五線譜と静寂 ~Plugless Duet~♪

なつの夕凪

――プロローグ――

 音楽はわたし、柴原朝陽しばはらあさひの全てだった……。


 五歳の頃、初めてピアノに出会った、その日を境に毎日指か動かなくなるまで弾くか、両親に止められるまで弾くのが日課だった。

 

 鍵盤から溢れる音はわたしの声であり願いそのもので、幼いわたしは特別なものに早々出会ってしまった。

 

 音が溢れるこの世界はなんて美しいのだろう。


 音楽がそばにあるわたしはなんて幸せなのだろう。

 

 小学校、中学校と周りをひたすら音楽に打ち込む生活を続けた。

 

 幸せだったと思う。

 

 他のことなんて一切気にならないくらい。


 でも、そんな日々はある日突然終わりを告げる。


 とある事情により、ピアノを止めなければいけなかった。


 光をなくしたわたしはふさぎ込むしかなかった。

 

 本当に悲しいときは涙すら出ないし、目の前にある現実を嘆くこともできない。


 自分の弱さと、ままならない現実を自分の力の無さをただ思い知った。


 学校にはちゃんと通っていた、でもあの頃の記憶はすっぽり抜けていて、ほとんど憶えていない。


 音楽をなくしても、現実はどこまでも続く、いつまでも悲劇のヒロインように振る舞ってられない。どんなに辛くても。


 だから、わたしは音楽以外の道を模索することにした。


 しばらくは大変だった。他のことを何もしてこなったから。同級生に友達と呼べる人もいなかった。わたしは周囲に目を向けることから始めた。少しずつだけど、私の世界は変わっていった。

 

 音楽の代わりに、171cmある身長を活かしバスケを始めた。

 

 体育以外で体を動かしたこともほとんどなかったし、体力がなくて最初は周囲の足を引っ張るだけだったけど、中三の夏には勝負の決まった試合の途中からだけど出してもらえるくらいにはなった。

 

 そのまま中学を卒業し、高校入学した今もそのままバスケを続けている。

 

 音楽は以前と変わらず止めたままだけど――


 それでも、ピアノを弾いていた頃と同じように、今でも頭の中で新しいメロディーが生まれるから、それを記す為のための五線譜ノートを持ち歩いている。

 

 生まれたメロディーはどこかに残さないと、魚の骨が喉に引っかかってるように気持ち悪い。

 

 長く音楽をやっていたための習慣がまだ残っているみたい。


 メロディーたちは八小節で終わったり、十六小節だったりと、長さも出来具合も日によってバラバラで、実際に鍵盤で弾いたら、おかしなところもあるとだろう。


 それにわたし自体、しばらく鍵盤を触っていないから、感覚がずれてきてるだろうし……。

 

 このメロディーたちは誰かに聞かせるつもりはないから、別に気にしない。

 

 わたしだけのものだ、わたしだけを満足させるだけのもの、つまりただの趣味。


 音楽を止めたと言いながら、まだ音楽にすがっている。自分には嘘をつけない、わたしは鍵盤の奏でる音達を忘れていないし忘れられない。


 他にはわがままを言わないから、どうかこの五線譜だけは許してほしい。

 

 これまで五線紙ノートを友達に何度か見られたことがある。言われてたのは「譜面書けるんだね」ってこと。わたしが曲を書いてることは誰も気にしていない。

 

 音楽を今も続けてる人に五線譜ノートを見られたら、ちょっと恥ずかしいかもしれない。不協和音が含まれるパートがあったり、わたしがどんな気持ちで譜面に刻んでいるのか伝わるかもしれないから

 

 人に見せたくないという意味では、日記で字で記すのも、五線譜に音符で書くのもあまり変わらないかもしれない。

 

 日記よりは安全、五線譜の上で音符が刻まれているだけだから。

 

 そう思っていた。

 

 あの日までは……

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