第3話 メロンパンの思い出

「コーヒー、入れましょうか」


 律子に促され、三輪はバックヤードに入り、律子の入れたインスタントコーヒーを飲んだ。


「ふー。あの子?何者なんだい。バイトは最近辞めたって聞いてたけど」


「あ、えっと、そう、辞めちゃったからさあ、その、緊急で内緒で手伝いに来てくれた近所の子っていうか、そうピンチヒッターっていうの?みたいな」


 律子は、慌ててその場しのぎの話をでっちあげた。


「働かせるなら、ちゃんと手続きしてくれよ。それにしてもケマコちゃん……」


「?」


「律っちゃんとそっくりだな。いやあ厳しい厳しい。俺がバイトなら初日で逃げてるよ」


「あ!いやぁ……、そっかぁ」

「ん?」


「あ、いえ、へへへへ」

 律子は、自分そっくりというケマコの指導ぶりが、バイトを怖気づかせて退職に至らせていることに気付いた。使えないバイトと思っていたが、ケマコという鏡越しに自分の姿を見て、三輪に言われた言葉が刺さったのだ。


「それで、今日はどうしてこっちに?」


「あ、そうそう、昨日、駅の南側の再開発事業計画で建つファッションビル『エビス三ノ瀬』にうちも出店することが決まったんだよ」

「えー!すごーい。この店引っ越すの」


「いや、あっちは、うちの上位ブランドのthe lingering flavor of citrus、LFOC・リフォックで行こうって言う話なんだ。ここみたいな、ポピュラープライス(低価格帯)じゃ見合わないし、ビルのターゲットとしてもモデレート(中価格帯)からベタープライス(高価格帯)まで狙うつもりなんだ」


「そうなんだ。結構本社も本気なんだね」


 新しい地域への出店は、アパレルによらず、企業にとって大きな冒険である。律子の現在の店があるショッピングモールも、低価格帯の顧客をがっちり掴んで、長年地元庶民の味方として存続してきた。だが同時に床面積あたりの売上は、すでに頭打ちし、今以上の売り上げ増は見込みにくくもなっていた。


「え、じゃあ、駅のこっちと南側に二店舗ってこと……?」


「いや、こっちは閉店して、律っちゃんには、リフォックでやってもらおうって話になってる」


「なあに言ってんのよー、あたしが梅田のリフォックやプラチナリフォックでやってた成績全部自分に付け替えて阪神地区5店の成績全部もっていったの、誰でしたっけ」


「いや……あの時は、海外進出とかもあってさ、見栄えのある数字を見せないといけなかったんだよ。自分の功績独り占めにしちゃって、悪いと思ってるよ」


「私は、関西地区売上最下位の店長ってことでこっちに飛ばされてるんだから。……それで、新妻も赤ん坊も置いていったローマはさぞ楽しかったでしょうね!」と言いながら、律子は半ば冗談ではあるが、呑みかけのコーヒーを三輪に掛けるしぐさをした。


「悪かったよ悪かった。離婚されても仕方ないと思ったし、そのまま向こうでバイヤーを続けていくと思ってたんだけどね。向こうとの契約が去年末で変わって、うちの会社は向こうが言ったものを売らなきゃいけなくなったんだよ。バイヤー業務はおしまいさ。関西SVとして戻ってきたってとこなんだよ」


「いい?私が今更リフォックやプラチナに戻っても、やりにくいだけだわ。きっと最下位だったやつが昔の男を誑し込んで新店舗の店長に潜り込んだって言われるんだわ」

「そんなこと言わせないよ。それに……」と、三輪が続けようとした時、


「律子さん、それじゃ帰るわよ」と、ケマコが戻って来た。


「ご苦労様~、あ、よかったらこれ持って帰って食べて」


 律子は、紙袋をケマコに手渡した。


「なになに?うわああああ、いい匂い!」


 ケマコは、そう言うなり、降り畳んであった紙袋の端を口で噛み破った。


「げっ!」と二人が声をあげる。慌てて律子が三輪の視界を遮って立ち上がった。


「ひゃああああん、何これえ」と、ケマコは二人の様子に気付く気配もなく、口を袋につっこんだ。


「ばふ」


 ケマコは、つい人に化けていることを忘れていた。「がちん」と歯が鳴る。人の口は、狐ほど出ていない。ケマコは構わず、袋を口に押し付けて、ばくりと食らいついた。


「はああん、メロンパンじゃないのよう。あ、これ、いけんじゃない」


 ケマコは瞬く間にメロンパンを平らげ、虚空を見上げて余韻に浸っている。


「ど、どうしたの?よだれ出てるよ」


 犬歯が剥き出しになって呆けている口を律子が拭いてやると、ケマコはされるがままに、


「富良野にいたころ、よくメロンをくれるおじさんがいて、メロンパンも分けてくれたのよ。それが幸せで幸せで…」と、遠い目をして語りだした。よく見れば変身が解けかけて、ワンピースの背中のファスナーに隙間ができて、そこから尻尾が飛び出している。


 律子はぎょっとした。三輪が訝しくこちらを見ている。


「あ、ああ、そう、あんた、そう道産子って言ってたもんね。あんた富良野なんだ。あ、あの、三輪さん、今日はまだなんかあります?」


 律子は、ニコニコと微笑みながら、レジ裏にケマコを蹴り込むと、三輪を立たせ、バックヤードから半ば強引に追い出した。


「ええと、いまケマコちゃんの後ろになんかぼわっと見えたみたいで……」


「はあ?あ、そんなもの何も」「いや、間違いじゃ…」とレジ裏を覗き込もうとする三輪の前に割り込み、


「み、三輪さん、お、女の子のセンシティブなところ覗かないであげてもらえます?なんかそれって、上に立つものとしてどうかと思うわ!」と、男性社員的に不都合な方向に持って行った。


「え!ええー。あ、わかったわかった。じゃあ、また来るからね」


 三輪は、じりじりと後ずさりすると、首をかしげながらエスカレーターを降りていった。



「わ…悪かったわ」


 ケマコは、狐に戻った姿でレジの裏奥で恐縮そうにしている。

「…もう行っちゃったから大丈夫よ。あんたも可愛いとこあんのね」


 律子は、椅子を引き寄せてレジの影に座った。


「へへへへ。なんか故郷を思い出しちゃうのよねえ」


 律子とケマコは、顔を見合わせて笑った。


「あ、あたしもお昼に食べようと思ってたんだけどさ。もう一個食べる?」


「ひゃああああん、あんた気前がいいのねえ」

 メロンパンを頬張るケマコの頭を撫でながら、律子は呟いた。


「せっかく、今の家で落ち着いた暮らし始めてんのに。どうなっちゃうのかしら」


「もぐもぐ、なにあんた、もぐ、なんか願い事あんなら、もぐもぐ、言ったんさい?」


「あ、そうか。いいの?今でも毎日お店やうちのこと手伝ってくれてんじゃん」


 ケマコは、少し心配げな律子の肩を右前脚でバンバン叩いた。

「なあに言ってんのよ。このメロンパン、お供えでしょ?」


 律子は、ケマコの前足を両手でぎゅっと握った。

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