3節:少女の虚夢

「お姉ちゃん、またねー」


 中庭で自堕落に過ごしただけの、なんてことのない1日の終わり。


 私達は再会を気軽に誓い合って自分たちの病室に戻る。

 3階のみーちゃんの病室まで付き添い、私は5階の自分の病室に戻る。

 日はほとんど暮れていて、もうすぐ夜が来る。


────その帰り際、自分で堀った墓を掘り起こして死んでいた小鳥を生き返らせようとした。


 中庭にこっそり忍び寄り、簡易的に作ったお墓に向かう。

 そこまで深く掘っていないので片手でなおかつ、素手でも簡単にその死体を掘り起こすことができた。


「────」


 みーちゃんが見つけた羽の千切れた、血で汚れた青い小鳥。

 それに向かって私は


 いきかえりますように


「生き返りますように」


 片手を胸の前にやり、組む手が無いので握りこぶしを作りながら繰り返した。


「生き返りますように生き返りますように生き返りますように生き返りますように」


 念仏や聖書の暗唱、はたまた魔術の詠唱のように。


「生き返りますように生き返りますように生き返りますように生き返りますように」


 何度も繰り返した。


「生き返りますように生き返りますように生き返りますように生き返りますように生き返りますように生き返りますように生き返りますように生き返りますように」


 それこそ、喉が枯れそうになるまで。

 何度も祈った。

 生き返ってください生き返ってください生き返ってください生き返ってください。


「いきかえってよぉっ………………………………」


 最後には声もかすれてきて、

 思わず私は地面に拳を叩きつけていた。


 馬鹿みたいだ。

 たかだか鳥の死体一つに、どうしてここまで取り乱してしまっているんだろう。

 無理に叫んで、体に力を入れたからか。いつの間にか口から血が出てしまっていた。 

 そんな無様を世界に晒しているとき、


「片手じゃ当然無理だろう。祈るっていう定められた行為は他者に示さなきゃ意味が無い」


 無粋な足音と共に人が来た。


「……なんだ。先生ですか」


 眼の前には、私の主治医がいた。


「おそらく、君のとしての力は手が2本無いと使えないんだろう。二つの手を組んで、祈る。祈る相手が誰なのかが分からないから宗派は関係ないんだろうがとにかく、君の中での決まりがそれだ。それは守らないといけない」


 主治医は気怠そうな顔をしていた。


「なんの為に来たんですか」

「当然、注意だな。もうすぐ夜。出歩きは禁止だ」

「……先生こそ、いいんですか?」

「まぁ、私は上の人間なんでな。どうにでもなる。それに、ちょっと試したいことがあってね」


 おもむろに、主治医は自分の左手を差し出した。


「ほら、私の左手を使いたまえよ。この前みたいにうまくいくかもしれないぜ?」

「先生としなきゃいけないんですか?」

「別に構わないだろう? 女どうしだ。おっさんとするよりかはマシなはずだ」

「……分かりました。じゃあ、手を貸してください」

 

 先生の手と私の手を絡めながら、再度祈る。


 いきかえりますように。


 赤く汚れた鳥はどうなったか。

 青い鳥の蘇生は叶うのか。

 

────結果は当然失敗。


 その鳥は飛ばずに、地を這う屍になった。


「はっはっはっ。ちょうどだったらしいな、きみの祖母は」

「………………そうなんですか?」


 体が、震えてきた。


「ああ。さながらゾンビ。いや映画とかのゾンビより酷いかもな。なにせ全身腐り切ってまともに動けないらしい。言うなればただの腐った肉塊。生体反応はあるとはいうが、果たして何をかんがえ…」

「ごめんなさい。勝手ですけど………………………何も言わないでください」


 思わず主治医の言葉を遮った。

 

「……悪かったね。まぁ、生命が生き返るということは全くないわけじゃ無い。ネムリユスリカとかいう幼虫は水に浸せば生き返る。ほら、カップラーメンみたいなものさ」

「……そうですか」


 主治医の適当な慰めに対して適当な相槌を打つ。

 私は、眼の前のに向き直った。


「これで2回目………」

「ふん、本当に学習しないな君は」

 主治医の誹りに対して私は何も返せない。


 そう、2年前の夏にもこんなことをした。


 青く澄み渡った空の下。

 ここよりもずっと五月蠅い真夏の日。


────私は、病気で死んだ母の亡骸を墓から掘り起こした。


 理由は当然母を生き返らせるため。

 できるはずだった。

 なぜなら、私には魔法の力があるからだ。

 

 世間では超能力とか最高の才能とか、そんな言葉で羨まれるもの。

 必要なことは右手と左手で祈ることだけ。

 手と手を合わせ、ゆびを絡めて思うだけ。

 その力ならきっとなんでもできると思っていたから直前までうたがわなかった。


 いきかえりますように。

 

 願えば何でも叶うはずの力でそう願った。


 叶えられなかった願い事なんて、小学4年生の頃の私には無かった。

 近所の子供の怪我を治す。

 雨を晴れに。

 欲しかったゲームを手に入れたり。

 空を飛んだり。


 子供だったから。

 純粋だったから。

 馬鹿だったから。

 なんでも信じ込むことができた。

 理屈なんてねなかった。


 だからきっと大丈夫だと思ってた。


 でも────最後に少しだけ疑ってしまった。

 私はいつの間にか、少しだけ大人になっていた。


 死んだ人間が生き返るわけない────と。


 それで私の意識は途切れた。

 ここまでの事故……いや、もはや犯罪のって、

 眼が覚めたら病院で。

 私は祈る為の左腕片腕と、健康な人間として生きていくのに必要なすべての内臓を少しずつうしなった。

 

 それからは、精神の異常を指摘されここに入院。

 母は私の懸念通り今でもとして決して動けず、意思を示せねないまま生き地獄を生きている。

 そう、聞かされていた。

 

「何を思い出していたか知らないが、君はもう少し自分の力について考えた方が良い」


 主治医は私の手前で蠢いている屍を掴み、持ち上げた。


「君、今の願いで何か代償はあったか?」

「……いえ、前みたいに体が取られたりはしてません」

「なら、これはあくまで代償を必要とするものではなく、祈る人間の思い込みや罪悪感によるものだろう」


 その鳥をどうするのか。持ったまま先生は雄弁に語り続ける。


「前に君の友達の眼を移植した時と同じだ。現代医療の知識が無い君は、きっと眼をまるごと移植できるのだろうと思い込んでいた。漫画の読みすぎというわけだな」

「やっぱり、できないんですよね?」

「ああそうだ。前に解説したとおり。たぶん、今の余計な知識がある君じゃ前のようなことはできない。さっきのだってそうだ。どうせ無理だろうと思いながら適当に祈ったろ?」


 その通りだった。

 私は、中途半端に助けたいと。

 もしかしたら何とかなるかもと思った。

 その結果、また酷いことをしてしまった。


「大人になりきれてないんだよ、君は。中途半端に子供だからあきらめきれない。もしかしたら、奇跡が起こるのかもと思っている」


 そこまで言って主治医は小さく笑った。


「はっ、皮肉なものだな。奇跡の力があるからこそ囚われている。と思っているわけだ」


 願えば、願ったことが叶うはずの力。

 なのに私は何度も叶え損じている。

 私は、願いを叶えるものとしては偽物だ。


「────先生。何でも叶えられる力があるのに、どうして私は叶えられないんですか」

「簡単なことだよ。努力が足りないんだ」

 

 主治医は簡潔に言い放つ。


「具体的な想像が必要なんだよ。例えるなら、いじわるなランプの魔人だ。空を晴らせと言えば、永遠に太陽を照り付けたり、人を生き返らせろと言えばリビングデッドにしたり。想像したものにそのまま答えてしまうのが、その力なんだろう。だから、君に必要なのは対象の未来を願う力だ。正しく、相手が地に足をつけ言葉を話し、笑う姿を正しく想像し尽くさないといけない」


 主治医はそこで一拍置き、当然のように言う。


「凡人も天才も等しくやっていることさ。目的のために頭を捻るっていうのはな」


 ………そんなことできるのだろうか。

 言われなくても必死に祈ったつもりだった。

 でも、母親ですらだめだった。


「そんなに人を生き返らせることに固執するなら自分を生き返らせてごらんよ」

「自分……?」

「ああそうだ。母親ですら自分の知らない時間がある。でも、自分なら違うだろう? 誰よりも見ている。自分のことなら幾分か想像しやすいはずだよ。そういう意味では、その鳥はダメだったな。死んだ姿が今日初対面の鳥なんざ、たいでしか想像できないだろ」


 動かなくなった鳥を上に放り投げてキャッチをする手遊びに、主治医は興じていた。

 もう、彼女にとってはあれは物なのだろうか。


「次死にそうになったらなんとかなるかもしれないぞ。下手したら天寿を全うする前に使えば若返るかもな。まったく、羨ましい」


 本当に羨ましそうな表情で呟く。

 案外、この人は持ち主の私以上にこの力に囚われているのかもしれない。


「でも、私なんかには無理です。独りじゃ使えない力なら、たぶん、死ぬ間際も無理です。どうせ一人寂しく死にます。────もう、好き勝手に力なんてつかっちゃいけない運命なんですよ」


 喪った左手の付け根をさする。

 主治医は代償なんかじゃないと言っていたが、私はやはり、なにかしらの罰なのだと思っている。

 無遠慮に力を行使する馬鹿に対するお叱り。

 そう考える方が自然だと思う。


「私は逆だと思うね。お叱りなんかじゃなく、憐憫さ。独りじゃ駄目でも二人いれば願いは叶う。要はもっと他人を頼れということさ」

「……それで私は左手を取られているんですけどね」

「はっはっはっ。なら教訓にしては高くついたな。なのに、君は今だってこうして一人で来ている。別にあの子くらいなら教えてあげればいいじゃないか片手じゃ無理なことくらい分かっていたろ?」

「こんなことに巻き込みたくないんですよ」

「ここまでやって罪悪感はあるのか。なら、なおさら次は気を付けるんだな」


 言いたいことは言い終えたようで。

 主治医はそのまま白衣を翻して病院に戻っていった。


「君も早く戻りたまえよ。今夜は冷えるからな」


      *


 自分の病室の扉が閉まると同時に装置を外し、ベッドに腰掛ける。

 部屋の受け取り口に向けてどこからか支給される夕食をとり、備え付けのシャワールームで体を洗う。

 そうして消灯時間までに余った時間で支給してもらった本を読んだり今朝手に入れたばかりのゲーム機で遊ぶ。


 すっかり慣れた隔離部屋のような病室での生活ルーティン


 食事中にげっぷをしようが歌おうが誰にも咎められない、独りの空間。

 願いの代償を払い、ここで入院する前には味わなかったこの白い部屋のように無味無臭の生活。

 何も無いし何も変わらない。

 ただ与えられるだけで、ほとんど求めるものが無い生活。


 私は大丈夫だけど、みーちゃんは退屈してないだろうか。幻覚に負けずに一人で眠れているだろうか。


 そんな、本当の姉みたいな身勝手な懸念を抱えながら来る消灯時間に備える。


 そういえば、ここで入院するようになってから、明かりが消えること。暗くなることが極端に怖くなったと思う。


 静かになること。

 一人になること。

 電気を消すこと。

 瞼を閉じること。


 一人ぼっち。寂しい時だけ怖いことが重なる。


 これから私は地獄を視る。


 地獄というのは、私が毎晩見る幻覚のこと。

 夜光精神病院に入れられるきっかけとなった心の病気。

 内容は知らないけど、ここにいる人たちも同じように悩まされている状況。


 眠るとき、この世界とは真反対の残酷な情景を見せられることになる。


 未だに慣れることの無い、朝起きるたびに吐くほどの絶望。


 小学6年生の身には余る惨劇と人生経験。


 覚悟と震える体と共に目を瞑る。


      *


────知らないはずの地獄物語が上映される。


 それは、とある少女の物語。


 白色のくせ毛まじりの髪の毛の女の子の、或る戦争での最低最悪を乗り越え、そして最弱の為に死ぬまでの戦いの話。


 悲鳴。歓喜の声。血と肉が混ざった体が拒否反応を示す異臭。

 

 楽しいことなんて何一つない世界の音の中。


 たくさんの命が死に絶えた。


 その中で彼女は誰かを助けようとして騙され、穢された。

 

 そして最期には誰かを庇って死んだ。


 それさえしなければ、彼女死ななかった。なぜなら、彼女は最強だったからだ。

 少女だけど人を殺すことに関しては誰にも引けを取らなかった。


 だからこそ、馬鹿だと思う。


 そんな彼女についての夢は私にはとても痛くて

 

────────眩しかった。


      *


 眼が覚めたら本来の私の世界が広がっていた。


 白い天井。

 一人。

 私だけの個室。

 病院着。

 ここは病院。


 そう、ここは”あの地獄じゃない”。


 それを十回、下手したら百回くらいは胸の中で唱える。

 何度も繰り返してきた正気に戻るための暗示を、荒い呼吸と共に唱えた後。


 悲鳴。歓喜の声。血と肉が混ざった体が拒否反応を示す異臭。

 

 楽しいことなんて何一つない世界の音。


 夢で体験した地獄に酷似した、惨劇の音。


 そんな────────平穏が殺される音が扉の外から聴こえていた。






  

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