第6話 祖父の技
イワザルは一匹しかいないが、それでも勝てるかどうかはわからない。それは自分の実力からの判断ではなく、自力で戦ったことがない故の判断。イワザルと戦う時はいつもバグ技に頼っていたからだ。体長は三メートルほど、フジノにとって見覚えのある大きさだ。
灰色の毛に包まれた太い筋肉は、怪力を生み出すが軽やかさと素早さを失わせた。大昔は木々の間を飛び回る種族だった名残で、物を掴む力が強く、腕の攻撃をメインにして戦う。冒険者になったばかりの頃に先輩から教わったことだ。
その後にこうも言っていた。戦わずに木に登り、高所から高所へと、イワザルが飽きるまで逃げ続けろ、とも。残念だが、今の私には木に登る余裕もない。妖精の補助がないから身体強化も出来ないかもしれない。
体の中心。相手との間に刀を置いて、敵を見る。妖精が助けてくれた身体強化の感覚を思い出して再現する時間を少しでも稼ごうと、睨み合いをしかける。
イワザルは一瞬、何かに気付いた様子で、フジノを中心に右へ左へと動き回る。隙でも探っているのだろうか。真意などわからないが、警戒しながらも身体強化の魔術を発動しようと体内に集中する。出来なければ何も抵抗できずに死ぬだけだ。そんなのはごめんだ。
三度目の挑戦で、自分の中の何かが繋がるのを感じた。慣れ親しんだ感覚。その場で短く跳んで、身体強化の魔術が正しく発動したのを確認した。フジノはこれで戦えるという喜びから、イワザルへの警戒心を弱めてしまう。
「■■ッ!」
イワザルが動き出す。真っすぐフジノに向かい、両手と両足を使って大地を揺らし加速した。フジノにとって人生最後になるかもしれない戦闘の始まりだ。
イワザルが突進して、フジノがそれをかわして可能ならば斬る。攻撃に失敗したイワザルが体勢を整えてまた突進する、その繰り返し。負傷した体とはいえ、イワザルの動きに何とかついていくフジノ。
(双子山のイワザル達は、腐っても群れのボスだった奴ら。それに比べたら、コイツはのろい)
集中しているせいか、身体強化も途切れず、一度も突進をくらわないフジノ。加えて、攻撃できる時を逃さないため、イワザルの体に少しずつ切り傷が増えていく。このままなら勝てるかもしれないと、彼女の中に生きる希望が芽生えてきた。
浅い傷を作ることになっても愚直に突進を繰り返し、その大きな腕を振るいフジノを壊そうとするイワザル。かわした回数は二十を超えてから数えてはいないが、何度も繰り返しかなり体力を消耗したフジノ。何度かギリギリでかわしている状況だ。
(何だ? 何かがおかしい)
何十回目かもわからない。同じ動作。イワザルが突進して、フジノがかわす。なぜこんな事を繰り返すのか。動きに慣れてきた彼女の思考はそれが気になるのだ。彼女が知っているイワザル達は狩りの中で学習するタイプが多かった。バグ技を一度耐えた個体には、片腕を盾にして突進してくるなど一工夫があった。
(あのイワザル達より弱いとはいえ、何十回も失敗したやり方を繰り返すのか?)
フジノの視界で大きくなるイワザル。また突進だ。フジノは再びかわそうとするが、ここにきて昨夜からの疲労の限界が足にきてしまう。
「やばっ!」
強い衝撃が走り吹き飛ぶフジノの体。数本の木を折りながら、地面をバウンドし、嫌な空気の吐き方を勝手に体がしている。木の葉を撒き散らして倒れた彼女は、まだ死んではいない。
かろうじてまだ動けるが、さっきと同じ動きはもう無理だろう。片足が痙攣し、もう休ませてくれと言っているようだ。視界に敵の姿を捉えようと急いで体勢を整え、立ち上がるフジノ。近くの木に背中を預けて、よりかかり、イワザルの方向を見る。
「■■ー! ■■! ■■! ■■ーー!」
イワザルは両手をあげたり、空を見上げるように胸をはったり、腕を意味もなく振ったりと興奮している様子だった。野太い鳴き声の意味など、フジノには当然わからないが、その様子からどんな感情なのか推測する事は出来た。それは喜びだ。
フジノは違和感の正体に気付いた。このイワザルは私を殺したくて突進していたわけじゃなかった。きっと練習なんだと。本当の狩りをするための練習台。覚えた技が通用するか確かめる動きだったのだ。
「ああ――そうか。そりゃあ、怒るよね」
なんと悔しいことか。なんと悲しいことか。全力で戦って勝とうとしているというのに、人生最後の敵と定めた相手が、まったく自分を見ていない。ひどい屈辱だ。確かにこれは、いけないな。
イワザルは私のことなど忘れたのか、水を飲みに川に戻っていった。疲れたから水分補給といったところだろうか。確証はないが、飲み終わったら続きが始まるのだろう。清々しいほどに苛立つ相手だ。度し難い。死に方も相手も選べないとは。
静かな怒りが湧いてくる。体は限界に近いが気力に問題はない。
イワザルが水を飲み終わってこちらに再び近づいてくる。のんきなものだ。お前が水分補給をしている間に、私の足の揺れは収まった。一太刀くらいは出せるぞ。背中を木から離して、両の足で大地を踏みしめる。
「■■ッ!」
さあ続きだ。と言わんばかりにイワザルが同じ距離感の位置で吠える。私は、既に構えを終えている。「使い古された技で、図体のでかい魔物には役に立たない」とトウジロウは言っていたが、それでも私はこの技が好きだった。とても綺麗で美しかったから。
あの日、泣き止まなかった私をあやそうとしたトウジロウは、私を抱きかかえて広くない和室を歩き回っていた。鞘に収まった刀に目線が釘付けになって、ようやく落ち着く幼い私に呆れつつも、初めて見る刀に興味津々な孫の我儘を一つ、彼は聞いてくれたのだ。
(ごめんなさい。トウジロウ。私が悪かったです)
トウジロウは庭に一本の竹を置き、腰に刀を差した。竹を一瞥して、腰は低く、刀の柄を包むように握り、構える。記憶を頼りにあの日のトウジロウの構えを真似る。幼い私は今か今かとその瞬間を待っていたものだ。
イワザルがこちらの様子をうかがうのをやめて、突進を始めるのを、フジノは横目で確認する。相対する相手から刀を隠すように、相手と刀の間に自分を挟む構えで、力を解放する瞬間を彼女は待ち続けている。
(手負いの獣が最も恐ろしい。トウジロウが私を怒ったのはそれだろうか。それとも、まだ理由があるのか)
フジノを突き飛ばした突進よりも、雑な動きで向かってくるイワザル。フジノは呼吸を整えて、相手が自分の間合いに入ってくるその瞬間を待った。双子山にいた頃の自分なら、そんな事は出来なかっただろう。
大きな腕を振りかぶるイワザル、今にもフジノの体を壊そうと、巨体にものをいわせた技術の欠片もない大振りに、フジノは待ち続けたその瞬間を見た。
(今!)
イワザルは標的を見失った上に、片足の激痛で叫びながら倒れ込む。何が起きたか理解できぬままに、深い傷を負った魔物は荒く息を吐いて混乱しているようだ。
「うまくいった……」
トウジロウが見せてくれた技、『居合い切り』。若かりし頃のトウジロウが人同士の争いで使っていた技の一つ。達人の居合い切りは知っていても対処が難しく、知らねば最悪、出会い頭で決着がつくもの。
トウジロウは幼い私の前で披露した時、褒める私を無視して「いまだ未熟」と呟いていたが、少し解る気がする。成功はしたが、目指す背中はまだ遠い。最期かもしれない時に、この一太刀が出せて良かった。
刀についた血を振り払い、痛みにもだえるイワザルを正面に捉える。この傷に怯えてどこかへいってくれはしないかとフジノは睨みつける。
(これで、逃げてくれれば。助かるかもしれない)
「■■■■ーー!」
とっさにフジノは体をこわばらせてしまう。今までの叫びと違う音。悲鳴にも似た鳴き声。遠くまで響くだろう、その声は誰かに助けを求めているようだった。
「まさかっ……」
地面を伝って振動が周囲に伝わる。それは絶え間なく響き続け、徐々に大きくなっていった。少しでも距離を離そうと、泣きじゃくる子供のように地面を転がるイワザルに背を向けて、走り出す。駆け足ほどの速度しか出ないが、それでもだ。これからくる危機を考えれば走ろうとせずにはいられない。刀を鞘にしまい、腕をあける。
(そうだよねえ。こんな強くないイワザルが追い出された元ボスなんて、ありえない。群れで行動しているはずだ)
群れの数を確認する事など後回し。昨夜、寝床に使った岩の隙間へ全速力でフジノは進む。さっきの弱い個体ですら三メートルはあったんだ。腹の満たされた群れならば、人間以下の大きさしか通れないあの場所に入れるはずがない。
「やっと、少しわかったんだ。死んでたまるか」
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