第17話 砂浜/海原より

 ただ無作為に漂わせていた瓶詰め手紙に、返事が来た。返事が来るとは思っていなかったし、欲しいとも思っていなかったのに。

 我々の言葉や字は、陸上の者に通じない。封もただでは開けられない仕組みにしてあった。もはやそういう意匠の置き物でしかない瓶を何故、と問われれば、人間の行為を面白く思ったので、真似てみただけと答える。無意味で無謀な賭けに、人間が何を思うのか知りたいという理由もありはした。けれどすっかり忘れてしまっていたので、動機と表するには不適切になっている。

 件の返信は、同様に瓶へ詰められて、影のような魚の背に乗せられ届けられた。それが送り主の遣いらしかった。不気味だからと、最初は皆が追い払おうとしたが、遣いの魚はまるで動じなかったし、影にひそむ錦の鱗を証のようにきらめかせたので、通すことになった。私の領海において、鱗を見せつける行為は敵意がないことを示す。それを知っている魚は、ある程度の礼儀はわきまえているだろうと考えて、来訪を許可した。

 手紙を返してきた者は、人ではないもの。「ニシキ」と名乗る者だった。砂浜で拾い物をしていたら、私が流した手紙入りの瓶を見つけたらしい。陸の者だというのに、開封も解読も難なくこなした挙げ句、似たような術を使って返事を寄越してきたのだ。


『貴方には、どうやら手紙をやり取りする趣味が無いとお見受けいたしました。しかしながら、私は手紙のやり取りを好んでおります。手間をかけて手紙を開封、解読し、同様に返事を送ったのも、そういった理由あってのことです。

 貴方さえ良ければ、私と手紙のやり取りをしていただけませんか。私への手紙は、紅葉を伴えば必ず届きます』


 紅葉とやらは、海中ここにはない。だが、描いただけでも通じるのだという。ここまで手紙を送り返した手腕といい、水中で読める仕組みを手紙に施していることといい、ニシキとやらは相当な術者であることが窺えた。ついでに、相当な暇人あるいは変人であるらしいことも。

 指摘の通り、私に手紙をやり取りする趣味は無かった。今まで流してきた手紙も、内容はほとんど同じことばかり書いている。だが、何が何でも読ませるという意思すら感じ取れそうな返事を受け取って、気が変わった。ニシキとやらと手紙をやり取りするのも、面白いかもしれない。

 手頃な瓶が手に入り次第、という条件は付くものの、私はニシキとのやり取りに応じることを決めた。返事の書き方など知らないが、とりあえず質問に答えておけば良いだろう。これさえあれば届くという紅葉の絵姿も、同封されていたもう一枚の紙に描かれていたものを参考に、最後尾に記しておいた。判子を作れば手軽だろうから、後で作ることにしよう。

 書き終えると、返事の手紙も瓶詰めにして、待機し続けていた遣いの魚に託した。ニシキからの手紙を運んできた時と同じく、背に瓶を括り付ける形となったが、魚は苦を見せず泳いで行った。そしてまた、数日後にやって来た。手紙はちゃんと届けられ、手紙の応酬が始まったのだ。

 私が陸のものと手紙をやり取りし始めたと聞くと、海のものたちも興味を抱き始め、自分たちも手紙を読みたいとせがむようになってきた。一応、ニシキに伝えてみたところ、手紙は好きなように公表してくれて構わないと返事が来たので、私が返事を書く傍ら、手紙を読みたい者たちが集まるようになっていた。

 ニシキの手紙には、ニシキ本人とその周囲のこと、陸上に広がる人の世について書かれており、架空の物語に触れているような魅力があった。ゆえに、手紙を読むものは回を重ねるごとに増えていき、私の書く内容は代筆の側面も兼ねるようになっていった。皆が伝えたいと申し出ることは他愛なく、ささやかな出来事ばかりだったが、文字におこして書き連ねていくと、不思議と愛おしく、重みがあるように錯覚までした。それはニシキにも伝わったようで、返事に書かれた皆へ語りかける文面は、文字だけなのに温かみを感じ取れるようでもあった。

 やり取りも数十回と重なり、完全な日常の一部と化したある日。手紙を読んでいた一匹が、のんびりと呟いた。


「主様。僕たち、ニシキに会えないかなぁ」


 それはとても何気なく、叶わなさそうという当然の諦観が混じっていて。けれど現れた途端、皆の口を軽くする言葉だった。


「そうだね、会ってみたいよね」

「ニシキの鱗……着物っていうんだっけ? よく分からないもの」

「片眼鏡っていうのも分からないよね」

「うん。ニシキってどんな姿をしてるのかしら。人の姿でしょうけど、人なんて滅多に見られないし」


 パクパク口を動かし、言葉の泡を吐く者たち。彼らは一通り喋り終えると、筆を執る私へ、ずらりと並んで視線を寄越した。


「主様、ニシキに会えませんか?」


 代表の一匹が、かたり体を傾けながら問うてくる。私はかつて、海上から人の世を眺めに行っていたこともあったから、無理というわけでもない。と言っても久しぶりだから、上手く行けるか分からないけれど。


「よし。ニシキに会えないか訊いてみよう」


 私もニシキには興味がある。ゆえに頷けば、わっと皆よろこんで舞い始めていた。

 結論から言って、ニシキの返事は快諾。初めに私の瓶詰め手紙を拾った砂浜を擁する海岸、そこから張り出した防波堤なる場所の先端で待つと言うので、私はさっそく準備に取り掛かることとなった。

 人に近い姿は、いつも取っているので問題ない。海上へ顔を出す時の諸々が問題だ。何せ、海のものと陸のものでは呼吸の仕方が違う。それを思い出すためにも、少々練習をしなければならなかった。幸い、体はしっかり覚えていたようで、数回練習すれば懸念も消えていった。

 不安も解消された中、ニシキと会う約束の日は、すぐにやって来た。日中は酷く暑いのと、見咎められる可能性を考えて、会うのは夜とあらかじめ決めている。写したものを片割れの鏡に映し出す宝鏡と、鮟鱇あんこうが作った提灯を持って、私は久方ぶりの海上へと泳いでいった。

 夜の黒が落ち、紺色に染まった海の上。私が顔を出した更に上には、ぽっかりと黄色い月が浮かんでいる。揺らめかずピタリと静止した月を見上げるのも久しぶりだった。その明かりと手持ちの明かりを頼りに、防波堤なる場所を目指す。

 比較的、陸地に近い場所へ浮上したので、待ち合わせの場所にもすぐ辿り着けた。私は防波堤なるものを初めて見たので、近付いてもなかなか分からなかったのだが。その先端に腰掛ける人影が見えて、ピンと来た。人影もまた、明かりを携えていた。


「――やあ、こんばんは」


 人影に近寄っていくと、海面に落ちていた視線が上げられて、私のものと合わさった。焦げ茶の双眸、その片方には奇妙な輪が掛けられている。


其方そなたがニシキか?」

「いかにも。そう言う貴方は、琉灑りゅうさい殿で相違ない?」

「ああ、そうだ」


 確認を終えると、ニシキは腰掛けていた場所から、更に下へとやってくる。奇妙な形の岩が、組み合わさるように置かれた場所を、器用に降りてくる。その際、陸のものが立てる足音なる音が聞こえた。貝殻をぶつけ合うような、軽やかで綺麗な音だった。


「テトラポッド……この岩場を降りるのは危険と見做されてしまうのでね。暑いのもそうだが、こうして夜中に会っていただくことになった。ご不便をおかけして申し訳ない」

「いや。私も人に見られ、騒がれてしまっては敵わない。どちらにしろ、夜に会うこととなっただろうよ」


 海面に近く、私からも距離を縮めたため、ニシキの姿がはっきりし始めた。月と、各々おのおのの提灯に照らし出されたニシキは、上は薄い水色、下は濃くて暗い紫の衣を纏っている。我ら海のものが持たない足は、赤い履き物で一部を覆われていた。頭も、我ら海のものには無い髪の毛で覆われており、その色は明るい茶色をしている。


「さっそく頼み事をするのは気が引けるが、其方の姿を皆に見せてやっても構わないだろうか。この鏡で写すと、片割れの鏡に映るようになっている」

「もちろん。と言っても、私の姿なんて何の面白みもありませんよ」

「何を言う。陸のものの姿など、そうそう見られるものではない。それに、其方は私と手紙をやり取りする物好きだ。皆どんな者なのかと、気になって仕方がないのだよ」


 言いながら、私は鏡を持ち上げて、ニシキの姿を鏡面に収める。ニシキはただ、己の姿を映されているだけだが、海の中では皆の前に姿を現しているのだ。


「これは今、海中に見えているんですよね?」

「うむ。音は聞こえないが」

「なるほど。じゃあこうして手を振ってみたら、見えます?」

「見えるが……手を振るというのは、どういう意味だ?」

「挨拶の一種ですよ。友好を示しているんです」


 ひれとは違う形をした手を、鰭のようにひらひら振りながら、ニシキが笑う。ひとまずその表情で、皆は友好を示されていると察するだろう。


「ふふ。それにしても、砂浜での拾い物が、新しい縁になるとは。前には枝ごと鳥を拾えたし、やはり、海岸での拾い物はしておくべきですね」

「鳥……空のものだな。たまにこちらへ来るものもいるが」

「ええ。彼も人の姿を取れますから、また機会があったらお話でも」


 それもまた楽しそうな誘いだった。皆も鳥を見られるとなったら、また会いたいとせがんでくるに違いない。

 鏡をしまった後も、私はニシキとささやかな会話を交わした。多くは手紙で語っているから、何を話したものかと思っていたが。ニシキが上手く話すので、乗って合わせていたら、ずいぶん長く広く話すことができた。

 しかし、いつまでも話してはいられない。事前に伝えていたが、私が海上へ顔を出していられる時間には限りがある。ニシキが時間に配慮してくれていたのもあって、私がまだ余裕のある内に、交流は切り上げとなった。


「いやはや、こうしてお会いすることまで叶って良かった。半ば無理やり返事を渡しましたから、機嫌を損ねていやしないかと心配だったんです」

「そんなことはない。返事は不要だったが、いざ来てみると楽しくなった。ありがとう、ニシキ。手紙を拾ってくれて、手紙を返してくれて、私はとても嬉しかった」


 いざ口に出してみると、すとんと、胸に何かがはまって埋まる感触があった。ああ、私は……楽しくて、嬉しかったのだ、本当に。

 先に遠ざかり、海へ帰る私を、ニシキはずっと見ていてくれた。姿が夜闇と馴染み、ほとんど見えなくなっても、手に持つ明かりがじっとたたずんでいた。

 私も、提灯を最後まで掲げて、海の中へと潜っていった。ニシキが皆へ手を振ってくれたように、私を見送ってくれたように、友好の意を示しながら。

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