第26話

「うぅー、」

「はぁー、はぁー、」

「ひゅー、ひゅー、」

「ぐっ、」


 洋館に入ってすぐに聞こえたのは、マリア、セオドリク、ノア、キースの呻き声と乱れ切った呼吸だった。

 真っ暗な世界に視界が慣れた頃見えたのは、敗北によってぼろぼろになった仲間たちだった。


 全員致命傷は負っていない。


 けれど、あり得ないぐらいにあっさりとやられていた。

 部屋の中央に優雅に佇んでいるのは、教師のローガン。やっぱりと納得がいくバッドエンドへの向かい方に、ベアトリスは絶望を禁じ得ない。


(まだ、まだ死んでいないわ。………諦めるのは、まだ早い)


 自分に言い聞かせてから、ベアトリスは彼に向けてクラウゼルと共に剣を握る。


「………本当に何も知らないんだな。可哀想に」


 そう呟いたローガンは、音も無く、ベアトリスの目の前に現れて、ベアトリスの首に向けて鈍い輝きを放つ刃物を振りかざす。

 直感だけでその攻撃を髪数本で交わしたベアトリスは、くっとくちびるを噛み締めてから鍔迫り合いに持っていく。決して力では勝てないから、剣に乗っかる力はうまく外に逃してしまうが、それでもベアトリスの身体はだんだんと後ろに下がっていく。


(負ける………!!)


 勘だけが頼りの戦場では、理性よりも感情を優先させる主義であるベアトリスは、躊躇いなくバックステップを踏んで、一気に後ろに下がる。


(王太子殿下だけは、何がなんでも守らないと)


 剣を握る手に力が籠る。

 過激な攻撃型の剣術を使うべきだと分かっていても、ベアトリスはローガンに対して絶対に攻撃を仕掛けなかった。ローガンからの攻撃を受け流し、時を見つけては小さく反撃するを繰り返す。


 死への交響曲は、ベアトリスの望まぬ音階へと進み始めていた。


 ローガンの剣はどんどん過激になっていく。ベアトリスは剣先すらに見えないくらいに速い剣にどうにか対応しながら、クラウゼルを守り切るために自分とクラウゼルにありとあらゆる魔法を次々と付与する。


「っ、」


 頬にピリッとした痛みが走って切られたのだと理解した瞬間、横腹に灼熱が走る。


(斬られた………!!)


 ぐっと剣を持っていない手で押さえつけて、ベアトリスは必死に痛みを逃す。彼だけは逃さなければならない。みんなを守り切らなくてはならない。


「………殿下、皆を連れて逃げてください。私では、勝てません」


 乾いた笑いがこぼれる。

 ベアトリスはなんのために強くなってきたのだろうか。


 ーーー他人を守るため?


 そんなんじゃない。

 自分が生き残るためだ。自分が悪役令嬢であると悟る前から、ベアトリスは力を求めてきた。それは、ただの楽しみだった。趣味だった。けれど、自分の運命を悟ってからは、自分の運命を切り捨てるため、生き残るため、強さを磨いてきた。

 でも、こう言う死に方も悪くないと思った。自分が大切だと思えるものを守って死ぬ。本望ではないだろうか。トラックに撥ねられて犬死するよりかは、ずっとずっといい死に方だ。


「………ベティー」


 決して動いてくれないクラウゼルに、ベアトリスは大きく舌打ちをする。そして、大きく口を開けて、思いの丈をぶちまけた。


「さっさと逃げろっつってんの!!聞こえないわけ!?私はあんただけは何があっても死なせない!!私の1番星には、絶対に王さまになってもらわなきゃいけないの!!生き延びろ!クラウゼル!!」


 ーーーキイイイィィィィンッ!!


 金属の切り裂き、砕けるような音が響き続ける館で、ベアトリスはローガンと斬り合い続ける。


 ーーー死ぬ覚悟は、もうできている。


「なぁ、お前は知っているか?お前の父親が何をしようとしているのか」

「?」


 ベアトリスの猛攻をバックステップでかわして剣を構え直すローガンは、ベアトリスに唐突に話しかけてきた。ベアトリスとの戦闘を得てなおかすり傷数箇所しかない彼は、飄々と立っている。


(やばいわね。時間が経っても立たなくても、こっちの負けが確定してしまっているわ)


 手にぐっしょりとかいた汗を服で拭ってから、ベアトリスは警戒心を一気に高める。


「質問を変えよう。………ーーーお前は、俺の正体を知っているか」

「「!!」」


 彼の言葉に、冷酷な声に、無関心な表情に、揺るぎのない所作に、剣を構えたままのベアトリスと全員を館の外に逃して戻ってきたクラウゼルは息を呑む。

 彼は唐突に何を言い始めたのだろうか。何が言いたいのだろうか。


 分からない。


 疑問は迷いを生む。ベアトリスは剣に出てしまう迷いを恐れて、ただ聞き流す姿勢に徹しようとする。


「知っているわ。現国王アルノルト・エーデンフリートと筆頭公爵家が当主アルフレッド・ブラックウェルの腹違いの弟。つまり、私と王太子殿下の叔父にあたるわ」

「ほう。そこまで手に入れていたか。相変わらず優秀な生徒だな」


 面倒臭そうに言う彼は、どちらかというと、クラウゼルの父アルノルトに似ている気がした。人間味がどこか薄い、無機質な感じが、よく似ている。


「そう?あなたに認められるのは嬉しいわ。だってあなたは強いもの」


 剣をくるっと回したベアトリスは、状況について来られなくなっている。知っていることと実感することは別なのだろう。彼が変な気を起こさないかハラハラしながら、微笑みの仮面を身につけて、ベアトリスは彼の無駄口に付き合うのだった。


 話の途中、何かに気がついたらしいローガンが、一瞬だけ目線を横にずらす。けれど、ベアトリスはそちらに反応することなく彼に剣先を向けたまま、話の真意を探る。彼はベアトリスとどこか似ている。無駄なことを嫌い、できるだけ端的に物事を告げようとする。先程の話にも何か隠れているはずだ。


(なにか、何か………!!)


 彼の真意に触れれば、全てが分かるかもしれない。彼がなぜ物語の『黒幕』になったのか、なぜ今、ベアトリスたちを殺そうとしているのか。

 ベアトリスの前世楠木梨瑞は、トラックに撥ねられて死んだ所為でこのゲームの1作目しかプレイできていない。だからこそ、この物語の真相なんて大それたものは知らない。


 探らなければならない。

 そして、己の手でこのゲームの真相に辿り着かなければならない。


 ローガンがにいっと意地悪く笑い、剣先をくるくると弄び始める。怪訝になって眉を顰めると、彼は歌うようにあり得ないことを口にした。


「じゃあ、こんなことは知っているか?お前の父親が、俺を殺そうとしていることは」

「!?」


 穏和な父がそんなことをするはずがないと叫ぼうとして、けれど、ベアトリスは声を発してくれない喉を抑えた。


『な、何故、その名前を知っている………。リズ!どこでその名を聞いた!?』


 思い出されるはベアトリスがローガンの名を口にした時の父の反応。驚きと困惑、そして恐怖に彩られた顔をして狼狽えていた父のアルフレッド。あの時の父は、本当に怖かった。何かされるんじゃないかと思った。

 その時の記憶が、ベアトリスの心に黒い光を灯す。

 絶対とは言い切れない。それがまた悔しくて、辛くて憎い。

 ベアトリスは、瞳を閉じてから、そんな脅しには屈しないと怒りを込めた瞳で彼を睨みつけるために瞳を開けた。


 けれど、ベアトリスの視線に次の瞬間映ったのは、

 ーーーローガンの首が胴から離れて、赤いものを宙を撒き散らしながら落ちていく光景だった。


「っ、」


 あまりにも衝撃的な出来事が起きて、ベアトリスの足はふらっと後ろに動く。ベアトリスが後ろに下がったことによって隣に立つことになったクラウゼルも、衝撃によって動けなくなってしまっていた。


 何が起きたのかさっぱり分からない。

 そのくらいに鮮やかで、残酷で、素早い犯行だった。


「!!」


 びりっと背中に殺気を感じて、ベアトリスは咄嗟にクラウゼルを庇うようにして地面に伏せる。耳元で刃物の通り過ぎる音が聞こえて、同時に目の前にあったローガンの死体が引き裂かれるのを目撃してしまう。飛び出す血飛沫の残酷さに口元を押さえて、ベアトリスはよろよろと立ち上がる。


 ーーーぱちぱちぱちぱち、


 この場に似合わない華やかな拍手の音が耳に響く。

 ベアトリスはその音に、聞き覚えが聞こえる気がした。


 光の如く早い身体強化の魔法を付与させたであろう剣戟、

 闇の魔法を使った毒攻撃、

 風魔法を使った素早い毒の頒布、

 水魔法を使用した気配消し、

 挙げ句の果てには、屋敷に炎が放たれた。おそらく証拠隠滅のためだろう。


 複数の魔法属性を持つ人間は、この国では王族とその棒系のみだ。

 ベアトリスはそれが何を意味するかを理解して、くちびるを戦慄かせる。目からは恐怖からではない涙が溢れ始め、身体から力が抜けていく。もう立っていることもできなくて、ベアトリスは泥と血に塗れたまま地面に座り込んだ。

 クラウゼルがベアトリスを守るようにして前に立ち、剣を握っている。


「おとう、さま………」

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