番外編3 フジミヤ観察日記

ある夏の話である。私はその日、道の真ん中に転がる生首を見つけた。

「!やあ君、一寸手を借りてもらってもいいかい?いや何、簡単な事だ。俺をそこの日影に移してくれないか。流石に真夏のコンクリートの上は堪える故な。端的に言うと、滅茶苦茶暑い。死にそうだ。死なないが」

私は生首を拾うと、すたすたと近くの草むらに持って行った。けれどその途中でふと考える。そして生首に言う。このまま運んでもいいけど、虫がいっぱい寄ってきちゃうかもしれないよ、と。

「何と。それは少し辛いかもしれないな」

私は少し迷って、家に連れて帰ることにした。部屋でこっそり飼えば問題ないだろう。部屋ならクーラーもあるし柔らかい布団もある。外よりはいいだろうと言えば、生首はびっくりしたような顔をした。

「良いのかい?ご厄介になっても」

私は頷いた。どうせパパもママも帰りは遅い。外で遊ぶような友達もいないし、夏休みの宿題をひとりでやるのはもう飽きた。面倒は見るから話し相手になって欲しいと頼めば、生首は「それならお安い御用。俺はおしゃべりだと常々言われていてね、まあ今回も中々黙らないからこうして外に投げられたのだろうが。ともあれしばらくの間よろしく頼むよ」と、私の倍の言葉を話し、生首はにこりと笑った。



生首いわく。七日間もあれば体が元に戻るという。そんな人間がいるのと聞けばそんな人間がいるのだ、と応える。

生首は水や食事は必要が無いらしい。けれど食べるのは好きなんだそうだ。まあこの状態では飲むも食べるもできないがねと笑うので、なんだか可哀想になった。だから私は自分用に作ったカルピスを、ストローで少しだけスポイトのように吸い取る。そうして生首の舌にぴたりぴたりと垂らした。

「親切だね、君は。有難う、美味いよ」

どうしましてと私は言う。そのまま、クーラーの効いた部屋で宿題に手を付ける。算数のドリルを五ページ進めた所で、ふと生首に友達はいるのかと聞いた。

「こちらが勝手に友だと思っている者は多いな。あちらは多分そう思ってはいない」

寂しくは無いのかと聞いた。

「寂しがっても仕様が無いさ。どうせ誰も彼も俺より先に死ぬんだ」

私はなんとなく、私も友達がいないんだ、という話をした。休み時間はひとりで過ごしているし、気の合う人もいない。最近はあまり寂しいとも思わなくなってきたと言えば、生首は悲しそうに「そうか」と言った。

「俺も、寂しくなくなりたいなあ」


生首はラジオのように沢山の話をしてくれた。私からしてみれば昔話で、教科書の後ろの方にしか載っていないような話をしてくれる。戦争の話をしてくれたので、「戦国時代は?織田信長とは会った事ないの?」と聞けば生首は苦笑いをして「流石に俺でも会ったことが無いなあ」と言った。

生首は、見た目ほど新しい人ではないけれど私が思っているほど古い人でも無いみたいだ。



二日目になると、生首は生首ではなく、おへそまでの上半身がくっついていた。

「すまないが、父君の部屋から服を借りてきてくれるかい。シャツでも何でも、着れれば良いから。―――――ああ、下着と下履きも頼む」

ばれないかな、と聞く。一着くらいばれないさ、と生首は言う。

「何、落ち着いたらちゃんと返すさ。そうだな、あまり父君は着ない服を持ってくると良い。申し訳ないが、君のためでもある。よろしく頼むよ」

私はパパの部屋の棚の奥の方にあるシャツとカゴの底のパンツ、これまた棚の奥の半ズボンを持ち、帰りにタオルを水で濡らして絞ったものも持っていく。部屋に帰って、もう生首ではなくなったものにシャツを着せた。下半身も手も足も無いと、私よりも小さい。なんだか内緒でペットを飼ってる気分だ。私はペットの顔を拭いてやる。ついでに体も拭いてやろうとしたら、「さすがに子供にさせられない」とやんわりと断られた。

「幼子に介護されるってのは、なかなか気まずいというか。申し訳ない気分になるな。これは父君の服を返す時、きちんと礼をしなくてはいけないね」

別に体を拭くくらい何でもないのに、と私は思った。

生首の時と違って、私一人の力じゃ移動できなくなった。床に置いたままなのが少し申し訳ない。そう言えば「何、冷房が効いた部屋に居させてくれるだけで充分さ」と人懐こそうに笑う。今日は、少しだけオレンジジュースを飲ませた。


三日目は、下半身がくっついていた。パンツとズボンを履かせていたら、「………申し訳無い、本当に………」と恥ずかしそうにしていたので、何も恥ずかしがる事は無いと言った。あなたは今私のペットなんだから、世話をするのは当たり前でしょ。そう言えば生首――――――いや、青年はぱちくりと目を瞬かせた。

「驚いた。生首を拾った段階から普通では無いなと思っていたが、中々のお嬢さんだ」

普通じゃない。よく言われる。けれど私は何でそんなことを言われるのかよくわからない。

「―――――――でも、そのお陰で俺は今快適に過ごせている。君のそれが良い物か悪い物か、それは俺が言える事では無いがね。けれど君の性質に、俺は感謝しているんだ」


私は。


ちょっとだけ嬉しかったから、炭酸水を少しだけあげた。


四日目に、足が生えた。すらっとした足だ。しげしげと見ていたら、青年の腹の音が聞こえた。

私は自分用に作ったインスタントのカレーを食べさせてあげた。

「やあ、これは美味い。最近はインスタントも随分とレベルを上げたものだな」

ごくんと喉が動き、かぱりと口を開ける。テレビで見た鳥の雛みたいだったので、半分くらいあげることにした。けれど青年は「君が食べなさい」と言った。あまり食べたくないと言えば、どうしてかと聞かれる。特に理由は無いと答えれば、青年は目を合わせるようにこう言った。


「そうしたら、お礼は美味しい物にしよう。君が食に興味を持つくらい、美味いものだ」


コップに水と氷を入れて、ゆっくり飲ませる。暑い日にはこれが丁度良い、と笑っていた。


五日目に、手が生えた。青年曰く、少しだけ早いらしい。

「少しの間だが楽しかった。世話になったな」

私は、せめて夏の間だけでも家にいてくれないかと言った。本当にこの青年は、よく喋った。だからこれからの日々の中にそれが無いのがとても悲しい。

「何だ、君だって寂しかったんじゃないか。その年にしては早熟だとは思っていたが、その感情は年相応―――――いや、誰しも持つ感情、か」

それでも青年は行くらしい。私はこの寂しいという感情が、何から来るものなのかはわからない。彼の言う通り「普通」の感情なのか、それともそれすらいびつなのか。

私は冷蔵庫から、未開封のペットボトルに入ったサイダーを手渡した。

青年はそれを受け取ると泣きじゃくる私の頭をひとなでして、暑い暑い外の世界へと還っていったのだ。


私はそこでようやく、彼の名前を聞き忘れたことに気づいた。



数日後、要冷蔵のお中元が届いた。送り主の名は、難しくて読めない。ママに聞いたら、「フジミヤスオウ」と書いてある、と応えてくれた。パパもママも、何の疑問も持たずにその荷物を受け取り、箱を開けた。

中には紳士用のシャツとズボン、それに新品のパンツ。それと「大変お世話になりました。こちらはほんのお礼です。」と書かれた手紙が入っていた。そして要冷蔵の箱を開けてみれば、みっちりと肉が詰められていた。

「うわ、すごい。これスーパーで買ったらだいぶしそうね」

白い発泡スチロールの中で、ビニールに包まれた肉はきらきらと輝いている。

私の口内で、自然と涎が溜まっていく。私はぽそりと、ママに言った。


「…………ママ、わたし。今日のお夕飯、これがいい」


ママは嬉しそうにそうね、そうしましょうね。と言った。お肉もだけれど、私が自分からご飯のリクエストをしてくれたのが嬉しかったみたいだ。うきうきしながら冷蔵庫に肉を持っていく母と、新しい服が増えた父がなんだかよくわからないといった顔をしている。

「ねえママ。とびきり美味しいものを作ってね」

きっとこのお肉は美味しい。だって私は、あの人に興味があるから。

好きなものは、たぶんおいしい。わからない理屈が私の中で、それでも正解のように繋がった。


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