遠くにありながら、密着する

魚崎

ぼんやりスペシャル

 すこし前、白いシャツに飲み物をこぼしてしまい、事態を甘く見積もって普通に洗濯するも、すっかりシミになっていた。

 まあ、思い入れのあるシャツでもないのだけど、漂白剤というのがどれくらい力を持っているのか興味があって、いい機会だからと用意した。

 洗面器に漂白液と水を混ぜ、そこにシャツを漬け置く。

 思い入れのあるシャツでもない、と言うと、他に思い入れのある服があるようにも聞こえるが、決してそういうわけではない。

 私はオシャレやファッションのことが何一つ分からないのである。


 シャツが漬かっているあいだ、ゆっくりしようと思ったらコップを倒してしまいお茶がこぼれ、慌しくなった。

 気を取り直して読書する。はじめて中島敦「山月記」を読んだ。

 面白かった。

 山月記は高校で読む人も多いと聞くが、私の高校は教科書を全部無視していたのか、全く扱わなかった。

 まあ、当時の私は今よりももっと、それはもうぼんやりしていたから、そのとき読んでいたとしたら、そんなに楽しめなかったような気もする。

 面白かったついでに同じく中島敦の「名人伝」、「悟浄出世」、「悟浄歎異」も読むと、これまたすごく面白くて嬉しい。



 きっかけは覚えていないのだけど、高校三年生の冬ごろから卒業にかけて毎日一緒に下校する友達がいた。

 その友達は電車通学で私は自転車通学だったから、いつも駅まで二人で歩き、改札の前でも少し喋ってから分かれる。

 そうするのが当たり前になって2ヶ月ほど経ったある日、休み時間に自分の席でぼーっとしていたらその友達がやってきて、念のためという感じに「今日一緒に帰ろ」と言う。

 その日はバレンタインで、下校のタイミングで私にチョコを渡そうと考えてくれているのだなと気が付いた。一緒に帰ることはもはや習慣となっていたのに、チョコを渡さんがため改めて下校の約束をしてくるという、この行為の愛おしさというか、威力に完全に当てられてしまった。


 しかし、もう次の瞬間にはハッとする。

 友達はこれまでにも、私のぼんやりが由来のイレギュラーな動きにたびたび失望してきたのではなかろうか。

 友達からすれば(たしかに一緒に帰っているけど、バレンタインの今日に限ってこいつはいつもと違う動き、たとえば一人でフラフラ先に帰ったりするかも知れない、というか平気でする。ぼんやりしているから……)みたいなことを考えた末の下校予約である。


 のちにこの友達が私のいないところで「馬鹿なのか天然なのか。まあ、何も考えてないんだろうな……」と私を評しているのを目撃し、(けっこう私のこと嫌いじゃない……?)と可笑しかった。そんなやつにチョコ渡さない方がいいよ、と。

 ともかく、やはり私のぼんやりがこの友達にダメージを蓄積させていたことは明白で、当然、それ以上仲も深まらなかった。



 漬けておいたシャツのシミはしっかり落ちて、気分がいい。

 夜はご飯のあと、再び読書する。

 いつのまにか指先が切れていて、絆創膏を貼った。

 その直後、洗い物を片付けていないことに気が付き、もったいない。皿を洗ってから、ビショビショになった絆創膏を貼り替えた。

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