婚約破棄3秒前→5秒後結婚物語
豊口楽々亭
第1話 婚約破棄3秒前
「私はここに宣言する────」
目覚めると同時に、自分の口から高らかと響いた声が他人の物のように耳に届いた。
実際、こんな声に聞き覚えはない。
─────だって『私』は、女のはずなのだ。
戸惑う私の目の前には、一人の少女が立っていた。
豊かな黒髪は艶やかで、まるで美しい夜空の帳を思わせる。
瞳は氷の薄膜が張ったように透き通り、その内側には透明な青い泉が広がっているようだった。
陽射しを受ければキラキラと輝いてくれるだろう美しい虹彩が、今は長い睫毛の蔭に隠れて陰鬱に澱んでいる。
『私』はそんな彼女に人差し指を突きつけて、何かを宣言しようとしていた。
─────っていうか、何を?
─────こんな美女に私が言う事ってなんかある?あれか、ファンですとかか?
混乱した私の脳味噌を現実な引き戻してくれたのは、後ろから私の服を引く弱々しい力だった。
思わずそちらを振り返って見下ろすと、愛嬌たっぷりの可憐な瞳が瞬いている。
「アステリオス様…」
甘くて、マシュマロみたいに柔らかい声に、思わず庇護欲を誘う華奢な体つき。
この世の可愛さ全てを手中に納めたかのような女の子の存在に、『私』の脳味噌に稲妻が走った。
────私、この子を知ってる。恋スタの篠宮きららだ!
混乱しながら改めて前を向く。
そこには、私をじっと見つめる氷の瞳の少女が変わらずに佇んでいた。
彼女の名前も、私は分かっていた。
私の最推しカップルの片割れ、ユーノちゃん…余りにも嬉しくて一瞬テンションが上がり掛ける私だったが、迫ってくる現実が私の頭に冷や水を浴びせかけた。
────この世界は、私が夢中でプレイし続けていた乙女ゲーム。課金がエグいと名高い『恋して☆スターリーナイト』、略して『恋スタ』の世界だ。
そして、アステリオス…その名前は男性主人公のうちの一人、難攻不落と名高い皇子の名前だった。
『私』はもう一度、きららを見下ろした。
榛色の瞳には、『私』の姿が映っていた。
整った歪みのない顔立ちに、ここが至上の位置である。と言わんばかりに完璧な場所に鎮座する高い鼻と、通った鼻梁。蒼天の瞳は、今は驚きに見開かれている。
そんな『私』を映し出すヒロインの名前、『篠宮きらら』を、私がなぜ最初から知っているのか。
もちろんゲームのデフォルトネームだから記憶に残っていても、不思議じゃない。
でも、ゲームの知識として知っているだけでは得られない、体と頭に染み付いている感覚があった。
─────『私』の記憶と、皇子アステリオスの記憶が混ざり合っているんだ…きっと
『私』が状況把握に勤しんでいる間に、目の前の美しい少女は声を張り上げる。
「アステリオス様、早く続きを仰って下さいませ。わたくし、見世物になるために卒業パーティーに出席した訳ではございませんの」
凛とした気品のある声が、『私』の心臓を貫いた。
周囲を見渡せば、こちらを見て囁きあっている貴族の子息、令嬢の姿。
更にはアステリオスの父である皇国の王を筆頭に、多くの家臣が『私』に視線の集中砲火を浴びせていた。
私は、現状を把握した。
─────あ、ここ、婚約破棄のシーンだ。
そう思った瞬間、冷汗が一気に溢れてきた。
この後の展開は知っている。
婚約者である侯爵家の令嬢、ユーノ・アルカソックに婚約破棄を申し渡すのだ。
そしてユーノの名誉は地に落ちて、そのまま修道院に送り込まれる。
その後は邪魔な婚約者がいなくなり、アステリオスはきららと幸せな甘い生活を送りました…という薄っぺらい胸キュンのストーリーが展開されるのだ。
────だけど、それはゲームの中だからこそ許されること。
一人の女の子の運命を、惚れた腫れたで左右して良いはずがない。
助けを求めて背後を振り返ると、きららの後ろに4人の美男子が整列していた。
そしてその胸元には、ヒロインの告白成功を示す、白い薔薇が飾られている。
─────待ってこれ、ハーレムエンドじゃん!?
気の弱そうな青髪の美少年は、将来宮廷魔術師になる、天才少年のゼファ。
血の気の多そうな赤髪の男前は、将来第一近衛騎士団の団長に若くして任命されるはずのアドニス。
微笑みが優しい緑髪の優男は、将来宰相になる皇国の頭脳のオルフェウス。
冷めた瞳に熱を帯びる黒髪の強面は、将来魔王になるはずの第二皇子、アステリオスの弟のイカロスだ。
きららの後ろに寄り添う全員の男主人公たちの視線が、『私』ではなくきららに注がれていた。
常軌を逸した狂信的な目付きは、恋というより悪い薬に犯されたようだった。
男主人公4人全員を陥落し、ここで最後に皇子が侯爵令嬢に婚約破棄を言い渡すせば、皇国の王になったアステリオスが一妻多夫制を公布してハーレムエンドが完成する。
マジでビッチすぎねぇか???って私がドン引きしたエンディングだ。
こんなの、非現実だから許される展開であって、現実で望んでいる訳じゃない。
─────なにより私は、一途萌え!!!
ここまで考えるのに、『私』が要した時間は3秒だ。
さすが頭脳明晰な皇子の脳味噌。状況把握が速やかで助かる。
じゃあ、ここから先はどうするか。
『私』は対峙する侯爵令嬢のユーノに視線を向けた。
彼女は果たして婚約破棄をされなければならないぐらい、悪いことをしていただろうか。
『私』は急いで、皇太子の過去を振り返った。
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