第2話 ボクシングから得られるもの

ここレオン王国でメジャーな護身術と言えば、フェンシング・レスリング・ボクシングだ。

うちボクシングの打撃は、体重がアスリートより軽いウェインには向いていない。

レスリングは、代わりに柔術を習っている。

それでもボクシングをウェインが習っているのは、やはり「当て勘」と、近くに安くジムがあるからだ。


 一方フェンシングは少し悩んでいることがあった。攻撃権がどうのと、あまり実戦的ではない(一般に、ラクスの武術は儀礼的なことに主眼が置かれる)

またフェンシングの突きは刀身が軽いため速く、ウェインはそれに対応できる目と腕前がある。だがサーベルですら斬りつける攻撃のバリエーションに乏しく、また普通の剣を相手に受け流すのに失敗すると、軽い刀身は耐えきれず折れてしまうこともある。

なのでリーチは狭くなるが、一般的なショートソードに転向している最中である。だが今の所まだあまり成果が出ていない。


「こんにちはー」

「おお、ウェインか。いらっしゃい」

 ウェインはボクシングジムで挨拶をする。中はそこそこ広い。練習生も何人かいる。

「今日は、ちょっとお願いがあります」

「なんだい?」


 トレーナーに『お願い』を伝えると、ウェインは着替えて支度をし、柔軟体操から身体を温めると、サンドバッグ相手にサウスポースタイルで右ジャブを放つ練習を始めた。

 左ストレートは相手の顔に当てるのとボディに当てる二種類を練習する。


 ウェインはフェンシングの構えからの流れで、右手右足を相手の前に出すサウスポースタイルでボクシングに取り組んでいた。右ジャブはある程度洗練されている。ワンツーは使い物になるだろう。左ストレートは、もう少し時間がかかるだろうか。秘密兵器の左アッパーはまだちょっと実戦レベルではない。

 空手は少しできる。前蹴りとローキックならある程度マスターした。

 レスリングはタックルとタックル封じに時間を費やした。組み技はレスリングではなく柔術を習っている最中だ。これはレスリングに投げ技はあっても、絞め・関節技がなかったからだ。おかげで柔術の幾つかの投げ技と絞め技、関節技が使えるようになった。


 しばらく練習していると、ジムのトレーナーから声がかかった。

「ウェイン、準備できたぞ」

「お、ありがとうございます」

「まあ皆実戦に近いことをして、課題を洗い出したい連中だからな」

 今回のウェインの目的は模擬戦。但しスパーリングではない。何故ならボクシングルールで、ボクシングで勝つことにウェインには何の意味もないからだ。

 ウェインの目的は『素手での距離感』(当て勘)だった。もともとフェンシングで、動く相手を攻撃してきたウェインだが、ボクシングのフットワークは本当に動き回る。だから顔に当てにくい。だからこそ、いい『当て勘』の訓練になる。


 魔法の魔力は距離で減衰する。だから本来、密着状態で放つのが最も威力が高い。反面、剣などの間合いに入らないように普段は射程を長く取る。つまり威力は落ちる。

 これを、今回は敢えて密着する事態を考えた。

 捨て身の時はそんなことをすることもあるだろう。


 そしてそれを訓練するのはボクシングのクリンチだ。

 今回のルール。ウェインの体力的に1ラウンド3分では持たない。1ラウンド1分にして、途中に休憩を1分ずつ入れる。相手は入れ替わりで延べ10人。合計10分間の模擬戦だ。

 基本的なルールはボクシングと変わりはないが、クリンチできたらウェインの勝ちだということは皆に伝えている。それをかわしてほしいと。

 それと極力ウェインに向かってきてほしいとお願いしてある。相手は1分間頑張るだけでいいのだから、攻撃的に攻めるぶんには問題ないだろう。


「よーし、じゃあ準備はいいな。延べ10人、合計10分間だぞ。クリンチになったらウェインの勝ちだが試合は続行する。後は普通のボクシングルールだ」

 トレーナーが宣言する。リングの上に立ち、ヘッドギアとマウスピースをするウェイン。リングサイドでは数人の男がウェインを囲むように(グローブ越しに)拍手をした。

 まず最初に、一人の男がリングサイドからロープを超えてくる。身長・体重はウェインと同じくらいか、やや下だ。プロ志望ではなかったはずなので、腕前はウェインと似たり寄ったりだろう。緒戦だからトレーナーが気遣ってくれたのかもしれない。

 ゴングが鳴る。これから一分間の真剣勝負だ。


 相手は素早く間合いを詰めてくる。当然だ。通常3分間のところを、一分間でいいのだから、ハイペースで試合を組み立ててくる。左手・左足を前にしていくノーマルスタイルだ。

 ウェインはサウスポースタイルから、右ジャブを放って敵の足をとめた。だが足を止めさせるだけで、そのジャブは簡単にガードされる。

 ジャブとフットワークだけで相手の懐に飛び込み、クリンチを成功させるのは難しい。ウェインはまだ未完成の左ストレートを相手のボディめがけて放った。今度はフットワークで散らされガードで躱される。


 次は相手の番だった。相手の左ジャブが連打される。ウェインは右ジャブで応戦していたが、押し込まれ、両腕でガードせざるをえなくなった。そこに顔面に向けて右フックが襲いかかる。


 速い。速いが、対応可能な速さだ。ウェインは右腕でガードすると、横に回り込み、相手の腰めがけて胴タックルからのクリンチをした。

 ウェインは幼少期からレスリングでタックルを学んでいる。相手を捕まえる技にかけては、素人以上のキレがあった。

「ポイント、ワン! あと30秒!」

 リングサイドのトレーナーから声がかかる。クリンチ成功だ。大丈夫、呼吸も上がってない。まだ戦える。

 ウェインは一度離れると、再びサウスポースタイルの構えを取った。


 結局この試合、ウェインはまた一度クリンチを成功させ、かつ大きなダメージは受けなかった。


 一分間の休憩の後、二人目との相手をする。流れは先程と似たような感じになった。だいたいボクサーはクリンチ対策などしていない。カウンターにさえ気をつければ、ウェインの脚力と瞬発力なら一瞬で相手に近づいてクリンチすることができた。


 てこずったのは、プロ志望のボクサー相手だ。そもそもジャブの刺し合いでは簡単に撃ち負ける。左ストレートを安易に出すとカウンターで右が飛んでくる。ボディを打たれ、ウェインは顔を歪めた。ウェインは腹筋も鍛えているし相手も本気は出していないのだろうが、やはりダメージになる。これはもう経験の差だ。

 単純にクリンチに行こうとしても、フットワークからのジャブで近づけない。

 打撃技の、レベルの違いを思い知らされた。ボクシングルールで試合をしている限り、ウェインが彼らを追い越すにはかなりの努力が必要だと実感した。


 プロ志望の相手は二人だけで、それも軽く手を抜いてくれたらしかった。ウェインはほぼダメージを受けずに、10分間。10人抜きをやり終えた。成功したクリンチは合計12回。まあ上出来の部類だろう。


 最後の相手と戦い終わってゴングが鳴った時、ウェインは大きく肩で息をした。流石に呼吸が上がっている。そんなウェインに、トレーナーが声をかけてくる。

「ウェイン、すまない。もう一人だけ相手をしてやってくれないか?」

「はい?」

「体験入会者なんだよ。ウェインの顔を見たら是非に、って話になってな。お前にはヒーリングを少しかけるからさ、頼むよ」

 まあ無理を言ってリングを使わせてもらっているのだ、拒否する理由もない。ウェインはその相手の方を見た。


「はーい」

 軽く手を挙げるその人物は、女だった。年齢はウェインより少し高いか。20歳ぐらいだろうか、もう少し低いか。愛嬌がよく、笑顔がよく似合う。

 身長は女性にしてはやや高く、ウェインと同じくらいだ。体格は大きくはないが、痩せっぽちではない。赤茶けた髪の毛をポニーテールにしている。


「ディア・スタイナーよ。よろしく」


 と、そのディアという女は人懐っこそうに微笑んだ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る