた?」


 アドルファス王太子殿下が尋ねる声はとても優しい。


 私は晴れやかな笑みを浮かべた。


「ええ――見て。水色と、黒と、金色」


 ――パン! とアレックスが手を叩いて注意を促す。


「皆さん、結果発表とまいりましょうか」


 場がシン……と静まり返った。多くの目がアレックスのもとに集まる。


 彼のそばには小さな円卓がふたつ――アレックスが手のひらでそれらを指し示す。


「ディーナ、デボラ、こちらへ」


 私はアドルファス王太子殿下ともう一度見つめ合ってから、アレックスのほうに近づいて行った。デボラも前に進み出て来る。


 ふたりは指示されたとおり円卓の向こう側に回り、皆と向かい合う形で立つ。そして卓上に卵の入ったカゴを置いた。


「進め方を説明する」


 アレックスが切り出した。


「まず、デボラから始めよう。卵をひとつずつ割って、中に仕込まれたメモを読み上げてもらう。ゲーム開始前に説明したとおり、メモには男性の名前が書かれている。君たちは選んだ卵三個の『誰か』と必ず結婚しなければならない。――ちゃんと読めるよう、現代語で書いておいたから安心したまえ。実際にひとつやってみようか」


 アレックスがトントンと円卓を叩いて『さあやれ』と促したので、デボラはオドオドし出した。まだよく分かっていないのに、やってみようと言われても……と顔に書いてある。


「ど、どうやったら……?」


「君のカゴに入っている三つの卵は、『黄色』『赤色』『薄緑色』――ではまず『赤色』の卵を割って」


「わ、割る?」


「潰して壊してしまって、結構」


 デボラはアレックスの顔色を窺いながら赤い卵を手に取り、殻を円卓にぶつけた。そう力を入れる必要もなく、カチャ、と殻が割れた。


 中から小さく丸められたメモが出てくる。メモはヒモで結んであった。


「開いて、デボラ」


 デボラは震える手でヒモをほどき、紙片を広げた。


「ええと……ラルフ、と書いてあります」


「ラルフのことは知っている?」


「はい、従僕(フットマン)をしている人で、顔見知りです」


「実はね、今回用意した六つの卵――中に仕込まれている男性の名前は、ディーナ、デボラにとって無関係な相手ではない」


「どういうことですか?」


 デボラはすっかり困惑している。アレックスは皮肉な笑みを浮かべた。


「ラルフ、と聞いてピンとこない?」


「……ピンときません」


「本当に? 彼さ、休憩時間によく話しかけてくるでしょ?」


 デボラは『え?』という顔をしているし、婚約者のハンスは眉根を寄せている。


「ラルフは君のことが好きなんだよ、デボラ」


「そ、そんなわけがありません。だって」


「だって、何? 君はラルフじゃないんだから、彼の気持ちなんて分からないだろう?」


「それは……」


「鈍感もいいけれど、もうちょっとしっかりしたら? ラルフは君に気がある――というわけでね、卵の中には、君たちのことを気に入っている男性の名前が書かれている。デボラを想う男性が三名、ディーナを想う男性が三名――つまりだね、現状ふたりには婚約者がいるのだが、卵の中の名前を見て、相手をチェンジすることもできるってわけ」


「私、チェンジなんてしません」


 デボラがムッとして言い返す。


「へぇ? まぁこう言っちゃなんだが、ラルフより婚約者であるハンスのほうがイケメンだもんね? だけどもっと当たりが隠されているかもしれないよ? ものすごくイケメンでものすごくお金持ちで、君をもっと愛してくれる人が、これから出てくるかも」


「誰が出てこようが、私はハンスを選びます」


 実直なデボラは本気で腹を立てているようだ。ハンスはそんな彼女の様子を見て、瞳を和ませている。


 少しでもグラつかれたらショックだろうけれど、ここまで断固とした口調で「私はハンスを選びます」と宣言されたら、シンプルに嬉しいだろうな……私はそんなことを思った。


「まぁいいや」アレックスが肩を竦める。「じゃあふたつ目の卵を割ってもらおう――次は『黄色』だ。さぁどうぞ」


 手のひらで促され、デボラは気分を害したまま黄色の卵を手に取った。ひとつ深呼吸してから卵を円卓に押しつける。パリ、と殻が割れた。


 ひとつ目と同じように、丸めたメモが出てくる。ヒモをほどき、紙面に目を落としたデボラは――。


「ああ、神様……! やった! ハンス、私、あなたの名前を引いた……!」


 デボラが駆け出し、ハンスの腕の中に飛び込む。


 ふたりは涙を流して喜んでいる。


 アレックスが目を細め、冷めた口調で呼びかける。


「まだ終わっていないぞ、デボラ」


 デボラはハンスに抱き着いたまま、戸惑ったように振り返った。


「え? でも、私はハンスを選んだのに……」


「その相手と結婚するという意思表示をしてもらう」


「意思表示?」


「唇にキスだ。それをもって、君はこのゲームから勝ち抜けできる」


 アレックスの台詞をデボラは最後まで聞いていなかった。恋人たちの顔には喜びの感情が溢れ、引き合うようにキスを交わす。デボラからしたのか、ハンスからしたのか、微妙なところだった。


 人生はバラ色――彼らを見て、私はそんな感想を抱いた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る