第13話 前編

 品川駅からほど近い高級ホテルの一室。

 

 シングルファーザーとして親子二人で生活していた黒崎義隆にとって、ロイヤルスイートは場違いな気がした。


 ディナーと勘違いしてしまいたくなるほどの料金がする朝食に、同じく高額なルームサービスの数々。


 決して質素倹約を貴ぶわけでも、清貧を貫いているわけでもないが、黒崎の気分は晴れなかった。


「真希子は元気にしているだろうか?」


 愛娘の真希子と離れ離れになってからすでに一か月が経つ。その間、黒崎は一日たりとも真希子のことを忘れたことはなかった。


 自分にはもったいないほどに真っすぐで優しく、そして、元気で美人に育ってくれた真希子は、両親を失っている黒崎にとっては唯一の家族だ。


「無事でいてくれればいいが」


 一杯数千円はするコーヒーを口にしながら、黒崎は真希子のことを心配していた。憂鬱な朝食を取りながら過ごしていると、無償に真希子の手作り料理が食べたくなった。


 高級シティホテルの料理は確かに美味ではあるが、真希子の愛情がこもった料理の前では味気無さを感じてしまう。


 憂鬱な朝食を取っている中で黒崎のスマホが鳴り響く。


 ややうんざりした顔で黒崎は電話に出た。


『おはようございます。黒崎先生』


「おはよう吾妻くん」


 朝っぱらから聞きたくもないという感情を隠すことなく、黒崎はやや不機嫌そうに挨拶を交わす。


「あまりお休みにはなれなかったのですか?」


「この一件に関わってから、私は一度も安眠したことなどないよ」


「それは良くない。一度、弊社の方で診断を受けてみましょうか?」


「結構だ。私も医者なのでね」


 ちゃんとした医師免許を持ち、小さな内科医院を経営していた黒崎は自分の体については誰よりも分かっている。


 わざわざ他人に自分の肉体を任せる気にはなれなかった。


「それは失礼しました。ではいつも通り、車をご用意いたしますので」


 その一言を聞くと、黒崎は一方的に電話を切り深くため息をつく。そして着替えをしようとするが、途端に胸をかきむしるかのような痛みが襲い掛かってきた。


「またか……」


 冷静さを保ちながら、黒崎は常備薬として持ち歩いている白い錠剤を口に含み、ミネラルウォーターで流し込む。


 胸をかきむしる痛みはやがて収まり、黒崎は椅子に腰かけて一息つく。


「私には後、どれだけの時間が残されているんだ?」


 この苦しみの末路を黒崎は理解している。自分に残された時間が決して多くは残っていないことも、そして、この苦痛と末路を完全に治療することが不可能であることもだ。


 その先に待っている結末は恐ろしいわけではない。だが、その結末を知った娘の気持ちや、彼女と会えなくなるかもしれないことに、黒崎は恐怖を抱いていた。


「絶対に、あの娘を助けなければ」


 自分に残された時間は少ない。その少ない時間の中で黒崎は改めて、愛娘である真希子を助けることを決めた。


*****


 護衛が運転する社用車に乗り、ホテルから直行で黒崎は株式会社エリクシルへと出勤する。

 品川区の一角に地上二十階建ての本社ビルを構え、東証プライムに上場しているエリクシル社は医療業界におけるユニコーン企業として注目を浴びていた。


「顧問、おはようございます」


 すれ違った社員に挨拶をされ、黒崎も礼儀に沿って挨拶を交わすと、そのまま彼はエレベーターに乗り、最上階にある社長室へと向かった。


 軽く社長室への扉をノックすると、そこにはエリクシル社の代表取締役社長にしてCEO、山城和明の姿が上機嫌の表情をしていた。


「黒崎君おはよう」


「おはよう社長殿」


 黒崎は山城に雇われている立場ではあるが、二人は大学の医学部時代からの友人であった。

 その付き合いから、顧問となった現在でも二人はなるべく対等な立場を保っていた。


「ずいぶんと上機嫌だな」


 ここ数日浮かない顔をしていた山城が、妙に浮かれていることに黒崎は指摘する。


「例の計画だが、どうやらこのまま進めても問題は無くなったからだよ」


 上機嫌な山城とは対照的に、黒崎は渋い表情を作る。


「問題が無くなったというのはどういうことだ?」


「皇先生が動いてくれたんだ。現状維持、その上で霊安室には鬼道隊という特殊部隊が付くことになった。そして、吸血鬼への対処も完璧になったよ」


 内務副大臣を務めている皇征十郎ならば、それぐらいの芸当は出来るだろう。だがそれは、借りを作ってはいけない相手に、とてつもなく大きな借りを作ってしまったことではないかと黒崎は思った。


「これで我が社は内務省との太いパイプを得られる。その上で、政財界にも大きなコネを維持した上で事業拡大も狙える。ご機嫌にならない理由がないほどだ」


 山城が得意げになって語っているが、医学生時代は真摯に命と向き合い、何より熱意溢れる青年だったことを黒崎は思い出す。


 精悍で引き締まった体も、今では酒と女と暴食で完全に弛んでしまっており、糖尿病予備軍にへと突入していた。


「金儲けに精を出すのは一向に構わんが、皇さんは信用に値する人物なのか?」


 ソファに腰を下ろし、黒崎は山城に尋ねた。


「当然だよ、皇先生は私の恩人だ。この本社ビルや研究所の建設にも尽力し、資金援助までしてくれたほどだ。それに、我々は一蓮托生だからな。一方的に切ることなど出来んさ」


 皇征十郎を信じて疑わない山城だが、黒崎はこの計画の一員として皇征十郎に会ったことがある。


 長らく医者として多くの患者と対峙してきた黒崎は、第一印象と対話の中から相手の本質をある程度見抜けるという能力が身についていた。


 その見識から、皇征十郎は威厳ある風格と他者を威圧する態度があり、まるで自分以外の存在を決して信用せず、単なる駒としか認識していないところが見受けられた。


 いざとなったら、平気で他人を切り捨てることが出来る人間、それが黒崎が持つ皇征十郎という人物評だ。


「ちなみに特捜室は?」


「この事件から外れたそうだ。しかし、君はずいぶん奴らに拘っているな」


 不思議そうにしている山城とは対照的に、黒崎は特捜室の実力を理解していた。これは、吸血鬼である真希子を守るために色々と情報を収集していたためでもある。


「家族を守るために色々を情報を集めていたからな。すると、嫌でもその情報が入ってくる」


「霊安室の伝統に比べたら、吹いて飛ぶような連中ではないか」


「山城、君はいつからオカルトにのめり込むようになった? 特捜室には、アーマード・デルタという特殊部隊が存在するのを忘れたのか?」


 特捜室についての情報を調べている中で黒崎はアーマード・デルタの情報も入手していた。


 多少荒っぽくはあるが、人命救助を最優先として人質となった人達には髪の毛一本程の傷も付けず、犯人は腕立て伏せもスクワットもできず、ハイハイしかできない体にしてしまうという。


「バイオロイドや戦闘ロボットは無論のこと、能力者すら対処可能なのが彼らだ。実際、彼らはあっという間に吸血鬼達を倒してしまったほどだ。鬼道隊の連中がどこまでやれるのかは分からんが、アーマード・デルタに勝てるかどうかは怪しいとは思うがね」

 

「大げさだよ。無駄に気にすると健康に良くない」


 糖尿病予備軍となり、健康診断でも常に再検査だらけの山城に言われると、黒崎は思わず苦笑する。


「そうだな、精々健康には気を使わせてもらうよ」


 事態は決して好転しているわけではない、下手をすると悪化すらしていると黒崎は感じていた。


 同時に、いかにして娘を助けて生き残れるか、その難易度が上がったことも黒崎は悟ったのであった。

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