第42話 便所マスター。

 資材を積み込んだ後、船は早々に沖へ出た。その後の作業は魔石に魔力を送り込むという、簡単な作業だった。

 両腕で抱えられるくらいの大きさの容器につめられた魔石を、裸の女の像みたいなイカれたデザインの魔道具にセットし、その像の腹にある手の平サイズの透き通った球に手で触れる。

 すると、特に意識しなくても自動的に魔力を吸われるという仕組みだ。

 俺が子供である事は考慮されず、他の新入り二人と同じ時間、魔力を吸われ続けた。

 朝方の洗濯で幾らか魔力を消費し、資材の積み込みでも魔力をつかった俺ではあるが、何とかギリギリ魔力を枯らさずにやり遂げた。

 一人途中で倒れた奴がおり、その分も残った二人で補わなければならなかったが、それでも俺はまだ、倒れていない。

 魔力を吸われる時に抵抗すると、吸われる量を調節できる事がわかったからだ。魔力の扱いを身に付けていた事が、ちょっとだけ役に立ったというワケである。

 むしろガンガン全力で魔力を込めたならどうなるのか、少し興味が沸いた。だが試せる魔石はもうない。今回の分は今日一日で終わってしまった。

 薬作りは明日からである。

 今日は魔石の準備で完全に日が暮れてしまっていた。


 今俺は作業員用の居住区、その一室に居た。四人部屋とはいうものの、とても狭い。その狭い空間の両脇に二段ベッドが備え付けられている。


「おい、臭えぞ新入り!」


 上の段に居る部屋長が怒鳴る。

 いや、お前の方が臭い。

 きっとこいつの体臭が染み付いたシーツによるものだ。それか、俺の向かいのベッドでケツを掻いてるの足の匂いだろう。

 このデカい船にも風呂場はちゃんとあるが、使える水は給水室から汲んだ水だ。石鹸などは個人で用意し、持っていない奴もいる。俺達は僅かな水を浴び汗を流していた。

 だからこの部屋全体に、汗とカビの匂いが入り混じっている。

 お袋が毎日干してくれていた布団は当たり前ではなかったと実感した。

 ギリさんの自宅の布団が恋しい。

 

「すいません。水はさっき浴びたんですが」


 一応、謝る。


「そうじゃねえ、お前の洗った俺のシャツの話だ。汚ねぇガキが洗うと服まで汚くなるのか?」


 何言ってんだこいつ。


「……すいません。きっと毎回パンツにうんこつけている人がいるので、その人の匂いが移ったんだと思います」

「あ?」


 アシルがはしで降りて来た。


「お前、新入りのくせになんで口答えしてんだよ」


 俺のベッドに顔を差し入れて来る。

 なんてデカくて汚い顔だ。無精髭から覗く出来物から、クリーム色の膿が出ている。


「それか、俺が皆さんが使う便所の掃除をしているからでしょう。初日は本当に吐きそうでした。よくもあんなに汚くできたものですね?」

「てめえ……!」


 この船に来てまだ三日しか経っていないが、なんとなく、強気でいた方が良いと感じた。

 向かいのブリスは他の先輩達と同じく資材の積み込みにしか参加していなかったが、それでもこの場所での彼の立ち位置はわかる。

 ブリスは倉庫から荷物を運ぶ時も、ボートを漕いでた時も、離れていたこちらにもわかるくらいの大声で怒鳴られていた。新入りの俺達以外の全員からである。

 少し歩けば息を切らし、物を運べばヒーヒー言い、ボートを漕ぐ時は死にそうな顔をしていた。

 怒鳴られては謝り、謝っては怒鳴られる。

 全員に、完全に、舐められている。


「良いんですか? 顔を近づけて。俺は汚いんでしょう?」

「……!」


 アシルが俺の胸ぐらを掴んだ。やめて欲しい。貴重な衣服が破けるからだ。


「手が汚れますよ?」

「……おいガキ、マジで殴られたいのか?」


 ウォーケンは言っていた。

 胸ぐらを掴むヤツは大抵、殴りたくないからそうしていると。

 本当に殴りたいなら無言で殴るハズだと。

 じゃあ何故胸ぐらを掴むのかというと、殴れない決まりや理由があるか、単純にビビっているかのどちらかである。

 殴り合いになって何か責任を負わされるのを嫌うか、もしくは怪我をしたくなくて相手をビビらせて終わりにしたいかのどちらかだと、教わった。

 中には駆け引きの一環でそれをやる奴も居るそうだが、アシルは明らかに感情的になっている。冷静に駆け引きなんてする奴ではないだろう。

 そういう奴の対処法は——。


 こちらが先に殴る。頭突きでも良い。

 手首を捻り上げるやり方も教わったが、相手をビビらせるのが目的なら、シンプルであればあるほど良い。

 綺麗な技よりも汚い暴力の方が、相手に恐怖を与える事ができるのだ。

 だが、それはしない。


「——おい、なんだソレは……」


 ソレ、とは今俺がぶくろから取り出しナイフである。

 自分の荷物は常に枕元に置いてある。


「俺が自分で研いだナイフです。ちょうど切れ味を確かめたいと思ってました」

「……!」


 俺はビビっていない。冷静だ。

 腕力はたぶん、こいつの方が上だろう。

 だが、こいつを倒す方法は幾らでも思いつく。威嚇も必要ない。

 ナイフをチラつかせればそれで済む。

 それでも引かなければ本当に切りつけるだけだ。

 顔でも胸でも腕でも手でも。

 脚でも良いかもしれない。一番刺しやすい位置にある。


「アシルさん、やめときましょ? ブリスの掃除したトイレなんて俺、使いたくないっすから」


 ブリスの上の段にいる痩せ男二号——が口を挟んだ。こちらに背を向けているブリスがビクッと反応する。


「ほ、他の新入りにやらせれば良いだろうが! 生意気なガキにはが必要なんだよ!」


 そうだ。

 このアシルにはしつけが必要だ。


「ええー? でもたぶんコイツ、便所マスターですよ?」

「は?」


 俺に顔を向けたままのアシルが、マヌケな声を出す。

 俺も同じ様な声を出しそうになった。

 なんだよ便所マスターって。


「だって、こいつ、あの便所を綺麗にしたんすよ? 新人教育の為に俺らで用意したあの肥溜めを数時間で。便所マスター以外考えられないっすわ!」


 だからなんだ。便所マスターって。

 というか、あの便所の汚さはワザとだったのか。


「……チッ、わかったよ」

 

 アシルが引き下がった。

 痩せ男二号のくせに、このコーム、何故か力を持っている。

 俺達が魔石に魔力を込めている間もニヤニヤ笑いながら欠伸して、それを咎める者は誰もいなかった。


「ウォルフ、だっけ? あんまり偉い人を怒らせちゃダーメ。部屋で問題があればその責任はアシルさんに行くんだ。もっと楽しく過ごそうぜ?」


 楽しく? こんな連中と一緒に?


「……わかりました。アシルさん、生意気言ってすいませんでした」

「チッ、わかれば良いんだよ。気をつけろ」


 煽って喧嘩を売ってきたのはアシルの方だが、ここは謝るべきだろう。

 俺も冷静な様で、冷静ではなかった。

 それよりも——。


「あの、アシルさん」

「あ? まだなんかあんのか?」


 ベッドから体を抜いて戻ろうとするアシルを、俺は止めた。


「便所マスターって、なんですか?」


 

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