幼馴染第二次完全育成計画

尾岡れき@猫部

第1話 さっちゃんの純潔を守る会



 たん、たん、たん。

 足音が響く。


 階段を上りながら、ひゅーひゅー、息が切れる。

 たん、たん、たん。


 登り切って。

 じゃり。


 境内の砂利を踏む。


 さらさら。

 風が凪いで、葉が揺れる。


 ちゃりん。


 硬貨が賽銭箱に落ちる。ご縁がありますように。しかし、五円で縁結びを願うのは、少し違う気がした。だから、少しだけ多めに賽銭を入れる。


 ちゃりん、ちゃりん、ちゃりん。

 そして、手をのばす。


 からんからんからん。

 鐘が鳴って。


 二礼ニ拍一礼。

 ぱんぱん。


 ただ、願った。




 ――もう一度、あの頃のように話したいんです。





■■■





 眠っていたらしい。

 うっすら目を開けると、カーテンが揺れる。ベッドの横には、英単語帳。やる気のない勉強姿勢じゃ、頭に入るはずがない。むしろ、さっきの夢の方が鮮明だった。


 コンコン、ドアをノックする音がした。

あゆむ君、そろそろ準備を始めるみたいよ?」


「あ、うん、すぐに行く」


 沙千帆さちほにそう返す。了承と言わんばかりにペタンペタンペタン、スリッパで歩む音が聞こえ、そしてフェードアウト。幼馴染みでお隣さん。字面だけ眺めたら、王道ラブコメのテンプレ。でも、相思相愛な関係は物語のなかだけで。現実は、それぞれの交友関係のなかコミュニティーができてしまう。結局は特別、何か機会がなければ声を交わすこともない。

 例えば、今日みたいに――。







「おいっ! 歩っ! お前の飯が楽しみなんだ! 頼むぜ!」

 もう酒で大人たちは、すっかりできがあっているようだ。


(やれやれ……)

 俺は小さく嘆息を漏らして、ベッドから起き上がった。






■■■






「すっかり我が家は、溜まり場なんだよねぇ」

 つい、そんな声が漏れてしまう。


 父さん。それから、沙千帆の両親を中心に、釣り仲間達が集まってくるのだ。ちなみに、俺の母さんは物心がつく頃には、もういなかった。真実の愛を探しに行ったのだそうな。なんじゃ、そりゃである。


 結果、気付いた頃には、父さんと二人の生活。ただし、あの男、釣った魚を捌く以外は、てんでダメ。コンビニ飯中心の生活に呆れた沙千帆母の救済措置を受けながら、俺は弟子入りを果たして――我が家の、台所の切り盛りは、俺の仕事になった。


 だから沙千帆の両親――神薙かんなぎ家には、感謝してもしきれない。じゅー、と。油が泡立つ。鰺の天ぷらを揚げながら。視線を少しだけ、沙千帆の方を見やる。


 こんな時しか、顔を合わせない。


 運が良ければ、少しだけ言葉を交わす程度。おっちゃん達にとっても、沙千帆はアイドルだ。必然的に俺と師匠が台所担当なのだが、最近は俺に任せてもらっている。だって、ゆっくり飲んで欲しいじゃないか。師匠には、感謝してもしきれないのだ。


「あゆ君? やっぱり私も手伝おうか?」

「大丈夫ですよ、師匠。いつもお世話になってるから。これぐらいやるので、ゆっくりしてください」


「そうそう、ここは歩に任せて――」

「あんたは、親でしょ! そもそも、あんたがやれ!」


 ビール缶でポカンと父さんが叩かれていた。


「姉御、ひどくないか?! 沙千帆ちゃんも何か言ってよ!」

「あ……でも、歩君もたまには、こっちで食べて欲しいです……」


 何か、沙千帆が囁いた気がしたけれど、残念ながら揚げ物をしている俺の耳に、その声は届かない。


「……やっぱり歩君! 私も手伝います!」


 ぐっと拳を固めて、そんなことを言ってくれる。思わず頬が緩みそうになって、唇を噛み締める。


(……でも、久々に会話らしい会話したな)


 カウンターキッチンをはさんで、リビングまで距離があるのに。沙千帆の声が今も耳元で聞こえ続ける。そんな錯覚を憶えた。


「それにしても沙千帆ちゃん、本当に可愛くなったよなぁ」

「もう、お世辞は良いです」


「いや、本当にそう思うんだよ。昔は歩のことを『あーちゃー』って呼んでたけどさ? あれなんで?」

「知りません! 保育園の時のことなんか憶えてないです!」


「歩の名前ってアーサーだっけ?」

「なんでやん」


 思わずオヤジの妄言にツッコミをいれてしまった。


「そんな保育園の時のこと、憶えてないです!」


 そう言って、ぐっと掴んだのは、沙千帆用の炭酸飲料――ではなくて、ビール缶だった。









 ぐびぐびぐびぐび。







 しぃんと、リビングが沈み込むなか、沙千帆はお構いなくゴクゴク喉を鳴らす。


「お、おい! 沙千帆!」

「……なぁに?」


 少しの余白。目をとろんとさせて。そして、みるみる間に沙千帆の顔が真っ赤になっていく。そんなことも意に介さず、沙千帆はすっと立ち上がる。


「さ、ち、ほ?」

「帰る!」

 発言が唐突すぎた。


「ちょ、ちょっと、沙千帆ちゃん?」

「あーちゃんと一緒にお話ができないのなら、もう帰る!」


 そう叫んだかと思えば、階段を上がっていく。


 あのね、沙千帆さん?

 そっち、俺の部屋なんだけれど。


「ちょ、ちょい!」

「兄貴!」


「これ、マズいんじゃないですか!」

「沙千帆ちゃん、怒ってない?」


「でも【さっちゃんの純潔を守る会】としては、やっぱり譲れない一線だったワケで……」

「あんた達! 最近やけにサチに絡むと思っていたら――」


 師匠が呆れた目で、オヤジ達を見る。師匠に俺も同感だ。だいたい、この環境でも沙千帆とまともに話す機会が無いのだ。心配するだけムダというものだ。


「だって、どう考えてても、さっちゃんは歩のことを……」


 ごにょごにょ言いながら、大の大人が声をフェードアウトさせていく。


「あゆ君」


 と師匠が言った。


「サチが心配だから、ちょっと様子を見てきてくれない? あの量だから急性アルコール中毒ってコトはないと思うけれど。言っても未成年だからね。頼むよ」


「あ、それなら、俺が」

「いや、おいらが!」

「むしろ、僕が!」


「やかましいよ! ビール瓶でぶっ叩くよっ!」

「姉御、それは虐待!」


「むしろドメスティックバイオレンス!」

「だから、やかましい! 一度、その腐った性根をたたき直してやるよ!」


 そんな大人達の喧噪を余所に、俺は最後の揚げ物を掬って。皿に盛り付ける。カチャンとガスコンロの火を消して。

 大人達の喧噪を聞きながら、ついため息が漏らしつつ、それから沙千帆のもとへ向かうことにした。





■■■





「え……?」


 これは、どういうことなのだろう?

 思わず、目をパチクリさせてしまう。


 ベッドの上で寝ているのは、沙千帆だ。


 多分、そうだ。

 ただ、小さい。

 小さいのだ。


 机に立てかけている、七五三の時に一緒に撮った写真――あの時とほぼ一緒の沙千帆が、ベッドの上で、すーすー寝息を立てながら眠っていた。


 と、俺の声に反応したのか、沙千帆がゆっくり目を開ける。

 その小さな手がのびた。


「さちほ?」

「あーちゃー?」

「え?」


 ゆっくり起き上がったかと思えば、ダボダボになった服も意に介さず、ベッド上を助走。飛び上がって、俺に抱きついてきた。


「え? え?!」


 ぎゅーっと、沙千帆が俺を抱きしめる。落ちないように、必死にしがみつきながら。俺の肩に顎を乗せて。慌てて俺は沙千帆を抱きしめる。ふわりと、甘い香が漂った。



「えへへ、あーちゃー!」


 満面の笑顔。その声が俺の耳元に響いて――。

 沙千帆を落とさないように、俺はただただ必死に抱きしめていた。


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