1.夏祭りと安らぎ

  ――鋼和市こうわし

 伊豆諸島と小笠原諸島のほぼ中間に浮かぶ人工島そのものが、サイボーグやサイバー技術などの先端技術を十年先取りした実験都市。


 同時に、今や人間が生活する上で欠かすことの出来ない高性能自律管理型AI〈サイバーマーメイド〉の七号機――〈日乃本ナナ〉を破壊目的としたサイバーテロなど、世界でも類を見ない高度なサイバー犯罪が起こる街でもある。


 そんな未曾有な大事件を未然に解決したとして、鋼和市北区の一角にある『クロガネ探偵事務所』の世間的評価は、



 ***


「その未曾有な大事件を未然に解決した美優ちゃんMVPに対して、雇い主から何かご褒美はないわけ?」


 八月上旬某日、いつものようにアポなしで探偵事務所に現れた海堂真奈かいどうまなからそんな苦言を受けたクロガネこと黒沢鉄哉は、


「ご褒美、か……」

 思う所があるのか思案顔を作る。


 確かに先月のVRゲームを利用したサイバーテロを解決に至った主な要因は、探偵助手である安藤美優の手腕によるものが大きい。

 それは雇用主兼保護者であるクロガネも充分に理解していた。


「……具体的に何をやれば良いのか解らん。臨時ボーナスでも出せば良いのか?」


「確かにそれは無難だけどさ、一緒に住んでいるんだし、もっとこう……何かあるじゃない?」


「そう言われてもな……金銭以外でとなると、何が良いんだろ?」

 真剣に悩む。


 今春、美優を助手として雇った以降、『鋼和市随一のトラブルメーカー』と悪名高い『クロガネ探偵事務所』の評判は上昇傾向にある。

 やはり、件のサイバーテロを解決したのは大きかった。

 その功績と日頃の恩に感謝する意味でも、真奈の言うように給料以外の何かを与えたいとは前々から考えてはいたのだ。


 ちなみに、当の美優は夕飯の買い出しで現在不在だ。

 だからこそ、真奈からご褒美の話を切り出したのである。


「……ボーナス分の服とか、アクセサリー……とか?」


「いや、『そんな高価な女物を選ぶセンスなぞない、どうしよう……』みたいな顔と声で訊かれても……」


 よく解ったな。


「実際のところ、経済面でまだ不安があるんでしょ?」


 本当によく解っているな。


「……美優のお陰で少しずつ稼げてはいるが、借金の額が桁違いだからな。毎月稼いだ分の六割は獅子堂に納めているし」


 鋼和市の開発スポンサーにして実質真の支配者である獅子堂重工。

 美優は獅子堂製の高性能ガイノイド(女性型アンドロイド)であり、彼女を買い取った金額は四億八千万円。

 その直前の依頼を解決した報酬(厳密にはキャンセル料)一億円を充てたため、残りの三億八千万円は分割で毎月少しずつ獅子堂家に払っているのだ。


「別にお金じゃなくてもさ、例えば旅行にでも誘ってあげたら?」


「旅行と言ってもな……


「……ごめん、今のは私が悪かった」

 気まずそうに真奈は頭を下げた。


 鋼和市は現行世界最先端技術を有する実験都市である。市外に技術漏洩や流出を防ぐため高度な『安全装置』が施されているのだ。


 当然ながらガイノイドである美優の存在は勿論のこと、クロガネの命そのものである疑似心臓も例外ではない。

 彼の心臓は美優の開発者である獅子堂莉緒ししどうりおによって造られ、バイタルサインと動力源は獅子堂家に完全管理されており、その有効稼働範囲は鋼和市全域までとなっている。


 つまり。


 鋼和市を一歩でも外に出たその瞬間に、クロガネと美優は本当の意味で死んでしまうのだ。


 自身の失言に落ち込む真奈に、どう声を掛けるべきかクロガネが悩んでいると、


「ただいま戻りました」

 おつかいに出ていた美優が帰還し、これ幸いと二人は彼女に笑顔を向ける。


「おかえり」

「おかえり美優ちゃん、お邪魔してます」


「真奈さん、いらっしゃい。買って来た食材を冷蔵庫にしまってきますね」


 ぱたぱたとキッチンに向かった美優を見送ったクロガネは、


「いっそのこと、本人に訊いてみるか?」


 と真奈に提案する。


「美優ちゃんが欲しがるものなんて、想像つかないけど」


「ガイノイドだしな」


 いくら精巧に造られたといえど、アンドロイドとガイノイドは広義的には機械人形オートマタに分類される。

 そして機械人形の一般的な定義は『人間に奉仕する日用品の一つ』であるため、彼らから積極的な欲求を提示することはまずない。


「だけど美優ちゃんは特別だからね。案外、人間らしい欲求も自分の中であるかもしれないし、訊いてみたら?」


 機械義肢を専門とする研究者目線で、真奈はクロガネの提案を支持する。


 若くしてこの世を去った天才科学者・獅子堂莉緒が造った『人間に限りなく近い特別なガイノイド』、それが安藤美優だ。


 現に探偵助手という今のポジションは、クロガネがスカウトという提案と選択肢を与えたとはいえ、結果的に彼女自身の判断で得たものである。

 あれから約三ヶ月が経過し、美優のAIも相当学習が進んだことも踏まえると、興味深い返答があるかもしれない。


「美優ー、ちょっと良いか?」


 買い出した物をあらかた片付け終えたのを見計らい、美優を呼ぶ。


「はい、何でしょうか?」


「先月解決したVRゲームの事件を憶えてるか?」


「FOLの件ですね? 勿論です」


「あの件で最大の功労者であるお前に何かご褒美をと考えていたんだけど、何か欲しいものはあるか?」


「えっ、ご褒美……ですか?」


 目に見えて戸惑う美優に、思わず笑ってしまう。


「特に深い意味は無いんだが、日頃お世話になっているお礼も込めて、何かあげたいなと」


 クロガネからの突然の申し出に困惑した美優は、「どうすれば?」と言わんばかりに近くに居た真奈を見る。

 ニヤニヤした真奈が「貰っとけ貰っとけ」と頷いた。


「……そのご褒美に関して、何か制限はありますか?」

 そう確認してくる辺り、何か欲しいものがあるようだ。


 そうだな……とクロガネはしばし考え、


「金額の上限は、給料二ヶ月分までとする」


「そこは三ヶ月分じゃないのかよ」

 と、真奈が指摘するが無視する。

 これでも太っ腹で破格な条件だと思っている。


「金銭面に関しては問題ありません」と美優。


 借金苦の真っ只中にある貧乏探偵にとって、それはありがたい。


「で、何が欲しいんだ?」


 美優はすっと手を伸ばし、そのしなやかな指をまっすぐに向ける。


 ……クロガネの顔に。


「クロガネさんが欲しいです」


「却下」

 と即答したのはクロガネ……ではなく、真奈だった。


「外野はお黙り下さい」


「お黙りになるか、いきなり直球で要求すんなし。鉄哉も困ってるでしょっ」


「えっ」

 真奈の発言に衝撃を受けた美優は、恐る恐る上目遣いでクロガネに訊ねる。


「……そう、なんですか?」


「あー……何と言うか」


 今にも泣き出しそうな美優に対し、慎重に言葉を選ぶ。


「一緒に住んでいるわけだし、その要望は既に叶っているようなものじゃないか?」


 そう言った途端、美優が勝ち誇ったようなドヤ顔を真奈に向ける。


「本人より既成事実のお言葉を頂きました」(どやぁ)


「都合よく拡大解釈すんな! 勘違いも程々になさい!」


 まるで嫁と姑のような口喧嘩だ。

 流石にこれ以上騒がれたら本当に困るので話を戻す。


「それで他に欲しい物は無いのか? 俺に出来る範囲なら何でも良いぞ」


「ん? 今、何でもって?」

 ぐりんと首を回して真顔で訊ねる美優に、


「出来る範囲で、って言ってたでしょ」

 呆れた真奈がさとす。


 うーん、と美優が悩んでいると、「そういえば」と突然何かを思い出し、ポケットから四つ折りにされた広告チラシを取り出した。


「先程買い物をしてた時、商店街でこれが配られていました」


 チラシを受け取ってみると、花火のイラストに『鋼和市夏祭りのお知らせ』とポップ調で書いてあった。


「ああ、もうそんな時期か」

 毎年全国各地で催される夏の風物詩だ。鋼和市も例外ではない。


「これ、クロガネさんと行きたいです」


 眼を輝かせる美優。

 彼女はこの手のイベントを一度も体験したことが無いので興味津々だ。


「それなら良いんじゃない? ついでに浴衣も買って貰いなさいな」


 アドバイ真奈ザーから及第点のお言葉を頂く。

 思ったより安上がりなのは正直助かるが。


「こんなので良いのか?」と真奈に訊ねる。


「良いの良いの。せっかくだし、鉄哉も浴衣くらい着てみたら?」


「夏祭りにドレスコードなんて特に無いだろ?」


「雰囲気は大事、って毎年言ってるでしょ」


 真奈の発言に美優が「えっ」となる。


「お二人は、毎年夏祭りに参加されていたのですか?」


「ああ。二回ほど」

 何故か「しまった」と言わんばかりな表情になる真奈をよそに、クロガネはあっさりと肯定する。

 改めて考えると、真奈とは三年以上の付き合いだ。


「と、とにかく、美優ちゃんにとっては初めての夏祭りなんだから、空気を読んで合わせなさい! これから二人の浴衣を買いに行くよ!」


 美優からの追及を避けようと強引に話を進める真奈に、やれやれとクロガネは外出の支度をする。

 閉店間近で依頼人が現れる気配も無いため、このまま真奈の提案に乗ってみるのも悪くない。個人的に美優の浴衣姿に少し興味がある。


「行きましょう美優ちゃん、鉄哉のお金で可愛いの選んであげるわ」


「アッハイ、よろしくお願いします」


 真奈の勢いに飲まれるまま頷く美優。

 何だかんだで仲が良いのは良いことだ。



 ***


 そして夏祭り当日。


 夕方の涼しくなった時間帯に会場である南区の河川敷広場を訪れると、祭囃子まつりばやしと盆踊りをBGMに様々な露店が立ち並び、既にカップルや学生仲間、子供連れなど大勢の人で賑わっていた。


 鋼和市が人工島に開発されてまだ歴史が浅い実験都市といえど、古き良き時代昭和の雰囲気を再現したレロ区で開催される夏祭りは、不思議と懐かしいノスタルジックな気分になる。


「ゎぁ……」

 それはガイノイドである美優も同じであるようだ。


 白い生地に、赤や紫、ピンクなど可愛らしい花柄の浴衣を着て髪をアップにまとめた彼女は義眼を大きく見開き、初めて目にする光景に感動している。


「よし、早速見て回るか」


「あれ? 真奈さんは来ないのですか?」


「運が悪いことに、仕事なんだと」


 ……嘘である。

「今回は美優ちゃんのご褒美だから」と、真奈が気を利かせて辞退したのだ。別に本人は気にしないだろうと言ったが、「こういうのは気分だ、空気読め。そしてちゃんとエスコートしてこいっ」と何故か怒られた。解せぬ。


「それじゃあ今夜は、私がクロガネさんを独り占めですね」


 割と二人きりの時間は多いだろ、と言うのをぐっと堪えて「そうだな」と返す。

 にこにこと嬉しそうに笑う美優に、客観的事実を言うのは流石に野暮というものだろう。


「それじゃあ、行くか」

「はいっ」


 機巧探偵たちは、賑やかな雑踏の中へと入っていく。


 かき氷にたこ焼き、チョコバナナ、クレープ、わたあめ、りんご飴、輪投げに射的に金魚すくいと、多種多様な露店をクロガネと美優は順番に見て回っていた。


 美優にとっては何もかもが新鮮で義眼に映るもの全てが初めてのものばかり。物珍し気にキョロキョロと忙しなく辺りを見回す彼女の手を取り、クロガネはゆっくりと連れ歩く。


 その道中で。


「あ、清水さん」


 意外な所で、知り合いの中年刑事を見付けた。

 向こうも気付いたようで一瞬「ん?」と眉を潜めるも、


「……ああ、黒沢に美優ちゃんか。めかし込んでて一瞬誰かと思った」


 と、焼きとうもろこし片手に寄って来た。


「美優ちゃんの浴衣、華やかで似合ってるなぁ。その花柄はアサガオかい?」


「ありがとうございます。少し似ていますが、ペチュニアという夏のお花だそうです」


「ほぅ、なるほど。それにしても」


 やや照れた様子の美優を微笑ましく見た清水は、次に意外そうな目でクロガネを見やる。軽く訊いてみたら知らない花の名前が返ってきたため、咄嗟に話題を変えたのだろう。


「黒沢も、いつも葬式みてぇな格好をしているもんだから、本当に一瞬誰か解らなかったぞ。眼鏡もしてないし」


「まぁ、たまには良いかと思って。あと葬式は言い過ぎじゃない?」


 真奈の助言(いや命令?)に従い、クロガネも紺色の甚平を着ている。

 浴衣と甚平の二択で何故か真奈は浴衣を推してきたが、動きやすさ重視で後者を選んだのだ。


「眼鏡なしで見えるのか? コンタクト?」

「いや、裸眼。そもそもあの眼鏡に度は入ってない」


 仕事用の多機能眼鏡を置いて来たのは、完全オフだからで他意は無い。

 ちなみに同じ理由で護身用の銃も置いて来ているが、もうすぐ始まる花火大会に銃声は無粋だろう。義手があれば充分だ。


「清水さんこそ、今日は非番か?」


 本職は刑事課の刑事である筈の清水は、半袖のポロシャツに半ズボンの軽装だ。カジュアルなショルダーバッグを肩に掛けている。


「というと仕事中か、お疲れ様です」

「お疲れ様です」


 軽く肩をすくめておどける清水は非番ではなく、私服警官として夏祭りの巡回をしていたようだ。バッグには恐らく有事の際の警棒や手錠などが入っているのだろう。

 クロガネと美優は、軽く一礼して清水を労う。


「なに、せっかくの夏祭りだ。俺に気にせず楽しんでくれ。じゃあな」


 とうもろこしを軽く振って背を向けると、そのまま清水は人混みの中に消えていった。


「清水さんも、本当は手放しでお祭りを楽しみたかったのでしょうか?」


「これも仕事だ、仕方ない。本当に楽しむ時は、きっとご家族と一緒だろう」


「……ご家族、いらしたのですか?」


 少し驚いた様子の美優に頷く。


「ああ。少し前に、奥さんと小学生の息子さんが居ると聞いた。単身赴任なんだとさ」


「そうでしたか……それは少し、寂しいですね」


「そうかもな。だけどその時に、『黒沢と居ると寂しく思う暇も無い』とか皮肉ってたけど」


「皮肉と解る辺り、クロガネさんも良い性格をしてます」


「やめろ、照れる」


「褒めてません」


 気を取り直し、二人は散策を再開する。



 その後、お面屋に立ち寄った際は。


 美優がデフォルメされた狐の面を気に入った様子なので買い与えると、彼女はそれを顔の横に着ける。


「予習にと縁日の画像を検索していたら、お面をこんな風に着けている人を見付けたので」


 実際は美優のように後ろ髪をまとめたらお面が着けづらいことと、視界の邪魔にならないようにするために顔の横に着けているのだろう。


 それはそれとして。


「確かに、お祭りの雰囲気あるな」


「……えへ」


 はにかむ美優を見て、彼女が楽しければ何だって良いと思うクロガネだった。



 射的では……。


「こんなコルク弾と威力の弱い空気銃だなんて……物理学や統計学の観点から見ても、あの一等のゲーム機を撃ち落とすことなど出来ませんよ」


 そう言いつつ真顔でゲーム機を狙う美優に「そうだわな」と同意する。


 ポンッと音を立てて放たれたコルク弾は、ゲーム機箱の中央に命中するも、微動だにしない。


「……絶対に撃ち落とせない高価な商品を並べるなんて、流石に詐欺なのではないでしょうか?」


「大丈夫、それは最初から皆解り切っていることだから」


 悔しそうな美優を冷静になだめるクロガネ。


「……もしかして」

 突然何かに気付く美優。


「この射的には、裏ルールが存在するのでは?」


「どんな?」


「……例えば、ここの店主の急所を狙い撃てば、無条件であのゲーム機が」

「貰えないから。お店の人に向けるんじゃない」


 やんわりと銃を下に向けさせる。


 ……結局、射的の戦果はキャラメル箱一つだけだった。



 金魚すくいでは……。


「……解せません」

 膝を抱え、破れたポイを睨んだまま憮然ぶぜんとなる美優。


「まぁ、金魚すくいってそんなものだよ」


「ええ、解っています。これもゲームである以上、一人の客に金魚を乱獲されないよう平等性と回転率に配慮されたルール上での道具であることも充分に理解しています。ですが、これは……」


 理解しても納得できないようだ。

 の金魚すくいで既に十連敗しており、未だに一匹も取れず攻略の糸口も掴めないのであれば悔しがるのも無理は無い。


 ちなみに一般の金魚すくいが一回二、三百円が相場であるにも拘らず、この金玉すくいがやけに割高な理由は取り扱っている金魚にある。


 この金魚、一般的な金魚すくいでよく見られる『小金』と『出目金』と呼ばれる品種に良く似ているが、実はロボットなのだ。


 ロボット金魚は小型の太陽電池を仕込んでいる。そのため、日光や照明さえあれば、ほぼ半永久的に泳ぎ続けて餌代も掛からない上に管理も楽というメリットから、主に観賞用として本物と同等に愛でている愛好家も居るくらいだ。


「見てろ」と今度はクロガネが挑戦する。

 五百円もの電子マネーを支払い、ポイと水の入ったボウルを受け取る。


 狙うはさっそく水槽手前に泳いで来た小金だ。

 小金の前方二十センチにポイを斜め四十五度で一度水槽の中に潜らせる。半紙全体を均一に濡らすことで、逆に破れにくくするためだ。

 そして一定の速度でVの字を描くように水中から引き上げ、その際に小金をポイの中心に乗せるようにして素早くボウルへと移す。


「おおっ」


 クロガネの流れるような動きに思わず感嘆の声を上げる美優。

 そしてボウルの中を覗き込むと、そこには一匹の小金が……居ない。


 見ると、クロガネが手にしているポイが中央から大きく破られていた。

 理想的なフォームですくい上げた筈が、金魚ロボットの重みに半紙が耐えられなかったようだ。


「…………」

「…………」


 気まずい沈黙の中、クロガネは破れたポイを再び水槽の中に入れると、先程と同じ手順で引き上げる。


「えっ」思わず眼を瞠る美優。


 ボウルの中には、小金が一匹。


 その後もクロガネは次々とすくい上げる。

 破れたポイのフレーム部分に、金魚ロボットを上手い具合に引っ掛けては素早くボウルへと移しているのだ。

 これはこれでルール違反のような気もするが、ロボットの重さと半紙の強度を計算に入れなかった時点で金魚すくい自体が破綻している。なのでプラマイゼロだろう、とクロガネは考えている。


 店主も周囲の客達も唖然とする中、クロガネのボウルには金魚がギッチギチに盛られていた。


「大漁だな」


 珍しくドヤ顔を浮かべたのも束の間、クロガネはすくい上げた小金を二匹だけ残して全て水槽に放流リリース。美優が溶かした五千円分の元は取れただろうが、流石に全部は飼えない。


「店主、二匹ほど頂きます」


「へい。お気遣い、ありがとうございますっ」


 捕まえた小金ロボット二匹を水の入った小さなビニール袋に手際よく移して貰うと、美優に持たせた。


「ありがとうございます」


「飼うなら専用の水槽が必要だな」


「このサイズなら、百均のもので充分ですよ」


「そうか、それじゃあ後日揃えよう」


 楽し気に美優が小金をビニール越しに指でつつくのを見て、


「うっかり破らんでくれよ」


「破りませんって、もぅ……」


 冗談交じりに言うと、彼女は頬を膨らませた。



 ……ちなみに二人が立ち去った後。

 クロガネのすくい方攻略法を見ていた客達が、こぞって金魚ロボットを乱獲したことで、店主は「赤字だあ!」と涙目になったという。



 ***


 ……十九時の花火大会までまだ余裕があるため、フランクフルトやわたあめなどを食べ歩きながら散策を続けていたら、たまたま雑貨屋に目が留まった。


「らっしゃい! お祭りの記念に、光る輪っかとかいかがすか!」


 威勢の良い中年の店主が、自身の首や手に巻いては色とりどりに光るリング――サイリウムを勧めて来た。

 夏祭りは元よりライブコンサートなどのイベントや防災アイテムでよく目にするこのサイリウムは、ポリエチレンチューブを曲げて中のガラス管を割ることで二種類の溶液が混ざり合い、化学反応を起こして発光する仕組みとなっている。発光持続時間は四~六時間ほどだ。


 値札に『サイリウム各色二百円』と書いてあるのを見てから、


「いや、百均でもっと安く買えるから要らない」


 とクロガネが正直に拒否すると、特に気分を害した風もなく店主は「だははっ」と豪快に笑った。


「違いない。だけどそこは楽しいイベントの空気感というか、雰囲気込みということで一つ納得してくれぃ」


 なるほど、付加価値ということか。確かに周囲を見れば、露店で購入したと思しきサイリウムを身に付けている人達が結構いる。この混雑に暗くなってきたこともあり、はぐれてもすぐに見付けられる目印として子供に持たせる親も居ることだろう。


「納得したんで、二本貰おう」


「まいど! 色はどうします?」


「俺は青。美優は?」


「では、緑を」


 電子マネーで購入したサイリウムを、お互いの手首に巻いてみる。

 機械仕掛けの義手に青く光るリングの組み合わせは、何となくサイバーパンクっぽい。


 改めて雑貨屋に並べれた商品を見ると、メンコやベーゴマなどレトロ過ぎて逆に新鮮に感じる品もあれば、安価なドローンやAIミニ四駆、一対のAR式対戦型光線銃などが置いてある。全体的に男の子向けのラインナップだ。


「これは……」と、美優が物珍し気に商品の一つを手に取った。


 丈夫な樫の木を加工した工芸品――写真立てのようだ。

 奇しくも、彼女の浴衣に描かれた花と同じ彫刻が施されている。


「……それ気に入ったのかい、お嬢さん?」


「はい、これくださいっ」


 店主の問いに即答するあたり、とても気に入ったようだ。


 写真はデータ化して各種端末に保存し、いつでもどこでも見れることが出来るのが当たり前のご時世だ。わざわざプリントアウトして額に収めて飾るといった一連の手間や、自分や親しい人間以外に写真を見られることを嫌う人が多い中、美優は比較的珍しい部類に入る。


 それは、裏を返せば。

 合理的で無駄の無い思考と選択を行う一般的なAIとは全く異なり、安藤美優というガイノイドは『確固たる自我を持った、限りなく人間に近い存在』という意味でもあるのだ。

 最初からその設計思想コンセプト獅子堂莉緒ししどうりおは美優を造った。自身の命を、夢を、そして生きた証を繋ぐために。


「クロガネさん?」


 心配そうな表情で見つめてくる美優に、我に返る。


「ぁ……、もう会計は済ませたのか?」

「はい」

「ごめん、支払いは全部俺がするつもりだったのに」


 そのためのご褒美夏祭りだ。

 どうでもいい思考と柄にも無い感傷に浸ってしまったばかりに、美優のポケットマネーを無駄に減らしてしまった。


「大丈夫ですよ。この写真立て、かなり精巧で綺麗な造りなのに、とても安く譲って頂きました」


 普段から経理も担当する美優がそう言うくらいだ、やはり今時写真立てを使う人はそう多く居ないのだろう。


 ……いや、それはともかく。


「どうして写真立それてを買ったんだ?」


「この浴衣と同じお花の意匠があしらわれていたからです」


 そう言って、片袖を広げて見せる美優。


 先程の清水との会話を思い出す。

 確か、ペチュニアという名の花だったか。


「へぇ、そんなに気に入ってたのか」


「はい。デザインというか形や色も良いのですが、それ以上に花言葉が」


 と。

 このタイミングで。


『まもなく、花火大会が始まります』と会場アナウンスが入った。


 それに伴い、来場者の多くがざわつきながら見晴らしの良い土手の方へと移動する。


「美優、ちょっと付いて来てくれ」

「は、はい?」


 美優の手を取り、クロガネは気持ち足早にその場を離れる。

「すみません」と人の流れを横切っては時に逆らい、土手を上ったと思ったら歩道に出て、どんどん夏祭りの会場から外れ、離れていく。


「あの、クロガネさん? 花火は見ないんですか?」


 戸惑いながらもどこか残念そうに美優が訊ねた。


「いや、見るよ。もう少しだ、足元に気を付けてな」


 やがて、『別雷神』と神額に記された比較的新しい小さな石鳥居をくぐり抜け、高い石段を二人で登る。


 やがて頂上まで登り切ると、そこには小さな神社が建てられていた。

 夏休みとはいえ夜間、しかも夏祭りもあってか他に参拝客は居ない。


「……この神社は?」


別雷神わけいかづちのかみっていう神様を祀る神社……といってもここは分社で、京都にある上賀茂かみがも神社が本家本元らしい」


 そう言うと、美優は緑色の義眼を光らせる。


「検索――完了。別雷神とは古来より避雷として信仰を集めた神様で、近年では雷から転じて『電気を司る神様』として電力や鉄道、機械やIT関連の幅広い企業からの参拝があるらしいですね」


「ちょうど二年くらい前にここで、同じことを海堂から教わったよ。鋼和市この街にはピッタリの神様だよな」


「真奈さんに? どうしてここで?」


 美優のその問いに答えず、


「……時間だ」


 クロガネは、後ろを振り返る。

 つられて美優も振り返った――直後。


 ひゅう~~……


 と。

 高い音と共に尾をなびかせた火の玉が、空高く昇って消えた……瞬間。


 夜空に色鮮やかな大輪の花が咲いた。


 どぉおおおぉん!


 遅れて体の芯を震わせるような爆音が響き渡った。


 最初の一発を皮切りに様々な色と形の花火が次々と夜空に打ち上げられ、咲いては散り、咲いては散りを繰り返し、その度に大気を揺るがす大迫力の轟音が耳ではなく肌を打つ。


「ゎぁ……」

 初めて目にした打ち上げ花火に、美優は思わず感嘆の声をもらす。


 花火が空に咲く度に、観客たちの多くが集まった土手の方からは拍手と歓声が聞こえた。

 雲も無く風も無い絶好の花火日和だけに、この日この瞬間に立ち会えたことは感動以外の何物でもない。


「綺麗……」

「ああ、そうだな……」


 それはクロガネも、そして機械である美優も、この瞬間は心が一つだった。



 ***


 ――夢のような時間は瞬く間に過ぎ。


 花火大会の終了をもって、夏祭りは無事に終幕フィナーレを迎えた。

 満足気な表情でぞろぞろと会場を後にする人達を高台から見下ろしながら、不意にクロガネが口を開く。


「ここ、花火を見るには絶好の穴場なんだ。二年前だったか、海堂に連れられた時もここで見た」


「そうだったんですか……」


 やや浮ついた様子で、美優は夜空を見上げている。

 打ち上げ花火の迫力と感動の余韻に浸っているようだ。


「クロガネさん」


「ん?」


 一緒に同じ夜空を見上げていたクロガネに提案する。


「また来年も、ここで花火を見ましょう」


「……ああ」


「今度は、真奈さんも一緒に」


「そうだな、今度は四人で……え?」


「え?」


 二人して顔を見合わせる。


「……何でって言ったんだろ?」


「いや、私に訊かれても……」


 二人して首を傾げる。


「まぁ良いか。来年の楽しみは、来年に取っておこう」


「ですね。帰りましょう」


 揃って家路につく。


「……あ、そういえば」


「はい、何でしょう?」


 ふと、何かを思い出したクロガネが美優に訊ねる。


「花火のアナウンスで聴きそびれたんだけど、そのペチュニア? の花言葉って何なんだ? 美優が気に入るくらいだから、きっと良い意味なんだろうけど」


 美優は少し間を置いてから、悪戯っぽく微笑む。


「……今、私がクロガネさんに対して想ってることですよ」


「……んん? 何だそれ? 教えろよ」


「駄目でーす。気になるなら後で調べてください」


「えっ、今じゃ駄目なの?」


「駄目ですよ、恥ずかしい……って、何ですかその手に持ってる文明の利PID器は? しまってくださいっ」


 わいわいと楽し気に、機巧探偵の二人は揃って夜道を歩く。




 ペチュニアの花言葉――


 ――『心の安らぎ』、『あなたと居ると心がやわらぐ』

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