5節:祈り手

「お、おねえちゃん……なの?」


 小学4年生の頃の私と同じ顔の友達が私の素顔を見て驚愕している。

 正確には、私と違って五体満足。たぶん内臓も正常。両目も健在。


 この状況になって何度目かの衝撃。

 不可解なことに、みーちゃんも私と同じ顔を持っていた。


 ただ唯一違うのは右眼が見覚えのある白い目になっていた。

 私が移植に協力した白い目。


 それを大きく開きながら彼女はこちらを見つめている。

 彼女は自分と同じ顔を見るのが初めてなのだろう。かなり困惑していた。


「私はおねえちゃんだけど……みーちゃん、だよね?」

「うん……そう、だけど、ねぇ、今どうなってるの? ていうか、なんでそんな顔が……同じ? なの?」

「ごめん、それについては私も分からない。とにかくここから逃げないと大変なことになる。だから早くこの病院から逃げよう」

「う、うん」

 

 無理やりにでもみーちゃんを納得させて病室を出る。

 相変らず、周囲は暗かったが、さっきまでとは違って私は独りじゃない。

 灯りの乏しい世界で、私の手を握ってくれる友達の手の感触を頼りに、先を急いだ。

 その途中、ここまでと同じように大量の死体を目の当たりにした。

 当然みーちゃんは驚く。細い悲鳴が廊下に反響する。

 恐怖に顔を歪ませ、未練がましく後ろを見ながら彼女は歩いていた。

 その様子を見て、私は酷く心配になった。


「みーちゃん、一つだけ約束して」


 小さく、暖かい手を強く握りしめて言う。


「自分のことだけを考えて。ここから出口までに転がっている人間、そして私すらも捨てなきゃいけないなら、躊躇なく捨てて」

「で、でも、じゃあおねえちゃんは…」

「でもじゃない!」


 ぴしゃりと、つい強くなってしまった語気で言い放つ。

 暗がりの中で彼女の肩を掴む。

 


 どうせ助けられないのなら。

 それで自分が苦しむのなら。


 人は、自分の人生のことのみを考えるべきだ。

 それを眼の前の未熟な少女に言い聞かせる。


「お願い。絶対に守るって約束して」


 私の言葉に戸惑いながらも、みーちゃんは頷いてくれた。


「…………うん。わかった」

「よし。じゃ、少しだけ早歩きで行くよ」


 病院からの脱出を再開する。

 現在は3階。エレベーターには何がいるか分からない以上、非常階段を使う。


 ……にしても、本当に良かった。

 ここまでの惨状から、この子まで駄目になっているかと、そう挫けそうになっていたけど、それは杞憂だった。


 本当に、生きていてくれて良かった。

 再度、みーちゃんの手を強く握る。

 この子さえいるなら私は


「おねえちゃん!!!うし────────」


 私達が廊下の突き当りを曲がろうとした瞬間。

 突然、大きな声を出しながらみーちゃんは私を突き飛ばした。

  

「え────────?」


 私の口から小さな声が漏れた。

 思わず存在しない左手の方から地面に倒れこむ。

 刹那の間。何が起きたのか、私の脳は正しく眼の前の悲劇を認識できなかった。


 認めたくなかった。


「────────ろっ…」


 みーちゃんの小さくなった声とほぼ同時。

 重く、体が地に叩きつけられる音がした。

 握っていた彼女の手は、で千切れてしまっていた。

 ………………手が千切れた? 

 

 じゃあ────────体は?


「……ぐ…かはっ。……………お────────ね」


 視線を先に向ける。

 突き当りの壁。

 私の右で手を繋いで共に歩いていた私の友達は、極彩色の槍に胸を貫かれて壁に縫い付けられていた。


「────────は………………なんで?」


 なんで?


「なんで、なんで、なんで、なんで────」


「なんで、なんで、なんで、なんで、だって!キャハハハハハハハハハハハ

!!!マジサイコー。それ、この状況で言う言葉じゃないよ


 私の言葉にかぶさる五月蠅い声。

 進行方向とは真逆。

 眼の前の突き当りの壁から後ろを振り返る。


────ギャハハハハハハハハハハハ


 そこには、頭から血を流しながら嘲笑わらっている桃色髪の少女がいた。


「アハー……頭に重い一撃をぶっ放してくれたおねえちゃんの方を狙ったんだけど、いやいやー、外しちゃった★」

 

 そんなふざけた言葉を発しながら敵は歩いてきた。 


「次はちゃんと当てるからそこからうごか…」

「なんでっ!」

「……んー?」


 聴く価値の無い言葉を押しのけて声を出す。

 体が、顔はこの一瞬で沸騰したのを感じる。

 声はガラガラで言葉もめちゃくちゃ。

 思いっきり叫ばないと泣いてしまいそうだった。


「あのさー。勘違いしてんのかもしんないけどさ、今、最悪なのはそっちだよ?」

 

 敵は極彩色の槍を一本、瞬時に出現させ、それを指先で回した。


「命乞いをするならともかく、なんでそんな泣きながら私の神経を逆なでするわけ? 被虐心でも煽ってんの? やだー、やーりーにーくーいー」

「……勘違いしてるのはそっち。なんで、なんでこんなっ」

 

 近づいてくる脅威なんて気にせずに思わず叫ぶ。

 早く逃げなきゃいけないのに、私の体は前の敵を見据えていた。


「こんな風に私の友達を殺したんだ………」

「……ちょっと待ってよ。ホントにやりにくいからやめてよ、おねえちゃんってば」


 敵の周りにさらに2本槍が出現する。今度は廊下の横で静止した。


しか無いっていうのに、何言ってんのさ」

「……はぁ? 何言ってんの?」

「だーかーらー。それはこっちのセリフなんだけどー」

 

 私の10メートルほど前で槍を床に突き刺し敵は止まる。


「アタシたちは終わってるんだよ? 既に人生末路が確定してる。

「……だから、だから!なんで殺したの? 私たちは何もしてないのに」

「はぁ────それもこっちのセリフ。もういいや」


 一度は突き刺した槍を再度持ち上げ、敵は構えた。


「どうでもいいから死んじゃえ」


 極彩色の槍は投げられた。

 狙いは私。

 みーちゃんの時と同じように、その槍は私の胸元を貫いて壁にたたきつけた。


「ぐがぁっ!?…」


 唯一違ったのは、投げられた槍は少しだけ左に逸れていたのか。

 左で打ち付けられている友達と違って、私は体が千切れて床に倒れこんだ。


「あー、綺麗に収まんなかったかー」


 なすすべもなく倒れた私を嘲笑うかのように、敵は横に用意していた槍を掴む。

 元々寂しかった左が、さらに欠けていく。

 無能な私の体から、赤い血が溢れていく。

 硬い床を歩く音だけが耳に響く。

 私は……死ぬ覚悟を決めた。


────ずっと、魔法使いというものに憧れていた。


 箒で空を飛べるような魔女とか。大昔のおとぎ話に出てくる円卓を補佐するマーリンとか。


 何でもできる人たちに憧れていた。


おねえちゃんはそこで寝ててねー」


 口笛を吹きながら敵は私たちを素通りし、向こうに歩いて行く。

 私たちが行きたかった廊下を歩いていく。

 ぽたぽたと、赤い血が上から降っている。

 私からは川のように血が流れていっている。


 声が………遠のいていく。

 私の意識も朦朧としてきた。


 もう、眠ってしまおう。


 そうだ。きっとそれがいい。きっとしょうがない。

 だって、もう無理だ。

 みーちゃんは心臓貫かれて、左手も千切れてしまって、出血死まっしぐらだ。

 私だって心臓付近まるごと抉られた。

 もう死ぬしかない。

 下手なことをして苦しめるなら、このまま血を垂れ流し切って死んでいこう。

 特に、私なんかにはお似合いだ。みーちゃんは壁に繋がれたまま、私はみじめに地を這い、友達を見ることもできずに一人で死んでいく。

 あの時掘り起こした母のように。

 あの時掘り起こした鳥のように。

 失敗した分つけを払うときが来たってだけだ。

 元々生きているだけで無駄な人生だ。無駄なものがこぼれていくだけ。

 それに死ぬって言うのは案外怖くない。

 こうなってしまえば痛みなんて無くて、眠るように穏やかに死ねるだろう。

 だから、このまま


「おね………ちゃ…ん」


 だから────────私だけならこのまま死んでも良かったんだ。


 私は……とっくに冷たくなってしまった、千切れたみーちゃんの左手を強く握った。

 指と指を絡ませて、まるで恋人のように。

 まるで祈るように。

 

 祈り手は────まだ此処に在る。


 だから、


 それを頼りに立ち上がることにした。


「────はぁっ……あぁっ……!!」


 彼女はこのまま死なない。


 死んじゃいけない。


 もう破れてしまっているかもしれない肺に酸素を取り込む。

 右手に力を籠めて、立ち上がる。

 まだ、私が死ぬまでにやらなきゃいけないことが私にはある。

 できるかわからない。

 楽に死なせてあげるべきかもしれない。

 けど、友達なんだ。

 大事な、私よりも価値があって、私とよく似てる。


 そんな友達のことを簡単に割り切れるわけが無い。


 また繰り返すのか?

 問いが頭をぐるぐるにかき乱す。

 

「……みーちゃん、ちょっとだけ痛い思いをするだろうけど、我慢してね」


 突き刺されていた槍を、弱り切った体で必死に剥がす。

 右手に力を籠め、後ろに引き抜こうとするたび、悲痛な友達の叫び声と、私の体の中心からどくどくと流れる血の勢いが増していく。


 今の私の行動は正しいのだろうか。


 昼間見た青い鳥のように、最期に私が余計なことをしてしまったように。

 また苦しめるのか。母のように、青い鳥のように生きているのか死んでいるのかも分からない、生命の尊厳を悪戯にもてあそぶのか。

 優しい最期を迎えさせてあげるべきなんじゃないのか。


 そもそもここを乗り切ったからこそ安全なんて保障されない。

 そう理性が叫んでいた。


 でも、 

 私はその槍を引き抜いた。

 思わず槍を抜いた反動で私の体が倒れる。

 みーちゃんは、地面にうつぶせになる。

 彼女は痛みで泣いていた。

 開かれた傷口に掛かった落下の痛みとあふれ出ていく血と薄れていく意識が怖いのだろう。


 ほら見たことか。余計なことをして友達は苦しんだ。

 せめて、優しい言葉の一つでも投げかけてやればよかったのに。


 そんな不安をがんばって無視する。


 やってみなきゃわからない?

 

 それで友達を苦しめるのか。


「………………………………違う」


 お前は失敗したじゃないか。そんな誰もがうらやむような力を持っているくせして何も意味のあることを叶えられない。お前が。お前みたいな無能が持ってしまったせいで何も役立てることができないじゃないかこの宝の持ち腐れの屑野郎。一回でもそれで世界の不幸を減らせたか?ニュースで見聞きする事件を少しでも解決に導いたか?災害とかのあらゆる悲劇を未然に潰したか?何もできなかっただろう?大したことなんて叶えられるほど力を使いこなせなかっただろうが。人を生き返らせるなんて願い、もうお前みたいな無能には叶えられないって学べよ馬鹿が。あんなに小さな鳥も結局残酷に葬っただけじゃないか。そんなんで。そんな程度の才能で。目の前の友達が救えるわけないだろ。自覚しろよいい加減に自分の頭の限界を。わきまえろよ。さっさと共に死んじまえよ。彼女の、眼の前のみーちゃんの致命傷を治せるのか。治せないだろ。治せないよな?だって、ここまでの傷なんか現代の力じゃ治せない。こんな傷を治すのに成功した試しが無いよな?


「違う」


 貴重な赤い血をぶちまけながら希望を信じる────ことにした。


「助けられるかもしれない人の死なんて────やっぱり、割り切れるわけ無いよ…」


 もう一度墓を掘り起こすようなことでも。

 安らかな眠りを邪魔するようなことでも。

 挑戦したい。

 もう一度だけ、悲劇を変える未来を望みたい

 弱い自分に負けないように。

 無能な自分を否定する。


「みーちゃん………未来の楽しい話でも…しよっか」


 必死に彼女の体の前にたどり着く。

 残された彼女の右手を、私も右手で強く握る。

 祈るように。

 もう、離さない為に。

 手は、まだ暖かかった。

 みーちゃんはゆっくりと冷たい床に向けていた顔を私に向けた。


「おねえ…ぢゃ……けほっ」

「……みーちゃんは聞いてるだけでいいよ」


 できるかもしれないなら……もう後悔なんてしたくない。

 今まで見捨ててきたものの、

 失敗してきた願いの、

 その全てに、心の中で謝りながら言葉を紡ぐ。

 そして、彼女の未来のために、彼女の幸せをただ願う。


『そんなに人を生き返らせることに固執するなら自分を生き返らせてごらんよ』


────主治医に言われた言葉を思い出した。


 たぶん、私だけなら案外すんなりうまくいくのかもしれない。

 でもそれじゃあ、みーちゃんは助けられない。

 みーちゃんは私じゃないから。私はみーちゃんのことをよく知らないから、未来のことなんて想像できない。おねえちゃんとしては悔しいけど、それが私の限界だ。


 だから、ことにした。


「私ね……こんな体じゃなかったら、結構いいところの中学校に行く予定だったんだよ? みーちゃんは知ってるかな。聖籠せいろう女学院聖ってところでね。いわゆるお嬢様学校。私達みたいな庶民が圧倒されるようなところに特例で編入できる予定だったんだ。でね、聖女せいじょはフリルが付いた、可愛い制服なんだって。校則はもう少し厳しいらしいんだけど、たぶん、楽しい所」

 

 未来で────笑う予定だった私の顔を思い浮かべる。

 イメージするのは、見知った私の姿。

 その、先の姿まで含めて。


「こんなところに閉じ込められなかったら……もっとあそびたかったゲームだって、家族だって、こんな病院着なんかよりもかわいい服をたくさん買って、夏休みは宿題なんか忘れてたくさん遊んで、恋とかも……したかったな」


「────お”ねぇぢゃん、おねえちゃん!」


 さんざん見てきた。

 中学生や高校生の私。

 しわしわの老婆の私。

 ここに来るまでに散々見かけてきた私の死体なんかじゃなく、

 いつも鏡で見る私。

 欠けたものなど何も無い、元気な私。

 こんな力ない方が楽しく生きれるからそれは省いて。

 今までの人生すべてをこの一瞬の為に回想する。


「────海くらいは……行きたかった…な」


 一緒に行きたかった。

 金槌くらいは治したかった。

 二人で、一緒に泳ぐとかきっと最高だ。


「やめて……おねがい……やめてよ。ねぇ、おねえちゃんってば!」


「みーちゃん」


 これが最期だ。


「おえねちゃん────────待って」


 最期の一呼吸だ。


「私の人生を────────────みーちゃんにあげるよ」


 体の力が抜ける。


 暖かい、陽だまりの側で私は消えていく。


 たった一つの人生を遺して、





『私は────────────────夏咲すみかは死んだ』





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