ep13/了 エルフの少年とゴブリンの少女

 日没のダウンエッグを、ビアンカと二人、連れだって歩く。

 壁という壁に描かれているはずの落書きは、すでに夕闇に沈んでしまっていて鑑賞できない。

 ウィリアムにはそれが、ちょっとだけ残念だった。


「最初に見たときは少しばかりぎょっとしたけど、慣れてしまうと一つ一つ見て回りたくなってくる。これはダウンエッグの立派な文化、まさしく路上の芸術ストリート・アートだ」

「いや、死ぬまでバンクシャーになれない連中のイキリ展覧会だろ」


 ウィリアムの賞賛に即座のディスで返すビアンカ。

 そんな辛辣な表現がよくもまぁ当意即妙に出てくるものだと、呆れを通り越して感心してしまうウィリアムである。


 あの後、いつの間にか夕暮れの時刻になっていた。

 子供たちを家に送り届ける役目はネコマタのミケ姉さんとレッドマンのおきなが引き受けてくれた。

 そうして、ウィリアムはビアンカに案内されながら、大通りのバス停まで彼女と一緒に歩いている。


 ゴブリンの少年と、エルフの少女は。


「君が昨夜言っていたことの意味が、ようやくわかった」

「ん?」

「君は僕と同じだったんだね」


 ウィリアムのこの言葉に、ビアンカは楽しそうに笑って「そういうこと」と言った。


「昔々のある夜、ゴミ置き場にベビーカーごと置き去りにされていたエルフの赤ちゃんを、若いゴブリンのカップルが発見しました。残酷で人でなしな仕打ちにカップルはひどく心を痛めて、そうして、種族も違うその赤ちゃんを、自分たちの子供として育てることにしました」


 そこで言葉を切って、ビアンカはウィリアムを見る。


「つまり、あんたがエルフに育てられたゴブリンであるように、あたしはゴブリンに育てられたエルフだったのさ」


 どうだ、『あのタヌキエルフめ!』ってなったか?

 そう言って笑うビアンカに、ウィリアムは非紳士的にならない範囲で彼女の言葉を引用する。


「ティーチ先生ってば、やってくれたなぁ……」


 かたやエルフに育てられたゴブリンの少年。

 かたやゴブリンに育てられたエルフの少女。

 こんなボーイミーツガールは、確かに奇跡ミラクルとしかいいようがない。


 それから、ビアンカの物語が語られる。

 いきなり新米のパパママになってしまった新婚ゴブリン夫婦の子育てを、スラムの住人が総出で手助けしてくれたこと。

 エルフの赤ちゃんなんて誰も育て方を知らないから、みんなハラハラしっぱなしだったこと。

 だけどそんな大勢の心配を裏切るように、赤ちゃんは元気いっぱいに成長したこと。

 成長して、今なお続くお姫様扱いに、ちょっとうんざりしていること。


 それらの話が一つとして創作フィクションでないことは、説かれずとも信じられた。


 防犯ブザーの音に血相変えて飛び出してきたみんなの反応。

 自分の手を握って繰り返されたありがとうの言葉。

 お姫様の幸せを喜ぶ、数え切れない笑顔たち。


 ビアンカが愛する仲間たちファミリーは、その何倍もの強度で彼女のことを愛しているのだ。


「なるほど」


 ウィリアムは言う。


「なるほど。確かに、君はゴブリンだ」


 自分でも驚くほど自然に、そんな感想が口をついて出た。

 そんなウィリアムに「だから何度もそう言ってんだろ」とビアンカは返して。


「あたしはゴブリンだよ。ゴブリンの父親と弟と妹がいて、オークの兄貴分とネコマタの姉貴分がいて、キョンシーの師父シーフーと天狗の師匠センセイとレッドマンの導師チーフがいる、あたしはそういうゴブリンだ。

 あんたがエルフなのと同じようにな」


 エルフの少女は、ゴブリンの少年に向かってそう言った。


 いや。


 ゴブリンの少女は、エルフの少年に。


「あ、そういえば」


 そこで不意に、ウィリアムはさっきのネコマタとの会話を思い出した。


「学校のイメージ戦略に君を利用するって、どういう意味?」


 ウィリアムが訊くと、ビアンカは「ああ、要はあたしがプラードに入った経緯の話だよ」と、大いなる謎の種明かしをはじめた。


「ダウンエッグの公立校に何故かエルフの生徒がいるって知ったプラードのお偉いさんが、あたしについて勝手にいろいろ調べたんだよ。捨て子でゴブリンに育てられて今はダウンエッグに住んでます、みたいなことをさ」

「うん」

「で、その可哀想なエルフに名門プラードで学ぶチャンスをあげましょうって、ある日そういう上から目線な打診が来たわけだ」


 あぁ、とウィリアムは声をあげる。

 そこまで聞けばだいたいのことは察せられた。


『エルフに生まれながらダウンエッグに捨てられ、あろうことかゴブリンに養育された哀れな少女に手を差し伸べた、名門プラード校』。

 対外的なイメージ戦略の為にぶちあげる美談としては、これはなかなかドラマチックだ。


「……そうか、それでシンデレラか。仕組まれたシンデレラストーリー」

「そういうこった。な? はた迷惑な話だろ?」


 なるほど、とウィリアムは心の中で肯いている。

 勝手に調べられて勝手に可哀想のレッテルを貼られて、ビアンカがプラードに反感を抱くのは無理もない。


 それは、ある意味での冒涜だ。

 だってビアンカは、全然可哀想でなんかないのだから。


「断ろうにも地元の学校とか州の教育委員会とか、そういう外堀が埋められてて断れなくてさ。で、いっそ問題起こして放校処分にでもされてやろうかと思ってたんだ。

 でもそういうときに、あたしはあんたと引き合わされた」


 夕闇の中に、くくっと笑い声が響く。

 笑いながら、ビアンカは言った。


「おい飼育員、あたしの手綱たづなを離すなよ?

 信じてっからさ、せいぜいあんたがあたしをシンデレラにしてくれよな」


 でなけりゃビーストに戻っちゃうぞ、と。

 そう言ったビアンカの声には、嬉しさとか楽しさとか、そういうポジティブな感情だけが目一杯に溢れていた。


 彼女のその声と言葉と表情にひどくドキドキしながら、ウィリアムは言った。

 精一杯に平静を装って、にもかかわらず滑稽なほどうわずった声で。


「……紳士百箇条より第十二条、『紳士は信じてくれる相手を裏切らない』」


 少年はドキドキして、それから、ドキドキしたのと同じだけ嬉しくなっていた。

 理由なんて、もちろんわからない。




 話しながら歩いていると、あっという間にバス停に着いてしまった。


「女の子にエスコートさせるなんて、紳士的じゃないことをしてしまったな」


 いずれ埋め合わせは必ずと、そう言ったウィリアムを「紳士ってのはずいぶん前時代的なジェンダー意識を引きずってんだな」とビアンカが茶化す。


「いいさ、月曜からまたエスコートしてくれんだろ? それでお釣りが来る」


 そう言ってビアンカがにゃははと笑った時、渋滞する車列の先にバスが見えた。


「あのさ、ウィル」


 リュックの中のパスケースを探すウィリアムに、ビアンカが言った。


「昨日さ、あんたについてティーチの旦那から、もう一つ聞いたぞ」

「やれやれ、またも情報が非対称だな。それで、なにを聞いたんだい?」

「あんたが学級委員の選挙で三票しか取れなかったって話」


 バスが到着して、停車線の中に車体が収まる。

 ブレーキが圧縮空気の音を響かせる。


 乗車口のドアが開く。


「よう相棒。エルフの学校も、割と捨てたもんじゃないな。少なくとも三票分はさ」


 それがその日にビアンカと交わした最後の会話だった。




 走りはじめたバスの中で、ウィリアムは今日一日のことを考えている。

 二つの相反する思いが同時に胸を満たしていた。

 背中に感じる名残惜しさと、一秒でも早く家に帰りたいという前のめりな焦燥感が。


 早く家に帰って、早く父と母に、自分ぼくの家族にただいまと叫びたい。

 両親のことは愛しているけれど、だけどこんなにも家族を恋しく思うなんて、まだ小さかった子供の時以来だ。


 混み合ってなかなか進まない道路状況にもどかしさを感じながら、ウィリアムは、帰宅したら両親に何を話そうかと考える。


 獰猛なシンデレラがクラスメイトたちに歩み寄った朝について。

 ついに解き明かされた八重歯とブルーアイズの秘密について。

 はじめて訪れたダウンエッグと、そこで出会った一つのファミリーについて。


 そして、押しつけられた厄介ごとから、いつの間にか誰にも譲りたくない特権へと変化していた、エスコート係という役割について。


 こんなにも話したいことだらけの週末も、きっとはじめてだ。


 座席の背もたれに体重を預けたまま、車内に視線を巡らせる。

 そうして自分以外に乗客がないことを確認したあとで、紳士は少しだけ照れながら呟いてみた。


「……サンダーバード」


 やっぱり、気分は百万ドルだった。



(第一章・了)

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