ジャスティスへのレクイエム(第3部)

森本 晃次

第1話 第三次への布石

「この世の正義は唯一、戦いによって支配されるものである」


 第二次戦争が勃発してから最初こそチャーリア国の油断もあったことから、アクアフリーズ国の侵攻を許してしまったが、結局はチャーリア国の圧勝に終わった。アクアフリーズ国の侵攻があったことで浮き足立つことがなかったのが勝因だったと言えよう。普通であればアクアフリーズ国の侵攻を許した時点で、アレキサンダー国監視に集中していた軍を引き揚げさせて、アクアフリーズ国を挟撃することで殲滅できるのだろうが、敢えてシュルツはそれをしなかった。

「アクアフリーズ国のやり方は分かっているつもりです。相手は完全に我々を殲滅するつもりなど毛頭ないと思われます。したがって、怖いのはアレキサンダー国の動向です。こちらがアクアフリーズ迎撃のため、こちらに軍を戻すと、アレキサンダー国に背中を見せることになります。こちらが挟撃するつもりでいても、結局は相手に挟撃されることになるんです。いくら我々がアクアフリーズ国を挟撃しても、監視するだけのために置いていた軍なので、中途半端な軍勢です。しょせんは正規軍に後ろから攻められればひとたまりもありません。それが怖いんです」

 とシュルツは軍の会議でそう発言した。

 軍の会議は御前会議とは違い、国家元首も発言できることになっている。軍部は国家元首直下の配置になっているので、発言を許されている。それが政府閣議の後の御前会議とは違うところだ。

「シュルツ長官の言う通りではないでしょうか? 私も同じだと思います」

 軍司令官もそう言った。

「では、アクアフリーズ軍はそのまま侵攻させるというのですか?」

 と、軍部の幕僚の一人がそう言った。

「そうは言っていません。わが正規軍が迎え撃つことになりますが、問題はアレキサンダー国軍の動向です。いつこちらに攻めてくるのか、その情報がほしいところですね」

 とシュルツがいうと、

「それはさすがに向こうも最高機密事項でしょうね」

 と司令官が言った。

「相手の戦争目的は何なんでしょう? アクアフリーズ国とすれば、神器を取り戻すことだと謳っていましたが?」

 と幕僚がいうと、

「確かに神器を取り戻すことも大切だと思います。それが大義名分としてあるから、彼らは自分たちに正義があると思っているんです。しかし、その裏で大統領の思惑があるのではないかと思うんですよ。あの国は元々国王が支配する絶対王政の国だった。彼らは絶対権力を目の当たりにしていたので、権力を持つということがどういうことなのかを身に染みて分かっていたはずです。しかし、立憲君主というと、思ったよりも制約が大きい。主権は君主にあるとはいえ、国民は自由だし、国民の自由の前では君主の権力は無力です。それを大統領は分かっているので、戦争をして勝利し、神器を取り返すという正義を貫くことで、自分の権威を引き上げようとした。確かに目標が達成されれば、かなりの権威を回復することができる。それを大統領は目論んでいたのかも知れないでしょう」

 とシュルツが答えた。

「私が国王の時は、権威が当たり前だと思われていたので、何の疑問も感じることがなかったが、立憲君主となれば、権威を自分で掴まなければいけないんだな。それも大変なことだ」

 としみじみチャールズ大統領は答えた。

 まだまだ国王だった頃の栄光を忘れられないのだろうが、シュルツとしてはチャールズには今までのままでいてほしいと思っている。チャールズの権威が保たれている間は、シュルツも何かと動きやすいからであった。

 シュルツの作戦は、、

「作戦としては、なるべく相手に挟撃されやすいように動いて、相手を油断させる。そして今度はアクアフリーズ軍に、こちらに対して背中を見せるようにするんだ。そうすれば、アクアフリーズ軍を殲滅することができる。そうなれば、相手は挟撃に掛けてきているはずなので、いったん軍を自国に戻すはずだ。その時を狙って、まずアクアフリーズ国に講和を持ちかける。神器を渡すと言えば、講和に応じるでしょう」

 とここまでいうと、会議室は喧騒とした雰囲気に包まれた。

「返すんですか? 神器を」

「ええ、我々が持っていても宝の持ち腐れですからね。アクアフリーズ国に返すのが本当の筋なんだと思う。しかし、ただ返すだけでは利用価値としてはまったく何もないことになる。このタイミングで返すことができると、アクアフリーズ国のメンツは立つと思うんだよ。彼らとすれば、劣勢に立っているにも関わらず、戦争目的であった『神器の奪還』を達成できたことで、大義名分を達成した大統領としての権威も保つことができる。逆にアレキサンダー国としては、侵攻するのはあくまでもアクアフリーズ国の後押しという名目で我が国を殲滅するつもりだったはずだから、大義名分がなくなり、アクアフリーズ国が講和を結べば、戦争継続が難しくなる。ここでさらに侵攻すれば侵略になり、国際社会から非難を浴びるのは必至だからね。戦争というのは始めるよりも終わらせる方が数倍難しいと言われている。それだけにどれだけ相手に花を持たせるかというのがカギになってくるんだよ」

 とシュルツがいうと、

「なるほど、神器は今となっては我々には戦略のカードとしての役割しかないということですね?」

「その通りだよ。カードが手元にあれば、問題はそれをどのタイミングで切るかということだよ。特に我々は相手が二国を相手にすることになるんだ。一見相手に有利に見えるが、相手を分裂させたり、温度差さえつければ、こちらが何もしなくても、勝手に相手から崩れてくれるというものだ」

 シュルツは軍部出身なだけあって、戦略の面では長けていた。

「あとは、軍部で細かい戦術を練ってもらい、いかにわが軍の被害を少なくできるかを検討いただけでばそれでいいと思っています」

「分かりました。軍部で最良の作戦を立てたいと思います」

 と答えたのは、参謀総長だった。

「今度の戦争は、そんなに急ぐ必要はないと思っています。戦争が長引けば困るのはむしろ相手方で、特にアクアフリーズ国にとって、戦争の長期化は深刻な問題になるんじゃないかって思っています」

 とシュルツがいうと、

「というと?」

「彼らは先制攻撃の任務についています。それはきっとアレキサンダー国の意図したことで、アクアフリーズ国の意図ではないでしょう。先制攻撃をしたということは、アクアフリーズ国の国民に対しては、即座に戦争を終わらせるための先制攻撃と言って、戦争の正当化を訴えたはずです。そんな状態で長期化してしまうと、せっかくのアクアフリーズ軍の面目は丸つぶれになってしまいます」

「なるほど、相手が二国なら、どちらか一国を狙い打てばいいわけですね」

「ええ、そうです。そのためにアレキサンダー国に監視をつけているんですよ。彼らを引き揚げさせない理由は、挟撃されないようにするためだけではなく、本当の意味での彼らへの監視という意味があります」

「そこまで考えておられるとは、感心いたしました。恐れ入りました」

 と、素直に参謀総長は答えた。

「いえいえ、これは私の頭の中で考えた骨格であり、そこに肉をつけていくのは軍部の方の仕事です。期待していますよ」

 とシュルツは言った。

「大体の筋は見えてきましたね。後は軍部にお任せしましょう。私も何かできることがあれば、考えたいと思います」

 チャールズはそう言って、面々を労った。

 さすが元国王である。チャールズにはかつての国王同様であってほしいとシュルツが思うのも分かる気がする。大統領になって権限は制限されているとはいえ、権威は相変わらずだ。これが亡命国王のなれの果てだとは思えないほどだ。

「シュルツ長官のお考え通り、アクアフリーズ国を焦らして焦らした後に、神器を返すとなれば、彼らは我々に感謝くらいするかも知れませんね」

 と幕僚は言った。

「そうかも知れないが、甘い期待は禁物です。うまくいけば、アクアフリーズ国も味方に引き入れることができるかも知れませんね」

 と参謀総長は言った。

「あくまでも戦争は生き物です。タイミングを間違えればせっかくの完璧とも思える作戦であっても無駄な行動になってしまいます。したがって、軍と政府が一丸となって、挙国一致で事にあたるという気持ちがないといけないのだと思っています」

 チャールズはそう言った。

 彼は自分が元首であるという思いを抱きながら、こうやって発言できることを喜んでいた。政府の閣議では発言が許されていないだけに、軍の会議は一味違った気分になっているに違いない。

 こうやって会議をしている間に、一人の男が入ってきた。そして、参謀総長に耳打ちした。

「皆さん、会議の途中ですが、たった今入った情報によりますよ、アレキサンダー国が我が国に宣戦布告したようです」

「ほう、やっとですか?」

「ええ」

 アレキサンダー軍は、すでに行動を起こしていた。実際に小競り合いのようなものは数日前から起きていて、いつ宣戦布告があっても不思議のない状態で、一触即発の状態に陥ったことで、この会議が開かれた」

 会議室はざわめいているが、これは予想もしていなかったことに対しての驚きではない。むしろ喜んでいるように見える。それが、

「やっとですか」

 という言葉になるのだろう。

 宣戦布告があったことでホッとしていると言ってもいいだろう。彼らの大義名分は、

「同盟国であるアクアフリーズ国が神器奪還のために立ち上がったことで、同盟に基づいて我々も軍事介入する」

 というものだった。

 軍事介入という言葉はあまりにも抽象的だが、それは先制攻撃をしているアクアフリーズ国を援助するという、

「これは我々の戦争ではない」

 とでも言いたげだった。

 アレキサンダー国には大義名分がない。もしアクアフリーズ国の先制攻撃がなくて、戦端を開いたのがアレキサンダー国だとすれば、それは侵略になるからだ。

「チャーリア国は、国境付近に戦力を配置し、我が軍を挑発している」

 と言えば、それを排除するためという理屈で戦闘行為を起こすこともできるが、チャーリア軍が踵を返してチャーリア国に戻ってしまうと、攻め込むことはできない。

 チャーリア国は監視はしているが、挑発はしていない。だから相手が行動を起こそうとするならば、速やかに撤退できる状態にはしていた。攻めてこないのが分かっていたので、最初から逃げる体制での監視だったのだ。

 実は、監視はアレキサンダー国だけではなく、アクアフリーズ国にもしていた。これを知っているのはごく一部の人だけで、シュルツの仕業だった。

 シュルツは、アクアフリーズ国が先制攻撃をしてくることを予見していた。予見していて、あたかも油断したかのようにまわりに見せていたのだ。

 もちろん、チャールズは知っていた。

「どうして皆に秘密にするんだい?」

 というと、

「敵を欺くにはまず味方からってね」

 とシュルツは言った。

「じゃあ、わざとアクアフリーズ国に先制攻撃させるということかい?」

「そういうことです。そして我が国が油断したかのように見せておいて、今度は相手の疑念を誘うんです。相手は私のことを過大評価しているという情報を持っているので、油断したと見せかければ、どっちが本当の私なのか疑心暗鬼に陥るでしょう。相手の作戦をまったく読めなくなることが戦争をいかに困難にするかということですよ。目を瞑って戦争はできませんからね」

「本当にシュルツは頼りになる。我が父がシュルツを重用したわけが分かってきた気がしているよ」

 とチャールズに言われ、

「恐れ入ります」

 と恐縮した。

 これは何十年も前から続いている儀式のようなものだが、その気持ちの濃さは、毎回どんどんと濃くなってきている。すでにチャールズは、シュルツなき自分の姿が見えなくなっているかのようだった。

「国家というものは、権威のある指導者がいてこその国家ではないかと私は思っています。そういう意味ではシュルツこそ、権威のある指導者ではないかと思うんだ」

 とチャールズがいうと、

「私は、そう言われるように努力を重ねてきました。でも、まだまだチャールズ様の権威には敵いませんよ」

 と笑って見せたが、その気持ちに皮肉などなかったのである。

 シュルツの目論みどおり、緒戦ではアクアフリーズ国の優勢であった。あたかもふいをつかれたかのように見せかけて、実は被害は最小限に食い止めていた。

 案の定、アクアフリーズ国も深入りはしてこない。アレキサンダー国からも、

「先制攻撃が成功しても、先に進むことはやめてください」

 と言われていたからだ。

 ある地点を境に両軍が睨みあっているというこう着状態を作りあげたが、そこにアレキサンダー軍がなだれ込んできた。

 その兵力は、シュルツが睨んだ通りのもので、本隊の投入ではなく、彼らも偵察程度のものだった。アクアフリーズ国と睨みあいを続けている中での進撃に、さらにもう一つの方向から圧力がかかっただけの三つ巴の展開、これはアレキサンダー国が望んでいたことだった。

「チャーリア軍の目をアクアフリーズ軍にくぎ付けにしている間に、本隊でチャーリア国の背後をつく。これが本当の計画だ。やつらを殲滅してしまう必要はない。余力を残したところでやめておくんだ。相手はシュルツだから、深追いは禁物だ。いかにこちらの有利なところで講和に持ち込むか、これが国際社会を味方につける最良の方法なんだよ」

 と、アレキサンダー国は目論んでいた。

 アレキサンダー国は、現在では独立国としての地位を国際社会の上で保てるようになったが、さらなる発展をするには、まだまだ道のりは遠い。戦争をして領土を拡大していくよりも、大義のある戦争を重ねて、平和のための努力をしているということを国際社会に見せつけるという手段を選んだ。

 だが、結局は戦争によってしか自分たちの立場を得ることができないと考えていることで、彼らの国際社会への強調は道のりが遠いと言えよう。

 シュルツは、そのことも分かっていた。だから、最初に自分たちが出てこない作戦に出ることも把握していた。

 そうなると先陣を切るためのターゲットはおのずと絞られてくる。

「アクアフリーズ国しかないだろうな」

 彼らの大義は、自分たちが持ち出した神器にあることは最初から分かっていた。

 だが、自分たちも正当な継承者として神器を持ち出したのだ。外交交渉で適うわけはない。武力に訴えることは分かっていた。そのことにアレキサンダー国が目をつけないわけはない。

――やつらは、戦争を欲している――

 という考えに、チャーリア国首脳の考えは一致していた。

 だからと言って、野蛮人の国ではない。むしろ紳士的な国だということも分かっている。

「普通に外交できれば、パートナーになれるかも知れないのにな」

 とチャールズが言うと、

「いや、お互いに同じ方向を向いてはいるが、最初に接点がなかった時点で、私たちは交わることのない平行線を描いているんですよ。残念なことですが、これは彼らと私たちの国家体制の違いと、首脳の発想の違いです。やはり過去からの歴史が違う両国ですので、歩み寄ることは簡単なことではないんですよ」

 とシュルツが淡々と答えた。

 戦争が開始されて、少ししてからシュルツとチャールズの執務室を一人の男が訊ねてきた。

「シュルツ首相。ニコライ先生が来られました」

 と、秘書官が伝えた。

「ああ、ニコライ君か、お通ししてください」

 そう言って、突然の来訪だったにも関わらず、二人は嫌な顔一つすることなく、むしろホッとしたような表情だった。

「やっと来たようだね」

 とチャールズが言うと、

「そうだね。ニコライ君とはご無沙汰していたからね」

 とシュルツが答えた。

 ご無沙汰と言っても、一年も会っていなかったわけではない。以前に軍の会議の時、同席していたからだ。ただその時は形式的な挨拶だけで、個人的な話をしたわけではない。

 ニコライは、核兵器の開発成功からしばらくして教授に昇格した。

「彼も本当であれば、博士になってもいいのだろうが、我々が開発した兵器がまだ公表できないことから博士になれずにいる。本当に気の毒なことをしていると思うよ」

 とチャールズが言った。

「そうですね。なるべく彼には我々からも便宜を図ったあげる必要があるかも知れませんね」

 とシュルツがいう。

「ご無沙汰しております」

 と、入るなり足を揃えて背筋を伸ばし、まっすぐに前を見て敬礼するニコライの姿があった。

「ゆっくりしてくれたまえ、君は軍人ではあるが、科学者なんだ。律儀なことは必要ないんだ」

 とシュルツがいうと、

「恐れ入ります」

 と言って、近づいてきた。

 二人は執務席から奥の会議ルームに席を移して、ニコライを待っていた。ニコライも二人の前に鎮座し、頭を下げた。

「今日はどうしたんだい?」

 とシュルツが聞くと、

「はい、今回の戦争について、率直なご意見を伺いたく思ってまいりました」

 本来であれば、軍部の一教授が、国家元首である二人の前に、前触れmなく訪れるなど普通は考えられない。しかし、

「ニコライ君であれば、アポなしであっても、取り次いでもらってもいいからね」

 と最初から伝えていたので、二人の前に鎮座できているわけだが、ニコライもこんなに簡単に国家元首の前に鎮座できる立場を不思議には思いながらも、

「自分にしかできないことがあるはずだ」

 といつも考えながら彼なりに国家を憂いていたのだ。

「さっそくだけどニコライ君。君はこの戦争をどう思う?」

 とシュルツが聞いた。

 まだこの時はアクアフリーズ国が攻めてきただけで、アレキサンダー国の姿は写っていない。シュルツがニコライの意見を気にしているのは、彼が自分たちと同じ立場ではないということと、アクアフリーズ国を他人事のように見ることができるからであった。

 どうしてもシュルツとチャールズは母国だという意識があって、いくら自分たちを亡命に導いたとはいえ、贔屓目に見てしまうことだろう。それに比べて他人事で見ることのできるニコライの目は、自分たちと違う視線からの意見が言えるので、実に貴重だと思っていた。

「この戦争は、不思議なことが多いような気がします」

 とニコライは切り出した。

「ん? それはどういうことだい?」

 意外そうな返事をしたシュルツだったが、その表情には驚きはない。むしろ、

――話に食いつけそうだ――

 という思いから、最初は彼に話をさせるのが得策だと思ったようだ。

「まずは、なぜこのタイミングでアクアフリーズ国が攻めてきたかということです。お二人もアクアフリーズ国が攻め込んできたことに少なからずの意外性を感じていたのではありませんか?」

「というと?」

「戦術的な布陣があまりにもアクアフリーズ国に対して脆弱だったからです。まるで攻め込まれても構わないような布陣に見えたのは私の考えすぎでしょうか?」

 と言われて、

「そんなことはない。君のいう通りさ」

 とシュルツは正直に答えた。

 ニコライに対してはウソは通用しない。もしその時にウソが通用したとしても、すぐにそのウソが歯車を狂わせることになり、さらにウソを重ねることになる。矛盾を生むことで話に信憑性がなくなると、間違いなく相手に不信感を与える。それが歯車を狂わせるということである。

 だから、シュルツはウソは言いたくない。特に自分の信じている相手に関しては特にそうで、その時に疑念を抱かれても長い目で見れば必ず分かってくれると信じているからである。

「そしてもう一つはアクアフリーズ国が攻めてきたにも関わらず、正規軍を向けていないことです。ただ、これは首脳が相手をアクアフリーズ国ではなく、その後ろに控えているアレキサンダー国であると認識していると考えると分かってきます。挟撃を恐れてのことですよね?」

「ああ、その通りだ」

「さらにもう一つ。シュルツ長官は、本気で相手を殲滅させるということを考えているわけではない。確かに我が国は専守防衛の国ではありますが、専守防衛であっても相手が攻めてきたのだから、それを殲滅することができる戦争をするために、いろいろと研究されてきた。私が開発した新兵器もその一つですよね。そのことを一番分かっているのが私だと自負していますが、その私が見る限り、相手を殲滅させようという意思がシュルツ長官にはないと思えてならないんです」

「それで?」

 シュルツは彼がまくしたてるように話をしているのを、少しいなすかのように相槌を打った。

 しかしこの相槌の本当の意味は、

「君の言っていることは間違っていない」

 という言葉の代弁でもあった。

 これはシュルツ独特の人心掌握術であり、相手をいなしながら、それでいて本心を引き出そうとするテクニックでもあった。

「殲滅させる意思がないということは、必ずどこかで有利な段階を見つけて講和に持ち込もうとするはずだと思うんですよ。でも、その落としどころが私には分からないんです」

 ニコライはそこまで言うと、考え込んだ。

 ニコライが疑問に感じるのは理由があった。

 ニコライは神器の存在を知らない。アクアフリーズ国が宣戦布告した公式の内容には神器のことは触れられていない。あくまでも国家の体裁を取り戻すための戦争と謳われているだけだった。

「ニコライ君」

 シュルツはゆっくりと話し始めた。

「はい」

「ニコライ君には黙っていたことがある。もっともこれは国家首脳でも一部の人しか知らない極秘事項になるんだが、君には話しておいた方がいいかも知れないな」

 それを聞いて、ニコライは少し恐縮していた。

「私は、そんな国家機密まで知りたいとは思っていません」

 と言いたげであったが、ここまで来て二人に面会までしたのだから、ある程度の覚悟を持ってのことだった。

 だから、ニコライは二人から聞く話に自分が責任を持たなければいけないと考えた。だが同時に、

――どうして今二人は私にそのことを話してくれるのだろう?

 と考えた。

 黙っておくべきはずの国家機密を、いくら自分が信頼されているとしても、そんなに簡単に喋ることができるのだろう。ニコライはさらに疑問が膨らんだ気がした。

 だが、神器の話を聞いて、少し戦争の流れが分かった気がした。

「なるほど、それでお二人はそんなに危機感を抱いておられないわけですね?」

「ああ、そうだ」

「持久戦に持ち込むおつもりなのかと思って焦れったく感じられたので失礼かとは思いましたが進言にまいりました。なるほど、それなら持久戦も分からなくはないです」

「さすがニコライ君だ。私が信頼しているニコライ君だったら、きっと分かってくれると思っていましたよ」

 というと、

「そういうお考えであれば、持久戦に持ち込む理由も分かります。アクアフリーズ国が攻めてきた時、あたかも想像していなかったような雰囲気だったのもそのためだったんですね?」

「その通りだ。だからと言って、露骨にはできない。アクアフリーズ国もアレキサンダー国に対しても緒戦で優位に立っておく必要はないからね。まずは相手の様子を見ながら、睨みあいの時間を作るというのも重要な作戦になるんだよ」

「さすが、シュルツ長官ですね。分かりました。これから先は私にも役目があるわけですね?」

「ああ、簡単に見える役目だけど、気を付けないと、まわりから信用されなくなる可能性もある。そういう意味で信頼できる君にこの作戦の片棒を担いでほしいと思っているんだよ」

「光栄です」

 とニコライが答えた。

「まだ何か気になっていることがあるようだね?」

 とシュルツが聞くと、

「ええ、例の新兵器なんですが、私はあれを今回の作戦で使用していただけるものだとずっと思っておりましたが、今のお話を伺っている限りでは、使用されることはないように感じましたが」

「いかにも、あれは使用するつもりはない」

 とシュルツは言い切った。

 それを見たニコライは、ここに来た理由が、本当はそのことであるかのように明らかな落胆を示した。それを見たシュルツは、

「どうやら、君の懸念はそこにあったようだね?」

 といい、

「おっしゃる通りです。私は科学者の立場からあの兵器のことを気にしております」

「というと?」

「我々科学者は、兵器の開発に対して、実際の戦場というものを知りませんので、使用された時にどうなるのかが理屈では分かっても、感情としてピンとくるものではありません。だから開発しながら、兵器が使われた時にどのような被害が起こり、そこでどれだけの人が苦しむかということを想像するしかないんです。それは開発段階でのことですね。実際に完成してしまうと、もうそんなことは考えません。それまでに自分の気持ちに整理をつけるようにしていますからね。そういう意味で兵器開発の人間も戦っていると私は思っています。だから余計に開発した兵器がどのように使われるかというのが気になるんですよ」

「それは、苦しむということかい?」

「いいえ、苦しみは今も申しました通り、通り超えてきたつもりです。だから使用される方々にしっかりと自分たちの気持ちを載せて使っていただきたいと願っています。そういう意味で開発が終わってからの方が気になっていると言っても過言ではありません」

「使用しないということを怪訝に思っているのかい?」

「ええ、私はあの兵器を相手の戦意をくじくという意味で開発するということで、シュルツ長官と意見が一致したことから開発しました。もちろん開発の間に自分で気持ちをいつものように整理しながらですね。だから今は兵器を使わないなら使わないで、その理由が知りたいと思うんです」

「なるほど分かった」

 とシュルツはそう言って、一口目の前に用意されたコーヒーを飲んで話を始めた。

「あの兵器は、私にとってみればもろ刃の剣なんですよ」

「どういうことですか?」

「確かに相手の戦意をくじくという意味で必要不可欠だとして開発をお願いした。そしてこれが核のエネルギーを利用しているということもひた隠しにしなければいけないことだと思っている。そういう意味で戦争に対して背中合わせの矛盾を孕んでいる。だから私は今も悩んでいるんだ」

「何をですか? まさか開発自体に悩まれているわけではないですよね?」

「ああ、開発に悩んでいるわけではない。むしろ開発は間違っていなかったと思っている。だが、製造してしまえば、必ずどこかに保管しておかなければいけない。その保管ということに悩んでいるんだ」

「どうしてですか? それは他の兵器にしても同じこと。特に核保有国であれば、核兵器の保管はこれよりももっと重要なことではないですか?」

「そうだよ。でも核兵器は一度は使用されているんだ。いい意味でも悪い意味でも、公表されている。だから兵器の保管は世界全体の問題として提起されるだろう?」

「なるほど、これは我々だけの極秘事項でしたね。我が国の、しかも一部の人間だけしか知らないこと。その保管ということになると、その責任ははるかに重たいものになりますよね」

「私は、あの兵器も核兵器と同じで、抑止力として利用できればいいと思っている。実際にこの戦争の最後の切り札として利用するかも知れないと思っているんだ。もちろん、利用しない展開になることを望んでいるんだけどね」

「はい、それは『使用』ではなく『利用』ということですね?」

 とにニコライがいうと、

「ああその通りだ。ニコライ君も分かってくれたようだね?」

 とシュルツは笑った。

 だがその笑顔は引きつっていて、決して笑顔ではなく苦笑いであることは明らかであった。

「はい、理解しました。シュルツ長官がここまで深くお考えであるとは、感嘆いたしました」

 とニコライはホッとしたような顔になった。

 だが、それを見てもシュルツの顔には笑顔はない。むしろ、さらに険しい顔になってきていることを横で見ているチャールズは危惧していた。

 程なくその場には穏やかな空間が戻ってきた。三人は今までのような深刻な会話はせず。本題が終わっての談笑に移っていた。

「それでは私はこれで失礼します。今日はお忙しいところ、お話をいただき、ありがとうございます」

 と言って、ニコライは帰って行った。

 二人きりになったシュルツとチャールズだったが、

「なかなかニコライさんは厳しいお方ですね」

 とチャールズが言った。

「ああ、彼は意識していないが、彼の話が我々に突き付けたナイフのような言葉を放ったということだな」

 とシュルツは答えた。

「しかし、彼に任せて大丈夫なのかい?」

 というチャールズに、

「大丈夫です。元々今日彼が訪れてこなくても、そのうちにこちらから招いて話をするつもりだったんだ。その頃にはもう少し戦況はハッキリとしてきているだろうから、もっとハッキリとした命令になったんでしょうけどね」

 とシュルツは笑った。

 この笑いは、先ほどニコライの前で見せた笑いとは違い、ホッとしているように思えた。シュルツとしては、今のような笑いを決してニコライの前で見せてはいけないと思っていたようだ。

「ニコライはうまくやってくれるかな?」

 とチャールズがいうと、

「大丈夫ですよ。チャールズ様も分かっておられるでしょう?」

 というと、

「ああ、もちろんさ」

 と笑顔でチャールズは答えた。

 シュルツとチャールズの関係であるが、チャールズがシュルツに全面的な期待を寄せているのは今まで通りであるが、シュルツもチャールズに、

――私には敵わない――

 と思っている部分があった。

 それは、人を見る目であった。

 シュルツには人心掌握術や戦術などの実践に関しての能力は誰よりも長けているが、人を見る目だけはチャールズには敵わなかった。

 これは実は、

「王家の遺伝」

 だったのだ。

 アクアフリーズ王国で、万世一系の君主として千年以上も続いてきた王室がチャールズの家系だった。何か一つは他の人にはない長けた部分がなければ千年以上も君主として続くわけはなかっただろう。

 確かに長い歴史の中で何度かクーデターが起こり、王家存続の危機があったのも事実であったが、それでも乗り越えてきたのだ。その時々で彼らを助ける勢力が存在し、王家を存続させたのだが、それも何か長けた能力がなければありえることではない。

 以前まではもっとたくさん能力が遺伝されていたようだが、今では、

「人を見る目」

 だけが遺伝されていた。

 クーデターを成功させてしまった今としては、国王としての地位もなければ、アクアフリーズ国を追われる結果になってしまったが、その能力が消えたわけではない。新たな国の国家元首としてその能力をいかんなく発揮できることを、ずっとそばにいて助けてきたシュルツは感無量に感じていることだろう。

――この人のために私は――

 そう思ってここまで来れたことを幸せに感じているほどだった。

 だからこそ、シュルツはクーデターが起こった後でも、チャールズを国家元首として支えていけるのだ。他の王国では国家元首が下剋上に遭った時、その側近に裏切られることは珍しいことではない。むしろ一番の側近がクーデターの首謀者であったりするくらいである。

 シュルツは、チャールズの人を見る目という力を、国内だけではなく、国外に対しても宣伝していくつもりでいた。

 国家元首が、しかも立憲君主国の元首が、なかなか自ら国際会議に出向くことはない。国家元首の会議であればそれも仕方のないことであろうが、外相会議の様相を呈している会議であっても、シュルツと一緒に同行することが多かった。

「国のナンバーワンとナンバーツーが国際会議とはいえ、しばらく不在になるというのはどういうものか」

 と他の国から言われていたが、それでもチャールズは構わなかった。

「どうせ私が国に留まっていたとしても、実質的にはシュルツが行ってくれているんだから、私は人形のようなものですよ」

 と、立憲君主の国家元首の言葉とは思えないような発言が口から出るが、なぜかそれをシュルツは咎めることをしない。

「チャールズ様は、他の国家元首とは違ったところがあることを、諸外国の首脳に思わせることが必要なんですよ」

 というのがシュルツの考えであった。

 シュルツはあくまでも国家運営には、二人の力が必要だと思っていた。それは自国に限ったことではなく、他の国でも同じことだ。一人に権力が集中してしまっては、独裁国家としてレッテルを貼られてしまい、対外的に致命的に陥りかねない。しかも、集中した権力に胡坐を掻くのが国家元首というもので、ウソでもファシズムの元首になったかのように考え、次第にまわりが見えなくなってしまうだろう。疑心暗鬼に陥ることで誰も信用できなくなり、その言動や行動が不安定になる。そのため、国家元首としての体裁はおろか、まわりから孤立してしまい、その目を他に向けるために、無意味な戦争を侵してしまいかねない。

「独裁だけは、絶対にダメなんだ」

 とシュルツは絶えず言っている。

 絶対王政の時代でも、国王だけに権力が集中しているわけではなかった。国王一人で突っ走ることはできず、国家元首の陰には絶えず相談役が控えていた。

「国家の存亡は、国王ではなく、その影の相談役が握っている」

 とアクアフリーズ王国では言われ続けていた。

 実はこれは民主国家よりも民主的だったのかも知れない。

 民主国家では国家の方針決定までにたくさんの段階を踏む必要があった。公明正大を謳っていて、しかも自由がその理念にあるのだから仕方のないことだが、それが必要以上に時間をかけてしまう。それは懸案を風化させてしまうことに繋がったり、人民の気持ちを遠ざけることにもなった。

「こんなにじれったいなんて」

 と国民は考えていたことだろう。

 しかも、最終的な決定は多数決だ。

 あれだけ時間をかけても最後には多数決という一瞬で決まることで決するのだから、国民が嫌になるのも当然だ。

 もっと、権威のある国家元首を望むのは当たり前のことで、しかも民主国家というのは陰で何があっているのか分かったものではない。

「一部の特権階級の人や、政治家などが利得を貪る世界」

 それが民主国家であった。

 政府がやっていることといえば、国民から徴収した税金を福祉や経済発展に使うこともなく、いい加減な使途不明金が山ほどあることで、いつの間にか国家は借金を抱えていることになる。

「血を流しながら働いているようなものだ」

 と国民は思っていることだろう。

 だが、それでも国民は何も言わない。「自由」や「平和」という言葉が、民主国家を締め付ける。

「我々が政府でいるから、自由や平和が守られる」

 と言われれば、国民は抗うことができない。

 それだけプロパガンダが強い影響をもたらすのか、昔であれば独裁国家が利用したプロパガンダを、今は民主国家が利用している。しかも、独裁国家のように挙国一致のような力強さがあるわけではなく、国民のための演説であるかのようで、実は脅迫に満ちた宣伝を、ただ抗うことがなく信じているかのように誰もが無表情で受け止めている。そんな光景を誰も異常だとは思わないのだろうか。

 そういう意味では、チャールズの人を見る目がある力は、国民に意識を与えるわけではないが、彼が国家元首であることへの疑問を誰にも感じさせないという見えない力に繋がっているのだ。

 民主国家をチャールズもシュルツも軽蔑している。ただ、別に軽視しているわけではなく、

「これからの我々の前に立ちはだかってくるのは、民主国家なのかも知れませんね」

 と、シュルツはチャールズに言っている。

 シュルツが思うよりもチャールズの方がその思いは強いようで、やはり人の気持ちが分かる人間の方が気持ちを強く持つことができるのかも知れない。そのことを知っていることから、シュルツはチャールズのことを今でも敬意を表し、「様」をつけて呼んでいるのだろう。

「国家元首って何なんだろう?」

 たまにチャールズは口走るが、決してそれにシュルツは答えようとはしなかった。

 チャーリア国には、民主国家から逃れてきた人も、実は少なくない。軍内部にもいるし、民間企業にもいる。チャーリア国はそんな人を差別的に扱うことをしない。キチンと受け入れる体制が社会的に整っていた。

 チャーリア国自体が亡命国家であるということもあるが、民主国家から逃れてきた人が流れ込む率が高い。彼らは国際的な難民としての認定を受けているわけではない。難民となるには戦争などで家や財産を奪われたり、体制の違い等で国外退去を強制的に強いられた人だけに認定されるものだ。国際的に亡命者として扱われると、WPCの裁可により、亡命国を受け入れる体制を取っている国に対して順次振り分けられることになる。

 もちろん、亡命受け入れに対してはWPCよりそれなりの金銭的援助と、受け入れ人数によって、WPC内での会議などでの発言力が増すという恩恵もあることから、亡命受け入れ国となる国も少なくなかった。

 ただ、亡命者としての認定は誰もがなれるわけではなく、逃れてきた国が決まっていたり、WPCの容認できない体制を支持している人は亡命者として扱われない。さらに、民主国家から逃れてきた人を亡命者として受け入れることはあまりない。もちろん、戦争などが原因であれば亡命者としての認定も受けやすいのだが、それ以外での国外逃亡者へは難民認定は少なかった。

 民主国家は、基本的に自由主義というイメージがある。自由な体制であるために、その中に埋もれる形で、犯罪者や犯罪グループが自由を背景に、自分たちの隠れ蓑として行動しているパターンも少なくない。実際に以前は民主国家からの亡命者を難民として認定していたが、後になって彼らが国際犯罪組織の構成員であるということが判明することが多かった。

「分かってからでは遅いんだ」

 他国に逃れてしまえば、迂闊に捜査することもない。一度難民と認定されれば、彼らには難民としての権利が発生し、難民に対してはWPCと言えども、簡単に捜査の手を伸ばすことが困難になる。要するにWPCの勇み足で、無法者を野に放ってしまったのだ。

 そんな教訓もあって、民主国家からの難民申請には、WPCは慎重になっている。次第に難民申請を受け入れない体制が出来上がってしまい、かといって放っておくわけにもいかず、彼らに対して特別待遇を模索する動きも見えてきた。

 ただ、難民ではないので、亡命できたとしても、彼らには自由はない。亡命国から絶えず監視されるという状況で生活しなければならず、それを受け入れないと、WPCは公認しないということだった。

 だが、WPCを経由することなく、国外退去した人が、他国に入り込んで生活している人もいる。生活水準は底辺ではあるが、本人はそれでもいいと思っている。

「前の国にいる頃よえいもよほどマシだ」

 という人が多い。

 彼らが民主国家から逃れてきたのは、差別を受け、貧困に喘いでしまったことから起こった亡命だった。

 民主国家というのは、いたるところに自由という発想が渦巻いている。言論の自由、職業選択の自由など個人に与えられた自由とは別に、法人としての企業に与えられた自由も存在した。

 時として法人と個人との間の自由の間で確執が存在し、どちらかが自由ではいられなくなる。立場としては当然法人の方が大きいので、個人の自由は迫害されてしまう。

 民主国家は多数決が基本であることから、個人の意見が多数派に押し潰されることも少なくない。多数決という体制を背景にすると、当然生まれてくる発想は「弱肉強食」であった。

 少数派が世間から嫌われてくると、次第に差別が始まってくる。個人はどうしても長いものには巻かれてしまうのだ。自分が少数派になることで世間から自分まで嫌われることを恐れる気持ちが強くなると、いかに多数派に属するかというのが、個人個人の死活問題となってくる。

 弱者はどんどん弱くなってしまい、差別はどんどん広がってくる。世間の体裁は、

「差別はいけないことで、撲滅すべきものだ」

 という建前を持っていて、差別をする人を時々問題にはしているが、差別する側にも人権が存在することで、なかなか罰することは難しい。

 問題にすることはできても、罰することはできないのだ。

 そんな中途半端な状態では、差別は広がってくるばかりだ。多数派が絶対的な力を有していることは、多数決の論理から証明されている。そんな民主国家が表向きに表している自由はあまりにもわざとらしい。

 結局差別を受けた人間は、民主国家にいる以上、這い上がることはできない。彼らに残された道は、国外逃亡しかないのだ。

 だが、民主国家は表向き、

「自由の国」

 である。

 自由の国は競争の国ともいえ、自由だから競争が生まれたのか、競争社会を平等に対応するための自由なのかの判断は難しいが、競争というのは、勝者がいれば敗者が存在するのだ。

 勝者ばかりがもてはやされ、自由競争の良さとして宣伝されるが、敗者には何もない。マスコミが敗者もたまに取り上げるが、自由競争の中では、

「かわいそうだ」

 という同情の目はあっても、救済という発想はない。

 あったとしても、現実的ではないことは自由社会では忘れられていくのだ。

 そんな敗者は差別を受けることになり、

「負け組」

 としてのレッテルを貼られて、貼られてしまったレッテルと剥がすのは、そう簡単なことではない。

「一度貼られた差別を受けるというレッテルは、二度と剥がされることはない」

 と言われる。

 剥がされたとしても、それは一時期だけのことであって、すぐに剥がれたレッテルが復活してしまうのだ。

 チャーリア国は、そんな難民たちを受け入れてきた。自由主義国家に危機感を感じているシュルツは、彼らを受け入れることで、自由主義による敗者の理論を考えることで、民主国家を毛嫌いするようになっていた。

「しょせんは口だけなんだよ」

 と、珍しくシュルツは民主国家に対してだけは露骨に苦言を呈していた。

 シュルツは、民主国家で差別を受けた連中を受け入れる国家体制を築きかけていた。WPCから認定を受けることができなくても、受け入れた彼らには十分な利用価値があると思ったのだ。

 確かに彼らの才能は、チャーリア国の国民にはないものだった。毛嫌いしている民主国家から逃れてきた連中だという目もあったからで、それが贔屓目だったことは否めない。チャーリア国にとっての利益に繋がると感じたことは、シュルツは率先して行うようにしていた。

 今まではその考えが間違っていたことはなかった。

「シュルツ長官には先見の明がある」

 と言われていたが、確かにそうだった。

 しかし、民主国家の難民もどきを受け入れるようになったシュルツに対しての国民の目は次第に冷めてきていた。

「チャーリア国は、一番の亡命先だ」

 というウワサが民主国家の間に広がっていった。

 民主国家の言論は自由である。中にはデマもたくさんあったが、デマであっても多数派であれば、それが真実として社会に君臨してしまうこともある。チャーリア国を一番の亡命国だとして上ったウワサは、最初はデマであったが、次第に信憑性を帯びてきた。

 実際に亡命者が増えてきて、彼らの言動が元いた国に広まり、ウワサとなって行ったのだ。

 次第にチャーリア国には亡命外人が増えていった。元々彼らは民主国家にいても、最低限の生活をしていた連中である。民主国家の建前として、

「教育を受けることが国民の義務」

 として決まっていたが、実際には百パーセントではなかった。

 百パーセントから程遠い人間が教育を受けることもなく、当然モラルもマナーも身についていない。

 未開人のように本能で生きてきた連中だった。もちろん、一人では生きていけるはずもなく、多数でグループを作って、何とか生活ができていたのだ。

 自由国家である母国では彼らをあからさまに差別や攻撃することはできない。国外に逃亡してくれることは、

「余計な連中の粛清」

 という意味でありがたいことだった。

 他の体制の国のように存在を秘密裏に消してしまうというようなことはできない。してしまえばその国はその時点で民主国家ではなくなってしまうのだ。それくらいのモラルはさすがに民主国家にもあったのだ。

 最近では民主国家から亡命した連中を、民主国家が世界各国に派遣している諜報部員によって監視させている。今までと違い、

「場合によっては暗殺も辞さない」

 と言われていることもある。

 亡命者に紛れて、民主国家の国家機密をスパイして、それを母国に持ち帰ろうとする組織の存在が次第に脚光を浴びてくるようになると、民主国家は疑心暗鬼に陥ってしまう。

 国家機密がバレてしまうと、他の国から攻められる可能性が出てくる。その際に国家機密である軍の情報が丸裸にされてしまう可能性があるからだ。そうなると、

「戦争をする前からすでに負けていた」

 ということになりかねないからだ。

 完膚なきまでにやられてしまうと、WPCからの和平調停では不利でしかない。一つでも起死回生の何かがなければ、

「勝者の理論」

 で片づけられてしまう。

 そのため、国外に逃れた連中で、素性がハッキリとしない人間に対して監視の目を向けるのは当たり前のことだった。

 だが、これは民主国家の理念に反していることになる。

 確かに自分たちの国を守るための防衛意識からすれば当然のことなのだが、自由主義という意味からすれば、国外に逃れた人とはいえその動向の自由を奪うようなマネは体制との間に矛盾を生じることになる。

 亡命者はそのことを知ってか知らずか、亡命した国で最初は細々と暮らしているのだが、次第に同じような立場の人間が、次々に亡命してくる。

 何しろ世界広しと言えども、民主国家から差別で逃れてきた人を受け入れてくれる国はほとんどないからだった。

 元々民主国家にいた連中である。いくら体制に不満があったからといえ、その体制が生まれたことから決まっていたことなので、身体に染みついている。

「多数決は正しいことだ」

 という言葉に反発をしながら、何かを決める時は、

「多数決しかない」

 という発想しかなかったりする。

 まわりに同じ立場の人間がほとんどいないことから矛盾に悩まされていたこともあって、それまで同様、新しい国でも、

「長いものには巻かれる」

 という思いを基本においていたのだ。

 しかし、まわりに人数が増えてくると、多数決のありがたみをやっと感じることができるようになる。それまでになかった明るさが彼らに芽生え、亡命者同志で熱い輪を作り、まわりの迷惑を考えることもなく、騒音や喧騒をまわりに与えてしまった。

 それまで亡命者に対して比較的同情を持っていた人も、

「あいつら、図に乗りやがって」

 と、次第に嫌悪を抱くようになる。

 チャーリア国の国民は愛国心を強く持っていた。その中には自分たちの民族への誇りや自信が、他の国に比べれば大きなものだった。

 そんなチャーリア国民にとって亡命してきた連中は、

「目の上のタンコブ」

 に見えてきた。

 それまで強いと思っていた愛国心だが、そこには他国人への差別はなかった。だが、最近の目に余る状況に、他民族への憎悪が生まれてきた。しかも、よくよく観察していると、そんな連中を外から見ている目があることに気が付いた。

 外人連中を「他民族」という意識で見るようになったことで、遠い目で見ていることに気付くと、彼らを監視している目を感じるようになってきた。

「やつらは、母国の連中からも警戒されているんだ」

 と感じると、連中への嫌悪に拍車をかけるようになった。

 すると自分たちの国がやつらによって、

「武力に訴えない形の侵略を受けている」

 というイメージを誰もが抱くようになってきた。

 その国民感情を国家は知ってか知らずか、民主国家からの亡命者を相変わらず受け入れていた。そんな国民感情の異変に気付いた時にはすでに遅く、次第に企業や地域における団体の中で、集団ぐるみでの差別が公然と行われるようになってきた。

 国民は、民主国家に対して最初から毛嫌いしていたと思っていたが、同じ毛嫌いでも途中から変わったことに気付かなかった。

 途中で変わった時期がいつだったのかというと国民が、

「武力に訴えない形の侵略を受けている」

 という意識を持った時だということに、シュルツは気付いていなかった。

 第二次戦争が終結してしばらく経った。休戦協定が結ばれた背景に、第三国の介入があったことを知っている人は少なかったかも知れない。第三国というのはアルガン国で、チャーリア国の建国にアルガン国が関わっていたことは知られていても、それまでに結ばれた密約などは、誰にも知られていなかった。

 委任統治国であるジョイコット国に以前軍を終結させたことがあったが、現在は神器をジョイコット国に保管していた。ジョイコット国はチャーリア国が何かを隠すにはちょうどいい国で、彼らに対してはある程度の自由を与えていて、彼らはそのおかげでチャーリア国やアルガン国に対して、

「自分たちを解放してくれる国」

 として受け入れていた。

 しかし実際には植民地に近い形で支配していた。今の世の中、おおっぴらに植民地支配などできる時代ではない。そんなことをすれば国際社会から反発を受け、国家として孤立してしまうのは必至だった。

 だが、目に見えない形で植民地支配は続いている。表向きは独立国家としての体裁は整っているが、条約の中はというと、明らかな不平等条約である。

 領事裁判権や治外法権の問題は当然のことながら、関税も国際法で認められているギリギリのラインをキープしていた。相手の国が真の独立を果たしたとすれば、確実に数年で経済が疲弊してしまい、国家としての体裁は崩れ去り、どこかに吸収されるか、滅亡の危機でしかないのだ。

「滅亡や吸収されるくらいなら、どこかの属国として生き残った方がいい」

 という考えを持つ貼って途上国が増えてきた。

 なぜなら、先の世界大戦の後に独立を果たした国のほとんどが、国家として破綻し、結局どこかの国に吸収されてしまうという憂き目に遭ったのを見たからだ。

 一度滅んでしまうと、旧体制に戻ることはありえない。滅亡前にどこかの国を頼り、吸収してもらうことができれば、政府として生き残ることも可能かも知れない。それを思うと、黙って滅亡を待つのではなく、存続の道を探るという選択肢を選ぶのは当たり前のことなのかも知れない。

 それらの国を、

「衛星国」

 と呼ぶ。

 立場的には主従関係のようなものが存在しているが、かつての植民地のように奴隷のごとく扱うのではなく、相手を独立国のように主権を尊重しながら、相手に対して宗主国としての権利を主張している。

 これはお互いに悪い話ではない。属国の方も宗主国に守ってもらえるという利点があるし、守ることで朝貢を得られるという意味で、昔の封建制度のような形であった。

「時代は繰り返す」

 という言葉そのものを感じている人も多いだろう。ただ、ジョイコット国が宗主国として仰いでいる国は、アルガン国とチャーリア国という複数存在していることは、他にはない特別なことだった。

 ジョイコット国を属国とした頃のアルガン国とチャーリア国とは、本当に蜜月状態で、いつまでも同盟国としての関係が続くものだとまわりのほとんどは思っていたことだろう。何といってもチャーリア国建国はアルガン国なくしてはありえないことだったからだ。

「チャーリア国はアルガン国に絶対的な優位性を持っている」

 というのが、それぞれの国の内外で言われていたことだった。

 だが、その関係にしこりが残るようになってきていた。それはシュルツが発案し、ニコライが開発した新兵器が原因であった。

「シュルツ長官、アルガン国が私の開発した新兵器をほしがっているようです」

 とニコライに相談された時は、シュルツもアルガン国の行動が、それほど大きな問題だとは思っていなかった。

 元々、アルガン国の資金援助がなければ開発すらおぼつかなかったものなので、アルガン国がほしがるのも無理もないことだった。しかし、この時の経済援助をしてもらった時の条文に、

「供出された金銭の使い道については、言及しない」

 という条項が含まれていた。

 基本的には言及しないのが暗黙の了解だったが、この時はそれをわざわざ明文化させたのだ。どうして明文化しなければいけないのかアルガン国も訝しく感じられたかも知れないが、決まってしまった条約を覆すことは容易なことではない。明らかに条約違反だと分かったとしても、決まっていることが名分上問題なければ、状況よりも名分の方が強いのだ。それを覆そうとするのであれば、戦争も辞さないという覚悟が必要になってくる。そんなリスクを冒す国など、どこにあろうというのだろう。

 委任統治を受けているジョイコット国も、実は一枚岩ではなかった。いまだに自分たちだけで独立した国家を持ちたいという愛国民が存在していた。

 彼らは過激派となって国内に潜伏し、時が来るのをじっと待っていた。したがって、時期が来ない今は黙ってその時を待っていたので、彼らのような集団の存在は、国内でもほとんど誰からも知られていなかった。

 ただ彼らには一つの計画があった。彼らなりの独自の情報網が存在し、この国にチャーリア国から持ち込まれた王位継承の神器が存在していることを知った。その経緯はハッキリとしておらず、こんなに未開人の多い国でここまでしっかりとした諜報のできる部隊が存在するなど、俄かには信じられるものでもなかった。

 しかし実際には存在していた。

「この国には、チャーリア国からいろいろなものが持ち込まれている。以前は軍隊の一時隠し場所として我々の国を使用していた。他の国に察知されなくてよかったのだが、もし察知されていれば、我々も無事ではすまなかったかも知れない」

 と、過激派グループの長はそう言った。

 彼は元々からのジョイコット国民ではない。他の国から流れてきた男で、謎だらけの男だった。どこの国から、どういう経緯で流れ着いたのか、それを知っている人間はいなかった。

 ただ、彼は人心掌握術に長けていた。宗教団体の教祖のような雰囲気があり、存在そのものが神のようだった。オーラはすぐに今の過激派を形成している人間を即座に引き寄せ、自分から言わなくとも、勝手にまわりが団体を作ってくれて、あっという間に彼を教祖に祭り上げたのだ。

 まわりから見れば、教祖がただ祭り上げられたようにしか見えないだろう。だが、それは彼のオーラがまわりを動かしたのであって、マインドコントロールをそうとは見えないように行うという実にハイスペックな技を持った男だったのだ。

 彼がこの国に来たのは、自分のオーラと波長の合う民族を探し当てたからなのかも知れない。自分が動かなくともまわりが勝手に動いてくれて、祭り上げてくれる。これほど楽なことはないだろう。

 いつの間にか委任統治されていたはずのジョイコット国が、宗教色を帯びた国に変わっていくのを知っている人は誰もおらず、このままなら、国の内部からのクーデターにより、宗教国家として生まれ変わるところであったのを、何かが怪しいと気付いた人がいた。

 彼は予知能力を持っていた。

 本人には自覚症状はあったが、予知が成功する時としない時があり、その信憑性には大いに疑問があった。そのせいもあってか、他の人は彼の力を分かっていない。もし何か予言めいたことをして当たったとしても、

「ただの偶然さ」

 という一言で片づけられていたことだろう。

「この国は、近い将来宗教団体によって征服されてしまう」

 と予言した。

 だが、声を高々に予言するわけにはいかなかった。

 いつものような戯言として片づけられるのがオチだったからであるが、それよりも、もし本当だとすれば、それを聞いた宗教団体が黙っておくはずがない。いずれ自分たちの危機に陥ることだとして危機感を募らせるだろう。そうなると彼らのお家芸とでもいうべき、暗殺が行われてしまうことは必至だった。

 だからと言って、黙っておくわけにはいかない。自分の中ではかなりの確率で彼らが台頭してきて、国家が宗教化してしまい、まったく自由のない生活を余儀なくされ、宗教のためであれば、命を差し出すことくらいはなんでもないと思っているような連中である。まったく違う考えの下、粛清されるのは分かっていることだった。

 彼が目をつけたのがシュルツ長官だった。

 本来であれば、宗主国のしかも国家元首に対して、属国の一青年が口など利ける立場ではなく、門前払いされるのがオチであり、下手をすれば処刑されても文句が言えないほどのことである。処刑されてしまっては、勇気を出して直訴する意味がないというものだ。

 だが、念じていると気持ちは相手に通じるというべきか、それともお互いに周波数が合うということなのか、彼の思いはシュルツ長官に届いたようで、

「君は何か私に用なのかな?」

 と、珍しくシュルツが群衆の一人に話しかけた。

 シュルツは群衆に対しては急に話しかけたりすることがある。もちろんいつどこで暗殺者が狙っているか分からないので、、そう簡単には話しかけるようなことはないが、まわりを固めているSPが大丈夫だと認定した時だけは、まわりに声を掛けることができたのだ。

 だからと言って、毎回ということではない。話しかけるには話しかけるだけの理由があった。群衆に対しての人心掌握術の一環なのか、それとも穏健な君主としての態度を表に出さなければいけないというパフォーマンズなのか、あくまでも政治家としての態度であった。

 しかし、この青年に声を掛けた時は少し違っていた。

 SPが許可をしたのは間違いないが、この時のシュルツには国民に何かを訴える必要はなく、宗主国の元首としての権威をひけらかす必要もなかった。それなのに話しかけるような行動をしたシュルツに、彼をよく知る人は少し戸惑っていたのは事実だった。

 シュルツは彼に何か声を掛けて、すぐに元に戻ったので、内容は分からなかったが、あまりの短さに、

「シュルツ長官の気まぐれか何かでしょう」

 と思わせ、

「まあ、こんなこともある」

 とまわりに思わせることができたのは、その短さが絶妙の時間だったからなのかも知れない。

 その時シュルツは彼に対して、

「明日にでも私のところを訪ねてきなさい」

 と、政府高官だけが与えられる携帯電話を渡したのだ。

 実際に使われている電話は、国家で管理されていて、下手をすれば盗聴される可能性もある。もちろん国家からの盗聴なので他に漏れるということはないが、それだけシュルツといえども、国家の一員として見張られる立場にあったのだ。

 だが、渡した携帯電話はまったくのプライベートなもので、シュルツとチャールズのホットラインで使用されている。国家の二大トップの会話をいくら国家とはいえ盗聴することは許されない。逆に言えば、この携帯さえ持っていれば、シュルツと誰にも知られずに会話ができるということだった。

 この携帯が盗聴できないのは検証済みで、国家の電子関係のプロに数人盗聴を競わせたが、誰にも盗聴することができなかったという優れものだった。

「はい、明日伺います」

 この青年は秘密携帯の使用方法はなぜか分かっていた。普段であれば、パソコンや携帯も一回一回使用するたびに説明を受けなければまともに取り扱えない彼がであった。

 彼は携帯を使ってシュルツに連絡を入れ、誰にも知られずに外務省にあるシュルツの執務室に入った。ここはチャールズしか入ったことのないところで、まさか一国民が入るなど、ありえないことだった。

「セキュリティがしっかりしているだけに、簡単だった」

 とシュルツに思わせた。

 セキュリティを信用しきっていると、まさかという事態を俄かに受け止めることができないのは人間の習性のようなものだからだ。

 シュルツが招いた彼は、オドオドとしていて、まだあどけなさが残っていることは分かった。

――昨日はあれだけ堂々としているように見えたのに――

 とシュルツは感じたが、堂々としていたわけではなく、一人でいる時の彼の様子がそうだったというだけのことだった。

「この国というのは、本当に未開の国のように思えるんだけど、中に入ってみると、貧富の激しさを感じることができるんだ」

 とシュルツがいうと、

「その通りです。表から見えていることが真実であるということは、この国に限ってはありえません」

 と青年は答えた。

 青年は続けた。

「この国では宗教団体が裏を握っていて、今何かチャーリア国にとって困ったことを起こそうとしているように思えてならないんです」

「我々にとって困ったこととは?」

 シュルツはなんとなく分かった気がしたが、なるべくなら青年の口から引き出そうとして訊ねた、

「それはハッキリとは分かりませんが、もし彼らの計画が実現すると、チャーリア国も我が国もとっても禍根を残すことになると思われます」

「じゃあ、どうすればいいと?」

「武力によっての解決がいいのではないかと思います。相手を殲滅してしまうと、情報が漏えいすることもないでしょうからね。長官は私が見たところ、殲滅までは考えたことのないお人に見えます。それではダメだと思うんです。時には非情になる必要があると思います」

 と、言ってのけた。

 彼の助言はほどなくして実現した。軍事クーデターほど大規模ばものではなかったが、ゲリラ戦に関してはかなりの習熟があるのか、完全にパルチザン化していた。

 彼らの戦術も鍛錬されたもので、彼らだけでここまでできるとは思えなかった。

「どこかの国か組織が裏で糸を引いているのかも知れないな」

 とシュルツは思ったが、その真実は分からなかった。

 さすがにジョイコットの軍だけでは彼らの鎮圧は難しかったかも知れない。しかし、チャーリア国の軍も介入してくると、次第にクーデターは鎮圧されていった。

「これは内政干渉だ」

 と、パルチザンは声明を出したが、肝心のジョイコット政府としては、

「我々が派兵を依頼した」

 ということで、合法だった。

 以前結ばれた両国の同盟条約の中に、お互いの国で派兵の依頼をすることができ、依頼された方は、軍を派兵することができるという条文があった。

 もちろん、拒否することもできるし、反乱が鎮圧されれば、速やかな撤兵までも条文には記されていた。

 クーデターの規模からいうと、ジョイコット国だけの問題であれば成功したかも知れないが、バックにチャーリア国の存在があることくらいクーデターを起こした連中にも分かることだろう。しかも、彼らのクーデターを起こした動機も曖昧だった。声明としては宗教活動の妨げになる政府を打倒と書かれていたが、元々政府も同じ流派の宗教団体だったはず。途中で分裂したのは知られていることだが、なぜこの時期なのかがハッキリとしなかった。

 クーデターが起こってから鎮圧までには一か月ほどだった。チャーリア軍が侵攻してから十日ほどでの鎮圧に、進駐したチャーリア軍もキツネにつままれたかのような、あっという間の鎮圧だった。

「本当にありがとうございます。我々だけでは鎮圧は難しかったです」

 と、ジョイコット国の大統領がシュルツ長官に礼を言った。

「当然のことをしたまでです。被害の方はいかがですか?」

「おかげさまで、大したことはありませんでした。チャーリア国の迅速な対応に感銘を受けました」

「一応我々も精鋭部隊を持っているつもりですので、これくらいのクーデターであれば、鎮圧は難しくもありませんよ」

 と答えた。

 シュルツとしては自慢している感覚ではなかったが、ジョイコット国側にはどのように聞こえたであろうか? 救ってくれた相手なので文句も言えない。苦虫を噛み潰したような表情の大統領を電話越しでは確認することはできなかった。

 シュルツは電話を切ると、今回の派兵に至った経緯と、鎮圧まで難しくなかったという事実をチャールズに伝えた。日頃からリアルな情報は伝えていたが、一貫した話は初めてだった。

「とにかく、反乱が収まってよかった」

 と素直にチャールズは安堵した。

「そうですね。今ジョイコット国で事が起こってしまうのは、我々にとっていいことではありませんからね」

 とシュルツがいう。

「ジョイコット国は属国としての利用価値は、植民地としての利用価値と違って、明るみに出てしまうわけにはいかないので、何かが起こっても、すぐに鎮圧しなければややこしいことになってしまうだろうね」

「まさしくその通りです」

「ところでジョイコット国とアレキサンダー国やアクアフリーズ国とは接触をしてはいないのかな?」

 とチャールズは気にしていた。

「それは大丈夫です。アクアフリーズ国とアレキサンダー国も、この間の第二次戦争後はおとなしくしているようで、それまでのような親密な関係というのも、今は見えてこないですね」

「じゃあ、今のところは平静を保っていると言っていいのかな?」

「ええ、心配には及びません」

「ちなみにジョイコット国なんだけど」

 とチャールズは少し不安な表情になった。

「はい」

「あの国は国家自体が大きな宗教団体のようなものなので、侵攻は難しかった。他の国があの国に介入することはあまりなく、かつての植民地時代にも、列強はジョイコット国を植民地にしようとはしなかった。だから時代に取り残されたような文明しかないんだろう?」

「ええ、そうです。でも、かつての植民地時代には侵略を受けることはなかったですが、侵攻されたことは結構あります。あの国は他国を攻める場合には通り道になるので、しh理的には気の毒な国と言ってもいいでしょう。それでもただ通り道になるだけで駐留されることはない。文明が遅れてしまったのも仕方のないことでしょうね」

「負の連鎖が働いたというべきかな?」

「その通りだと思います」

「しかし、彼らは戦争が起こると絶えず中立を宣言したんだろう? 中立国に対しては侵攻することも許されないんじゃないかい?」

「建前はそうです。でも、当時の国際法はそれほど確立されているわけではありませんでした。確かに中立国に侵攻することは不法侵入にはなるんですが、何もせずに通り過ぎるだけでは、罰することはできません。もっとも、他の国が世界大戦に参戦するための口実として利用したことはあるようです。侵攻するには国内の世論が大きな影響を示しますからね」

「それはそうだろう。私たちも戦争をするには大義名分の存在が不可欠で、宣戦布告というのは、それを明文化し、内外に宣伝することが目的ですからね」

「宣戦布告というと、国内向けが一般的だよな。大義名分の後に、国民の奮起を促すのが宣戦布告の詔書だからな」

 今までに何度か宣戦布告の詔書を書いたことのあるチャールズらしい意見であった。

「ところでジョイコット国は、我々の意思をそこまで分かっているんだ?」

 とチャールズは続けた。

「ハッキリとは分かりませんが、私の感覚では怪しいとも思っていないと感じます。そういう意味ではジョイコット国を利用しようとするのは正解ではないかと思っています」

「彼らは未開の国だという意識があり、他国には分からないようなコンプレックスを持っているのではないか? もしそうだとすると、我々とは感覚が違うわけだから甘く見るわけにはいかないだろう」

「その通りですね。でも、我々との間で武力兵力には明らかな優劣が存在しています。それを背景に考えれば、さほど気にする必要もありません」

「しかし、手荒なことをすれば、他の国からの批判が大きくなって、我が国の国家運営自体に翳りを残すのではないかな?」

「それはその通りです。だからそうならないように監視の目をしっかりと持って、彼らが疑いの目を持たないようにしようと思っています」

「それで大丈夫なのか?」

「ええ、あの国は以前から密輸で生計を立てている国であり、国民の間にも密輸が蔓延っています。そういう意味では国際社会としては容認できないことなのでしょうが、彼らが未開の国であるということから、大目に見ているところがあるんです。一触即発とまではいきませんが、彼らも相手が国際社会だとすれば、一気に殲滅されてしまうことくらいは想像できることでしょうね」

「彼らとしては、それが一番怖いことなのかな?」

「それは違うと思います。彼らの宗教は死を恐れることのない教えが根本にあるようで、志を捨てて命乞いをするよりも、志を持ったまま死を選ぶ民族のようです。ただ、他の国との交流がほとんどないですので、その文化を当たり前だと思っているんでしょう」

「なるほど、でも、それならどうして彼らにそのことを教えてあげようとはしないだい?」

「口で説明しても彼らは納得しませんよ。教えられて納得することは宗教関係のことだけです。もちろん、それはよそ者から言われてのことですけどね」

「じゃあ、国家間では誰かが説明すれば分かるのだろうか?」

「分かるかも知れません。でも、教える立場の連中が教えるとは思えないし、そうなると彼らが真実を知るということはないでしょう。彼らは植民地時代が世の中にやってくる以前は、完全な鎖国をしていましたからね」

「歴史上、鎖国と言っても、完全な鎖国というのは聞いたことがないぞ。鎖国を謳っていても、国の中で一つか二つの港は開いていて、一国か二国との間で、細々と貿易だけをしているくらいですよね」

「彼らもそうだったんだろうか?」

「最初に侵攻してきた国家が、彼らに宗教を教えたようです。あれよあれよという間に信者が増えて、国家では抑制することができなくなった。当時の植民地獲得の常とう手段として、外部から攻め込むというよりも、まずは宣教師などの布教を目的とした集団を送り込み、彼らが特殊工作を行う。内乱を起こさせて、その混乱に乗じる形で国家を掌握するというものですからね」

「彼らもそのようにして開国したのかな?」

「開国はしたようですよ。でも、植民地になることはなかった。どうやら送り込まれた宗教団体が母国の方に『ここは植民地支配には向かない国』として打診していたようです。私はその気持ちが分かる気がしますね」

「その頃からパルチザンというのはいたのだろうか?」

「パルチザンというのは、一つの勢力に抗う形で出てくるものです。そのため存在は知られたとしても、内情を知られてはいけません。そのためわざと存在を知らしめるような行動を取り、彼らが犯行声明を出すのも、その表れではないかと私は思っています」

「彼らも気の毒なところがあるということだろうか?」

「私はそうは思いません。国家としての体裁を整えることを拒否し、国際社会を受け入れることをしなかった彼らは、それだけで罪だと考えます。国際社会が罪だと思うと、何かあった時、どこも助けてはくれません。でも、それは彼らが招いたこと。そこにいちいち同情していては、国際社会の全体像を見ることはできません」

「なるほど、さすがにシュルツはいつも鋭いな。怖くなることもあるよ」

 と、チャールズは皮肉を言ったが、

「恐れ入ります」

 と、シュルツはスルーしたかのような言い方をした。

 チャールズはそれを、シュルツ独特のいなしだと思った。だが、今まで二人三脚のようにお互いの気持ちを分かり敢えていたシュルツからは考えにくい態度だった。いなしなどシュルツには必要ないと思った。皮肉を言われて淡々と受け流すのは、シュルツを知るチャールズには信じられないことだった。そして何よりも自分がシュルツに対して皮肉を言わなければいけないという立場に腹が立ったのだ。

「ねえ、シュルツは今回のクーデターをどう思うんだい? ただのクーデターなのかな?」

 とチャールズがいうと、

「私はそうだと思っていますが」

 と、シュルツが答えた。

 ただ、どこかまだ何かを隠しているように思えた。

――私に何かを隠すなんて、今までのシュルツにはないことだ――

 と感じた。

 今までのシュルツであれば、もし隠し事があるとすれば、それは必死になって隠すはずなので、チャールズにバレることはなかった。だからチャールズが知らないだけで、隠し事は存在していたのかも知れない。

 だが、チャールズはそれでいいと思った。

――隠したい思いがあるのなら、それでもいいが、私が嫌な気分になることだけは避けてほしい――

 と思った。

 これが他の人であれば、隠し事自体を否定するのであろうが、チャールズは違った。自分が他の人とは違うという思いと、二人の関係も他の人の間には存在しないものだと思いたかったのだ。

「ところでシュルツは、ジョイコット国が自分たちの中で我々に侵略を受けていると思ってはいないかと心配にならないのかい?」

「ええ、心配にはなりません。それは今回のことでハッキリしました。今回のパルチザンの反乱は我々に対してのものではなく、ジョイコット国に対しての単純な反乱だったようです。外交面での抗議による反乱であれば、もっと諸外国に彼らの反乱の意図を宣伝して、国際社会を味方にしようと考えるはずです。それがないということは、彼らにとって単純に国を憂いてのことだったと思われます」

「シュルツが言うのだからそうなのだろう」

 と、チャールズはアッサリとシュルツの言葉を信じた。

 いつものように表情を変えることなくシュルツは頭を下げた。完全に恐縮している様子なのだが、二人の間の関係は表から見ると対等にしか見えなかった。

「シュルツはやつらを掃討してみてどうだった? 戦争の指揮を執った司令官とは話をしたんだろう?」

「ええ、司令官はあまりにも簡単だったことに驚いてはいましたが、ジョイコット国の軍隊であれば、赤子の手をひねるようなものだと最初から豪語していましたからね。他の国相手であれば司令官を引き締めたんでしょうが、相手がジョイコット軍であれば、そんなことは関係ありませんからね」

 どこまでもシュルツはジョイコット軍を舐めている。嫌っていると言ってもいいかも知れない。

 ジョイコット軍が鎮圧されてからというもの、シュルツはジョイコット国との間に一線を敷いていた。彼らの統治は彼らで行ってもらうということで、経済援助も次第に減らしていこうと思っていた。

 シュルツの狙いは、いずれジョイコット国を併合するところにあったのだが、現段階では一度計画を凍結させる方がいいと思うようになった。反乱が起こってしまったのだから、今動くのは得策ではないと考えたのだろう。この考えは間違っていなかったが、果たして正解だったのかどうか、その時は分からなかった。

 ジョイコット国にはチャーリア国建国の際に、ここを隠れ蓑に使ったこともあって、王位継承の神器が置かれている。そのことを知っているのは一部の人間のはずなのだが、今では知っている人間の幅が広がった。それは反乱が起こった時の混乱で、反乱軍であるパルチザンにも、神器の存在を知られてしまった。これはシュルツが悪いわけでえはなく、不可抗力といってもいいだろう。シュルツにとってジョイコット国は、

「大した利益を得られる国ではないが、属国にしていて損はない」

 と考えていた。

 もしこれが他の国であればこんな差別的な発想は持たなかっただろう。なぜシュルツがジョイコット国をこんなにも毛嫌いするのか、誰にも分からなかった。

 ひょっとするとシュルツ本人にも理由は分かっていないのかも知れない。理由も分からずに毛嫌いしている自分に憤りを感じているとすれば、さらなるジョイコット国への偏見は続いていくことになるだろう。

 シュルツがしばらくの間とはいえ、ジョイコット国から手を引くのを考えたのは、毛嫌いの気持ちが最高潮に達したからなのかも知れない。他の国でもクーデターを起こそうとしたことがないわけではないのに、ここまで一気に手を引くことはなかった。公私混同するような男ではないだけに、私的なことではないだろう。いつもシュルツのそばにいるチャールズにも分からないシュルツの心境に、チャールズも少し不安に感じていた。

 ジョイコット国から神器が消えてしまっていることが発覚したのは、シュルツがジョイコット国から手を引くと宣言してから二か月後のことだった。手を引くとはいえ、相変わらず諜報部員の配置は今まで通りに存在しているので、彼らの定期的な確認で分かったことだった。

 防犯カメラの映像は秘密裏にチャーリア国へ持ち込まれ、そこで化学班の手によって解析が進められた。最初は普通に映像を見ただけでは何も映っていなかったので、化学班に回されたのだ。

 チャーリア国の化学班は、全世界的にも最先端を行っていた。ニコライの所属する軍事化学班を筆頭に、様々な場所で開発が行われている。これは他の国にはない状況だった。

 化学班と言っても、一つの団体にすべてが所属しているわけではない。たとえば軍だったり警察だったりの組織には、その配下に化学班なるものが存在しているが、シュルツやチャールズなどの政府首脳が化学班と口にする時は、秘密組織的な班を示していた。

 この時のビデオ映像解析などに従事する化学班は、民間の電機メーカーの配下となっている化学班を隠れ蓑にして存在している。表向きはその企業の新製品開発のために秘密主義を取っているということになっているが、本当は国家単位での重要な解析を担うチームだったのだ。これであれば、他国の諜報部員にも、内部の社員に対しても欺くことが簡単で、別に怪しまれることもないだろう。

 彼らの立場はあくまでも電機メーカーの科学開発部門であるが、裏では国の特殊機関である。当然国の利益が最優先で、機密を要することや、国の利益のために時として企業の利益を度返しすることから、国から企業は相当なお金が動いているようだ。その上、国の利益のために企業が損をした代償は、すべて国持ちということもあり、企業には損のないようになっている。

 ビデオの解析ができたのは、化学班に持ち込まれて一週間が過ぎた時だった、

「シュルツ長官、これをご覧ください」

 と言って、化学班の主任がビデオを見せた。

 そこには神器が盗まれるところが映っていたが、盗んでいる人間は映っていない。

「これはどういうことだ? 映像に映らないような加工がしてあるのか、それとも超能力のようなものが働いているのか?」

 と、映像に映った疑問をそのまま口にした。

「シュルツ長官。問題はまずそこではないんです」

「どういうことだ?」

「この映像はまだ解析途中の状況を見せたものなんです。このビデオの確認作業をされている時、神器が盗まれるという映像が映っていたわけではないんでしょう?」

「ああ、そうだ。盗まれた形跡がないのに、どうやってなくなってしまったのかが不思議だったんだ」

「つまりはビデオカメラには映らないような特殊な加工がされているということなんです。でも実際には記憶されていた。だから特殊な技法を使えば、神器が盗まれた瞬間をとらえることはできるんです」

 と主任がいうと、

「すごいじゃないか」

 とシュルツは普通に答えた。

「そうじゃないんです」

 主任はさらに続けた。

「どういうことだい?」

「ここまでの解析は、我々でなくとも普通の企業の解析班でも可能だと思うんですよ。我々もここまでは簡単に行きましたからね」

「じゃあ、何が言いたいんだ?」

「これを計画した連中は、神器が盗まれるところまでの解析されることは最初から分かっていたと思うんですよ。だからここまでの解析に何も成果がないことは明白だと思うんです」

「なるほど」

「じゃあ、こちらをご覧ください」

 と言って主任は、外にあるコントロールルームをガラス越しに見て、中にいる研究員に目配せをした。

 研究員は、主任の合図の下、手前の装置をいじくりながら、すぐに主任に対してOKサインを送った。

 元々真っ暗な部屋を赤外線によって明るくしているように見えていた映像だったが、合図が返ってくると、そこの明かりはまるで最初から蛍光灯がすべてついていたかのようになった。逆に違和感がなくなった感じだった。

 違和感がなくなる少し前に、そこにふわっとした感覚の白い物体が映し出されたように思えたが、次第に映像が違和感を感じなくなると、それまで白く浮かんでいた異物が、今度は黒ずんでくるのが感じられた。

 そして、その形が次第に細くなっていき、背景に馴染んでくるのを感じると、その形が人間に感じられるようになったのは、映像に違和感がなくなってきたからだけだとは思えなかった。

「これは」

 シュルツは覗き込むと、そこには黒いジャンパーを着た二人組の男が浮かび上がってきた。

 二人は変装はしているが、その様子は実に中途半端で、解析ができてしまうと、顔はしっかりと写っている。

「こんなことって」

 シュルツが何に驚いているのか、主任には分かる気がした。

「どうですか? どう感じられましたか?」

「要するに、解析が二段階必要だったということだよな」

「ええ、そうです。しかも最初の解析に比べて、今回の解析にはかなりの時間が掛かりました。最初の解析には一日もかからなかったのに、二段階目の解析には一週間近くかかったということですからね」

「そんなにも解析が難しかったということか?」

「そうですね。これだけの解析ができる国は本当に限られていると思います。下手をするとこの国だけかも知れません」

 それを聞いてシュルツは、

「うーん」

 と唸った。

「怖いですよね」

「そうなんだ。我が国のように最先端の技術を有している国にしか解析できないような技術を他国も有しているということになり、さらにそれが未開の国として知られているジョイコット国であるということが不気味だよな。これだけの科学力を持っていれば、今のジョイコット国はないだろうからね。もっと発達していてもよくて、先進国の仲間入りをしていてもおかしくはないでだろう」

 それがシュルツの怖さの秘密だった。

「ただ、この連中がどこの誰なのか、顔がハッキリするので分かると思うんですよ。彼らはこの解析が行われることは最初から計算していたのかも知れません。ただ、盗み出したという事実と、我々に自分たちの科学力を鼓舞したかったということとが彼らの真実だとすると、犯人が分かることは問題ではないということなんでしょうね」

「考えられることとすれば時間稼ぎではないかな? 我々が解析を済ませるまでにどれくらいの時間が掛かるのかを計算して、その間に彼らの計画を実行するだけの時間をキープしたかったと考えると行動に対しての辻褄は合っていると思う」

「それはどういうことですか?」

「彼らは盗み出すことはもちろんのこと。盗み出した後で犯罪が露呈する間に、神器をどこかに移したということだろうな。他の場所に隠しなおしたというのは、可能性としては低いような気がする」

 シュルツの考えは当たっていた。

 程なくしてからいきなり、アクアフリーズ国から宣戦を布告された。これはバックにアレキサンダー国が存在しているわけではない。当のアレキサンダー国は早々に中立を宣言し、アレキサンダー国に潜入している諜報部員の話では、

「アレキサンダー国もこの事態に対しては寝耳に水だったようです。まさかアクアフリーズ国が単独でチャーリア国を攻めるとは思ってもいなかったんでしょう。早々にアクアフリーズ国が負けることを見越しての中立宣言のようです」

 シュルツはそれを聞いて、

「なるほど、アレキサンダー国はあくまでも自分たちが後方支援を行わなければ、アクアフリーズ軍だけでの攻撃は、まったく効き目がないとでも思っているわけだな」

「その通りです。ただこれはアレキサンダー国だけではなく他の国にとっても同じことのようで、他の国も続々と中立を宣言するようです。何も因果関係のない国に対して戦果の拡大に繋がるようなことをしたくないというのが、諸外国の反応なんでしょうね」

 いきなり攻めてきたアクアフリーズ国の名目は、

「我々が所有権を主張していた王位継承の神器は我々が確保したが、王位継承の神器を持ち出したことでのチャーリア国への制裁を行う」

 というのが彼らの正義だった。

 今度の戦いは以前の戦いに比べて、格段にアクアフリーズ軍は手ごわかった。確かにチャーリア国の敵ではない状態ではあったが、一時はアクアフリーズ国に優位だった時期も存在した。

 今回の攻撃にはもちろん、大統領の権威存続の意味があったのも事実である。しかも相手を脅かすだけの成果もあったのだ。大統領の権威はかなり上がったと言ってもいいだろう。

 今回のアクアフリーズ国は、実にかしこかった。

 一時の優位に立ったその時から、彼らは水面下で和平交渉を進めていた。相手は第三国を通じての和平交渉で第三国も中立の立場であったが、内容が和平に向けた話し合いであれば当然受けるのも当然だ。自分たちの調停によって和平が結ばれれば、彼らの国は国際社会での立場を大きなものにすることができる。損のない行動であった。

 この交渉の矢面に立ってのは、アクアフリーズ国の外交官だったが、そこに同席していたのは、他の国にとっては見知らぬ連中が数人鎮座していた。彼らは白衣を着ていて見るからに科学者であることは一目瞭然だった。

「この方たちは?」

 と聞かれて、

「彼らは私どもの化学班の方々です」

 と紹介された。

「我が国の」

 という言葉ではなく、

「私どもの」

 という言い方に違和感があったのだが、その時の会場にいた人には、どうでもいいことだった。

 だが、この言い回しは本当のことを言っていたのだが、それを相手に悟られないようにした絶妙な言い回しだった。つまりは彼らはアクアフリーズ国内に存在している化学班ではなかったのだ。

 ではどこの化学班だというのだろう?

 そこにいるのはジョイコット国の研究員だった。実は神器を盗み出したのは彼らで、盗んだ神器をアクアフリーズ国に返したのだ。

 実は、神器を返すというシナリオを最初に抱いたのはシュルツだった。第二次戦争の終結に際して、有利な条件を引き出すためのカードとして用意していた。彼らは何しろ元母国の元部下たちなのだ。それを思うと、感慨深いことはシュルツにもあったことだろう。

 結局先を越されてしまったが、結果として元の鞘に収まった王位継承の神器、それを翻弄しているのはジョイコット国の科学者たちだった。

 彼らとしてはクーデターのつもりだった。武力を用いることができない彼らには、こうするしかなかったのだが、そのために二重にも三重にも捻じれてもいいので強い計画を練らなければいけなかった。それが功を奏してきたのか、シュルツにはまだこの状況を完全に把握できるところまでにはまだまだ時間が掛かりそうだったのだ。

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