Day22 視線(お題・賑わい)

 アティーナ星系標準時AST午後九時。家庭教師先から帰宅の途についた美佳はマナーモードにしていたバリカを取り出した。共有スケジュールアプリから通知が一つあり、タップする。瞳と樹季が今日中にマンションから退避するから美佳もそうした方が良いという連絡だ。

「事態が悪化しているみたい……」

 原因は六号室の睦己の部屋にある『何か』だろう。よほど強いモノなのか、急速にマンションが陰気に染まり、怪異が起きやすくなっているようだ。

「文香さんも樹季さんも瞳さんも無事、脱出出来ていると良いけど……」

 アプリに自分も忠告どおり、今夜中にマンションを出ると書き込む。書き込みのボタンを押したとき、ぽろん、軽い電子音とともに、あの首筋の後ろにチリリ……とひきつるような感覚が走った。

「瓜生さん」

 同時に声を掛けられ、振り返る。

「向井さん」

 そこにいたのは、自分達と共に志穂の事故の調査をしている、当時の志保の彼氏、向井隼人だった。

 

「アプリに不穏なメッセージばかりUPされてくるので、心配になって迎えに来たんです」

 マンションまで送ってくれるという隼人に「はあ……」美佳は曖昧な笑みを返した。

 ……私、向井さんに家庭教師先のお宅を教えたことがあったっけ……。

 首の後ろを手でさすりながら、まだまだ夜はこれからだという学生達で賑やかな通りを並んで駅に向かう。

 そういえば、瞳さんも……。

『私、樹季ちゃんが一緒に調査していることは言ったけど、美佳さんのことまで隼人さんに言ったかな?』

 最初に彼と会った日の夜、不思議がっていたことを思い出す。

 それに……。

 さっきの痛みはなんだろう。

 彼に最初に会ったときも声を掛けられる前にこの痛みを感じた。

 駅からマンションへの最寄り駅の行きの電車に乗る。人もまばらな車内に入り、空いた座席に座ると隼人も隣に座った。

 ……この痛み、あまりよくない感じがする……。

 一方的に話す隼人に相槌を打ちながら、美佳は更にその前に、同じような痛みを彼以外からも感じたことを思い出した。

 ……何からだっけ……。

 最寄り駅で電車から降り、駅舎から出る。あのときは、ここで買い物帰りのトールに声を掛けられて……。

「……あ!」

「どうかしましたか?」

「いえ……何も……」

 よみがえった記憶に思わず声を上げる。美佳はいぶかしげに問う彼に誤魔化すように笑って、マンションに帰る足を早めた。

 

「じゃあ、オレはここで。おやすみなさい」

「おやすみなさい。送ってくれてありがとうございました」

 メゾンドコレーの門扉の前で隼人と別れ、二重認証の後、門を潜る。途端に濃くなった空気に美佳は建物を見上げた。

 明かりがついているのは睦己の六号室。それ以外の部屋は真っ暗だ。

「……どうか、無事マンションを出てますように……」

 祈りながら共有玄関を開ける。入った途端、押し寄せる陰気に美佳は思わず手で口を覆った。廊下が血のような赤黒い光に染まっている。ふっと奥から……階段辺りから微かに賑やかな祭り囃子が聞こえてくる。冷たい空気を伴った音に

「もしかしたら、今、階段が異界に繋がっているのかも……」

 ぶるりと身震いをする。階段や橋のように、どこかとどこかを繋ぐ場所は異界に繋がりやすい。この陰気のせいで繋がってしまったのだろうか。そちらに視線をやらないよう、注意しながら美佳は自分の部屋に向かった。部屋のドアを開ける。

「……ここもか……」

 部屋の中にも重苦しい陰気が漂っている。廊下と同じ赤黒い空気の中、ベッドルームに向かう。そこには朝と同じ姿で寝ているトールがいた。

「トール、置いていってごめんね」

 とりあえず、今は自分もここを出る。クローゼットからキャリーバッグを引っ張りだし、支度を始める。そのとき、チリリ……また首筋の後ろに痛みが走り、ぱたた……軽い羽音が部屋の中に響いた。

 

 顔を上げ、周囲を見回す。ぱささ……音を目で追うとハンガーに掛けた帽子の上に、あの頬黒文鳥型のペットロボがいた。同時に上着のポケットに入れたバリカから、ピロン! 通知音が鳴る。バリカを取り出すと画面にショートメールの着信の通知が浮かんでいた。

 通知をタップする。動画が二つついたメッセージだ。一つ目は慌てた様子で階段を登る文香。もう一つは階段を登った樹季を追いかける瞳の姿だった。

「……もしかして……」

『そう、三人とも階段を登ったきり、どこかに行ってしまった』

 声を変えているのだろう。笑みを含んだ割れた声が小鳥から流れる。

 ピロン……新たな動画つきショートメールがバリカに届く。二階の廊下と一階の廊下の監視カメラの早送り映像だ。文香が階段を登った午後五時頃から現在まで三人の姿は上の階にも下の階にも現れていない。

『どこに行ったのだろうなぁ……』

 楽しげな笑い声が響く。美佳はきっと小鳥を睨んだ。

「何かそんなに面白いのですか? ストーカー『百目』、いえ、向井隼人さん」

 

『…………』

「私には解ります。今、そのロボットを通してこの部屋を見ているの隼人さんでしょ」

 チリリ……と首筋に走る痛み。それを以前、美佳はトールとの帰り道に塀の上に止まっていた頬黒文鳥から感じた。あれもペットロボを通した隼人の視線だったのだ。ぱささ……ペットロボが帽子の上から飛び立ち、美佳に迫ってくる。ひゅっ! 嘴が美佳の頬をかすめる。慌ててしゃがみこむと桃色の足が頭を覆う手を引っかいた。

「痛っ!!」

『生意気な!』

 どうやら正体を暴いたことが癇に触ったらしい。頭と顔を覆う美佳を執拗にペットロボが襲う。うずくまる美佳の耳に窓の向こうから声が聞こえてきた。

『美佳さん、こっち』

「とりあえず、こっちに避難して」

「あたし達のところに」

「こっちに来て下さい」

 四つの声が招く。美佳は大きく手をふるい、ロボを払うと立ち上がった。窓を後ろ手で叩き、開ける。夜気をまとった陰気が風に乗って後ろから吹き抜ける。後ずさりをしながらベランダに出て、後ろをちらりと視ると空間にのようなモノが走り、そこから半透明の腕と細い女性の腕が三本、飛び出して自分を招いていた。

 さっきの声はひびの隙間から聞こえる。

 ぱたた!! 振り払ったロボが飛んでくる。爪が美佳の髪を引っかけ、引き抜く。

「痛っ!!」

 思わず上げた悲鳴に楽しげな笑い声が重なった。

『あの家事ロボットが動けない今、このマンションはもうオレが好き放題だ!』

「そうやって今まで女の子達にしてきた犯行は、必ず私達で終わらせます!!」

 笑い声に怒鳴り返す。美佳は柵を乗り越え、四本の腕が招く異界へと飛び込んだ。

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