ホシクモ5

 ホシクモがビギニング星系を支配してから、一億年の歳月が流れた。二つの連星の周りには無数の雲ことホシクモのコロニーが浮かび、局所的には星の放つ光を覆い隠すほどに個体数を増やしている。

 しかしこの状態で安定もしていた。餌に向かう移動能力を得た事で爆発的に数を増やしたが、結局のところ使える資源の上限が増えただけ。個体数が増えればいずれ頭打ちとなり、生まれる数と餓死する数が釣り合う時が訪れる。今のホシクモは丁度その状態であり、彗星が来ると増え、彗星が来ない間に数を減らすというサイクルを繰り返す。やってきた彗星や小惑星の大きさで規模は変わるが、極めて規則的な個体数変化が起きていた。

 非常に安定した生活とも言える。では、このまま穏やかな時代が長らく続くのか?

 答えは否だ。

 理由は、この一億年の間にホシクモ達の中に多量の変異が蓄積しているため。例えば口と消化器官の発達。口の中には今までよりも長くて太い毛が生え、消化管内の粘液が持つ水分が蒸発しないよう、『蓋』の役割を果たすようになっている。粘液内に消化酵素が分泌され、大き過ぎて直接吸収するのが困難なペプチド ― 複数のアミノ酸が結合して出来たもの。大きなものはタンパク質と呼ばれる ― を分解する能力も得た。口という『切れ目』がある事で、広げるようにして身体の表面積を広げられる性質も、ここ最近の変異で得たものである。

 これらの変異により今のホシクモは、ヒミコ誕生以前である五億年前のホシクモとはかなり見た目が異なるものとなっていた。とはいえ基本的な性質は変わっていない。今も彗星が運んできた物質を、恒星が放出するエネルギーで加工して生きている。これまでとなんら変わりない生活だ。だからこれからも変わらないように見えてしまう。

 しかしここまで積み重ねた変異は、種の壁を乗り越えるのにあと一歩のところまで迫っていた。

 そう、ホシクモという種を超える変異を得たのが今――――ヒミコ誕生から五億年が経った、この時だ。

 ホシクモ達の中の一個体が、分裂中に突然変異を起こした。この個体を変異個体と呼称しよう。変異個体に生じた変異はある遺伝子のコピーミスに由来しており、本来ならば生存上不利な形質だった。

 それは『負の走光性』だ。

 走光性とは読んで字のごとく、光に向けて動く性質の事。地球生命では、ライトに集まる虫などが走光性を持っていると言える。負の走光性というのは光を避けるように進む、言い換えれば暗い場所へと向かって進む性質だ。これも地球生命であればミミズなど土壌性生物の多くが持っている。

 光に向かって進むのが良いのか、逃げるのが良いのか。これはその生き物の生き方次第で変わる。例えばガなどが夜間明かりに群がるのは繁殖で役立つ。月明りなどを『目印』にする事で、何処にいるかも分からない異性と確実に出会えるという訳だ。また姿勢制御の役割もある。自然界にある強い光は主に太陽と月の二つであるが、これらは非常に遠いため何十メートルと移動してもその位置を殆ど変えない。つまり光の方向に対し一定角度で飛べば、安定して真っ直ぐ飛べるのだ。

 対して光を嫌うミミズは、皮膚呼吸をするため粘液を身体に纏っており、これが乾燥すると呼吸が出来ないため日差しがある場所に留まるのは危険だ。鳥などの天敵に見付かる可能性もあるため、開けた場所にいるのも好ましくない。明るい場所から逃げ出し、より暗い地中を目指す個体の方が生存率は高くなる。

 ではホシクモの場合はどうかと言えば、実のところ一般的には光を好みも嫌いもしない。宇宙空間で生きる彼女達は、何もせずとも光を浴びる事が出来るのだ。それどころか光に向かって進むと、最悪恒星の重力に捕まって引き寄せられてしまう。だからといって光から逃げると、エネルギー源が失われるため生存出来ない。余計な事はせず、ただ浮かんでいるのが最も合理的な生き方だった。

 しかしある酵素合成の遺伝子に変異が生じる事で、この性質が変化してしまう。誤った構造の酵素が作られ、この酵素が光により分解されてしまうのだ。

 本来、これは致死的な変異である。酵素というのは生存に欠かせないものであり、その一つが失われる事は生命活動の循環が途切れる事を意味する。実際これまでこの変異を得た個体は子孫を残す前に死んでいる。だが今回変異した個体は、その酵素を合成する遺伝子が重複するという変異を持っていた。既に持っている遺伝子をもう一個持っている形であり、これは身体の構造などに一切影響しない。つまり無意味な変異であり、だからこそ子孫をそれなりに残す事も出来ていた。

 重複した遺伝子が変化した事で、その個体は酵素を二つ持つ事が出来た。生存に欠かせない酵素を維持したまま、光によって分解される酵素も作るようになったのだ。そしてこの酵素は光があると分解されるが、光がなければ分解されず、酵素として働く。

 働いた酵素はとある脂肪酸を合成。この脂肪酸は細胞質の集合を解除する働きがある。細胞質が移動し、併せて細胞膜が引き延ばされ、噴射口が開かれるのと同時に向きが変わるという仕組みだ。これにより個体としては光を嫌うでもなんでもないのに、あたかも暗い場所を好むように暗所へと進む。

 変化は僅かなため、方向転換にはやや時間が掛かる。しかもこれは、本来なら大した意味はない。最大の光源である恒星から離れようと方向転換すれば、最終的には噴射口が恒星の方を向く事になるが……こうなると噴射口周りが光を浴びるため、そこにある酵素が分解されるようになる。酵素がなければ脂肪酸もないため、噴射口は閉じた状態となり酸素の放出が止まる。推進力がないため動きも止まってしまう。これで終わりだ。

 だが、一時だけ有効に働く時がある。

 それは恒星がある方角に、だ。恒星と変異個体の間にホシクモが入れば、このホシクモの身体により影が出来る。陰の方が星系の外側よりも暗いため、陰こと別個体のホシクモの下へと向かう。影の中にいる間は噴射機能が問題なく発動し続けるため、途中で止まる事はない。

 進めば進むほど、影はどんどん濃くなる。すると分解される酵素が減り、生成される脂肪酸の量も増えていく。脂肪酸が増えると細胞質が散開し、細胞膜が広げられる形となり……それはやがて噴射口と反対側にある『口』を大きく広げる。

 やがて別個体のすぐ傍に来た時、変異個体は大きな口を開けて突撃していた。

 変異個体は何も考えていない。ただ自前の酵素が分解されずに残った結果、口を大きく開けた状態で直進していただけだ。しかしその行動により、同種であるホシクモが口の中に入ってしまった。別個体のホシクモもこの状況を理解するような『意思』はないため抵抗も何もなく、そのまま口の奥に入ってしまう。

 そして別個体が完全に口の中、その奥にある消化器官に入れば、影がなくなるため変異個体はまた光を浴びる。

 燦々と受ける恒星の輝きにより、変異個体の細胞質が元の密度を取り戻す。細胞膜は引き締まり、すると口は閉じていく。完全に閉じる訳ではないが、中に入った別個体が脱出出来ないぐらいには狭まった。

 更に消化器官内には多量の分解酵素が満たされている。これらの酵素は本来彗星に含まれているペプチドなどを分解するのに使われていたが、別個体のホシクモの細胞膜を分解するのにも役立った。別個体の細胞膜は少しずつ分解され、空いた大穴から大量の細胞質が溢れ出す。その細胞質も分解されてアミノ酸や水になり、粘膜を通じて変異個体の中へと吸収されていく。

 このような行為をなんと呼ぶか? ヒトであれば知っているだろう。

 そう、捕食行動だ。変異個体に「喰う」という意識はなく、食べられた側である別個体にも襲われたという認識はない。しかし確かに、生物が生物を食べる『食物連鎖』が、この時ビギニング星系で初めて起きたのだ。

 獲物を食べた事による効果は絶大だった。まず大量の物質を得られた事。今まで不定期に飛んでくる彗星や小惑星が撒き散らす、僅かな量の分子だけで彼女達は世代交代をしてきた。繁殖を行うには十分な大きさまで成長しなければならないが、得られる資源量が少ないのでとても時間が掛かる。しかし同種個体を丸ごと一個食べてしまえば、当然一個体分の資源を得られる。捕食一回で、一回の繁殖を行える……これは今までのホシクモと比べ、格段に速い増殖スピードだ。

 おまけに、餌は周りにいくらでもある。

 餌に向かう性質を得た事で、ホシクモの数はかつての五千倍にも増えた。一千種もの多様性があった時よりも、ビギニング星系はより膨大な数の生命に溢れている。このため今まで捕食者として生きる上で最大の障害だった、「獲物までの距離が遠過ぎて狩りが出来ない」という点が解決。あらゆる種を駆逐するほどの繁栄が、彼女達の天敵が生きていくための条件を満たしてしまったのだ。

 捕食者が生きていける環境は整った。挙句此処にいるホシクモ達は、今まで捕食者の存在など全く知らずに進化してきた者達である。抵抗どころか逃げるための性質すら持ち合わせていない。

 変異したホシクモ……いや、新生物『クモグイ』は、無抵抗な餌を片っ端から捕食して繁殖する。数は指数関数的に増加し、遠からぬうちにホシクモの個体数は激減するだろう。

 大繁栄したホシクモの終焉は、自ら積み重ねた変異によりもたらされたのだ。

 しかしこれは本当の意味での終わりとはならない。クモグイが増えればホシクモは減り、獲物が減ればクモグイの個体数増加は鈍化する。エネルギー源そのものを奪い取った事で起きたホシクモ大量絶滅と違い、ホシクモ達の種が滅びる事はないだろう。

 そして生き延びたホシクモ達の中から、捕食者に対抗出来る形質を持った個体が生まれ、栄える。

 それがホシクモには出来る。積み重ねた無数の変異がクモグイを生んだように、今まで役に立っていなかった形質がクモグイに対抗する術となるからだ。尤もその時には生態も形態も大きく異なり、ホシクモとは異なる種になるだろう。

 いずれまた、ビギニング星系に多様な生物相が戻ってくる。ホシクモ達の、ヒミコの血が広がっていく事で。

 同時に食物連鎖の時代がついに始まり、悪魔が誕生する下地がまた一つ出来上がるのだが、自我なき彼女達に遠い未来を予測する能力などなかった。

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