第11話

ぶらぶらとショッピングモール内を一周して戻ってくると泉はいまだに水着を決められていないようだった。隣にいる近江はうなだれている。しかし、店の外から見ると二人ともなんだかんだで楽しんでいるように見えた。


 泉は昔よりもずいぶん明るくなった。最初のほうは無口で大人しかったのだが、徐々に言葉数も増えて喜怒哀楽もはっきりしてきた。クラブには入っていないけど、運動も勉強もできるから今では校内でも一目置かれる存在だ。文句なしの優等生の泉は誰とでも分け隔てなく接する。その姿はどこか近江に似てきた。


 呆然と二人の姿を店の外から眺めていると僕の横で誰かが立ち止まる。


「女性服に興味でもあるの?」


 横に立っていたのは小金井だった。彼女は真顔でこちらを見つめていた。


「小金井、さん」


「やあ。お目当ての服でも?」


「えっと、いや違うって」


 僕は店内を指さした。


「友だちと来てるんだよ、ほら」


 小金井は目を細めて店内を見た。


「そんな人いる? どこ?」


「えっ? いるだろ?」


 僕もすぐに振り向いて確認した。やっぱりそこには近江と泉がいる。


 僕は小金井を睨んだ。小金井はくくっと喉の奥を鳴らして笑った。


 僕はため息を吐く。


「何でこんなところに?」


「買い物よ」


「一人で?」


「二人で。でもはぐれちゃって」


 小金井が誰と来ているのかは何となく想像できた。親と来ているなら「二人で」なんて言わないと思う。


「電話すれば?」


「携帯持ってないから」


 今時携帯を持ってないなんて珍しい。


「そうだ、ちょうどいい。この前の話の続きなんだけど」


「いや、ちょっと急には」


 僕は店のほうを一瞥した。近江が向こうから近づいてきているのが見えた。


「今は友だちと来てるから……」


「おーい! まっちゃん! どこ行ってたんだよぉ。まっちゃんいなくなるからもうヘトヘトだぜぇ」


 息を切らして走ってきた近江は小金井を見て目を丸くする。


「おっ、おい! 何でがねっさんがいるんだ?」


「がねっさん?」


「どうも、近江くん」


 二人はつい最近知り合ったはずなのに妙に親しげだった。


 近江は僕の耳もとで囁いた。


「小金井さんっていうのもなんか長いだろ? それと、がねっさん付き合ってねえって」


「な、何を」


 僕らを見て小金井は首を傾げた。


「何話してるの?」


「いやいや、何でもないぜ」


 近江の後ろから会計を済ませた泉もやってくる。


「亮太、急にどっか行かないでよ」


 買い物袋を下げた泉は心なしか嬉しそうだった。


「買えたんだね」


「買えたんだね、じゃないわよ。どこ行ってたのよ……って、え?」


 泉は小金井を見て固まった。


 小金井と泉、二人は顔を合わせると会釈をするだけで会話はない。普段からそれなりに明るい二人だったから僕は違和感を覚えた。


「それで何でがねっさんはここにいるんだ?」


 妙な雰囲気になっていたが、近江は気にせず話を続ける。


「買い物。でも連れとはぐれちゃって」


 それを聞いて近江はニヤリと笑みを浮かべる。何かよくないことを企んでいるように思えた。


「それなら探すついでに俺たちと回ろうぜ」


「それは……」


 小金井は僕のほうを一瞥し、少し迷ったような素振りを見せてから「いいけど」と頷いた。


「おし! 決まりだな」


 二人だけでどんどんと話が進んでいく。僕と泉は完全に蚊帳の外だ。


 近江はやってやったと言わんばかりにこちらを向いて親指を立てた。


「じゃあ、早速いくかぁ」


 近江が先陣を切って歩き出す。その後ろを僕と小金井が付いていく。


 振り返ると泉は俯いて立ち止まっていた。


「どうしたの?」


 泉はゆっくりと顔を上げる。


「ううん、何でもない。ちょっとお手洗い行ってくるから先行ってて」


 泉はそう言うと僕らとは逆方向に歩き始めた。


「ちょっ……」


 声を掛けたがすでに僕の声は泉に届いていないようだった。


 それからショッピングモール内を探索していたのだが、小金井の連れは見つからない。近江は僕と小金井が話せるように妙な気を使っているようで僕らの三歩後ろを歩いていた。


 振り返ると近江は満面の笑みだった。僕は思わず顔を歪める。


「それで、この前の話の続き聞かせて」


 小金井は唐突に言い出した。


「ごめん。何の話で終わったっけ?」


「君のお婆さまの」


「ああ、そうだった。あれは──」


言いかけたところで近江が声を出した。


「まっちゃん、泉から連絡が」


 近江はケータイの画面をこちらに掲げる。そこには泉からのメッセージが表示されていた。


 メッセージには「帰るね」の一言のみが打ち込まれている。


 小金井もその画面を覗き込む。


「急に何で?」


「わかんねえよぉ」


 近江が頭を抱える。


 今日、泉の様子が少し変だったのは確かだ。でも、普段ならこんな風に帰ったりはしない。


「私のせい、かな?」


 小金井は薄い笑みを浮かべて言った。


「ちげぇよ。がねっさんは悪くない。俺が悪いんだ」


 近江は頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「それよりも早くバス停に行こう! バスの本数もそんなに多くないし、まだいるかも」


「そ、そうだな」


 近江が頷く。


 僕と近江はバス停のある駐車場の方角を確認する。小金井はその場に立ち止まっていた。


「私はいないほうがいい、よね?」


 僕は何を言えばいいか分からなかった。


「俺が言い出したのに。がねっさん悪い」


 近江は頭を下げ、僕らはすぐにバス停へ駆け出した。


 雨音は激しさを増していくように思えた。


 ショッピングモールを出るとバス専用のロータリーとその奥に広大な駐車場が見える。


 ロータリーには人の姿はなかった。バス停の時刻表を見ると次のバスまで五分ほど時間があった。


「いないみたい。まだ来てないのかな?」


「わかんねぇ」


「次のバスが来るまで待ってみる?」


 近江はケータイを取り出して泉に電話をかけ始めた。


 しかし、一向に繋がらない。


「俺は一回モール内を探してみるわ。まっちゃんはここで泉が来るかもしれないから待っててくれるか? なんかあったら連絡たのむ」


 近江は僕が頷くとすぐにショッピングモールへ走り出した。


 僕は駐車場を見回した。広大な駐車場にはほとんど車がなかった。そこからは海がよく見え、駐車場の海側にはベンチがいくつか設置されている。


 雨の降りしきる駐車場は灰色に煙って視界が悪かった。


 僕は傘をさして駐車場に向かって歩いた。


 大粒の雨が降る地面は泡立つ肌のようだった。歩くたび雨粒が足元で弾け僕のズボンの裾を濡らす。


 駐車場の一番端のベンチに誰かが座っているのが見えた。


 僕はすぐにそこに向かって走り出した。


 ベンチに座る彼女は海のほうを向いていた。


「こんなところで……風邪ひくよ」


 泉は傘をさしてはいたけど、濡れたベンチに座っていたせいで服は大部分が濡れている。


「何でこんな日に限って雨なんだろう」


 泉は空を見上げて言った。重苦しい鉛色の雲が空の全部を覆い隠してしまっている。


「ごめん」


 泉は呟く。


 広いこの駐車場には雨音ばかりが響いている。


「早く戻ろう。近江も心配してる」


 しかし、泉は頭を振る。


 僕は一つため息をついて、ベンチに座った。ズボンが濡れるのも気にならなかった。


「小金井さんと仲悪いの?」


 僕が尋ねると泉は頷いた。


「何度か話しかけたことがあって、でも全部無視された」


 泉は俯いて、言い訳するみたいに弱い声で言う。


 小金井がそんなことをするとは思えなかったけど、泉が嘘を言うとも思えない。


「そっか。でも、急にあんなの送られできたら近江も僕も心配する」


「ごめん」


 海面も雨のせいで泡立つ肌のようだ。


「でも、亮太が何であんなに仲良くしてるのかがわかんないし、今日に限って出くわすのも最悪だし」


 泉はずっと海を見つめている。


「あれは、近江が妙な気を利かせただけだから。あいつ僕と小金井さんをくっつけようとしてるんだよ」


「だって、小金井さんには西海がいるでしょ?」


「僕もよくわかってないんだけど」


「だいたいなんでハルなの? そんなに仲良かった? っていうかどこで知り合ったのよ」


「いや、この前、海でたまたま会ったんだ。そしたら魚に妙に関心があるらしくて……」


「何それ」


「だから、原因は僕にあるんだ。近江も別に小金井さんに好意があるとかじゃないから心配しなくてもいいと思うよ」


「な、何でそんなことわたしが心配しなきゃいけないのよ」


「そりゃ……」


 泉は耳を赤くして顔を伏せた。


「知ってたの?」


「そりゃ、近くにいればね」


 彼女はしばらく黙って俯いていたが、ゆっくりと顔を上げた。


「わたし亮太に言おうと思ってるんだ。自分の気持ち」


「え?」


「もちろん今じゃないんだけど、中学も残りそんなにないし、高校生になったらみんなバラバラになるかもしれないから……」


 僕は黙って泉の言葉を聞いていた。


 泉が今まで自分の思いを伝えなかった理由はなんとなく理解していた。


 三人の関係が壊れるのではないか。泉にはそんな不安があったのかもしれない。


 近江だって泉のことを悪く思っているはずがない。だから、僕がいなければ二人はもっと上手くいくんじゃないかと思ってしまう。


 二人ともクラスでは人気者で友だちも多い。近江は元々だけど、泉も昔とは違う。


 泉はポツリと呟いた。


「自分勝手だよね。わたし」


 傘に雨粒が当たる。その音がやけにうるさく思えた。


「自分勝手でいいと思うよ。人のことなんて気にしなくても。泉の気持ちは泉にしかわからないから」


 泉は海のほうを眺めていた。


 そして、彼女は一言、「ありがとう」と言った。


「近江も心配してるからそろそろ行こう」


 僕は立ち上がる。泉もゆっくりと立ち上がり僕の後ろをついて歩いた。


 僕はケータイで近江に泉発見の連絡を入れる。


 激しい雨の中、僕と泉はバス停前まで来た。


 するとショッピングモールの入り口付近で黒い傘を持った人が立っていた。背が高く、脚は細くて長かった。近づくと傘に隠れていた顔が見えた。赤茶色の髪に耳にはピアス、西海だった。

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