第一章 屋根のある場所を確保せよ

第1話 どこまでもハードモード

 もしも前世というものがあるとしたら、きっと私――坂上さかうえ水琴みことはよっぽどひどいことをしたのだと思う。そうとしか考えられないほど、私の人生は〝ハードモード〟だった。


 まず、生まれたときから貧乏。

 株やら投資やらで失敗した祖父の借金を背負った両親は、朝から晩まで働いていた。それでも給料日には即金欠になるので、水道光熱費が止められてアパートの鍵が変えられるなんてことも日常茶飯事。

 家族仲だけはよかったので、車中泊になってもキャンプ気分の野草料理で楽しくのりきることができた。でも五歳にして、普通の人生は無理なんだろうなあって、すでになんとなく思っていたふしがある。


 次に、容姿。

 見た目で判断しちゃいけないのが常識だけれど、あくまでも建前。たいていのことは容姿で決まると、私は小学三年生のときに悟った。

 かわいい子はなにをせずとも優遇され、そうではない子は空気にされる。なんでも自分でしなくちゃいけなくなるので、おのずと精神力は無駄に鍛えられていった。

 メイクのできるお年頃になっても頑固な骨格が邪魔をしてレベルは変わらず、努力して得た数々の資格より、容姿の優れた同級生たちがスムーズに就活をこなして内定を得ていく現実を目の当たりにし、報われない努力というものを学んだ。


 それは、恋愛にも通じる。

 勇気を振り絞って好きな男の子に渡したバレンタインのチョコがゴミ箱にあった場面をつきつけられた十三歳のとき、恋愛にも〝それが許される資格〟がいるのだと猛省した。


 派遣先の倒産、バイト先の夜逃げ。憧れていた先輩からいきなり連絡がきたと思えば、マルチの勧誘。そのほかもろもろ、数え上げればきりがないほどの不運が雨のように降ってくる日々だった。

 それで、百万超えの奨学金を絶賛背負い中の齢二十七にして、自分の人生のいっさいに期待せず、希望ももたないことにした。そうしたら生きることがずいぶん楽になったし、気づいたときにはなにが起きても楽しめる精神力さえ、我がものにしていたのだった。


 うまくいかないのが自分のデフォルトだと知っているので、たいていのことには動じない。しょせん人生なんて消化試合。焦ったところでどうにかなるわけじゃない。だったらいっそ流れに身をまかせて、のんびりいこうじゃないですか。


 ――そう思えることこそが、私の自慢できる唯一の長所だ。


「……寒っ」


 あまりの寒さに目を開けたとき、視界に飛び込んだのは石畳の道だった。え、みんな大好きな〝夢の国〟みたいなこの道なに?

 顔を上げて見回すと、そこは薄暗い路地のようだった。明るくひらけた先に、それこそ〝夢の国〟のショップエリアみたいな建物がひしめいているのが見える。そんな建物のひとつの裏口らしき軒下で、私は体育座りでうずくまっていた。

 空は快晴。真昼らしい。


「……ヘンな夢」


 吐いた息がほんのり白い。季節は初春か秋だろうか。それにしても、なんで私裸足なんだろ。血豆とかできてるし、汚れてるうえにめっちゃ痛い。しかも、この裾の長いぼろぼろのスカートとかいったいどうした?

 まあ、夢だからどうでもいっか。それにしても肌寒いなあ。

 自分の身体を抱きかかえたとき、薄っぺらいストールが肩にかかっていたことに気づく。それを引っ張って身体を包み、ふたたびうずくまって目を閉じた。


 昨日、事務の派遣が更新されないことを知らされた。次の仕事を探さなくちゃいけないのになんだかどうでもよくなってしまって、〝宵越しの金は持たねえ!〟みたいな江戸っ子気分になり、我慢していたデパ地下のお惣菜やスイーツに思いきり散財したのだった。

 ほんと、すごいすっきりした。ついでにワインも購入して、さて安アパートに帰ろうとして、それで……。


「……あれ? 私、どうしたんだったっけ?」


 記憶がない。街を歩いていて、それから……そうだ。いきなり後頭部がガツンって叩かれたみたいな激烈な頭痛に襲われて、その場に倒れたような気がする。症状としては前にネットで見かけたことのある脳卒中の一種っぽかったけれど、その記憶もたしかじゃない。

 まさか、救急車とかで運ばれたとかだったりして? それならまだしも、即シ……。いやいや、私はいまこんな夢を見ているわけだから、ちゃんと生きていて眠っているのはたしかだ。次に目が覚めたときに判明するだろうから、べつに焦る必要はない。そのときまで待てばいいか。

 そう思った瞬間、けたたましい馬の蹄が聞こえてきた。はっとした直後、目の前を馬車が通り過ぎ、水たまりがはね上がって私にかかった――って、冷たっ!


「……え、馬車? ってか、なんかものすごくリアルなのでは……?」


 実は、最初から気づいていたことがある。口から吐き出される言語が、あきらかに日本語じゃない。どうせ夢だからって無視していたんだけれど、だんだんいろんな感覚や輪郭がはっきりしはじめ、なんだか怖くなってきた。

 五感がすっかり目覚めると、騒がしさが伝わってくる。荷台を引く馬や行き交う人の姿が視界に映り、驚いた私は腰を上げた。

 路地の先に円形の広場があり、市場ができている。誰もが、まるで一七、八世紀くらいの近世時代を舞台にした映画やドラマの人のような姿をしていたうえ、あきらかに外国の方たちだった。

 我を忘れてぼうっとしていると、両手にかごを持ったふくよかな女性にどつかれる。


「ちょっとあんた邪魔だよ! 働くでもなし買い物するでもないんなら、どっかにお行き! もうすぐアシェラッド王太子殿下の婚約パレードが大通りを通るから、ここらも売りどきで忙しいんだよ!」


 王太子殿下? アシェラッドって誰? そんなことよりぶつかられた右腕が痛い。足の裏も痛くて冷たい。どこからか、焼いたパンとベーコンの香りがただよってきて、私のお腹がぐうと鳴った。

 ああ、お腹が空いた。なにか食べたい。寒くて死にそう。身体のあちこちが痛い……って、ちょっと待って。


 ――こんな夢って、ある?


 泥だらけの手のひらを嗅ぐと、土埃の匂いがした。胸まで下がる汚れたブロンドの髪が視界に入り、私は慌ててガラス窓を探す。食堂らしき建物の窓に近づき、自分を映してみた。


「え」


 痩せこけて汚れまくってはいるものの、ハリウッド映画の主人公みたいなブロンド美少女が、人形のような青い目を大きく見開き、こちらを見ていたのだった。

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