第20話

 昼休みの終わり、別れ際に僕と小金井は放課後に図書室で会う約束をした。


放課後、教室を出て僕はふわふわとした足取りで特別棟に向かった。


 その途中で僕は泉と会った。


 泉は手に本を一冊持っていた。泉も図書室に向かっているのではないかと思い僕は焦って声を掛けた。泉は「どうしたの?」と答える。


「いや、何でもないんだけど」


「亮太は?」


「先帰ったよ。今日は好きな連ドラの最終回らしい」


 泉は「そっか」と力なく頷いた。心なしかいつもより元気がないように思える。


「どうかした?」


 僕が訊くと彼女は頭を振る。


「何でもないよ」


 泉は笑って言ったけど、無理に作った笑顔に思えた。


「その本、図書室に返しにいくの?」


「ああ、これ音楽室から借りた本なの。今から返しにいくところ」


「そうなんだ」


 僕は思わず胸を撫で下ろす。これで泉と小金井が鉢合わせることもない。


 図書室以外に各特別教室にも本棚があって、自由に借りられる。でも普段、誰かが借りているところなんて見なかったから、少し驚いた。


「それじゃ、そろそろ行くね」


 泉はそう言うと階段の方へ歩き出した。


 いつもなら一緒に行こうとか言ってきそうなものだったけど、今日の泉はやはり少し変だ。いや、今日というよりも最近の泉は妙に暗い時がある。追うべきかとも考えたが、僕は小金井との約束を優先し図書室へ向かった。


 図書室の前まで来てドアを開くと正面に貸し出しカウンターがあるが、そこに人の姿はなかった。カウンターから奥に進むといくつかの長机と椅子が並んでいる。室内を見回し一番本棚に近い席に小金井が座っているのが見えた。他に人の姿はなかった。


 小金井は眉根を寄せて、大判の本に目を落としていた。


 僕が近づくと彼女はこちらを一瞥した。


「それは?」


 僕が言うと小金井は顔を上げた。


「学校史。何か載ってないかなと思って。でも、知りたいことは書いてなさそう」


 彼女は本を閉じて、元の場所に戻しに行った。


 再び彼女が席に着くと僕は向かいの席に座る。


 図書室特有の古い紙の匂いと埃っぽさで僕は思わずくしゃみを一つした。


「えっと、それでいつから?」


 僕が言うと彼女は首を傾げる。


「何が?」


「泉のことだよ」


「ああ、はじめからよ」


 冷然と彼女は答える。まるで全く興味がないみたいに見えた。


「それって?」


「私がここに転校してきた時から」


 彼女が転校してきた時にはすでに泉に取り憑いていたことになる。つまり、もう二ヶ月近く経っている。


「口もずいぶん開いている。鳴き声を上げるのも時間の問題だと思う」


 小金井の言から考えると鳴き声を上げるイコール死を意味していた。


 泉の身に危険が迫っているという実感はない。何かふわふわしていて考えもまとまらなかった。


 しかし、不意に昨日のライダーの姿がありありと思い出された。その瞬間、背中に何か得体の知れない恐怖が伝った。


「ど、どうにかならない?」


 小金井は頭を振ってできないと断言した。


「いや、でも、死ぬって決まったわけじゃ……」


 僕の言葉に小金井は眉をひそめる。


 僕はすぐに弁明する。


「ごめん。でも、ほら何か方法があるんじゃないかなって?」


「それはない。そんなものあれば私がやってる」


「でも、一人ぐらい助かったとか」


 しばらく小金井は黙っていたけど、唇を噛んで言った。


「一人だけ、死ななかった人はいる、けど……」


 僕は思わず立ち上がった。


「それなら泉が死なない方法だって──」


「あるわけない」


 小金井は静かにそして強い口調で言った。


「助けられるならもうやってる。できないから、私は……」


 それきり小金井は何も言わなかった。窓の外で楠が風にゆられてサワサワと音を立てている。


 僕はでしゃばった発言をしてしまったと今更に気づいた。僕は彼女がこれまでどんな経験をしてきたのかも知らない。それなのに知ったような口を聞いてしまった。


「何も知らない奴が、か」


 西海の言葉が思い出された。確かにその通りだった。僕は何も知らないのだ。


「ごめん。考えなしだった。でも、僕は泉に危険が及ぶなら何かできることを探りたい。だから、助かった人の話、聞かせてくれないかな?」


 小金井は頷いた。


「私もごめんなさい。泉さんのこと、だもの当然よね」


 小金井はそう言うとカバンからノートを取り出して、白紙のページを開いた。


「ずいぶん前の話だから正確に話せるかわからないけど」


 小金井は白紙のページに何かを書き始める。


「私が八歳の時、友達がね。学校に来なくなったことがあった」


 室内の蛍光灯の光が微かに揺れた。


「何があったの?」


「小学校に上がってすぐにその子は母親を亡くして、それから、父親と二人暮らしだったみたい」


 小金井は「それで……」と続ける。


「その子、学校に来なくなる前から腕とか脚に痣ができてることがよくあった。何かあるんだろうなって思ってたけど、その子、父親から虐待を受けてたの。それからしばらくして、その子の肩にアレが見えるようになった」


 小金井は白紙のページに家の間取りのようなものを書き始めていた。四角がいくつもつながっていて、そこに棒人間が二人。


「その子とは幼馴染だったから、あの日、私はその子の家に行ったの。一週間以上も学校を休んでいたから気になって。そしたら家の庭がゴミでいっぱいになってた。中から凄い怒鳴り声が聞こえて私は玄関の扉を開けたの」


 小金井は間取りの玄関のところを丸で囲んだ。


「扉を開けて目の前は廊下だった。奥にはキッチンがあってそこにその子と父親が立っていたの。父親は包丁を手に持って、その子に突きつけていた」


 小金井はその時の人の位置、間取りを白紙のページに書いていた。それを指し示しながら小金井は続ける。


「それで私、無我夢中で玄関に置いてあった花瓶を父親に向かって投げつけたの。父親には当たらなかったけれど、台所の窓に当たってすごい音がした」


 小金井は唇を噛んだ。


「でも、それが悪かった」


「どうして?」


「窓ガラスが割れた瞬間、父親がこちらに向かってきた。殺されるって思った。でも、私に気づいたその子が父親を止めようとして……」


 小金井の言葉は途中で途切れた。


「どうなったの?」


 僕は問うと再び口を開いたけど、


「その子が、父親を押し倒して、それで、床に転がった包丁で」


 一呼吸置いて小金井は「背中を、刺した」と言った。


 つまり、その子は父親に包丁を突き刺したということだった。


「それで、父親がこちらに近づいてくる時、その子から白いモノが離れていくのが見えた。その後のことは覚えてない。怖かったからあまり見られなかった」


 小金井はノートを閉じた。


「その子の父親はどうなったの?」


 小金井は首を振った。


「亡くなった。でも、その子が刺したからじゃない」


「それって?」


「刺されてすぐに救急車で病院に運ばれたんだけど、その途中で救急車が事故に遭って」


 事件に事故、立て続けに起こるものなのだろうかと思ってしまった。


「そのとき白いモノが離れていったっていうのは確かなんだよね?」


 小金井は頷く。


 それならば、そこに何かのヒントがあるのではないかと思う。


「その子にその時のこと訊いてみたら少しは手がかりを摑めるんじゃないかな?」


 小金井は首を振る。


「もちろん、ずいぶん前に訊いたけど、手がかりになりそうなことは聞けなかった」


 小金井はそう言うと図書室のドアのほうへ歩き出した。


「今まで色々な人が死ぬのを見てきたけど、どうにもならなかった。正直、もう人が死ぬところなんて見たくない」


「なら……」


「もううんざり。泉さんは死ぬ。でも私には何もできないから。何をやったって無駄なの。神様か誰かは知らないけれど、それはもう決められたことなんだと思う」


 そう言って小金井は図書室を出ようとドアに手を掛ける。


「まだ話が──」


 小金井は僕の声も聞かずにドアを開いた。


 しかし、彼女はそこで足を止めた。


 バチッと乾いた音とともに小金井の束ねられた後ろ髪が揺れる。


 開かれた図書室のドアの前には泉が立っていた。そして、泉は小金井の頬を叩いたのだ。


「……陰口とか、最低」


 泉はそう言うとこちらを睨む。


「私のこと嫌いなら、私の前ではっきり言えばいいじゃない? ほんと陰険」


 泉はそう言うと走り去ってしまう。


「ちょっ、泉!」


 僕は追いかけようとドアの外まで駆けて行ったが、もう泉の姿は見えなかった。


「小金井さん、追いかけ……」


 僕は「追いかけよう」と言おうとしたけど、声が出なかった。


 小金井は目を見開いて、頬を押さえていた。


「私は……」


 小金井は俯き、拳を握って何かに耐えているようだった。


 僕の注意が足りていなかった。図書室は泉もよく来るのだから別の場所を指定すべきたった。


「ごめん。僕のせいだ」


「いえ」


 小金井は一つ大きく息を吐いた。


 それでも僕は言った。


「さっきの話だけど、まだシラズ蛙については調べられることが残ってると思うんだ。だから、調べるだけでも協力してくれないかな?」


 小金井は頭を振った。


「これ以上、泉さんに関わりたくない」


「だから、シラズ蛙について調べるだけ、それだけだから」


 必死に頼み込んだ末、小金井は了承してくれた。


 図書室には夕日が差していた。頬を押さえる小金井が橙色に染まっていた。小金井もこちらを見ていた。居心地悪そうにしていたけど、怒っているようには見えなかった。


 小金井は泉を避けているけど、別に嫌いではないのではないかと思えた。

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