3.探偵と漫画家(後編)

 クロガネ探偵事務所に密着取材を開始して早三日が過ぎた。


 ……三日。そう、三日だ。


『トラブルメーカー』と悪名高い探偵の元に魅力的なネタの一つも現れず貴重な時間だけが無駄に過ぎ去っていく事実に、剣崎弾銃朗は焦る。


 何故なら今回の密着取材の期間は四日間であり、本日がその最終日だからだ。


 取材で得られたネタを元に、二十五ページの原稿を完成させて出版社に送るまでの一連の作業を剣崎自身の体力込みで逆算すると、四日間が限界である。それ以上は間違いなく締め切りに間に合わない。


 だというのに。

 今日も探偵事務所ではクロガネは黙々と読書に耽り、美優はゲームで遊んでいる。


 口ではいくらプロの漫画家らしい持論を説いたとはいえ、刺激的な事件やネタをクロガネ達に期待していたのは否定できない。


 あまりにも厚かましく不謹慎な動機だが、密着取材を依頼した時点でクロガネも薄々こちらの狙いを察していたことだろう。その上で引き受けてくれただけでなく、毎日昼食まで提供してくれたのだ。これ以上に無い至れり尽くせりの環境下で「刺激的なネタを出せ」なんて言った日には確実に天罰が下る。


「とはいえ、これは……」


 この三日間で描いたネームを見直しては唸る。

 当初頭の中で描いていたハードボイルド要素は鳴りを潜め、ハートフルなコメディ路線に変わっていた。


「原稿を投稿する前に必ずモデル本人と確認・相談をする」という契約に基づき、二人にも一度見て貰ったところ。


 クロガネは「ここまで渋カッコイイおじ様のモデルが俺って、美化し過ぎでは?」

 何とも言えない微妙な表情で手鏡に映る自身の顔を眺め、


 美優に至っては目を輝かせて「良い、実に素晴らしい内容ですっ」と太鼓判を押してくれた。


 とりあえず、元ネタの二人から批判がなかったことに安堵しつつ、この路線で行く方針を固めた……までは良い。


 内容はコメディ重視とはいえ、要所要所でインパクトとギャップのある描写を取り入れたいのだが、これが中々難しい。

 作者自身が納得できる演出が、上手くイメージ出来ないのだ。


「それでも収穫はあったでござるな」


 この三日間、平和だったとはいえ決して無駄に過ごしていたわけではない。


 過去にクロガネが関与した事件の記録を見たり聞いたりしたのだが、事務所内のデータベースは個人情報も多分に含むからか美優によってその大半が閲覧禁止に設定されており、クロガネ本人の体験談も今以上に『トラブルメーカー』と揶揄されたり風評被害のことを気にしてか具体的には語ってくれなかった。


 クロガネにしろ美優にしろ、お互いのことを思い遣ったが故の情報制限と見た。

 うん、実に尊い。そんな二人の信頼関係も漫画に落とし込んでみよう。


 ネームの片隅に『二人の関係・良』とメモを書き込んでおく。



 ……。


 …………。


 夕刻。


 契約の期日を迎え、密着取材は終了となった。


「四日間、大変お世話になったでござる」


「いや、こちらこそ。大したネタも提供できずに申し訳ない」


 若干皮肉交じりに謝るクロガネに、「そんなことはないでござるよ」と社交辞令を返す。


 自宅兼仕事場である安アパートに帰宅する自分を見送るついでに、食材の買い出し目的でクロガネと美優が同行していた。


「だが欲を言えば、もう少し刺激的な事案も起きて欲しかったでござるなー」


「正直ですね」と笑う美優に、肩を竦めるクロガネ。


 何だかんだで四日間も同じ釜の飯を食った仲だ。本音が入り交じった冗談も軽く言い合える程には良い関係を築けたと思う。


 世間では『トラブルメーカー』だの『過激』だのと聞いていただけに最初は恐ろしい存在かと思いきや、実際に会ってみれば普通に善い人達だった。漫画家としては少し物足りない取材だったが、終わってみれば心地よい充足感があった。

 よくよく考えてみればクロガネ探偵事務所に密着取材をした所で、そう都合よく凶悪犯罪やトラブルなど起きるわけがないのだ。


 本当に不謹慎でござったな……。


 と。

 改めて反省した自分を天が知ってか知らずか。


 道中、『ざわ……、ざわ……』としている無数の人だかりに遭遇する。

 その向こうで悲鳴と怒声が聞こえた。


「……何かあったのですか?」

 と、誰よりも早く美優が近くに居た男性に声を掛ける。


「えっ、あ……?」

 振り向いた男性は突然絶句し、固まる。

 まぁ、訊ねて来たのが超絶美少女なのだから当然といえば当然の反応である。某もそうなる自信があるし、実際そうなった。


 しばし美優の容姿に見惚れていた男性だったが、彼女の背後に居たクロガネから睨まれて慌てて我に返る。かわいそうに。


「あ、えっと、この先のコンビニで、強盗が店員を人質に取って騒いでいるみたいで……」


「強盗!?」(美優)

「人質!?」(剣崎)


 二人で叫んで同時に振り返る。


「……何だよ?」

 実に嫌そうな顔を見るに、クロガネは二人が次に言わんとすることを察したようだ。


「「助けましょうっ」」(美優&剣崎)


「嫌だよ」


 即、拒否られた。


「契約が終わったにも拘わらず、漫画のネタのために危険な真似はしたくない」


「そそ某は、べ別にィ」


「すんげぇ目が泳いでます、先生」

 ジト目で呆れるクロガネから、目どころか顔ごと逸らす。図星だ。


 不謹慎だが、クロガネの実力を生で拝見できる千載一遇のチャンスだったのに。


 周囲から聞こえる情報と人垣の合間から見るに、どうやら拳銃を持った男がコンビニ内に立て籠もっているらしい。

 警察がまだ現場に居ないことから、強盗騒ぎは今しがた起きたばかりのようだ。


 凶器が拳銃だけに周囲の野次馬たちはコンビニから距離を取っているが、好奇心には抗えないのか遠巻きにPIDで動画や写真を撮影している。今頃SNSはリアルタイムでお祭り騒ぎだろう。


 と思っていたら、突如周囲からどよめきが起こる。


 見れば件の強盗が、男子大学生くらいのアルバイト店員を人質にして外に出て来たのだ。大柄の体躯たいくに野球帽とマスクを着けており、右手の拳銃を人質の頭に突き付けて「車を寄越せッ!」と叫んでいる。


「警察に包囲される前に逃げようとしてるな。一人で逃げれば良いものを、人質まで連れ出したら足手まといだろうに」


「店内のセキュリティレベルは……コンビニだからか銀行などと違ってザルですね。防犯カメラに買い物客応対用のAIを積んだ店番ロボットが一機だけで、非殺傷性電気銃テーザーガンすら装備されてません。だからこそコンビニを狙ったのでしょうが」


「……助けないのでござるか?」

 冷静に状況分析する機巧探偵たちに期待の眼差しを向けるも、


「ええ。下手に刺激したら人質も野次馬も危険です。しかも凶器が拳銃なら、動画なんか撮ってないですぐに逃げるのがベストですよ。てなわけで、全部警察に任せてこの場を離れましょう」


「ちょっ、ちょっと待つでござる!」


 あっさりと犯行現場から背を向け、迂回しようとするクロガネを慌てて引き留める。


「いや、しかし、見殺しにして良いのでござるか?」


「良いんです」


 即座に。

 はっきりと。

 そう断言したクロガネの鋭い目に、思わず身が竦む。


「凶悪犯罪に遭遇したら、まずは身の安全を最優先。次に警察や救急の邪魔にならないこと。それが今、無関係な一般人がすべきことです。下手に関わって被害が大きくなったら、罪悪感は見殺しの比じゃありませんよ」


 正論だ。そのあまりにも冷静な判断に何も言えなくなる。


「とにかく、周りの人にも声を掛けて避難を」


 冷静なクロガネの指示を、一際大きな悲鳴が遮った。


 見れば、強盗が大学生から手近に居たと思しき幼稚園児くらいの男の子に人質を替えたのだ。逃走しやすいように小柄で軽い子供を選んだのだろう。先程の悲鳴はその子の母親のもののようだ。


「クロガネさん」

「ああ、状況が変わった」


 美優の呼び掛けに即答したクロガネは、懐から小型リボルバーボディガードを抜いて蓮根型の弾倉シリンダー振り出スイングアウトし、フル装填された弾丸の雷管に傷が無いのを確認してから静かに弾倉を戻した。


 それが何を意味するか、語るまでもない。

 だが、迷いも躊躇いもなく強盗の方へと向かう機巧探偵たちの姿に理解が追い付かない。ついさっきまで保守的な言動をしていた筈なのに、何故急に?


「ちょっ、二人とも?」


 戸惑う某の声をよそに、二人は一定の距離を置いて強盗と対峙する。


「何だオメェらッ!?」


 強盗だけでなく、人質の母親も、周囲の人間からも注視された中で、美優が両手を上げて数歩前に出た。


「人質の交換を提案しに来ました。その男の子の代わりに、私が人質になります」


「あァッ!?」


 凛然とした良く通る声で申し出た美優に対し、ガラの悪い声を上げる強盗。


「私は女で力も弱いですし、貴方が逃げる足手まといにはならないと思いますよ?」


 その自己犠牲ともいえる自己PRに、強盗は恐怖のあまり泣き出してしまった男の子を鬱陶しそうに一瞥すると、美優の頭から爪先まで嘗め回すように見てニヤリと口角を吊り上げる。


 ゾッとした。

 あのゲスい笑みは、人質以外の価値を美優に見出したのだとすぐに解った。


「いいだろう、こっちに来い」


 促された美優は表情を変えずにゆっくりと強盗の方へ向かう。


 ハラハラしながら彼女の後方で待機しているクロガネを見る。

 冷静を通り越して冷徹かと思わせるような無表情だ。

 確かに幼い子供の身の安全を優先させたとはいえ、引き換えに大事な助手を差し出すなど普通は冷静でいられない――


 ――そこで気付く。


 強盗を刺激しないよう、銃は懐に収めているためクロガネは今手ぶらの状態だ。その両手が、強く握りしめた両の拳が、微かに震えている。


「黒沢氏……」


 平静に見えてその実、内心は決して穏やかではなかった。

 子供の命と自分達の命。

 両者を天秤に掛けて二人は迷わず前者を選んだ。

 言葉を多く交わさず、身の危険を省みないその決断に、その覚悟に、何よりも二人の信頼関係に尊敬と感銘を覚える。


「ハードボイルド……」


 その在り方はまさに、漫画家・剣崎弾銃朗が描きたかったものではないか。


 やがて美優が強盗の手の届く位置まで行くと、強盗は男の子を横に突き飛ばしたその手で美優の肩を掴み、乱暴に引き寄せた。

 突き飛ばされて泣きじゃくる我が子を抱き上げた母親は、感謝と申し訳なさが入り混じった表情で美優を見たのも一瞬のこと、すぐさま危険地帯から引き下がる。


 子供の安全が確保されたのを見届けたクロガネが、ここで動いた。


「ッ、何だオマエッ、止まれッ!」


 強盗が銃口をクロガネに向けるも、クロガネは止まらない。


 まるで散歩のように一定の歩調で間合いを詰めながら、懐に手を伸ばしてリボルバーを抜いた。


「「「なッ!?」」」


 これには誰もが驚愕し、一触即発の危険な空気に誰もが息を呑む。


「う、動くなッ! こいつがどうなっても良いのかッ!?」


 強盗が拘束した美優の頭に銃口を突き付けると、五メートル程の距離を置いてクロガネは立ち止まる。


 そして空いた手で強盗を……正確にはその手に握られた自動拳銃を指差して、


「素人だな。それでは脅しにならない」


 いきなりのダメ出しに、「……は?」と呆気に取られたのは強盗だけではない。某も周囲の者も似たような反応を示した。


 緊迫した状況に突然生じた僅かな虚を突き、クロガネは続ける。


「ブローバック式のハンドガンは銃口を押し付けてしまうと、激発装置がロックされて撃てなくなってしまうんだ。人質を撃つつもりなら、頭と銃口の間に間隔を開けろ」


 戸惑った様子で強盗はクロガネと自身の銃を交互に見ると、美優の頭に突き付けた銃口を少し離した。素直だな、おい。


「それともう一つ。人質に銃を向けるということは、眼前に構えている敵に対しては」


 クロガネはおもむろにリボルバーの銃口を強盗に向けた――


「完全に悪手だ」


 ――瞬間、咄嗟に強盗が銃口をクロガネに向けた……時すでに、クロガネは鋭い踏み込みで一気に間合いを詰めつつ地面スレスレに姿勢を低くして射線から外れると、体軸を捻って強盗の拳銃を蹴り上げた!


 バスッ!


 強盗の手から拳銃が弾き飛ばすと同時に暴発を起こす。

 周囲が騒然となるも、銃口が上を向いたことで放たれた銃弾は人の居ない空へと飛び去った。いや待て、あの銃はもしかして……?


 クロガネの奇襲に怯んだ一瞬の隙を突き、美優は自身を拘束する強盗の左腕からするりと抜け出してその手を取りながら背後に回り込むと、強盗の膝裏を蹴ってひざまずかせる。

 その時には、武器を失った右手側をクロガネが絡め取って美優と同様に強盗の背後へと回り込み、二人分の体重を乗せた当て身で強盗を地面に押し倒した。


 直後。


「確保ォーッ!」


 この瞬間を待ち構えていたかのように、警察官三名が一斉に駆け込み、機巧探偵たちと入れ替わるようにして強盗を押さえ込むと、その両手に手錠を掛けて無力化する。


 その瞬間、現場周辺から安堵の息と共に歓声と拍手が上がった。



 ***


「まったく、ひどい目に遭った……」


 警察署の裏口から出るなり、クロガネは疲れた声でそうぼやく。


 成り行きで強盗犯逮捕に尽力した結果、後から現れた警察官に事件当事者として任意同行を求められたのだ。

 美優を衆人環視から遠ざける必要もあって素直に応じたが、終わる頃にはすっかり夜になってしまった。

 話を聞き付けた顔馴染みの中年刑事の口利きが無ければ、もっと長引いていたかもしれない。


「清水刑事に感謝ですね」

「そうだな」と美優に同意する。


 清水が現れなかったら、いつまでも皮肉と嫌味まじりの取り調べをされていたと思うとウンザリする。

 以前から警察関係者との仲が悪いとはいえ、今回はこちら側から一発も発砲せず、極力被害を出さずに立ち回ったというのに。


「マスコミの取材は受けないのですか?」


 警察署の正面玄関側は今、多くの報道陣が詰め掛けている。

 先程の逮捕劇で大活躍してしまったが故に、マスコミからマークされてしまったのだ。


「受けない。目立つのは嫌いだし、疲れる」


 そのためにわざわざ裏口から出たのだ。


「トラブルメーカーのイメージを払拭する良い機会でしたのに……」


「それは目撃者たちが勝手にやってくれる」


「物凄くバズってましたしね」


 事実、二人の活躍の一部始終は現場周辺に居た目撃者たちによって写真・動画が撮影されていた。

 SNS上では既にその動画が複数投稿され、【クロガネ探偵事務所】がトレンド入りする程にバズっている。


「さて、帰ったら夕飯は何にするかな……」


「お疲れのようですし、インスタントやレトルトでも私は構いませんよ」


 関係者専用駐車場に停車しているタクシーの元へ向かう。聴取が終わった後マスコミを振り切る目的も兼ねて手配していたのだ。


 ちなみにタクシーをはじめ、バス・電車といった鋼和市内の公共交通機関の乗り物は全てAI制御の無人運転である。


 その無人である筈のAIタクシーの助手席側のドアが開き、誰かが降りて来た。


(待ち伏せ……!?)


 咄嗟に美優を庇いつつ懐のリボルバーに手を伸ばしたクロガネの前に現れたのは、


「お疲れ様でござる、黒沢氏」


 直近の依頼人、漫画家・剣崎弾銃朗その人だった。


「剣崎先生? 何故ここに?」


 リボルバーのグリップを握って警戒を維持したまま訊ねる。


 強盗の一件があって別れが有耶無耶になってしまったが、剣崎の依頼は任期満了した筈だ。わざわざ今になって会う理由が無い。


「なに、密着取材の延長を依頼しに来たのでござるよ」


 そう言う剣崎も早過ぎる再会に思う所があるのか、どこか照れ臭そうだ。


「延長、ですか?」


「ええ。延長分の報酬は交通費と」


 剣崎はAIタクシーを指差し、


「夕食代で如何いかがかな? 奢るでござる」



 ***


 優雅の名を冠する【BAR~grace~】。

 鋼和市東区の一角に、そのバーがある。


 近代的な高層ビルが多く建ち並ぶ経済区において、静かな佇まいを感じさせるシックな店構えだ。


 店内に足を踏み入れると、控えめな音量で流れるジャズが出迎える。

 その穏やかな曲調と深みのあるブラウンカラーの木材を使用したモダンスタイルの内装がベストマッチし、安らぎある空間を演出していた。


 酒やドリンクのボトルが整然と並んだカウンターでは、背筋を伸ばした壮年のマスターがカウンターテーブルに着いた客人の話し相手になりつつも、その合間に無駄なく流れるように料理やカクテルを作っては注文した客人たちに振る舞っていた。


「はぁ~」

 四人掛けのテーブル席の上座に着いた剣崎は、感心したように店内を見回すと、クロガネに向き直る。


「さすが黒沢氏、お洒落なお店をご存じで」


「昔から馴染みのある所です。昼は喫茶店にもなりますよ」


「それはそれは。今度また来てみるでござるよ」


「どうぞご贔屓に。それでは」


 各自飲み物のグラスを手に取る。

 クロガネはジンジャーエール、美優はオレンジジュース、そして剣崎はビールだ。


「「「乾杯」」」」


 互いのグラスを当てると、先程の逮捕劇を肴に晩餐が始まった。


「あの強盗が持っていた銃、エアガンでござろう?」


「解りましたか?」

 相槌を打ちつつ、注文した料理を手際よく人数分に取り分けるクロガネ。

 サラダを始めカプレーゼ、マルゲリータピザにパスタと、この店の料理はイタリアンが中心だ。


「そりゃあ某も資料用としていくつか持っているし、銃声も思いのほか迫力が無かったからすぐに解ったでござるよ」


 そもそも銃器に関しては、国内では銃刀法によって厳しく取り締まれている。一般人が入手できる銃といえばエアガンやモデルガンに限定されるのだ。


「黒沢氏も解っていたでござろう?」


「いや、暴発するまで解りませんでした」


「そうなのでござるか?」

 意外そうに訊ねる剣崎に、クロガネは「ええ」と頷く。


「最初から実銃であると想定していましたから」


「……なるほど」

 納得した剣崎は、クロガネが銃口を空に向くようにして蹴り飛ばした時のことを思い出す。


「そういえば、あの時の蹴り技は一体何でござるか? 四、五メートルも離れた間合いから一気に届くなんて、某も初めて見たでござる」


「あれは躰道たいどうでいうところの『旋状蹴り』を、私なりにアレンジしたものです。躰道はあれくらい離れた間合いで戦うのが基本でして、体をねじってリーチを伸ばしたり、より威力を上乗せすることが出来るんですよ。一度地面に向かって倒れるため、相手からしてみれば突然視界から消えた次の瞬間には死角から蹴りが飛んでくる……いわば、初見殺しの技です」


「ほほう」と食事そっちのけでメモを取る剣崎。


「では、美優さんの動きも?」


「私はクロガネさんから護身術を少し教わったくらいです。あそこまで本格的なものはとても……」

 と言葉を濁す美優。

 ガイノイドである彼女は単純な力任せの動きだけでも充分強く、その気になれば腕一本で体重八十キロはある大男を投げ飛ばすことも可能だ。


「黒沢氏は銃を抜いたのに一発も撃たなかったのは、何か理由が?」


「ええ」と肯定したクロガネは指を一本立てる。


「まず、銃を抜くことで犯人の意識を周囲の人達から逸らすのが第一目的」


 指を二本立てる。


「次に、私が銃を構えたことで美優から銃口を外すのが第二目的」


 指を三本立てる。


「同時に、蹴りが確実に届く位置にまで銃を持った手を動かして貰うことが第三目的です。上手くいって良かったですよ、本当に」


「はぁ~スゴイでござるな、そこまで計算に入れて……」

 と。

 感銘を受けている剣崎は知る由もないが、当時のクロガネは別の意味でヒヤヒヤしていたのだ。


 安藤美優は恐れ多くも鋼和市で最大権力を持つ獅子堂家の一員であり、クロガネは保護者として美優を預けられた立場であるにも拘らず、人質という危険な役目を彼女に背負わせてしまったのである。

 万一、美優の身に傷が一つでも付くようなものなら、彼女の実家から怒られるだけでは済まされないだろう。無事に事件解決したことに誰よりも安堵していたのはクロガネだった。


「何だかんだ、撃ち合いで被害を出さないことが最優先でしたから。今回はハッタリで抜きましたが、銃なんてものは日本刀と一緒で、抜かず使わず穏便に場を収めるのが一番です」


 感心する剣崎はふと、あることを思い出す。


「話が変わって恐縮でござるが、お二人が突然犯人を取り押さえることにした理由は何でござるか? それまでは警察に丸投げで避難しようとしていたのに」


「あー……それは……」


「犯人が子供を人質に取ったからです」


 何故か言い淀むクロガネに代わり、美優がそう明かした。


「子供を?」


「……私から話しても良いですか?」


 詳細を促す剣崎を前に、美優は一度クロガネに確認を取る。


「いや、俺が話す」


 やんわり断ったクロガネが、ドリンクを一口飲んでから語った。


「……少し調べれば解ることですが、私がこれまで請け負ってきた依頼の中で特に過激な解決手段を用いた背景には、当事者問わずが挙げられます」


 クロガネは慎重に言葉を選びながら続ける。


「詳細は省きますが……私は過去にとある事件で、私のすぐ目の前で五歳の男児が射殺されたことがありまして……それ以来、子供や依頼人の危機は迅速かつ確実に排除することを優先して仕事をこなしていたら、いつの間にか『トラブルメーカー』呼ばわりされていまして」


「それはまた、壮絶でござるね……」

 剣崎も気の利いたことが言えず、ただ絶句する。


「そんなトラウマを抱えたばかりに、子供を人質にした犯人が許せなかったという個人的な理由ですよ。直前まで『下手に関わって被害が~』とか先生に言っていた舌の根も乾かぬ内に、自分から首を突っ込んだら世話ないです」


 保護者でありながら美優を自ら危険に巻き込んでしまった自覚も負い目もあるのだが、あの時ばかりは何が何でも子供の命を優先して動いてしまったのだ。

 他ならぬ美優が何も言わずに付き合ってくれたとはいえ、今思えば軽率で迂闊な判断である。


「だがお二人が動いてくれたお陰で、某も含め誰も犠牲にならずに済んだでござる。ありがとうございます」


「いえ、そんな……」


 テーブルに額を付けるくらいに、深く頭を下げる剣崎に返って恐縮する。


「お陰で漫画の構想がばっちりイメージ出来たでござるよ。何度お礼を申し上げても足りないくらいでござる」


「……そういえば、締め切りは大丈夫なのですか?」


「全然問題ナッシングでござるっ」


 美優の心配もどこ吹く風と、剣崎はとても良い笑顔でサムズアップ。


「明確なイメージが出来てさえいれば、最終ページの最後の一コマまで描き切れるでござる」


「それはスゴイ。結局締め切りに間に合わなくて、アシスタントの依頼はして来ないでくださいね」


「HAHAHA、黒沢氏は冗談が上手いでござるな~」


 上機嫌で酒が進む剣崎に「本当に大丈夫なのだろうか?」と心配するも、本人が言うのなら大丈夫なのだろう。


 せっかくの奢りだ、とクロガネと美優は思い直して食事を楽しむことにした。



 ……余談だが。


 翌日二日酔いでダウンした剣崎弾銃朗は、締め切りまで残り二日という自業自得かつ切羽詰まった修羅場に陥ったと本人から連絡があった。言わんこっちゃねぇ。



 数日後。



「それでもちゃんと間に合わせるのは流石だよな」


「やはり人間の力はスゴイですね」


 呆れと感心を抱きながら、クロガネと美優は事務所のソファーに揃って座り、週刊漫画雑誌を読んでいた。


 お目当ては勿論、剣崎弾銃朗の新連載作品である『FULL BREAK BEATS』――その記念すべき第一話である。



 ――とある冷徹な殺し屋は、かつて気紛れで救った少女に懐かれてしまい、二人の再会を機に殺し屋として恐れられるのではなく、皆に愛される探偵に転身する――という内容だ。


 殺し屋から探偵に、という図らずも運命的な構図にクロガネは引き込まれていく。


 ――天真爛漫で殺し屋に一途な少女に振り回されては毎回トラブルに見舞われ、それを殺し屋が何とか解決する度に周囲から感謝される。その過程で殺し屋にとっても、少女が掛け替えの無い存在となっていく……。


 その王道なストーリーに、不覚にも胸が熱くなった。


 二十五ページあった第一話を一気に読み終え、クロガネと美優は万感の想いで一息つく。


「良い内容でしたね」


「ああ、結構面白かった」


「主人公がやたら渋カッコいいイケオジでした。少年漫画主人公にあるまじき年齢設定ですが、この落ち着いた雰囲気にどこか大人の色気を感じます」


「ヒロインの子も良いキャラしてたな。主人公に救われるまで重くてダークな出来事があったのに健気で一途とか、本当に善い子だろ」


「この二人のモデルが私達って、不思議な感じですね」


「そうだな。俺もいつかは、こんなおっさんになってみたいものだ」


「きっとなれますよ」


「……だと良いな」


 疑いのない綺麗な笑顔に気恥ずかしくなったクロガネは席を立ち、コーヒーを淹れに行く。


「そういえば、剣崎先生からの報酬は『FULL BREAK BEATS』単行本の売上金から一%分を毎月払うってことでしたよね」


 出世払いとはいえ、漫画家らしい報酬だと今でも思う。ここまで珍しい契約を交わした依頼人は、剣崎弾銃朗が初めてだ。


「ああ、ヒットして連載が続けば続くほど俺達もウハウハ。こけて打ち切りになれば、俺達もしょんぼりだな」


 ちなみに打ち切りが決まった場合、連載は最低でも単行本三巻分まで続くものらしい。


「ヒットしたら、何買います?」


「そうだなー」


 美優に問われて、手元のインスタントコーヒーに目を落とす。


 ……クロガネ探偵事務所に高価なコーヒーメーカーが置かれ、日常的に高品質のコーヒー豆が仕入れるようになるのは、それから数ヶ月後のことだ。

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