Day17~24 『真怪』

Day17 異変(お題・砂浜)

 幼い頃の美佳はいつ足を取られ、現実ここではない異界むこう側に踏み込むかもしれない、波打ち際の砂浜を歩いているような子どもだった。

 そんな娘を現実こちら側に繋ぎ止めておく『お守り』として両親が与えたのがトールだ。

『あそこにいる黒い影はなぁに?』

『トールには見えませぇん』

『赤ちゃんの泣き声がするの』

『トールには聞こえませぇん』

 美佳が怪異に気を奪われる度に、それが美佳にしか『視え』て『聞こえ』ないことを教えてくれる存在。

 それは今も。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 七月十七日、月曜日。今日は一限目から講義のある美佳はいつものとおり、アティーナ星系標準時AST午前六時に起きた。

「あ……あれ?」

 今日の天気予告は一日晴れ。梅雨の終わりの快晴のはずだったのだが、部屋が夕暮れのように薄赤い。

「トール、窓のスモークをとって」

 夜になると部屋の中の様子が外から見えないように掛かるスモークを消すように頼むと

「美佳様ぁ、消えてますよぉ」

 キッチンから朝食のスープとこんがり焼いたロールパンを運んできたトールが点目をチカチカさせる。

「え?」

 美佳は目を瞬いた。やっぱり、空気が赤く見える。洗面所に行って顔を洗ってきてもだ。

「……トール、トールのカメラアイの映像を私のバリカに送って」

「はぁい」

 ピロン! バリカの着信の通知音が鳴る。美佳は画面をタップした。そこには柔らかな朝の光が届く明るい室内が映っている。

「……ということはこれは私が『視て』いるのね……」

 大きな事故のあった現場や事故の多発する交差点や駅、ホテルの『曰く憑き』の部屋では、こんなふうに空気に色がついて『視え』たり、黒いが掛かっているように『視え』ることがある。

「そうだ、志穂さん」

 美佳は志穂を呼んだ。幽霊の志穂なら何故こうなってしまったのか解るかもしれない。

 しかし、いつも

『おはよう。美佳さん』

 優しく応えてくれる声がしない。美佳は部屋を見回した。だが、どこにもあの半透明の姿が無い。

「志穂さん!」

 

 * * * * *

 

「志穂がいなくなった?」

 大学の昼休み。学食の外のテーブルに集まった三人に美佳は頷いた。今朝、部屋を隅々まで探したが、志穂はどこにもいなかった。

「そちらには行ってませんか?」

 美佳の問いに全員が首を横に振る。

「実は……」

 異変は志穂がいなくなったことや、美佳の部屋が赤く見えることだけではない。大学に行こうと部屋を出るとマンションの廊下や共有玄関を出た敷地全体が夕暮れのように赤く染まっていた。

「私達は特に変な感じはしなかったけど……」

 瞳が首を捻る。

「でも、本当に志穂がいなくなったのなら、そのせいかもしれないのね?」

「そこで皆さんに訊きたいのですが……昨日はどこに行ってましたか?」

 金曜日、土曜日と集まったのもあって、昨日の日曜日は四人とも別々に過ごしていた。

「あたしは……」

 樹季は特撮研究所のメンバーと映画で、文香は友達とショッピングで夜まで出かけていたらしい。瞳は部屋の片づけに買い出しと一日家事をしたり、レポートを書いたりして過ごしていたという。

「そのお出かけ先で『曰く憑き』の場所を通ったり、何か事故を見たりしませんでした?」

 霊感が無くても、事故現場や過去に事故が起きた場所で、そこにいる霊と波長があってしまい、憑けてきてしまうことがある。

 美佳の問いに文香が怯えたようにぶんぶんと首を振り、瞳と樹季もそんなところには行かなかったし、何も無かったと答える。

「とにかく、異変が起きているのは確かのようだから、美佳さん、帰ったら私達の部屋を『視て』くれる?」

 他にもまれに雑多な霊を知らずに憑けてしまうことがある。そういう霊はシャワーでも浴びて身を清めれば落ちてしまうが。美佳は祓うことは出来ないが、取り除く対策ならいくつか父から教えられている。

「はい」

 もしかしたら志穂も朝散歩にでも出かけていて、帰ったら誰かの部屋にいるのかもしれない。そう淡い期待をしながら美佳は頷いた。

 

 * * * * *

 

 マンションの廊下を歩く複数の足音に睦己は部屋を出た。

「どうかしましたか?」

 廊下には一号室の市川瞳を先頭に、三号室の瓜生美佳、五号室の後藤樹季にトールと、トールの腕を握った二号室の安双文香が歩いている。

「あ、いえちょっと……」

 四人の女子学生がぞろぞろと各自の部屋を回っていく。

「何でもありませんので、向井さんは気にしないで下さい」

 誤魔化すように愛想笑いを浮かべる彼女達に、睦己は眉間に皺を寄せながらも部屋に戻った。

「……随分、仲良くやっているじゃない」

 自分がいない一週間の間に、瞳と樹季以外、さほど交流のなかった住人達の距離がぐっと縮まった感じがする。そこはかとなく感じる疎外感に、あのこもれびのように眩しい女子学生を見るときのように睦己の胸がモヤつく。

「……昨日、私が帰ったときは誰も気にも止めなかったくせに……」

 むっと顔をしかめる。靴箱の上、甥に貰った観音像に向かって文句を言う。観音像の彫り込まれた唇がにやりと歪んだ……ような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る