第3話 ホームレスの伯爵令嬢

 腕利きの絵師さんが描いたかのようなリアル二次元は私を鋭く見つめ、静かに、けれどどこか責めるような口調でまた言った。


「こんなところで、なにをしているんですか」

「え?」


 さっきもそう言われた。そっか。きっとこのイケメン、私のことを知ってるんだ!


「あ、あの……もしかしてあなた、私のお知り合いだったりしますか?」


 イケメンが眉を寄せた。おお、困惑した顔も美しい……! と、はっとしたように目を見張り、息をのむ。


「まさか、記憶をなくされた?」


 その設定いただきます! ってか、たしかにある意味そうかもですね。

 私はうなずく。すると、イケメンは困ったと言わんばかりに前髪をかき上げた。チラ見えしたおでこもきれいだなあ。異性をこんなに間近で目にしたことがないから、本気で凝視してしまう。そんな私に、彼が言う。


「どこまでの記憶を覚えておいでなのですか」

「……ほぼ全部、わからないです」

「お名前も?」

「はい。あと、住んでるところとか、職場とか……」

「職場?」

 

 戸惑ってる。


「はい。この子……私、どこで働いてたのかなっていう……?」


 ふう、と息をついた彼は、心底困り果てたように目頭を指でおさえた。


「……では、なぜ、パレードをご覧になっていたのですか」

「え? だってせっかくですし、一生に一度見られるかどうかくらいの貴重な場面だと思ったので……」


 ものすごく険しい顔で見つめられた。


「……なるほど。本当にご記憶をなくされているようですね。もっとも、そのほうがあなたにはいいのかもしれない。ですが、この国からは逃げていただかなくては」

「……逃げる?」


 イケメンはにこりともせず、言葉を続ける。


「あなたのお名前は、シエラ・ウッド。エブリン伯バイロン・ウッド様のご息女で、唯一の生き残り」


 ――ん? 


「え? 私、もしかして……まさか、貴族? しかも、唯一の生き残り?」

「そうです。国家転覆を目論んだとされたエブリン伯爵の裏切りが明るみになり、ウッド家一族の爵位剥奪、領地没収、資産凍結、国外追放。そして、エブリン伯爵は断罪されました」


 うそ、断罪? それって、まさかのもしかして……いや、よそう。間違いなく当たってるから、それ以上は考えたくない。でも。


「じゃあ、私は……?」

「あなたも断罪される予定でしたが、俺が死亡と見せかけて、あらゆる手を使って隣国に逃したのです」


 この人、命の恩人だったんだ!


「それなのに、まさか舞い戻って来られるとは……」


 そうささやくと、なにか思いついたらしく、きらりと瞳を光らせる。


「きっと、パレードをご覧になるためだったのでしょう。その長く過酷な道中でご記憶をなくされたのだとしたら、あまりにも不憫極まりない――が、正直なところ若干いい気味でもある」


 ――おや?


 あれ? お知り合いの味方なのかなって思ったけれど、なんだか雲行きが怪しいな。

 とはいえ、びっくり。私、庶民の中でも底辺に属してると思っていたのに、貴族のご令嬢だったんだ!

 でも、全然喜べない。だって、父親がよからぬことを企てて断罪されたのだとしたら、悪い貴族の一員ってことだもの。こんなにかわいいのに心底残念だ……。


「なるほどですか……。でも、なんとなくでも自分のことがわかってよかったです。とにかく、私はここにいちゃいけないってことなんですよね?」

「ええ。しかし、本当にご記憶がないのですね」

「はい。まっさらで真っ白です」

「パレードを見て、なにかを思い出したりもしなかったのですか?」

「え?……と、はい。まったく。でも、そうですよね。私も貴族なら、きっとあの人たちともお知り合いってことですもんね」

「お知り合いどころじゃありませんよ」

「そうなんですか?」


 私が目を丸くすると、彼はなぜか口をつぐんだ。


「いまは知らないほうがいいでしょう」

「なんですか? 教えてくださ――」

「いやです」


 食い気味にはねのけられてしまった。

 それにしても、この子、あのヒエラルキートップの方々と顔見知りだったんだ!

 すごすぎて実感なんかわかないし、まるきり他人ごとに思える。まあ、この子の〝中の人〟である私にとっては、実際他人ごとなんだけれども。

 たぶん、幼馴染とかそんな感じだろうな。ま、この際そんなことどうでもいいか。それよりも切実に大事なことが、私にはほかにある。

 そう、寝床。つまり、家だ!


「お隣の国には、私の暮らす家があるってことですよね?」

「修道院を家と呼ばれるのでしたら、そうなります」


 ――修道院!


「私、修道院にいたんですか?」

「ええ。しかし、そこを無断で抜け出したのだとしたら、もう二度と入れてはもらえないでしょう」


 じゃあ、私、貴族なのに住むところがない――ホームレスなんだ!

 えええ……うそでしょ。どうしたことなのシエラさん。私の現実世界よりもハードモードすぎるんですけど! しかも、このイケメンも助けてくれた風でいて、たぶんだけどシエラさんのことよく思ってない。っていうか、むしろ嫌ってる疑惑すらある。

 いまさらな事実があまりにあまりすぎで、私の心は虚無ゾーンに入ってしまった。

 うん、知ってた。そうだよね。神様なんていないしどこに行ったって不平等だし、この世界はご褒美じゃなかった。ものすごく久しぶりにうっかり期待して、浮かれて楽しんですみませんでした。


「……承知いたしました。なにもかもが残念ですが、なんとか生き抜きます」

「この国であなたの生存を知るのは俺だけですが、ご記憶が戻る前に一刻も早くこの国を出ることをおすすめします。このまま滞在されてご記憶が戻りでもしたら、なにをしでかすかわかりませんので」


 うーん、いちいちひっかかるなあ。なんでかは謎だけど、シエラさんのこと心底厄介に思ってるみたいだ……。


「わ……かりました。とにかく、いろいろ教えてくださってありがとうございます。死亡してる設定みたいなので、ほかの国でイチから出直してみます」


 ぺこりとお辞儀をすると、イケメンがあからさまに戸惑う。


「……俺にお礼なんて。記憶をなくされたどころか、まるで中身まで代わってしまったかのようではありませんか、シエラ嬢」


 そのとおりです。でも、信じてもらえないだろうから黙っておきますね。

 しかし、シエラさん。お礼とか言わない女子だったんだな。こんな美少女で貴族のお嬢さんなら、きっとそれがあたりまえだったんだろう。わかるわかる。無理もないよ。 


「じゃあ、これまでのぶんも重ねて、お礼をさせていただきます」


 ありがとうございますと、地面にくっつきそうな柔軟体操ばりに、深く頭を下げる。彼が息をのむのが伝わった。よほどびっくりしたらしい。


「では、これで」


 とりあえず地図を手に入れて、この国を出る方法を考えないと。しかし……なんという超絶ハードモード! 身悶えしそうなのをぐっとこらえて、私は彼に背を向けた。すると、


「少しお待ちください」

「はい?」


 振り向くと、彼がマントを脱ぐ。きらびやかな青い軍服姿があらわになって、私は目を丸くした。

 びっくり。この人も近衛騎士様だったんだ! うわ、うっわ……二次元度がさらに増してる。軍服の似合う超絶イケメンに対する免疫がなさすぎて、かっこよすぎて目が酔ってきた。

 ああ、悪いことばかりじゃなくてよかった。いま私の視界全部が、宝箱状態です。この場面をおかずにすれば、これからどんなことがあったって間違いなくのりきれる気がする!

 そんなアホなことを考えている私の両肩を、彼がマントで包んでくれた。


「せめて、どうかこれを。差し上げます」

「え」

「あなたを見かけて尾行するため、市場でてきとうに手に入れたものです。近衛の印などない庶民のものですから、これを着ていてもあなたをいぶかる者はおりません。ご安心を」


 この人は膝下丈だったけれど、私はくるぶしまで隠れそう。袖も長いし重くて大きいものの、まるで毛布を着ているかのようにものすごく暖かい……。

 これは遠慮したくない。お言葉に甘えよう。


「ありがとうございます。本気で助かります!」


 素直な私にいまいち納得がいかないのか、彼は困惑の表情を崩さない。そんな顔つきのまま、マントのボタンを留めてくれた。

 ああ、肌きれい。前髪からチラチラ見える、グレーがかった色の瞳も美しい。まつ毛長い。唇の形も素敵。この人の満面の笑顔が見られたら、いっきに昇天できる自信ある。

 それにしても、なんという反則技。シエラさんを嫌ってるくせに紳士的で親切だなんて、罪つくりにもほどがあるんですけど!


「俺は、エブリン伯爵に恩があります。伯爵は最期まで、無実を訴えておられた。俺も、あんなに聡明な方があんな企みをするはずがないと、いまも信じています。だからこそ、あなただけは逃してくれと言われたとき、俺はそうする約束をしたんです」


 義理堅いイケメンらしい。一呼吸置いて、言葉を続けた。


「ですから、どうかこのままなにもせず、この国を離れてください。それが、いまご記憶をなくされているあなたにできる、唯一の救いの道ですから」

「わかりました。その……いろいろとありがとうございます。私はもう大丈夫ですから、同僚のみなさんに怪しまれる前に職場に戻ってください」


 彼がふたたび息をのむ。と、軍服の衿元を緩めて指を入れると、ネックレスを取り出した。


「これもどうぞ。差し上げます」

「えっ!」


 ネックレスに下がっていたのは、大きなエメラルドが輝く指輪だった。


「国境までは一番の近道でも、馬の足で十日以上かかります。それなのに、おそらくあなたは徒歩でここまで来られたのでしょう。よくぞ生きておられました」


 それはびっくり。どうりでドレスもぼろぼろになるわけだ。でも、そうまでしてこの国に戻ったのは、なぜなんだろう。もしも、このイケメンの言ったとおりパレードを見るためだったのだとしたら、それはどうして? 

 幼馴染を祝うため? そんな理由で命がけでここまで来るかな。うーん、謎。


「これを売れば新しい靴も服も手に入れられますし、馬と宿、隣国に渡った末の当面の生活にも困らないでしょう。どうぞ使ってください」

「いっ……いやいやいやいや! これ、あなたの大事なものですよね?」

「そうですが、俺はエブリン伯爵の遺言を守らなくてはいけませんから」

 

 私の右手を強引に取り、それを手のひらにのせるとぎゅっと包んだ。大きくて、きれいな手。それに、すごく温かかった。でも!


「い、いらないです。もらえないですよ! 私大丈夫です。自力でなんとかできるので――」

「俺があなたにしてあげられることは、もうここまでなのです。シエラ嬢」


 私ははっとした。

 シエラさんは――私はこの先、本当に誰のことも頼れない。誰の支えもなく、生き抜かなくてはいけない。その意味を込めて、彼は大切なものを差し出してくれたのだ。


「では、これで。どうか、お元気で」


 手を放した彼はそう言い残してお辞儀をし、立ち去った。

 たとえこの世界の知識がなくたって、言葉が通じるのなら仕事だってできるしどうにでもなる。だから、私ならぼっちでも全然平気だったのに……って。


「あ。あの人の名前聞くの忘れた」


 私は指輪を見つめ、ため息を落とす。大きなエメラルドを包む細やかな銀の装飾は、月桂樹の葉。すごくきれいな指輪だ。と、裏側に彫られた文字を見つけた。もちろん異国の言語だけれど、私には難なく読めた。


 ――〝我が息子グレンに祝福あれ〟


「グレン……」

 

 容姿以上に心まで、なんというイケメン。

 きっとお父さんにもらったものだろう。こんなん、絶対大事なものじゃないですか!

 ネックレスを首に下げて隠す。けっして盗まれることがないように、汚れたドレスの衿元をきつく引き合わせた。これは絶対に使えない。いつか必ず、彼に返さないと。


 ――グレンさんに、返さないと!

 

 そう強く自分に誓い、私はふたたび広場に戻った。

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