第47話 神話の結末

「アーキル、今回の一件に関わった者たちを全員許すのですか!?」


 宮殿のゴンドラに乗りながら、私は驚いて身を起こす。


「ああ」

「本当に全員? カシムも、ファイルーズ様も、カシムの父親も?」

「そうだ。何かおかしいか?」

「これまでのアザリムの慣習で言えば、海に沈めてもおかしくない程の罪です」

「リズワナは、そうした方がいいと思うのか?」

「え? それは……」


 湖の船上での一件の後、捕えられたカシムとファイルーズ様は詳しく取り調べられた。

 ファイルーズ様は元々ナセルの王女だったが、王族に珍しく魔法が使えなかった。その代わりに、ナセル王家に伝わる唯一無二の強力な魔石を与えられていたらしい。

 船の上でファイルーズ様が割ったのが、その魔石。つまり、アザリム皇家に伝承される獅子のアザを作り出せるほどの魔石は、もうこの世には存在しないと確認された。


(皇子になりすましができてしまう魔法なんて、あってはならないものね。一安心だわ……)


 だからと言ってファイルーズ様の罪が軽くなるわけではない。しかしアーキルはこの一件を上手く使って、ナセルが今後もアザリムに反乱を起こすことのないよう改めて釘を刺したようだ。


 自室謹慎を命じられていたラーミウ殿下はと言うと、ザフラお姉様の勇気ある証言のおかげもあり、殿下自ら禁忌を犯したのではないと証明された。晴れて自室謹慎を解かれることになったラーミウ殿下は、以前の元気を取り戻し、今日も後宮ハレムの庭園で元気に走り回っている。

 いつも傍にいたファイルーズ様やカシムがいなくなった理由も、ラーミウ殿下がもう少し大きくなれば、アーキルから説明することになるだろう。


 アーキルは、本心ではずっとラーミウ殿下と並んで一緒に眠ってみたかったんだと思う。雷が鳴った夜に、ラーミウ殿下を自分の寝室に呼んで添い寝をしてあげたようだ。

 私やルサードがいなくても、アーキルは眠れるだろうかと不安はあったが、何とか二人だけで眠ることができたらしい。

 不眠の呪いは完全に解けた……ということで、いいのだろうか?


 そして、全ての元凶カシム・タッバールについて。

 彼は今、牢の中で死を覚悟しているのだと思う。アーキルが彼を許すつもりであることは、まだ彼には伝わっていないから。

 ナジル・サーダは、前世の私――アディラ・シュルバジーの恋心を利用して、最後はアディラに毒を盛った。リズワナ・ハイヤートとして今世に生まれ変わった私にはっきりとした記憶がなかったのをいいことに、今世でも私の恋心を利用しようとしたのだろう。

 そして、ファイルーズ様のお気持ちも。


 恋心というあいまいなものを信じて、それに頼りきったカシムの策が上手くいくわけがない。実際、私は今世で、カシムではなくアーキルに惹かれてしまった。


 考えれば、ナジル・サーダの胸にあったアザも偽物だったのかもしれない。今となってはもう、それを確かめる術はないけれど。


「それはそうと、私はもう船酔いで限界です……」

「そうか。ではこうしよう。四つ目の願いは、お前の船酔いを直すこと」

「……アーキル。ランプの魔人への願いは、三つまでです」

「そうか。それは残念だ。そんな落ちこぼれの魔人なら、今すぐにやめてしまえばいい」

「ランプの魔人って辞められるんですか?」

「お前が後宮ハレムに残るというなら、いつでも魔人なんて辞められるんじゃないか?」


 アーキルは小舟の上で私を横にして膝枕をすると、意地悪そうな笑みで私の顔を見下ろす。


「そもそも、リズワナが本物の魔人じゃないことくらい、初めから知っている」

「…………は?」

「力は強くても、頭の方はイマイチのようだな。お前がランプの魔人だなんて、誰がそんな阿呆な話を信じる?」

「嘘でしょ……」

「リズワナ・ハイヤート。バラシュの街の豪商、バッカール・ハイヤートの第四夫人の娘。俺はこの国の皇子だぞ。お前の素性を調べることなど容易い。バラシュから連れて来たザフラは、お前の姉なんだろう?」

「全部知っていて黙っていたなんて、酷いです」


 確かに、もう最後のはランプの魔人であるように取り繕うのも忘れ、船の上でも「ザフラお姉様!」と口に出して呼んでいた気がする。

 三つ目の願いで「ハレムを出て行け」なんてアーキルが言うものだから、私のことはとして見てくれていないんだと思い込んでいた。


(じゃあ、結局アーキルは私のことをどう思っているんだろう?)


 ゴンドラの壁に頬杖をついて景色を眺めるアーキルを見上げてみる。

 

 アーキルはカシムのこともファイルーズ様のことも許すと言ったが、実を言うと私もアーキルがそうすると思っていた。


 図書館で読んだアザリムの古い神話には、ルサードからも聞いたことのない結末が書かれていた。

 風神と海神から山神ルサドを助けようと現れた大神アラシードは、風神と海神の罪を許し、共にこの地で生きていこうと言ったのだ。

 アザリムの美しい山々、豊かな海や湖、そして砂漠を越えての人々の交流を助ける季節風が今も残っているのは、大神アラシードが彼らに許しを与えたおかげなのかもしれない。


 アラシードという響きは、どことなくアーキル・アル=ラシードの名に似ている。だからアーキルも大神アラシードと同じように、カシムやファイルーズ様の罪を許すんじゃないかと思ったのだ。


 それともう一つ、気付いたことがある。

 前世でイシャーク・アザルヤード皇帝陛下の後を継いだ人物のことだ。


 図書館にあった皇統図では、イシャーク陛下の次の皇帝は「サードゥ・ナザリム=アザルヤード」とあったが、あればナジル・のことではなく、ではないだろうか。

 今世こそ白猫に生まれ変わってはいるが、ルサードは前世でイシャーク陛下のおかげで命を救われた兄弟皇子の一人。

 ……だったらいいな、と思っている。


 ルサードは前世の記憶なんて持ち合わせていないみたいだが、イシャーク陛下を、アーキルを救うために今世に生まれ変わり、私とアーキルを引き合わせたんじゃないかと思っている。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、ルサードはポカポカとした日差しの下で呑気にあくびをした。


「アーキル。ところで今から、どこに行くんでしょうか?」

「……船酔いが酷くなるぞ。黙っていろ」


 水路を抜けてハレムを出た私たちは、城壁の外でゴンドラを降りた。

 するとそこには馬車が準備されていて、側には異国の服に身を包んだファイルーズ様が立っていた。

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