4節:夏咲すみかの学園生活──夜──
外の雪がさらに降り積もっていく寒い夜。
二人っきりの教室で、先生の言葉を私は必死にノートに書き留めていた。
「魔術の領域において、もっとも大事なのはこの儀式といった過程であり、それが人類の英知である科学とは一線を画すところだ」
先生は黒板にきれいな正円と、その中に大小さまざまな図形を描いた。
「魔法陣くらいは夏咲さんも知ってるだろ?」
「あのかっこいいやつですよね。私でも描けますよ……ほら、見てくださいよこれ」
そういいながらこっそりノートに落書きしていた魔法陣集を先生に見せる。
描かれているものはどれも丸の中に三角と逆三角を合わせた図形を取り入れさらに複雑な文字列を取り入れた一般的なイメージの魔法陣だ。
先生はそれを見るなり顔をしかめた。
「素人にしてはよく描けてはいるがそれは細部が適当だな。残念ながら不正解」
ノートに描かれている魔法陣の一つに赤ペンで罰をし、さらにそれを黒板に複写し、数字や図形を書き足す。
「それじゃあただこぎれいなだけだ。魔法陣っていうのはな、こんな感じで線の一つ一つ、描かれている文字や円のゆがみそのもの、どこに描くか、さらには描き手の意思にも意味がある」
先生が修正した魔法陣は、私が描いたものよりも図形として整っていて、なおかつ情報量の密度も手作業とは思えないものになっていた。
言ってしまえばその作業そのものが魔法の粋に達している。下手したらそれだけでもアーティストとしてやっていけるのではないだろうか。
「
美しい仕事に私が感心している間に、よく聞き取れない言語の詠唱を先生が口にする。
瞬間、カナリアほどの白い鳥が魔法陣から飛び出した。
「まぁこんな感じで魔術は行使されるわけだ」
「へー。やっぱ実物見せられると一昔前の手品みたいで良いですね」
再度先生が何かしらの言葉を発した瞬間、その鳥は消えた。
「……手品なんて俗っぽい事、私以外の教員の前で言わない方が良いぞ。生粋の魔術師は今の発言で間違いなくキレる」
「え、そうなんですか?」
「ああ。宗派によっては神に祈ることと同一のものだ。祈りが偽物であるはずの手品と同一視されたらたまったものじゃないだろうな。まぁ、そんな魔術師、今の時代ではほとんど消え去ったがな」
黒板に書かれていたさっきまでの講義内容を消しながら、先生は呟く。
「どんな奇跡も解剖して覗いてみればそういった地道な祈りという名の努力の積み重ねなんだよ。だから、そういう意味では手品みたいなものなんだけど……魔術は手品の先を行くものだ。手品みたいな、嘘で終わる残酷なものなんかじゃ決してない」
そんな言葉を私は頬杖をつきながらなんとなく聴いていた。
この学園に来て学んだことは、魔術師はこういう手品と奇跡の違いにやけにこだわるのだという事。
気難しい人は多かったけど、どことなくおねえちゃんと同じ人種の感じがして私はそういった人たちに対しての憧れがあったのは内緒の話。
先生は、私のような魔術に愛されず触れることすら許されないような人間とは違い、魔術を専門としそれを自在に操る人間だ。
名前は
魔術の実習授業で単位がもらえない私の為に、特別補習を受け持ってくれているこの学園唯一の男性教師の先生。歳はたぶん30くらい。
しずしずなんてあだ名でいじる不届き物が居るとかいないとか。そんな名前で呼ばれたらこの人がどんな顔をするのかは見てみたいけど、言ったらものすごく怒られそうなので言わないでいるのがかわいい教え子の務めだろう。
「とにかく、君が適当にノートに描いても何も起こらないのはそういった理由からだ。それで在る意味、必然性。そして、成し遂げたいと思う意思が圧倒的に足りない」
「意思……気持ちが大事なんですか?」
「まぁな。すべてが可能になるわけじゃないが、これを成し遂げたいっていう強い意志が無茶を通す」
「なんだか夢がありますね。信じれば叶うってやつです」
その言葉のどこかが気に入らないのか、先生は眉間に皺を浮かべた
「……夏咲さん。何度も言うが、魔術っていうのは万能じゃないんだ。万能になれない者たちにとっての悪あがきでしかない。そんなものに夢なんて抱かない方がいい。信じれば救われるっていって望みを望んだとおり叶えたやつはそうそういない。信じることそのものが救いってのがいいところだ」
「うーん先生ってそういう魔術はすごいんだーってところに否定的ですよね」
「……私はその魔術で救われたことが無いからな。しかも私よりも才能があるやつですら救われない。すべて嘘だと思ってるよ」
自嘲気味に先生は言った。
奇跡のような力をもっているのに救われないなんて、なんだか矛盾しているように感じる。
じゃあ、信じても。祈っても人は救われないのだろうか。
振るい宗教がに描かれていた女性の絵を思い出しながら私はその小さな理不尽に心の中で文句をつけた。
「先生はさっき、魔術には儀式の工程が必要って言ってましたけど、無くてもできるんですよね? 先輩とかは何も用意しないでも炎を出してましたけど」
朝に私のお気に入りの眼帯が燃やされたことを思い出す。
今の先生とは違い、先輩は魔法陣も詠唱も使っていなかった。
「この場合の儀式というのは結果を出力するのに必要な工程のようなものでな。何らかの形で実現できるなら必ずしも魔法陣や詠唱は要らない。魔法陣や詠唱は儀式に必要な道具みたいなものだ。体内などに道具があるならなくてもできるんだよ」
「じゃあ、先輩は常に魔法陣に相当する道具を持っているんですか?」
「ああ。そこらへんは才能だ。生まれたころから体内に式が刻まれていたり、超能力を持っていたりとかな。回りくどく儀式をするのは私みたいに才能がない人間だけだ」
先生はまた自嘲をする。
この人に特別補習を受け持ってもらってもう2年目だけど、どうにもこの人はネガティブというか悲観的というか自虐的なところがある。
私みたいにアレルギー反応を起こしながら魔力を流すしか取り柄の無い人間もいるというのに、もう少し元気を出してほしいと思う。
「纏めると、魔法陣というのは儀式を行うために必要なものであれば明確な定義はない。君には馴染みが無いかもしれないが、魔術は小難しく信心深くて洒落のオンパレード。どこまでも細部に神を宿らせる、というより神が宿るように祈る。それが魔術に欠かせない基本的な儀式に必要な心構えだ」
「それテストに出ますか?」
「出すまでもない当たり前のことだ。分かったら頭の中で復唱しなさい」
そんな魔術に関する話で今日の特別補習は終了した。
*
静稀先生は学園内の他の生徒からしたら、貴重な花園にいるそこそこ若い男の先生で妙に評判がいい。
他の先生からの評価も高く、私は別にそう思わないけどかなり紳士的な人だとか。
学園の空気を尊重したかのような黒いカジュアルスーツ。
白い髪に白い顔。そこまで歳を取っていないはずなのに少しだけ老けこんで見えるような苦労顔。
そんなドラキュラみたいな風貌が、どこかで見たことがある気がして、この人と話すときはどこか遠い知人と話す気分になる。
さて、どうしてこんなにも見覚えがあるのか。
「先生って前にどこかで会ったことありましたっけ?」
「どうしたいきなり」
「いえ、なんか見覚えある顔だなーって思って」
私のように人生経験の乏しい人間の知り合いなんてそれこそたかが知れているわけで、どこかで会っていたら分かるはず。
なのに、全然思い出せないことが妙に気になり、そう思う度に気分が悪くなっていくのが不思議だった。
「気分でも悪いのか? 顔、白くなってるぞ」
「え………ああいえ。大丈夫です。ところで、今日の講義はもう終わりなんですか?」
気づけば時刻は19時半を少し過ぎている。
喉元までせりあがっていたトラウマはとりあえず無視して質問をした。
あわよくば、22じまでには寮に帰れるかもしれない。
「この後にちょっと用事があってな。それで外に出なきゃいけない」
「組織の仕事ですか?」
「ああ。もちろん、夏咲さんには関係の無い事だよ。昨夜から抱えている案件がちょっと厄介でな。それの調査をしに行くんだ」
人や物の出入りが極端に遮断されているとはいえ、この聖籠女学院の外に出て活動する人もいる。
先輩や先生は世界の調停をつかさどる組織の仕事をこなす為に、定期的に外に出て、悪魔祓いや、吸血鬼退治のようなことをしているらしい。
「昨夜も街で勝手を働いた奴がいてな。実は被害も結構大きい」
「もしかして、一般人にも被害が出ていたり?」
「……まぁな。君も一応は組織の人間だから伝えておくと、既に100人の人間が被害に遭っている」
「……ひゃ、ひゃくにんですか!?」
「ちょうど昨夜にソフィアさんと仕事をしている時に発見してね。組織もあわただしくなっているんだよ」
社会の『調停』を目的とする管理組織。
現代社会における魔術の4つの禁則を守らせるために活動している。
1.魔術を許可なく行使してはならない。
2.魔術が人類の歴史を後押ししてはならない。
3.魔術はあらゆる科学的データに収めてはならない。
4.魔術に触れる人間は厳しく選ばれなければならない。
暴かれるものとして、神秘の力が世間に晒された現代でも秘匿、管理、監視、選別を徹底するようになった学問を閉じ込め、さらなる発展を目指させる学園。それがここ聖籠女学院の役割とのこと。
世間においてはなかなかお目にかかれない貴重な化石能力。大半の人間が使おうとすれば体が悲鳴を上げる危険な代物。
『魔術に夢を持つな』
そんな文言と共にそれらを守らせることを基本としている組織が先生や先輩が所属しているこの調停組織であり、それはどんな魔術機関よりも上の力を握っている。
発見、解明、蒐集、統括、調停。
研究機関としての場所がここ聖籠女学院なら組織はこの学園が魔術を正しく扱えているかを管理する組織だ。
「しかも昨日の今日まで、最低でも一か月以上もの間、その百を超える死体と虐殺鬼の存在が隠されていたってたらしいんだ」
「……今の時代全くばれないなんて、それこそ信じられないですね」
先生は何やら訳知り顔で頷いた。
「間違いなく異常で、最大最速の対人殺傷能力の持ち主。一般社会が許容できる害悪じゃない。警察なんか当然あてにならない。完全に常識外の怪物。この社会において最も害になりうる存在がこの街、それもこの学園の近くに存在していることが分かった」
「異常気象どころじゃないじゃないですか。……先生、本当に大丈夫なんですか?」
その組織には一応私も所属しているけど、私の場合はあくまで見習いで、無理やりここに入る羽目になった分のバイトみたいなもの。
だから、こういうときはいつもお留守番。
何もできないのがどうにも歯がゆかった。
「厄介な悪魔憑きか街を喰いに来た吸血鬼か。はたまた未知の生命体か。なんにせよ、組織は現在できる限りの戦力を集めて対処しようとしている。もちろん、君の先輩のような強力な奇跡を持っている人間とかな。とにかくこの街はこれから人類の敵に人類が徹底的に利用され食い散らかされ殺される死都になる。実は結構やばい状況でね。組織は今大忙しだ」
今日の講義の後片付けと、部屋の掃除をしながら先生は淡々と語る。
「ああ、ここは大丈夫だ。日頃からそういう不穏分子に対する備えがある。君のいる場所を簡単には壊させはしない」
「本当に大丈夫なんですか?」
「安心していいよ。何も、ここを壊すような真似まではしないはずだ」
「そうじゃないです。先輩と先生は大丈夫なんですか?」
「……はっ」
先生は真顔で笑う。
「ただ見回りに行って来るだけだ。君の先輩はともかく私の心配までする必要はない。分かったらさっさと帰って寝ることだ。私は余計な
「……でも」
「君に戦える力は無いよ」
右眼が妙に熱い。
「君は来ても足手まといだ。君に人は殺せない。怪物だって殺せない。殺せないはずなんだ。だから誰も守らなくていいし、無理して前に出なくても良い。敵を殺さなくちゃ生きていけない場所にまで君を連れていくといった覚えはない。組織の仕事もただのお手伝いどまりだと約束したはずだ」
「……それは分かってます。別に、どうこうしようとは思ってないです」
所詮私はただの無能ですよ。
「……そう不貞腐れるな。君がいつか話してくれた師匠が、どうしてそんな紙すら切れないペーパーナイフを渡したのか。今一度よく考えた方が良い」
『君は、あそこで何を見たのか。それが大事だ』
そんな事を昔、先生に言われたことを思い出す。
2年前に、惨劇から生き残ってしまった私が、師匠から唯一もらった物があのペーパーナイフだ。
使い方は先生の助けもあって、一応習得したけど、私は未だにその使い道が分からないでいた。
人を殺さないように、か。
「君は今夜ものんきに寝てればいいさ」
まだ頭が追い付いていないけど、とにかく危険だってことは分かる。しかもすでに人がありえないほど死んでしまっている。
この仕事のお手伝いをし始めてから、こういった先生が出向くような事態は話には聞いていた。
でも、さすがに今回は死んじゃうんじゃないか。
「……なら、もう一つ講義をしてやろう」
そう言いながら先生は部屋の本棚に向かい何かを探す。
「えっ。まだやるんですか。もうノート書けないですよ」
先生が取り出した本を私の頭に乗っける。
「ただ話をしたいだけだ。どうせ眠れないなら付き合いなさい。テストにも出さないしノートも取らなくていい。講義っていうよりただ君の意見を参考までに聞くだけだ。どうせこれで最後だ」
「私の意見ですか?」
「ああ。文学の授業。フレデリック・ラングブリッジという詩人の遺した詩についてだ。普段話している詩や小説と違ってここの図書館にはこれの詩が載った蔵書がなくてな。私が個人的なつてで手に入れたものをここに置いておく。これの784ページの片隅にある詩だ。私がいないときにでも読んでくれ。全編英語なんで読むのに苦労はするだろうけどな。」
先生はページをめくり、目的の場所で本を開く。
「タイトルは『All Windows look South in Sunny-Heart Row』直訳すれば『すべての窓は南の晴れた心臓の列を覗いている』私は詩人じゃないからな。原文の意図を壊さないために敢えて意訳はしないよ。本題はここからだ」
Two men look out through the same bars:
One sees the mud, and one the stars.
「『二人の男が同じ棒の向こうの外を見た。一人は泥を見た。もう一人は星を見た』ってところですか?」
「この場合のbarsは棒状の…鉄格子とかそういうものだろうな。この詩は二人の男の見ている物の違いだ。泥を見たか星を見たか。泥や星が何を意味しているかは私には分からない。下にあるものか上にあるもの程度の違いかもしれない。汚い物かきれいなものか。なら泥にはなにも価値が無いのか? 何も入ってないのか? 私にはずっと遠い星の方がよっぽど無価値に思える。長くなったが、夏咲さん。────君は泥か星。何を見る?」
「星……ですかね。私はその二つなら星の方が好きです。きれいですし。届かない、なんて考えたこともないです」
「────なるほど。君らしい考え方だな」
「先生は何を見るんですか?泥、ですか?」
「内緒だよ」
*
帰りがけ、最後に先生が私に質問した。
「…………そういえば、どうして今日は眼帯をつけていないんだ?」
扉に手を掛けようとしていた時のことだった。
振り返って先生の顔を見てみると、心なしかぎこちない。
「ちょっと、眼帯失くしちゃって。明日からはまた付けますよ」
「そうか。なら、良いんだ……あと一つだけ、いいか?」
「えー。本当にあと一回だけですよ?」
何かを思い出すように、先生は私の顔を見つめた。
「────これはちょっとした思考実験みたいなものだ。君の言葉が聞きたい」
遠い昔話のような話だった。
それこそ、どこかで習ったか、聞いたことがあるような、そんなお話。
「仮にもだ。仮に、本当にもしもの話、ある大火災が起こった街があるとする。独りの少年が居てその少年は助けなきゃいけない人が二人いてそのどちらか片方だけを助けようとした……助けようとしたんだが、結局選んだ方も助けられず、その大火災の街から逃げ出すころにはその街の中から少年だけが生き残った。果たして、その少年はそのまま大人になった。夏咲、君はその少年をどう思う? その少年はどうすればよかったんだ」
右眼が熱い。
その質問は想像するだけで胸がえぐられるような辛い質問だった。
選択を迫られてその選択そのものに意味が無くなる。犠牲とか代償とか。
そんなものではなく、ただの喪失。少年にはきっと、それからの人生すべてにその喪失が付きまとうのだろう。
喪失はどうすれば乗り越えられるのか。存在しないものをどうやって未来に活かしていけばいいのか。
────少年のことを考えるだけでその理不尽な世界に対する怒りが心の奥底から湧いてきた
「…………その少年は何も間違えていないです。少年がしてきたことは、決して責められる事じゃない。私はそう思います」
「
先生は私の想いを苛立たし気に吐き捨てる。
「きっとそいつは最低最悪のバカなんだよ」
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